第6幕 かつては直轄領
三日目の視察は馬車での移動となった。領都から離れるとなると、さすがに歩きでは無理だものね。
姿見の魔法もかけていないわ。
公爵の紋章のついていない馬車はお忍び用で、それ故に乗り心地もあまり良い造りではないの。長距離移動には向いていなかった。そんな訳で、今日はドレス姿だ。公爵の紋章を掲げているのに、村娘や冒険者が降りてきたら風聞が悪いもの。
仕方ない。
諦めて伯爵格のドレス姿で公爵のファビオ様と馬車に乗ったのだけど、昨日、領都を一緒に散策したお陰かしら。気楽な気持ちでいられる。民の姿になることも厭わない方だもの。大丈夫だわ。
馬車には護衛兼侍女のベルと、秘書兼侍従のモーリスも一緒よ。義理の姉弟と言えど二人きりは、色々とあるからね。ちなみにディアとダニエラは後ろの馬車でついて来ている。公爵家のメイドたちとも良い交流を図って欲しいわ。
「領都の外は、花壇ではないのですね」
当たり前のことなのに。つい意外に思えて口をついて出てしまった。ファビオ様は笑いをこらえるように、けれどやっぱり笑い声がこぼれた。
「ええ。さすがにそこまでは整備できませんよ」
「ですわよね」
馬鹿なことを言ってしまった。ほほほ、と笑って誤魔化す。でも、ファビオ様は何だか楽しそうだ。
「でも、そうですね。今、領都と村や町を繋ぐ街道を整えていますから。花壇も計画に追加しても良いかもしれませんね」
マジで全領民の孫になってしまうかもしれませんわ、とは寸でのところで言い留まった。公爵の後継は、王族ほどではないにしろ繊細な問題だからね。義姉とはいえ、口を挟むことはできないわ。
「街道が整うのは羨ましいことですわ。今も馬車の揺れをあまり感じませんもの」
代わりに視察している感を出した。
実際、感動しているのよ。カステッリーニ領も公共工事には精を出している方だけど、街道を整えるとなると莫大な予算が必要だ。領都内の道を整えるのがせいぜいね。私が男爵領の割譲を受けていたら、領都内の道も整えられなかったかもしれない。そう思えば側妃になったことも悪いことばかりではないと思える。
贄っぽい思考になることは頂けないけどね。
「いずれは王都と繋ぐ道も整えていきたいのですが、こればかりは私の一存では決められませんからね」
「そうですわね」
アウジリオ様との仲は悪く見えないけど、公爵領と繋ぐ道を整えるのなら他の領も、となってしまうもの。国庫にゆとりがないとは聞かないけれど、決を採るには難しい問題よね。
ちらりとモーリスを見てみると、眉間に微かな皺ができているわ。国に対してか、主に対してか、思う所もあるようだ。
ファビオ様も気付いて、苦笑される。
「予算を圧迫するようなことはしないから、安心しろ」
「はっ、失礼しました」
慌てて眉間の皺を伸ばしている。
二人のやり取りに、昨日の視察の後に設けたお茶の席の会話を思い出す。晩餐の代わりとなるお茶会よ。
――黒髪で並ぶと兄弟のようでしたね。
気になっていたことを伝えれば、
――乳兄弟ですから。
と、信頼の滲む声でさらっと返されたのだ。ただの主従ではない雰囲気だったから、納得したわ。私たちがいなければ、もっと忌憚のないやり取りをするのでしょうね。
隣のベルを見遣る。
友人だし、信頼もできる侍女だけど、どこまで腹を割って話せるだろう?
