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第八話 第一章 第八話 勇者は気づく おかあさんは 柔らかくて あったかくて いい匂いがして いつも味方でいてくれる事に その2

「それとね。もう一つ理由があるんだ。聞いてくれる?」

「もちろん。おかあさんに全部話して」


  頭を撫でながら、更に強くぎゅってしてくれる。

  ボクもいつのまにか彼女の背中に手を回して、目の前の柔らかな二つの膨らみに、思いっきり顔を押しつける。

  どれだけ力を込めて押し込んでも、二つの双丘はボクを優しく受け止めてくれた。


「地球に残してきた母さんの事なんだ。父さんが死んだ時、母さんはボクの前ではいつも笑顔だったけど、ある日見ちゃったんだ」

「何を見たの?」

「父さんの部屋で肩を震わせてたんだ」

「そう……」


 夜、トイレに起きた時、僅かに開いたドアの隙間から聞こえる小さな泣き声。


「でも後にも先にも、泣いている姿を見たのはそれっきりだったんだよ」


  その後、母さんは何かに取り憑かれるように、仕事に没頭していた。

  もしかしたら、いつか同じ仕事をしていれば、死んだ父さんに会えるとでも思ってたのかもしれない。


「だからボクはしっかりしなきゃと思っていたけど、現実は特撮ドラマのヒーローみたいに上手くはいかなかったよ」


  辛い出来事を味わった人間が、周りから頼りにされるほどに成長するなんてフィクションの世界だけしかないのだ。


「結局ボクは父さんが持っていた古いビデオばっかり見て過ごすような駄目人間になっちゃった。それでも、それでも母さんの為に何かしようと思ったよ。だから勇者になれば、みんなから頼りにされるような人間になると思った。最初は嫌われても、世界を救えばみんなの見る目は変わると信じてた……信じてたのに……」

「ユーちゃんは寂しかったのね」

「えっ?」


 リィべに撫でられるたびに、頭から首にかけて心地良い電気が走っていく。


  まるで死んでいた細胞が蘇っていくような新鮮な刺激だった。


「誰かに認めてもらいたかった。けれど、そのきっかけが分からなくて今まで踏み出せなかったのよね」

「うん」


  勇者になって世界を救えば、みんなから慕われ、誇りに思われる。

  それは幻想。

  喉元に突きつけられたのは、最悪の現実という名の刃。


「そうだよ。ボクは誰かに認めてもらいたかったんだ。なのに、なのに……!」


  今までの出来事を思い出すと涙が止まらない。

 ギリギリと両手に力が入っていく。爪が柔らかなものに食い込む感触が伝わるが、そんな事を気にする余裕はなくなっていた。


  溢れ出した怒りが止まらない。止められない!


  ボクは心の膿を、何個も何個も彼女に投げつける。


「なのに、みんな、ボクを化け物みたいな目で見るんだ! 挙げ句の果てに、冥王を倒して帰って来れば、ボクを騙して力を封じてから、こんなところに閉じ込めた!」

「うん。うん」


  更に両手に力を込めると、まるで涙のような温かい液体が滴り落ち、ボクの指に絡みついてくる。


「なんでそんな目に合わなきゃいけないんだ! ボクは地球でも、この世界でも、いらない子なの? こんな事になるなら、勇者にならずに死ぬまでつまらない生活をだらだら送っていたかった!」

「……うん。うん」


  リィべは何も反論しない。声を震わせながら頷いて聞いてくれる。


「そうだよ。世界なんて救うんじゃなかった。あのまま、安全で快適な部屋にずっとずっといれば良かったんだ……」


  涙と鼻水が、リィべの割烹着をしとどに濡らしていく。

  それでも彼女の口から文句が出ることは決してない。


「ユーちゃんはそれで良かったの?」

 

