第16幕 立つ鳥は右手で
レケメデル領に移住する。
その決定は思いのほかペリドート宮に衝撃を与えたらしい。執事長、侍女長、メイド長が揃って慰留してきたほどよ。陛下も認めたことを今更、覆せはしないって分かっているだろうにね。数年ぶりの主人が、わずか二ヶ月ほどで離れるとなれば思うところもあるのかもしれない。
――決定事項よ。
譲ることはない。はっきりと伝えれば、一応納得してくれたけどね。
――では、ご同行の許可を。
と言われた時には、私の方が慌ててしまった。そんな忠誠を誓ってもらえるほどのことをした覚えはないから余計に。ペリドート宮の管理を任せたい、と説得するのに骨を折ってしまったわ。
とはいえ、侍女二人と専属メイド一人だけ、というのは王族としても外聞が悪い。追放されたみたいに見えちゃうもの。結局メイドや騎士、料理人や庭師まで一行に追加されることになったわ。
レケメデル領の人材が増えることは悪いことではない。ただ、会計官等の事務方はアドリアンとも相談ね。領地の乗っ取りではなく、直轄領を正常に運営するためなのだから。
側妃の移住は人事異動だけでなく、もちろん物の移動も必要となるのよね。
レケメデル領でも用意できるものは地域活性化のためにも現地購入で構わない。でもドレスとかはどうしてもね。作業服も数着用意していたら、あれ? って顔されたけど、必要な物よね?
そうして引っ越し業務をする傍らで、例の鉱物についても調べている。
ディアマンテ宮の図書室は、文官たちも利用する場所よ。物語や図鑑だけでなく、各領地の資料なども置かれている。半分、資料庫ね。
「でも、答えになりそうなものはないのよね」
書籍から目を上げて、思わず溜め息をこぼしてしまう。
「鉱物の図鑑にもそれらしい物は載っていませんわ」
テーブルの向かいに座るディアも溜め息。そして、読書が得意ではないベルは、一時間と経たない内に音を上げて、テーブルに突っ伏している。レディの恰好じゃないわね。
「この図書室には隣国の本などもあったかと思うけど、図鑑の内容はあまり変わらないものね」
言語は違うけど、内容は同じなのよ。
「別の本、というより半分翻訳でしょうか」
ディアの指摘に、そうかもしれないと思う。図鑑の作りとしては、少し雑な気もするけど、参照したと思えば理解できないこともない。自国ではなく他国が生息地の生き物や植物だってある訳だし。鉱物だって国によって産出するものは変わるでしょう。
「今まで国に報告がなかったと考えたら、ここに資料がないのも仕方ないのかも?」
そもそも図鑑に載っているのなら、陛下や王妃殿下はもちろん、ファビオ様もご存知のはずだもの。
各領地の資料も同じね。鉱石であれば、産出地である領地の資料に当然詳細があるけど、資産として計上されていない鉱物のことまでは載っていない。
「つまり、無駄足だった?」
ベルがげんなりとした顔をする。
「そうでもないわ。今現在、どの領地も資源として扱っていないことは分かったでしょう?」
「それって、本当に価値がないだけじゃ?」
「価値がないのなら価値あるものにしていけば良いのよ。領地の特産にできるわ」
ベルは懐疑的な目を向けてくる。まぁね、ただ綺麗なだけじゃ価値は作れない。でも、もう王族が存在を認知しているのだ。流行は作るものよ。そのためにも鉱物そのものを調べていく方が意味あるかな。
薬効があるのが、薬草の産地としては願ったり叶ったりだけど……。
硬いという鉱物を加工する方法を確立して、宝石にするのでも良い。
「とりあえずレケメデル領に移住してから模索することになる、で良いのかしら?」
ディアの提案に、私は頷く。身体を動かせると分かったベルが明るい顔になるわ。
ペリドート宮にも図書室はあるんだけどね。物語が中心だったのよ。ドワーフや妖精を題材にしたおとぎ話もあって、少し意外だった。美しい挿絵が添えられていたし、美術書としての価値が高いのかもしれない。
あとは歴代の側妃の無聊を慰めるためか、幸せな恋物語が多かったわ。中には正室に復讐する過激な内容もあったけど、見なかったことにした。再び埃をかぶるだろう。
そう、私はマリアンヌ様に隔意なんてない。むしろ好意があるわ。
でもね、周囲の願いはそうでもないのよ。すぐに対立させたがる。
そんな環境で生活しているから、アウジリオ様はひねくれた考え方をするようになったのかしら? その辺、どう思います?
図書室を出て早々に出くわしたアウジリオ様に問いかけたい気持ちをぐっと堪えて、笑みを浮かべる。
「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下」
全然ご機嫌良さそうには見えないけどね。アウジリオ様は上手く笑顔を作れていない。硬い。硬すぎる。結婚して二ヶ月経つ側妃に、妻に向ける顔ではなくってよ。
「いや、そうだな。そなたも」
何ですか? 最後まで言ってくれ。
……ダメだわ。この人を前にすると苛立ちを止められなくなる。
「御前を失礼しますわ」
「待て」
さっさと離れようとしたのに。間髪入れず待ったをかけられてしまった。
ここはまだディアマンテ宮の廊下なのよ。人目があるのよ。衛兵は等間隔で並んでいるし、遠目には文官だって見えるわ。私に侍女たちがついているように、アウジリオ様には侍従がいる。
雑な対応をして変な噂になったり、王族の権威に傷がつくようになったりしても困る。
しかし、しばらく待っても反応がない。作り笑いキープも疲れるのよ。
「御用がないようでしたら失礼してもよろしいでしょうか」
再度尋ねたのに、今度は控えていた侍従が一歩前に出て礼をして、待ったをかける。てか、私、この侍従の名前を紹介されたことないな。まぁね、高位貴族だからね、紹介されなくても名前は知っているのよ。でもね、礼儀って言葉があるでしょうに。紹介する機会を与えない主人も主人なら、目上の者の前に無言で出る侍従も侍従よね。
たっぷり待ったところで、ようやく口を開いた。
「話がある」
そんな苦渋の判断をしたかのように切り出すことなの?
