12.静かなる包囲網
「——見つけた! 水路の跳ね橋の裏側に、二つ目の結晶があります!」
アレクシアの叫び声に応え、頭上から黒い影が舞い降りた。
「任せときな!」
リックが魔法を使わぬ身一つで水路の壁面を蹴り、驚異的な跳躍を見せる。
すれ違いざまに短剣の柄で結晶を削り落とすと、着地と同時に鮮やかにそれを回収してみせた。
「助かりました、リックさん。魔法を使わずにあんな高所まで……素晴らしい身軽さですね」
「へへ、幼い頃から街の裏路地で身一つで生きてきたからな。魔法が使えねぇ分、体動かすのだけは得意なんだよ」
親しみやすい笑みを浮かべるリック。
両親を早くに亡くしたアレクシアは、過酷な生い立ちを乗り越えて明るく生きる彼に、どこか強い親近感と頼もしさを覚えていた。
「よし、これでこの区画はあらかた除去できたはずだ。……だが」
隣を歩くフレッドが、白銀の鎧の胸当てに手を当て、厳しい表情で水路の奥を見つめる。
「手口があまりにも周到だ。敵は単に監視するだけでなく、この王都の平和そのものを内側から揺さぶろうとしている気がしてならない……」
フレッドの懸念は、最悪の形で現実となった。
ズズズ……ッ!
突如として、王都を流れる美しく清らかな水路がどす黒く濁り始め、水面が激しく波打つ。
「な……何事ですか!?」
「ウォンッ、グルル……!」
ライが毛を逆立てて威嚇するのと同時に、水面からどす黒い泥にまみれた鋭利な鎌を突き立て、水魔虫——オーマントが何体も這い上がってきた。
「ギギギギギ!」
嫌な奇声をあげ、泥を撒き散らしながら魔物たちが噴水広場や表通りへと飛び出していく。美しい花々が踏みにじられ、買い物を楽しんでいた市民たちの悲鳴が王都の空に響き渡った。
「市民を避難させろ! 慌てるな、騎士団がただちに対処する!」
フレッドが一閃、腰の剣を抜き放つ。
「アレクシアはリックと共に市民の誘導と防衛を! 奴らは俺が断つ!」
「はい! ——護りの水壁!」
アレクシアは両手を掲げ、水圧で作った緩やかな障壁で倒れ込んだ市民たちを庇う。
次の瞬間、フレッドの全身から猛烈な風の魔力が吹き荒れた。
「——切り裂け! 暴風刃!」
閃光のような踏み込みと共に放たれた一撃。目にも留まらぬ速さの風の刃が幾重にも重なり、オーマントの群れを一瞬にして切り刻み、黒い煤へと変えていく。
騎士団長としての圧倒的な力。
フレッドの華麗で無駄のない剣技によって、魔物たちは一分ともたずに全滅した。
「ハァ……ハァ……! 怪我人はいないか!?」
剣を納め、息を切らしながら市民へ声をかけるフレッド。
だが、駆け寄ってきた市民たちの顔に浮かんでいたのは、安堵だけではなかった。
「あ、ありがとう、団長様……。だけど、どうして王都の中に魔物が……?」
「まさか、帝国が……また攻めてくるんじゃないでしょうね……!?」
ひそひそと囁き合われる不安の声。
コンフェデラの象徴である咲き誇る花々の一部は黒く枯れ、王都レマニアを包んでいた「平和な空気」には、はっきりと亀裂が入っていた。
市民たちの瞳に宿ったのは、目に見えない敵への恐怖だった。
「……くっ」
フレッドは強く拳を握りしめ、苦々しく唇を噛みしめた。
魔物を倒すことはできても、一度市民の心に芽生えた「不安」を即座に消し去ることはできない。それこそが、敵の真の狙いだったのだ。
そんなフレッドの背中に、アレクシアはそっと歩み寄った。
胸元に挿されたエーデルヴァイスの花に触れながら、落ち込む彼の大きな手を、両手で優しく包み込む。
「フレッド様……。フレッド様が誰よりも素早く動いてくださったから、被害が広がる前に守ることができました。私は……この街を守るフレッド様を信じています」
「アレクシア……」
フレッドはハッと息を呑み、力強く彼女の手を握り返した。
「……ありがとう。君の言葉に救われる。どんな影がこの街を覆おうとも……俺は君と、この平和を絶対に守り抜いてみせる」
夕暮れの橙色の光が、手取り合う二人を優しく包み込む。
その光景を少し離れた場所から眺めていたリックが、短剣を鞘に納めながら、どこか呆れたように笑って歩み寄ってきた。
「へいへい、お熱いところ悪いが、団長様。水路の他の区画も一通り見て回ったが、仕掛けられてた『目』はこれで全部撤去できたみたいだぜ」
「……ありがとう、リック。君の機動力と鋭い観察眼がなければ、ここまで迅速には片付かなかった。本当に感謝する」
フレッドが真摯に頭を下げると、リックは照れくさそうに首の裏をかいた。
「よしてくれよ、柄じゃない。俺もアムネシアの一員だし、何よりアレクシアやマスターの居場所を守りたいのは同じだからな。……よし、マスターに報告に戻るとするか!」
「はい! 行きましょう、リックさん!」
頼もしい仲間の存在に胸を撫で下ろし、アレクシアは明るい笑みを浮かべた。
しかし、魔物の襲撃によって王都に落ちた小さな影と、市民たちの間に生まれた微かな歪みは、消えることなく確かにそこに残り続けていた——。




