第37幕 事態は急転
村長にも話を聞いてみたところ、コベルというのは北部の村で昔から子供に言い聞かせるための民話のようなもの。謂れだとか起源だとかは、村長も知らないようだった。それこそ村長も子供の頃に両親から言われた類のもので、子供心に怖いな、と思うことはあっても存在を疑問には思わなかったそう。
まぁ、そうね。私も悪魔が実在するなんて聞いたことはないけど、聖典には書かれているので、そういうものだとしか思っていない。
コベルとドワーフが同一かどうかも、村長をはじめ村人たちは考えたことはなかったそうだ。特徴を抜き出せば、そう言えば似てるなぁ、という感じだった。とは言え山羊と鹿だって特徴だけ見れば似たような感じになるけど、実態は別物だわ。コベルがドワーフと考えるのは、軽率かしら。
それに不思議と南部の方ではコベルの話を聞かないのよね。
「鉱物に閉じ込められた植物とも関係があるのかな?」
どちらも北部でしか見聞きしないもの。
「コベルの件ですか? その可能性は否定できませんが……」
私の呟きは、隣で薬草摘みをするファビオ様にはばっちり聞かれてしまっていた。
うん、ファビオ様とはレケメデル領の状況改善のため、ちょくちょく交流の場を持っているのだけど、何故だか薬草摘みにも参加されていくのよね。今ではすっかり見慣れた光景になってしまった。領民たちも驚かなくなったのは良かったのかどうなのか。
ちなみに今日はミントの採取だ。整腸剤や頭痛薬になる薬草よ。カモミール以外の採取にも慣れてきたわ。
こうして作業していると変に意識しなくて済むから、私としては助かる。張りぼて側妃だけど、それでも婚姻している身だもの。身勝手な感情を見つめて良いことにはならないもの……。
一度、瞼を閉じてから、ファビオ様を見る。作業服も様になるのだから、不思議な人よね。
「確かブオナパルテ領でも聞くことはないんですよね」
「そうですね。領民たちにも聞いてみたのですが、ドワーフは聞き馴染みがあってもコベルと呼ぶことはなかったようです」
「やっぱり別物なのかしら」
「ただ商人は耳にすることもあったようですよ。特に商機になるものでもなかったので、気に留めはしなかったみたいですが」
「直轄領の北部にだけ伝わる話ってだけじゃ、話題性には乏しいですものね」
コベルを商品化することは難しいだろう。せいぜいコベルの人形を子供の枕元に置けば悪さをしなくなるとか……? 売れる予感がまるでしない。
それにしても商人は知っていたのよね。
「ネイサンも聞いたことはあったのかしら」
「知っていた可能性は高いと思います。抜け目ない様子でしたからね」
普段は、飄々とした印象が強い。でも商人が数多いる商会で、出世街道を邁進しているのだ。ただのお調子者とは思わないわよね。
「ドワーフの集落に行ったという船員とも話ができると良いのだけど……」
「まだ船旅の途上でしょうね」
ネイサンが旅立って行って、そろそろ一ヶ月。ドワーフの集落がどの辺りかは分からないけど、早ければ着いている頃だろう。前向きな交流ができていることを願うわ。
人とドワーフの間の軋轢がどれくらい残っているのか。おとぎ話の一部になってしまった今では、正直ピンとはこない。悪漢として描かれている現状を思えば、根深いとは思うけど……。人より長生きだというドワーフなら、また感覚も違うのかもしれない。いつかは私も直接話してみたいわね。国外に出ることが難しい側妃では、遠い夢だろうか。
「船旅から戻ってくるのは二ヶ月後くらいかしら。その頃には工房も出来上がっているでしょうし、そろそろ人員の募集も始めないといけませんわね」
遠い海の向こうも気になるけど、目の前も気になることはたくさんよ。
「水魔法が得意な領民は多そうですか?」
「ファビオ様に派遣頂いた技術者のお陰で、能力を伸ばしている者も多いですわ。でも、仕事としてこなしていくとなると、魔法使いも何人かは雇った方が良いかと考えています」
その魔法使いが例の鉱物にとっても有効な魔法を使えると、経費削減になって助かるんだけどね。今は何とも言えないわ。もちろん、その分お給金は弾むわよ。
「直轄領でわざわざ悪さをする者はいないと思いたいですが、人選には気をつけてくださいね」
「ありがとうございます。やはり魔法使いにも派閥があるのかしら」
「ただ魔法が使える機会があれば良いという者も多いですが、出世欲の強い者は派閥に属していたりしますよ」
側妃のいる直轄領。お隣は元第二王子の公爵領。魔法使いにとって出世に繋がる就職先ではあるのだろうか。王族という看板は強いものね。
「選考には難儀しそうですわ」
アドリアンの人を見る目はいかほどだろう。
私も正直あまり自信はないわ。できれば領民たちのみで工房を運営できると良いのだけど……。
「困った時は相談してください。一緒に考えますよ」
ファビオ様の気負わない言葉は、心強いわ。
「はい、頼りにしています」
微笑めば、ファビオ様も笑みを返してくださる。それだけで肩の力が抜ける。
ミントの籠がいっぱいになった所で、午前中の作業は終わりね。清涼感に包まれたお陰かしら。作業の疲労よりも、リフレッシュできた感がある。
ファビオ様も同じようで、笑みを交わし合った。
さて、午後はまた執務かしら。なんて思った瞬間、全身が総毛立つような、鳥肌が立つような、強大な魔力の波動が辺り一帯を包んだ。
「これは!」
「何か、くる?」
ファビオ様が庇うように、私の前に出る。広い背中に、思わずドキリとしてしまう。って、そんな場合じゃないわ!
「ベル!」
呼ぶまでもなく、すぐ傍に控えていてくれるわ。背中側を守ってくれる。
然程魔力がない領民たちも異常を感じるようで、戸惑いや恐怖を浮かべている。
「みんな、バラバラにならずに小屋に集まるのよ!」
指示をすれば、迷うことなく従ってくれる。これも信頼関係を築けたお陰かしら。そして、その領民の周りを守るように護衛の騎士たちが囲ってくれる。ディアやダニエラも一緒ね。
余程のことがない限り大丈夫。と、思いたいけど……。ファビオ様の首筋を伝う汗に、緊張感が増してしまう。
そうして、周囲に魔力が満ちた頃、空中に魔法陣が描かれる。
これは……太古の魔術? 妃教育で使った魔法の教本がすごい勢いで脳裏を過っていく。え、もしかしなくても転移の魔法陣? とっくに廃れたはずでは?
何か、来るの?
心臓が、鼓動が痛い。そう思った瞬間、魔法陣が光り、扉を開くように二つに割れる。
もしも、本当に悪魔が存在するのだとしたら……。震える指が、思わずファビオ様の手のひらに触れる。ぴくりと反応した後、ぎゅっと握り返される。大丈夫だ、と思える。
二つに割れた魔法陣の中は漆黒。でも、その中で動く人影が――。
「やぁやぁ、驚かせってしまったかな? 急だったもので、申し訳ないねぇ」
あれ、何だか聞き覚えがあり過ぎる声がしたわ。




