第4幕 ブオナパルテ領は花の都
ブオナパルテ領は馬で急げば、王都から一日とかからない。けれど、馬車で移動するとなると、二日はかかる。遠いとは言えないけれど、近いとも言い切れない微妙な距離だ。馬車を乗り継げば一日で行けるだろうけど、貴族が、ましてや王族がそんな不用意なことはできるはずもなかった。
そんな訳で、移動と滞在を合わせて一週間の小旅行だ。
これといった公務もない側妃なので、旅程を決めること自体は難しくなかった。それでも伯爵令嬢時代と比べれば、各段に手続きが多いわ。専属メイドのダニエラ、侍女のベルとディア、四人の気楽な旅行とはならないのよ。メイドは更に四人同行することになったし、護衛の騎士も一個分隊ついてくることになったわ。最初は一個小隊の話も出たのよ。戦争をしに行く訳でもないのに、大袈裟だわ。行先は義弟が治める公爵領だ。外聞が悪すぎる。提案してきた人は、側妃に何を期待しているのかしらね。
それでも私を含めれば二十人での移動となる。
当然、その分、荷物は多くなる。王族とは言え手ぶらで行く訳にもいかないし。かと言って一度しかまともに話したことがない人の好みなんて分からないし。手土産は執事長と相談して、無難なものを選ぶしかなかったわ。
あと地味に困ったのがドレスよね。
アウジリオ様からは相変わらずドレスの一着も贈られていないからね。側妃になることが決まってから婚姻するまで、一応半年の期間はあったんだけどね。その間に側妃に必要な教養を詰め込んだから、当時は忙しくて気にも留めなかったけど。王族なのに、伯爵の格のドレスしか手持ちがないって問題よねぇ。とは言え今から作っていたら、いつ行くんだ、ってなるからね。ファビオ様なら理解してくださるでしょう。
ダニエラが涙で認めた手紙を実家に送っていそうで、ちょっと怖いけど。
手紙と言えば、この準備中にアウジリオ様と何度かやり取りはしたのよ。仲を深めるためではないわ。マリアンヌ様のご懐妊後に離縁する取り決めのためよ。ようやく決められると思ったら手紙かい、って思ったけど、気にするだけ無駄ね。粛々と手紙のやり取りをするだけよ。
……小旅行のはずなのに、準備だけで何だか疲れてしまったわ。
「まぁ、本当に花で溢れているのですね」
ディアの感嘆の声に馬車の窓に目をやれば、私も吐息を漏らしそうになる。
馬車が通る道沿いに花が植えられているのはもちろん、花屋でもない商店や民家の窓にも花が飾られ、街を彩っている。自発的に民がしているのならすごいことね。
「皆がファビオ様を慕っているということかしら」
花好きを公言されている記憶もないけど、そもそも伯爵令嬢時代に関わりはなかったから、はっきりとしたことは言えない。年が三つ離れていると、学園で交流することもなかったし。それはダニエラはもちろん、ベルとディアも同じことだった。
「そうだな。けど、ただ慕っているだけで花を飾るものかどうか……」
「そうね、きちんと手入れされているようだし、手間暇がかかっていそうだわ」
ベルは首を傾げ、ディアは疑問を呈する。
ファビオ様が公爵になられてまだ五年。歴史の浅い公爵領のことは伝わる話も少ない。直轄領だった頃はどうだったかしら、と記憶をひねり出そうとするけど、特にこれと言って思い当たることはなかった。
改めて馬車の外に目を遣れば、確かにディアの言う通り、魔法で水やりをしている民たちも見かける。そう、魔法で、民たちが。さすがは花の都ね。平民でも水魔法を使い慣れている人が多いのだわ。無理に強いられている様子はなく、花に対する慈しみを感じる。
王族の馬車に気付いて、慌てて頭を下げているわ。何だか申し訳なくなる……。
やがて、城門が見えてきた。
うん、城だ。伯爵家の邸宅とは比べるべくもない。城だ。本来なら威圧感に尻込みするところなんだけど、城門も花で彩られていて和らいだ印象になっている。
「ここまで花だと、何が何だかって感じね」
ベルはちょっと呆れている感じだけど。
「むしろここまで来て花がなかったら違和感よ」
ディアは感心しているのかな。
貴族令嬢ではないダニエラは、緊張した面持ちで、若干青くなっている気がする。
「ダニエラ。側妃の専属メイドとして胸を張りなさい」
「……はい!」
まだ声は硬いけど、大丈夫かな。
さて、私も側妃として威厳を保たなくちゃね。王城外での初の社交となる訳だし。ここでつまずく訳にはいかないわ。
城門を抜ければ、更にかぐわしい花で溢れていた。庭園の設計者に拍手を送りたくなる。視界が全て花で埋まる勢いなのに、匂いがきつくない。綺麗に調和しているのよ。
城の前に着けば、ファビオ様がすでに待機されていた。
王族を待たせてしまったような感覚に、ちょっと胃が痛くなりそう。いやいや、こっちが王族、あちらは公爵よ。
頭を切り替えて馬車を降りようとすると、そっと差し出される手。手の主を見遣れば、艶やかな笑みだ。爽やかなはずなのに。
あれ? 考えてみれば家族以外にエスコートしてもらうのは初めてでは?