……うん、いつまでも突っ立っていても仕方ないわ。溜め息はぐっとこらえる。
「では、部屋に移動しましょうか」
今回は素直に頷いてくれる。
ディアがさっと手配してくれた部屋に移動する。一歩出遅れた侍従が少し慌てていたけど、気にすることじゃないわね。ベルは、果し合い? と目をキラキラさせるのを止めなさい。
急遽用意された部屋でも、さすがディアマンテ宮ね。埃なんてもちろんあるはずもなく、予め会談の場としてセッティングされていたかのようよ。
「それで、お話とは?」
お茶の用意も必要ないわ。さっさと終わらせたい。その意を汲んだのか、アウジリオ様はすぐに私の顔をまっすぐに見る。ちゃんと正面から見たのは初めてかもしれないわ。
「移住すると聞いた。本当なのか?」
「本当ですよ」
今更な話に、ちょっとだけ拍子抜けした。けど、そう言えば報告してなかったわね。これでも一応夫に当たる人物なのに。思わぬ失点に、ちょっと舌打ちしたくなった。小さく息をついて、言葉を整える。
「報告ができておらず申し訳ございません。ペリドート宮を離れてレケメデル領に居を構えさせて頂きます」
「いや、今までの態度を思えば当然なのだろう」
反省しているような他人ごとのような。
「離縁した後のことはマリアンヌ様に相談しておりますから、ご確認くださいませ」
「あ、あぁ、そうだな。分かった」
あれ、直轄領に移住するから離縁の話がなくなったとでも思った?
「アウジリオ様に未練は全くありませんから安心してくださいませ」
誤解がないようにきっぱりと言い切ったら、何故か項垂れられた。額がテーブルにくっつきそうよ。無駄に罪悪感が沸きそうな態度はやめてほしい。何だか覇気がないせいか、ちょっと調子が狂うわね。
「お話は以上ですか? 今度こそ失礼しても?」
さっさと切り上げようと思ったら、突然ガバリと顔を上げた。真剣な眼差しにちょっと背を逸らしてしまうわ。王族の圧?
と思ったら勢いよく頭を下げられた。勢いがつき過ぎて、今度はがっつりテーブルにぶつけていたわ。ガツンってしたけど頭は大丈夫? あ、頭の出来の確認ではなく怪我の有無の確認よ、もちろん。
「すまなかった!」
「何がです?」
「婚姻してから今までの対応全てだ!」
潔い。と、ほんのちょっとだけ感心してしまった。
「何があったのです?」
「父上、陛下から此度のことを説明された。マリアンヌからも……。そなたは望んで側妃になった訳でもないのに、立場を蔑ろにし続けた。本当に申し訳なかった!」
うーん、この王太子は他人を思いやる想像力が欠如していたのだろうか。第三者に言われないと、そんなことも理解できないなんて。でも、そうね、注意されて反省できるだけ、まだマシなのかしらね。
後ろに立つ侍従を見れば、同じく頭を下げているわ。忠言できなかった謝罪かしらね。
私は長く溜め息を一つつく。
「とりあえず頭を上げてください」
おでこが赤くなっているわ。
「謝罪は受け取ります」
そう言うしかない。部屋には身近な者しかいないとはいえ、相手は腐っても王太子。
「ありがたい。しかし、言葉だけでは……詫びの品を用意したい」
何が良いかと暗に確認されている。用意すべき物を自分で判断できないくらい浅い関係だったんだな、と実感する。言葉だけで充分です、と辞退するのが王太子に対する礼儀かしらね。本来ならね。だけど、離縁するまでは私も王族だ。
「では、一発お見舞いしても?」
「ん?」
「私、形に残らない消え物が良いですわ。一発お見舞いしても?」
ほら、傷跡が消えれば何も残りませんもの。だから、これも消え物の一種なのよ。
にっこりと笑みを浮かべる私に、アウジリオ様の整った顔が一瞬引きつる。でも、すぐに覚悟を決めた顔になる。王太子として立派ですわ。
まるで意気投合したように同時に立ち上がる。引っぱたきやすいように頭を少し下げてくださるわ。そういう気遣いはできるのね。
私は自分の手のひらを見る。赤いおでこのままのアウジリオ様の頬を見る。少し首を傾げた。見えるところはねぇ。
私は自分の右足を見る。少し持ち上げるけど、スカートのままじゃなぁ。視界の右端でディアが首を振っている。そうね、ハイヒールだし、お子ができないことになったら問題だわ。
私はもう一度自分の右手を見る。ベルが視界の左端で頷いているわ。私も頷く。
脇をしめ一歩踏み込んだ。
「せいっ!」
「ぐふっ」
渾身の右ストレートがアウジリオ様に華麗に決まったわ。
非力な令嬢と侮るなかれ。芋掘りを始めとした農作業で鍛えた、しなやかな筋肉のついた右腕よ。右ストレートもベル仕込みよ。
平手打ちを想定していたであろうアウジリオ様には不意打ちだったわね。一発引っぱたきたかった願いが叶って私は満足よ。
あら、蹲ってしまわれたわ。
……鳩尾に入っちゃってたかしら。大丈夫よね、うん。




