9.揺れる王都と牙を研ぐ帝国
ルピナの森を後にしたアレクシアたちは、刻印の衝撃冷めやらぬまま、疾風のごとくギルド『アムネシア』へと引き返した。
「マスター……これを見てください」
マスター室の重厚な机の上に、フレッドが布に包んだ「黒い結晶」を置く。
そこに刻まれた禍々しい紋章を見た瞬間、オスカーの表情から一切の余裕が消え去った。
「……ちっ、あの鉄と闇の野郎どもか」
オスカーは苦々しく低く吐き捨てると、咥えていた煙草を灰皿へ強く押し潰した。琥珀色の瞳に、かつてないほどの険しさが宿る。
「ただの犯罪組織の仕業であってくれりゃあ、叩き潰すのも容易かったんだがな。……団長様よ、これは一ギルドや現場の騎士団だけで抱え込んでいい話じゃねぇぞ」
「ああ、承知している。……私はこれより直ちに城へ登城し、陛下へ謁見を賜るつもりだ」
「それがいい。裏の情報網は俺が限界まで広げておく。アレクシア、お前も団長様について行ってやれ。現場の第一発見者としての証言が必要になる」
「はい、マスター!」
アレクシアが力強く頷くと、隣に立つライも「ウォン」と低く短く応じた。
王都レマニアの中心に聳え立つ、白い石造りの美しい王城。
普段ならば咲き誇るコンフェデラの国花や豊かな水に包まれた穏やかな城内も、フレッドが「緊急事態」を告げたことで、一変して重苦しい緊張感に包まれた。
厳重な警備を通り抜け、アレクシアたちは最奥にある『謁見の間』へと足を踏み入れる。
玉座に鎮座するのは、コンフェデラを束ねる慈愛と威厳に満ちた国王。
そして、その周囲を固める重鎮たちの視線が、フレッドの掲げた黒い結晶へと注がれた。
「——間違いない。これは、我が国と永きにわたり冷戦状態にあった、あの国の魔導具だ」
結晶の裏に刻まれた紋章を確認した国王が、重々しく、けれど深い憂慮を込めた声を響かせる。
「……フィンステリウム帝国」
その名が玉座の間に落ちた瞬間、控え室の騎士や側近たちの間に息をのむ音が広がった。
フィンステリウム帝国。
かつてこの世界において、圧倒的な軍事力と冷徹な闇をもって他国を蹂躙した恐怖の象徴。
彼らは領地の拡大だけに飽き足らず、侵略した土地の魔法技術や知識を強奪しては、自国の力として歪んだ形へと発展させてきた。
そればかりか、捕らえた民や魔物を使い、理を侵すような非人道的な魔法実験を幾度となく繰り返してきた過去を持つ。
あまりの非道と終わりなき侵略に、耐えかねた隣国同士が集結し——血で血を洗う戦いの末に「同盟」を組み、総力を挙げて帝国に挑んだ歴史がある。
連合軍の激闘により帝国は敗北。かつての広大な領地と強権を失い、細々と身を潜めていたはずだったのだ。
「……各国の同盟によって敗北し、爪を奪われたはずの帝国が、なぜ今……」
重臣の一人が、震える声で呟く。
「敗戦から月日が流れ、奴らは潜伏しながら力を蓄えていたのかもしれん」
フレッドは凛とした佇まいで国王を見据え、言葉を続けた。
「ルピナの森で起きた狂乱は、ただの魔物の暴走ではありません。帝国が開発したあの黒い触媒を使い、外部から強力な魔力を流し込んで操っていた……いわば、王都の喉元で行われた『魔法実験』でございます」
「……永世中立を掲げる我らコンフェデラを、実験の場に選んだというのか」
国王の顔に険しい影が落ちる。
「フレッドよ。直ちに騎士団の警戒レベルを最高段階へ引き上げよ。また、ギルド『アムネシア』との連携を強め、王都周辺の監視を強化するのだ。……そしてアレクシア殿」
「っ、はい!」
突然名を呼ばれ、アレクシアは背筋を正した。国王は彼女とライへ、温かくも深みのある視線を向ける。
「危険を顧みず、この恐ろしい陰謀の端緒を持ち帰ってくれたこと、深く感謝する。どうかこれからも、我が国の風の騎士と共に、この街を守る力となってほしい」
「はい……! 身を粉にして、お役に立ちます」
謁見を終え、重苦しい空気が漂う王城の長い回廊を抜け出た頃には、王都の空は紫と黄金が混ざり合う綺麗な夕闇に包まれていた。
城のバルコニーから見下ろす街並みは、相変わらず穏やかで、咲き誇る花々が風に揺れている。
しかし、その平和のすぐ裏側に「帝国の影」が忍び寄っているという事実に、アレクシアはぎゅっと胸の前で手を握りしめた。
(他国を脅かし、非道な魔法実験を繰り返してきた帝国……)
国王たちの言葉が、頭の中で何度も反芻される。
世界の循環を静止させ、かつて奪い去られた「氷魔法」。
自分の体に流れるその冷たい力が、もし帝国や世界に知られたら——自分自身も「忌むべき存在」として滅ぼされてしまうのではないかという、冷たい不安が背筋を駆け抜ける。
無意識に体を強張らせていたその時、温かな体温がアレクシアの手を包み込んだ。
「……フレッド様?」
驚いて顔を上げると、アレクシアの手を優しく握りしめるフレッドの姿があった。
夕陽を浴びた彼の青い瞳が、どこまでもまっすぐにアレクシアを見つめている。
「怖い思いをさせてしまったね、アレクシア」
「いいえ……! そんなことは……」
「君をこんな恐ろしい争いや、帝国の陰謀に巻き込みたくはない。……けれど、今の俺には、君の存在が必要なんだ」
フレッドの指先から伝わってくるのは、巡る風のような、優しく力強い温もりだった。
「何があっても、俺が君とこの街を守る。……だから、どうか俺のそばにいてほしい」
「フレッド様……」
まっすぐな言葉と、手から伝わる温かさに、胸の奥で固まっていた冷たい不安がじんわりと溶けていく。
アレクシアの頬がぽっと夕陽のように赤く染まった。
足元では、ライがふっと息を漏らし、二人を見守るように温かな身体をアレクシアの脚へ寄せてくる。
「……はい。私も……フレッド様と一緒に、この街を守りたいです」
照れながらも、しっかりと握り返された小さな手。
忍び寄る暗黒帝国の脅威を前に、二人の絆は、より深く、確かなものへと結ばれていくのだった。




