第1幕 王太子は愛さない
伯爵令嬢クラリッサ・カステッリーニ改め王太子側妃クラリッサ・ディ・テッラニア。
正直、実感はまるで湧かない。婚姻という名の契約を交わした後、晩餐会は開かれた。参列者が家族だけだったから、晩餐会も家族だけだ。会って付けるべきか悩む規模よね。家族と言っても王族とその新たな縁戚な訳で、豪華な集まりなんだろうけどなぁ。
特に会話は弾まなかった。
うん、弾む訳ないよ。晩餐会には王太子正妃殿下であるマリアンヌ様もいらっしゃったんだから。そして、アウジリオ様と本当に仲睦まじいの。あ、アウジリオ様っていうのは王太子殿下のことね。そのアウジリオ様を中心に右にマリアンヌ様、左に私の席順だったけど、アウジリオ様の顔が左を向くことがなかったからね!
あれ? 私たち、今日婚姻したんだよね……? 私ってば侍女か何かになったんだっけ? なんて、ちょっと考えちゃったよ。いや、侍女だったら隣に座ってる訳ないんだけどね。分かってるよ。
マリアンヌ様とも挨拶はしたけど、それだけ。アウジリオ様がまさに鉄壁になっていて、話す機会は全くなかったわ。
その分、陛下とは話が弾んでしまったよ。カステッリーニ領では今年は芋が豊作で干し芋がいっぱいできそうなんですー、なんて、陛下にする話じゃなかった? お父様とお母様は青い顔で固まっていたけど、悪いことはしてないよね? あ、領地に未練タラタラみたいに見えちゃったかしら。大丈夫よ、陛下も王妃殿下も領地の話を楽しく聞いて下さっていたはずよ。
いや、側妃に求められているのは美味しい干し芋の食べ方ではないとは分かっているけどね。
まぁ、兎にも角にも本日の予定は、あと一つだ。本番とも言える。側妃としての本分、真っ先に遂行すべき仕事。
王位を継ぐ子を成すこと。
そのための第一歩、初夜だ。
「ダニエラ、いるかしら?」
部屋に備え付けられたベルを鳴らしつつ、カステッリーニ伯爵家からついてきてくれた専属のメイドを呼ぶ。
「はい、お嬢様」
「やだ、もうお嬢様ではなくってよ?」
「失礼致しました。側妃殿下」
「まぁ、そんな呼び方、寂しいわ。今まで通り名前で呼んで?」
にっこり笑みを向ければ、満面の笑顔が返ってくる。
「はい! クラリッサ様!」
「うん、うん、やっぱり今まで通りが一番ね」
「それでクラリッサ様、ご用件は何でしょうか?」
「今日って初夜じゃない? 何か良い香油はないかしら、と思ってね」
「あら、城のものは合いませんでしたか?」
合わないということはない、もちろん。我が家で使っているものより確実に高級品だろうし、控えめで且つ爽やかさのある柑橘系の香りは初心な雰囲気を作ってくれるだろう。それが男心にどう作用するかは生娘……あ、いや清純な乙女の私に分かろうはずもない。私の好みのものではあったけどね。
さすがはあの侍女たちと言ったところか。
実際、この部屋も嫌な所は一つもないからなぁ。側妃の私に与えられたのは、ペリドート宮。王城の中心部を成すディアマンテ宮からは少し離れてはいるけど、陛下と王妃殿下の住まいであるスメラルド宮、アウジリオ様とマリアンヌ様の住まいであるジャーダ宮と比べても特段見劣りするものではないだろう。国王陛下の側妃も王子殿下の側妃もまとめて住むことになるペリドート宮は、時の権勢によっては最も華やかな宮になることもあるのだから。
とはいえ、現在のペリドート宮は少し物寂しい。本来なら陛下の側妃殿下が最上階に住まわれていたのだけど、もう何年も前に儚くなられてしまったから。陛下が新たに側妃を娶ることもなかった。
そんな訳で私は久しぶりのペリドート宮の主人となるのだ。その主人をもてなそうと、あれこれ気を回されている雰囲気は感じる。邪見にされるよりはずっとマシだ。
「いつもと違う香りはなんだか落ち着かないのよね」
不満はないが違和感はある。
「あら、今夜は特別ですもの。いつもと違うのもよろしいのでは?」
「それもそうかしら?」
王宮の香りに包まれていると思えば、側妃としの自覚も芽生えるような、そうでもないような。
「ええ、王太子殿下もクラリッサ様の気品にイチコロですわ」
「それは、どうかしら?」
気品ねぇ。普段着ない薄手のネグリジェは、私の肢体が透けて見える。あまりに露骨過ぎないかしら。私はガウンを一つ所望した。慎みも大事ですもんね! なんてダニエラは言うけど、アウジリオ様は私がどんな恰好でも気にしないと思う。
とりあえずは準備が整ったのだし、と隣の寝室で待機することにした。そう、待機だ。アウジリオ様はいなかったからね! こういうのって、殿方が先に待っていて、あれこれ尽くしてくれるものじゃないの? 初夜だよね?