「お望みでしたら、いつでも本音を聞かせるよ」
え、まだ何も言っていないわ。表情だけでバレた? 思わず頬に手を添えてぐりぐりと表情を整えてみる。
「お二人も長い付き合いのようですね」
「ファビオ様たちほどではありませんわ。でも、そうですわね。学園に入学する前からの付き合いですし、もう十年以上にはなりますね」
「なら、私たちと変わりませんよ」
信頼関係を築けているという意味では、十二年も二十三年も同じことなのかもしれない。
和やかな雰囲気で、馬車は移動していく。
訪れた町や村では、誰も彼もがファビオ様を歓迎してくれていたことも大きい。
元第二王子で、現在公爵。その肩書きは、本来なら多くの人に畏怖の気持ちを抱かせるに値するもの。だけど領民たちは畏敬はあっても、皆、親しみを持って接している。この五年の治政を垣間見るわね。
必ずしも裕福に暮らしているという訳ではないけれど……。笑顔と花がある。生活していく気力が充分にあるのよ。
きっと、ブオナパルテ領はこれからも発展していくのでしょうね。
けれど、ファビオ様の表情が陰った。
山々を背にした美しい湖で、休憩を取っている時だ。今はただ美しいだけの自然だけど、いつかは観光地にしたいと話されていた場所。街道が整えば、村や町から外れたこの場所も、避暑地として整えていくことは可能なのかもしれない。ブオナパルテ領の未来を示す場所だ。
だのに、ファビオ様に憂いが見えるのは、ひどく不安にさせる。
「いかがされましたの?」
「いや、可能な限り領内を案内できたかと思うのですが……」
「ええ、どこも素敵な場所でしたわ」
ふわりと笑みを浮かべられるけど、覇気に欠ける。
「クラリッサ様……いえ、側妃殿下。私が公爵を叙爵した際の領地の話は聞いておいででしょうか」
私個人ではなく王族への問いかけ。
私は顎に手をやり、少し思案する。きっと勢いで答えて良いことではない。
ファビオ様が公爵になられたのは五年前。それ以前のブオナパルテ領は直轄領だった。王都から遠すぎることはないけど、近すぎもしない場所。元第二王子に与えられる領地としては、悪くはない。
ただ、公爵として権力を与えすぎては、争いの火種になりかねない。そんな水面下でのやり取りがあったであろうことは、わずか半年間の妃教育でも察することはできる。
一日で大体回ることができる領地は、公爵という地位に対して、決して適切とは言えない広さなのだから。
何より、直轄領であったはずなのに、ファビオ様が莫大な予算をかけて整える必要があるということ。
「寡聞にして存じ上げませんが、領地に不備があったのでしょうか」
「不備と言うより、派閥の問題に類することかな」
第二王子が早々に公爵になったことで、現在、表立った派閥争いが起きているとは聞いていない。だけど、御母堂様が儚くなられ、元々側妃の子として後ろ盾が弱かった結果であるのなら。
私は、ますます側妃として子を成す訳にはいかないだろう。
正妃殿下にお子がいない、という違いはあっても。
「私が公爵として力を持つことを恐れる貴族は一定数いたのです。だから、ブオナパルテ領は当初の予定より小さくなったのです」
「そう、なのですね」
話の着地点が見えないわ。御母堂様と同じ側妃である私への忠言かしら。
「けれど、直轄領を正しく管理できるほど、今の王家にゆとりもないのです」
突然の王室批判に、私は怯む。そんな様子に気付いてか、ファビオ様は柔らかな笑みを落とす。
「王家が悪い訳ではないのです。ただ貴族たちの声を無視できるほど、絶対的な力もないのが実情です。民の目の前に、貴族の目がある」
まぁ、そうでしょうね。思わず得心してしまう。
だって、王家に絶対的な力があるのなら、私が側妃なんかになることもなかったはずだもの。アウジリオ様とマリアンヌ様の愛を誰も邪魔することなんてできなかった。だけど、王家は継嗣問題を口煩く言う貴族たちを邪見に扱えなかった。側妃のお子であった第二王子を冷遇しながら、王太子に側妃を斡旋する。なかなかに皮肉だわ。
吹っ切ったと思った。
だけど、やっぱり腹立たしいわ。
実情を考えれば、アウジリオ様を引っぱたいてもすっきりとしないのも、なお腹立たしい。
やっぱり王家が悪いわ。なんて言えたら楽だった。でも同じく貧乏くじを引いているファビオ様も、王族だったんだもの。
溜め息をついたところで、ファビオ様の真摯な瞳と向き合うことになる。
「これはただの偽善です。目の見える範囲、手の届く範囲で為せるなら為したいと思う傲慢です」
「何を?」
おっしゃりたいのです?
「側妃殿下、切り離された直轄領を助けるために、私の手を取って頂けませんか」
跪き、頭を垂れて、右手を差し出される。
息を呑んだのは私か、周囲か。両方かもしれないわ。
直轄領の現状は想像する以上にひどいのかもしれない。だからこそ、簡単には手を取れない。側妃でも王族。手を取ってからできませんでした、では無辜の民をより苦しめることになる。
だけど、どうしてかしら。確信があった。
「まずは詳しい話を聞かせてくださいませ」
私はきっとこの右手の温度を知ることになるだろう。




