第30幕 兄は心配性
ファビオ様は公爵という地位にいながら、とてもフットワークが軽いと思う。手紙を出して、翌日にいらっしゃったわ。元は同じ領だからね、距離は近いからね、と自分を納得させる。
先触れとほぼ同時なのは、お兄様と気が合いそうよ。
「ご挨拶できる機会を頂き感謝いたします。カステッリーニ伯爵が第一子、ルードヴィク・カステッリーニでございます」
応接室で丁寧な挨拶をするお兄様は、優雅だけれども。うん、お兄様が先触れとほぼ同時にいらしたのは、お母様とお義姉様にせっつかれた結果だものね。
「ファビオ・ディ・ブオナパルテだ。同級生だったのだ。気楽に接してくれ」
あ、同級生であることは把握されているのね。お兄様はそんなに目立った成績は残されていなかったと思うし、ファビオ様の記憶力の賜物かしら。
にっこりと微笑んで握手されている姿は絵になるわね。もしファビオ様が第二王子のままだったら、私の婚姻式にも参席されていたでしょうし、その時にも見られたかもしれないわ。ちょっと勿体なかったと思うのは不敬よね。
それにしても、二人は同い年なのに、私からすると兄と義弟になる訳で。何だか不思議な感じだわ。
「お二人ともお掛けになってください」
一声掛ければ、さっと座る姿も気品がある二人だわ。高位子息なのだと実感する。
そうしてダニエラがテーブルに並べるのはカモミールのお茶よ。
「りんごのような甘い香りと爽やかな喉越しが癖になるね」
お兄様はこの数日ですっかり愛飲されているわ。
「味が以前と少し変わったのでしょうか? 苦味がほぼ感じられません」
ファビオ様は舌が肥えているわね。わずかな変化だと思うのだけど、明確に違うと判断されているわ。
私はにっこりと笑みを浮かべる。
「派遣して頂いたユセフィナのお陰ですわ」
マチルダが淹れてくれたものは、本当に花から抽出しただけのもので、茎の処理などがきちんとされていた訳ではなかった。だから苦味はどうしても残っていたし、淹れる度に味にブレがあったわ。
でも、ユセフィナの提案通り製粉することで味に安定感が出たのよ。魔法で出した水の影響も大きいわね。紅茶と遜色ない味よ。今後は工房を建てて、より大規模に製造できる環境を作る段階だ。
そのための協力者のお兄様なのだけど、ファビオ様と話したいことって何だろう?
「お役に立てているようで何よりです」
ファビオ様の笑顔。嬉しそうな笑みは眩しすぎるわ。
ありがたいことだし、嬉しいことよ。でも、わずかに申し訳なさも感じてしまうのも事実なのよ。お互い利益を出して、レケメデル領を発展させていく。それはファビオ様の願いでもあるのだから、どんどん利用していけば良いし、後ろめたく思う必要もないはずなのに……。
「何か懸念があるのでしょうか?」
私の些細な表情の変化にも気付かれるのよね。アウジリオ様だったら、絶対全く気付かれるはずがないわ。
「いえ、ありませんわ」
工房の建設費用もお兄様のお陰で何とかなりそうだしね。
「そうですか?」
ファビオ様はあまり納得されていないみたい。
大丈夫ですよ、と返しても変わらないわよね。その心配そうな瞳を向けられると、どうにも落ち着かなくなる。その美しい緑の瞳は無意識なのかしら。
でも、そうね、レケメデル領の発展はこれからだわ。カモミールに関する心配後事は解消されそうだけど、鉱物に閉じ込められた植物に関しては進展がないし、湖の魚もすぐには活用できそうにない。レケメデル領全体で見れば、まだまだ悩むことが多いのも事実だもの。傍から見て納得は難しいわよね。
だけど、それを私自身は楽しんでいると思ったのだけど……。
ファビオ様の緑の瞳でじっと見つめられると戸惑いが出てしまうのは、どうしてなの。
不意にお兄様が小さく笑みをこぼす。
「ブオナパルテ公爵殿下、申し訳ありません。妹はまだまだ子供なのです」
え、お兄様? 子供ってそれは失礼じゃない? これでも一応婚姻した側妃なのよ。
「家族としては心配になることもあるか」
「ええ、じゃじゃ馬な妹ですから」
お兄様? え、それ、公爵殿下との会話で出てくるべき単語じゃないと思うわ? 好き勝手していると思うし、いわゆる一般的な貴族令嬢ではなかったらしい私なので、否定はできないけどさ。うん、家族なりの愛情だと思おう。
でもお兄様は更なる暴挙に出た。
「ブオナパルテ公爵殿下、縁戚として話してもよろしいでしょうか?」
「構わないよ」
ファビオ様はさっくりと認められたけど、いいの? 縁戚になったと言っても、同級生だったと言っても、関わりは薄いのだし、前のめりすぎない?
「ご結婚のご予定はありますか?」
「……ないよ」
「婚約者のご予定も?」
「少なくともこの数年はないよ」
あんまりな質問に私の心臓が止まるかと思ったわ。
でもファビオ様が戸惑われたのはほんの一瞬で、にこやかに返されている。え、何故、突然、こんな質問のやり取りに?
「よく分かりました。私も兄として見守りましょう」
「何か、納得できたのかな?」
お兄様はふんわりとした笑みを返される。
「ええ、まだ萌芽でしょうから」
「萌芽かい?」
ファビオ様にも心当たりはないのかな。私も思い当たることはないので、揃って首を傾げてしまった。そんな私たちにお兄様は笑みを深くされる。
「萌芽は二つ、かな」
ぽつりとこぼされた言葉は、柔らかな笑みにすぐに隠されてしまったわ。お兄様はまっすぐにファビオ様を見つめられる。
「妹は一歩下がって控えるような令嬢ではありません。それでも気にかけて下さるのなら、私は必要な手を差し出せるよう、そばに控えるだけです」
その落ち着いた声音に、ファビオ様は瞬き二つ、そして小さく頷かれた。
……何だか通じ合っている。これが同級生の力なの?
とりあえずお兄様、私はもう令嬢ではありませんよ、張りぼて側妃だけど夫人ですよ。なんていう至極当然の突っ込みは、何故か口からこぼれ出ることができなかった。
すっかり打ち解けたような二人の会話に耳を傾けるだけだった。