嫌な予感がする。
そして、それは確定的な未来だった。
「私は、君を愛することはできない」
もう寝ようかしら、と思い始めた頃になって、ようやくお出でましになった開口一番がこれだ。王太子、やめるんです?
「……継嗣はどうするんです?」
私も愛するつもりはありません、と言うのはさすがに角が立つよねぇ。一応、この人の側妃だし。でも確認は大事。ってことで端的に尋ねたつもりなんだけど、何だか嫌そうな顔をして黙られた。
難しいこと聞いた?
そもそも私が側妃なんかにならなきゃいけなかった理由、分かってますよね?
五年経っても正妃殿下との間に子供ができなかったからだよ!
でなきゃ、私だって結婚なんてしたくなかった。私は領地を経営したかったのだ。王都の貴族生活に馴染まないことは、学園生活で身に沁みていた。民のそばで、民とともに生活する方が肌に合っていた。
田舎暮らしばっちこい! スローライフ万歳! ってやつよ。
渋い顔をする両親を説き伏せ、兄の応援を受けて、従属爵位の一つである男爵を受け継ぎ、更には領地の一部を割譲するところまで話が進んでいたのだ。
そして、小さい土地ながらも領主になるなら、嫁入り先ではなく婿を探さなくちゃいけない。でも、まぁ、領地の安定の方が先だよね、領主なら。なんて後回しにした結果がこれである。
婚約者がいない、王太子と年の釣り合う、そこそこ高位の令嬢の爆誕だ!
全く望んでいない側妃の条件をばっちり満たしてしまった。
王命には逆らえない。
それは王太子とて例外ではなかったわけだ。不本意同士、もう少し心の内を見せてほしいものだわ。
アウジリオ様は、ゆうに十分は沈黙した後で口を開いた。その間、私は毛先に枝毛を一つ見つけてしまっていた。憂鬱だ。
「一年待ってほしい。その間にマリアンヌとの間に子を成してみせるから」
何言ってんだ、こいつ。
五年待ってできなかったものが、この一年でさくっとできると思っているの? もしできる方法があるのなら、そもそも私が側妃なんかになる必要なかったのだ。
一発、引っぱたきたい、その美しく整った頬を。
細く、薄く、長く息をつく。ここで怒っても何も前進はしない。
「分かりましたわ。ただ一つ約束して頂きたいのです」
「なんだ」
「正妃殿下がご懐妊された際には、離縁してくださいませ」
「それは」
「細かい取り決めは後日で構いませんわ」
今の精神状態ではろくな案が出てこないしね。少しでも良い条件を引き出すためにも、落ち着きたい。
「……分かった」
アウジリオ様が頷いたのを確認すると、私はさっさと寝床に入った。ベッドは広く、そして冷たい。
「もう寝ますので、出ていってくださいませ」
「しかし、それは」
「子を成す必要がないのなら、同衾する必要もありませんでしょう?」
それに離縁するのならば、白い結婚は死守しなければいけない。
「……そうだな」
今からでもさっさと正妃殿下の所に行ってこい。口には出さないけれども。一日でも早く離縁するためにも、正しい意思表示のはずよ。
しばらくして扉の閉まる音がして、溜め息をついた。




