序幕 結婚は契約
お母様、お父様、今までお世話になりました。わたくし、幸せになりますわ。どうか安心して見届けていてくださいね。
……なんて心から言えたら、まだマシだったんだけどなぁ。
一分の隙もない政略結婚。それだけなら伯爵家に生まれた者として、貴族令嬢として、納得することもできただろう。納得したくないけど! でもさ、側妃なんだよ。しかも王太子夫妻は仲睦まじいことで有名な訳。そんなところに嫁いだって幸せになれる予感、まるでしないよね。仲良し夫婦の間に割って入るお邪魔虫そのものだもん。誰がそんなポジションに喜んでなりたいと思うのよ。あぁ、今からでも断れないかな。無理か、無理だよね。王命だもんね、これ。
側妃とはいえ王家に嫁入りするっていうのに華やかさの欠片もないんだから、ますます萎える。五年前の正妃殿下との結婚式はそれはそれは豪華で、式はもちろん大司教猊下により大聖堂で執り行われたし、国内貴族は言うに及ばず周辺国の重鎮方も参列する権勢を見せつけるものだった。式後のパレードでは、先頭がどこか分からないくらい列をなし、民たちは祝福の花を振り散らした。その後の婚姻を祝う宴は、いつが朝でいつが夜かも分からないほど続いた。
片や側妃の私は王城内の聖堂でひっそりと式を挙げている。いや、これ式かな? 神父様はいるけどさ。あ、猊下ではないよ、司祭だもん。大司教どころか司教でもない。王城の聖堂を管理する一番偉い人ではあるんだろうけどね。
私の服装もいつもより豪華ではある。でも断じてウェディングドレスではない。純白じゃないもん。デイドレスをやたら飾り立てただけって感じ。レースとかすごい丁寧な仕事だと思うけどさ。宝石もたくさん飾り付けられているけどさ。正直言って、いつもより重いドレスでしかないんだよね。
それに参列してる人も陛下と王妃殿下と宰相閣下はいるけど、他は私の両親とお兄様だけって、ねぇ。これ参列者じゃなくて契約の見届け人だよね。
別に結婚に夢見てた訳じゃないけど、これじゃない感がすごい。
「クラリッサ様?」
あ、やばい。脳内で絶賛愚痴ってたら、神父様に怪訝な顔されちゃった。陛下やお父様たちも不審に思ってるかな? 怖くて振り向けない。
でも、一応笑顔は貼り付けておく。これで誤魔化せない?
対する神父様も素敵すぎる笑顔で、目の前の書類を指差してくる。あぁ、そうですよね、私がさっさと名前を書かないことには仕事が終わらないですよね。すみませんね。独身時代に別れを告げる感傷に浸っていたせいだと思ってほしい。
そう、後はサインするだけで、私は側妃になっちゃう。マジで婚姻する五秒前だよ。
一度、小さく息を整える。隣に視線を向ける。けれど、視線が絡むことはない。名匠が全身全霊をかけて作り上げた芸術品のように美しい人。その宝石のような緑の瞳が私を捉えることはないのだ。ただの血の通った石像だ。
ささくれ立った気持ちは一瞬で凪いだ。
私はさっとペンを動かして契約に同意した。
瞬間、契約書の文字が淡く光り、祝福の花びらが舞う。
こんな結婚でも、正式な契約。祝福されちゃうのね。胡乱な気持ちにもなったけど、同時に腹を括る覚悟もできた。魔法の契約が覆されることは基本的にないのだから。




