第9幕 薬草は草原
さて、正妃殿下の後押しも受けたことだし、早速領地経営よ! とはならないのよね。悲しいことに。
今やペリドート宮の誰も私が継嗣を成すための側妃だとは思っていないけど、陛下や文官たちもそうかと言うと違うだろう。
もう一ヶ月。まだ一ヶ月。
この意識の違いは大きい。いずれ私とアウジリオ様が意気投合して子を成すと、何故だか信じている節がある。本当に何故?
ともかく、そんな訳でレケメデル領に移住して領地に直接的に関わろうとすると、難色を示される可能性が高い。何とかして移住許可をもぎ取りたいところだけど……。
魔法でもどうにもならないわよね。領地間を移動できるような魔法陣も太古にはあったそうだけど、莫大な魔力を必要とするため廃れてしまった。当時は領地戦も活発だったと言うし、危険なものは封印となるわよね。現代だって暗殺の道具になりかねないもの。
とはいえ、悠長にしていたら本当に薬草不足になってしまうわ。
まずは視察だけでもしたい。
利用できるものは何でも利用しなくちゃね。
「ダニエラ、手紙の用意をしてくれるかしら?」
「はい、只今」
出来るメイドのダニエラはすぐに数種類の便箋をテーブルに並べてくれる。
「どんな文面が良いかしら?」
侍女二人に視線を向ければ、すぐに心得た表情を向けてくれる。
「恋文ね!」
違うわよ。何故自信満々なの。ベルはこれ見よがしにいじけるけど気にしない。
「無難にもう一度視察に伺いたいで良いのではなくて? 余分な文は争いの元よ」
ありがとう、ディア。便箋もシンプルなものにしましょう。
そんなやり取りを経てファビオ様に連絡を取った。依頼主みたいなものだしね。
元第二王子と手紙のやり取りをし出したことに、少し周囲がざわついたとか。王太子がダメなら王族の血筋の者と? と憶測を呼んだらしい。せっかく争いは避けたのに。
隙あらば派閥争いをしようと目論む人たちは何なんだろうね。
マリアンヌ様と友誼を結んでおいて良かったわ。
――最近、ファビオ様にお会いできていないのよ。私の代わりに様子を見てきてもらえないかしら?
お茶会でにっこり笑みを浮かべて頂けたお陰で、ようやくブオナパルテ領を経由してレケメデル領に行く算段がついたわ。
まだ移住はできないけどね。段階を踏むことが大事よ。
そうして辿り着いたレケメデル領は、ブオナパルテ領とは違った意味で自然豊かな土地だった。
ブオナパルテ領は花が多く植えられている分、華やかではあるけど人工的な自然にも見えてしまう。
けれど、レケメデル領は見渡す限りの緑!
「すごいわ」
思わず感嘆が漏れた。
領主館へと続く道なりにある薬草畑は、畑と言われなければ草原のように見えたかもしれない。あるがままの自然のような畑。もちろん人の手は加えられているのだけど、この状態を維持して育てていくのは手間暇もかかるだろう。
「美しいところでしょう」
馬車に向かい合って座るファビオ様も誇らしげだわ。
そう、レケメデル領の代官との橋渡しを直接してくださるのよ。てっきりモーリスが対応するのかな、と思ったけど、そんなことはなかったわ。
ブオナパルテ領とレケメデル領は、元は同じ領地だから距離は然程離れていない。ファビオ様が領都を離れても問題ないのよね。
レケメデル領の領主館は、五年前に新たに建てられたもの。お陰で古びた感じはない。直轄領なので王族が滞在することも考慮されているので、私が利用しても問題ない。王族の住まいとしては小さい部類だけど、伯爵令嬢だった私からすると丁度良い大きさにも見えるわ。
移住できたら、ここに住むのよね。と未来に胸を膨らませていたのだけど、あら?
領主館の門前に並ぶ人々の顔が険しく見えるのは気のせいかしら。
「ファビオ様、ここでの暮らしはやはり苦しいのでしょうか」
「それもありますが……その原因が領地の割譲ですので」
苦笑交じりの回答に、次はどんな難題を吹っ掛けられるのか、と領民達に思われているのだと理解した。
「ファビオ様も?」
「限定的とはいえ援助もしているので、あからさまに邪見にはされませんが、遠因と言うか元凶と言うか、そんな感じなので複雑な心境の者が多いのも事実です」
現在の地位も公爵と言う貴族の最高位なのに、強気というか恐れ知らずな領民たちだ。張りぼて側妃の私で大丈夫かしら?
不安に思ってもいつまでも馬車の中にいる訳にはいかない。ファビオ様のエスコートのもと、門前に並ぶ人々の中心、代官の前へと進む。
「レケメデル領に足を運んで頂き光栄にございます。側妃殿下」
深く頭を下げられる。後ろに並ぶ領主館の者たちも同じね。中には領民たちも混じっている感じがあるけど、薬草栽培の中心人物なのか。ただの興味本位なのか。偉ぶった貴族なら無礼とか言い出しそうね。
もちろん私は笑みを浮かべる。
「面を上げて。クラリッサ・ディ・テッラニアよ。あなたは?」
相手に名乗る許可を出すと、再度頭を下げてから明朗な声を返される。
「はっ。レケメデル領の代官を務めますアドリアン・ジャノーでございます」
「此度の視察を有意義なものにしたいわ。よろしくね」
私の宣言はどこまで有効かしら。
レケメデル領の生活を良くしたい思いは同じだから、少しでも協力的になってもらいたいところだけど、王族の私がどう信頼を築いていくべきか。
思案しながらも案内に従って領主館へと歩を進めると、後ろの方が何かざわついているような? え、ドレス破けてる? いや、それならベルかディアが対処してくれるはずだわ。
まぁ、これでも王族だ。領民からしたらつい口を開いちゃうこともあるかもね。わざわざ不敬だなんて言わないわよ。
「芋か?」
「芋なのか?」
ん? 何故かしら。王族に対して使うべきではない単語が聞こえた気がする。
空耳かな、と思ってちらりと隣を見遣れば、エスコートしてくれているファビオ様の顔が笑みをこらえるように神妙だわ。
「やっぱ芋の、女神か?」
ファビオ様の肩が揺れ出した。いっそ笑ってくれ。
そして領民たちよ。静かな空間での囁きは、存外響くのだと知っておくれ。
まさかね、まさかよ。
側妃となってカステッリーニ領から遠く離れた土地に来て、聞くことになるとは思わないじゃない。恥ずかしいやら、おかしいやら。
領主館に入るまでの間、私の腹筋はとても鍛えられた。