アウジリオ様はねぇ、マリアンヌ様に夢中だからねぇ。婚姻式の後の晩餐会でも私の手が取られることはなかったんだよなぁ。
やっぱ側妃なんて貧乏くじだな。
だからって、初めてのエスコート相手が美丈夫な公爵だなんて。指の震えに気付かれていないと良いのだけど。
男の人の手のひらは、随分と大きいと実感した。
そうして、まずは応接室へと案内された。城内には花瓶はあるものの、廊下が花で敷き詰められているなんてことはなくて、何となく安心していた。応接室の絨毯も普通のものよ。もちろん超高級品よ。足元が覚束なくなっちゃうわ。
「改めて、今回は招待に応じてくださり感謝いたします」
にっこりと向けられる笑みは、二度目の会談としては親しく感じる。きちんと家族のカテゴリーに入っているのかしら。
「こちらこそ、招待してくださり嬉しいですわ」
「有意義な視察となることを願っています」
視察。そうなのだ。名目としてはお茶会を伴う公爵領の視察なのだ。義弟のお家に遊びに行きまーす、では側妃の外出許可は下りないのよねぇ。
「ええ、まだ馬車越しに拝見しただけですが、まるで花祭りのように賑やかで心躍る街並みでしたわ」
「クラリッサ様の癒しとなれば幸いです」
ずっとペリドート宮にいたら気を塞ぐと思われたのかな? 御母堂様はなかなかエキセントリックなところがある様子だったし。側妃の扱いには思うところがあるのかもしれない。
「ところで、そちらの方を紹介頂いても?」
ファビオ様の傍に控える男性。黒髪でぱっと見は目立たない風貌。けれど、よく見れば端正な顔立ちだ。
「ええ、私の侍従なのです」
ちらりと視線で指示されると、一歩前に出てくる。
「挨拶の機会を頂き恐悦至極にございます。ブオナパルテ公爵家侍従のモーリス・タレーランと申します」
すんごい妃対応された気がするわ。
「気楽に接してもらえるとありがたいわ」
「はっ、光栄にございます」
まぁ、すぐには無理よね。忠実な人と、一旦評価しておきましょう。ベルやディアはもちろん、ダニエラにも隔意は感じないしね。
にっこりと笑みを向ければ、またファビオ様の一歩後ろに控える。
「ファビオ様、この三日間の予定は何か決めておりますの?」
「ええ、ある程度は。でもご希望があれば、もちろん変更可能ですよ」
「ありがとうございます、お任せしますわ」
視察と言っても、実際は観光に近いし、ブオナパルテ領に関する資料には目を通してきたけど、五年という浅さもあって見えない部分も多いのよ。まずは実際に住む人の視線で街を見てみたいわ。
「かしこまりました。気に入って頂けるよう、誠心誠意ご案内しますよ」
「ファビオ様が?」
「ええ、もちろん。エスコートの栄誉を頂いても?」
一遍の曇りもない笑顔だ。まぶしい。
てっきり、それこそ侍従のモーリスが案内してくれるのかと思った。公爵は公務も多いだろうし。でも、そうよね、私って側妃だ。妃だ。領地の最高位の人が案内するしかないよね。
「ええ、お願いしますわ」
頷きながら、ひたりと冷や汗が背中を伝うのを感じる。
家族以外の男性にエスコートしてもらうのが初めてなら、男性と街中を散策っぽいことをするのも初めてだ。
しかも、伯爵格のドレスで公爵様の隣に並んだ姿を人目にさらす。
大丈夫かしら。
女性としても、王族としても、色々と足りないと自覚するより他なかった。