  代わりに質問をボクに投げかけてきた。


「そうやって閉じこもってばかりで何もしないで、嫌なことから目を背けて生きていくのが望みだったの?」

「そ、それは……」


  違う。と答えたかった。


 けれど、目の前で転んだ人がいたら、ボクは見て見ぬ振りをして通り過ぎる。

  だって面倒なことには巻き込まれたくない。それに助けられる力なんてないんだ。


  ボクはそういう人間なんだよ。


「そう、ボクは楽して生きていく人間なんだ。失望したでしょ?」


 失望したでしょ? 自分で口に出した途端、胸のあたりにシャベルで抉られたような痛みが走る。


  痛いよ。苦しいよ。お願いだからボクを嫌わないで。


「ウソはいけません」


 そんなボクの胸の痛みを一瞬にして癒す、優しい声が掛けられる。


「もし誰かが助けを求めていたら、後先考えずに助けに行くのがユーちゃんでしょ?」

「そんな事、ないよ」

「でもユーちゃんは娘を助けてくれた」

「あっ……」


  思い出す。あの時助けた白銀の幼竜の事を。


「そうだ。あの竜は今も元気なの?」

「ええ。ユーちゃんに助けて貰ったお陰で、今は民を率いる女王を務めているわ」

「……女王」

「ええ。娘だけじゃない。皆貴方に助けられた事を覚えている。感謝しているのよ」

「嘘だよ」


  照れ臭くなって割烹着に包まれた二つの膨らみに顔を埋める。

  今の一言には、感謝されているなんて信じられないという気持ちと、もっと褒めて欲しいという気持ちが混ぜこぜになっていた。


「嘘だ……」

「嘘じゃ、ありません」


  ボクの顔がリィべの両手によってゆっくりと上に向けられて、黄金の太陽に見つめられた。

  そのお日様をどれだけ直視しても目は潰れることはない。

  むしろ目を通して、全身が春の日差しを浴びたように暖かくなってくる気がする。


「おかあさんだって、ユーちゃんには感謝してるの」


  再びボクはきゅっと抱きしめられる。

  甘い匂いが、ボクの怒りを蕩けさせ、強張ったままの指の力が抜けていく。


「冥王から助けてくれたから、民は今も普段通りの生活が送れている。娘は元気に女王としての責務を果たしているの。そして……」

「そして?」


  ボクの耳のすぐ近くで、どんなお菓子よりも甘い一言が囁かれ、耳が、ぬっくぬくの吐息に包み込まれる。


「おかあさんはユーちゃんをいっぱい、いっ〜ぱい甘やかす事が出来るのよ」


  唇の動きを感じるほどの近さ。でも、もっともっとくっついていたいよ。


「甘やかす?」


  ふっくらとした唇から紡がれる甘やかすという言葉。まるで上品な砂糖菓子のような、なんて甘美な響きなんだろう。


「ボクを甘やかして……くれるの?」

「ええ。たくさん甘えていいのよ。おかあさんはその為にここに来たのだから」


  リィべの柔らかな微笑みは、嘘を言っている顔には見えない。


「ボクはもう子供じゃないんだよ」

「おかあさんから見たら、まだまだ子供です」

「それに血も繋がってないし……」

「こら、ユーちゃん」

  ほっぺをむぎゅっとされて続く言葉を封じられてしまった。


「血が繋がってないとか、種族が違うとかそんなの関係ありません」


  リィべは両手をボクの頰に添えたまま、額と額をコッツンコしてきた。

  もちろん痛くはない。ちょっと驚いただけ。


「おかあさんは頑張るユーちゃんを褒めて、いい子いい子して、美味しいご飯を作ってお風呂に入れて、寝かしつけたいの」

  そこまで言ってから、ちょこんと首を傾げてきた。


「そんな永遠の甘やかされ生活は嫌?」


  彼女は、リィべは本気なんだ。本心からボクを甘やかそうとしてくれているんだ。


  だったらボクも本心から返事するしかないじゃん。


「……やじゃない」


  恥ずかしい。でもリィべは急かそうともせずにジッと次の言葉を待ってくれていた。


「嫌じゃない。一緒にいてほしい」

「おかあさんはここにいていいのね?」

「うん。一緒にいて。その、沢山、沢山甘やかしてほしいんだ!」


  言った。遂に言ってしまった。実際口に出して大丈夫なのか?

  やっぱり無理とか言われたら……。


「あらあら、まあまあ」


  リィべは涙を流していたけど、嫌だから泣いているわけではないらしい。

  だってその顔は笑っていたから。

  笑いながら泣いていたんだ。


「ごめんね。別に悲しい事があったから泣いてるんじゃないの。とっても嬉しいからなの」


「嬉しいの?」

「ええ。涙は嬉しくても出るものなのよ」


  リィべは自らの目元を拭うと、ボクを今までよりもキツく抱きしめる。

  ボクの顔に暖かい液体が、ポタリポタリと垂れてくる。


  そこから伝わるのは彼女の喜びの感情。


「く、苦しいよ」

「もう少しこのままで、ね?」


  しばらくして、リィべは満足したのかボクから離れた。


「じゃあ、さっき言った通り、いっぱい甘やかしてあげますからね。嫌だって言っても止めませんよ?」


  そんなからかうような口調でも、実際に止める気ないんだろうな。


  だから、こう聞いても大丈夫なはず。嫌われないよね?


「その今から甘えてもいい?」


  リィべの顔が驚きで固まったように見えた。

  うっ、いきなり甘えてもいいはやっぱり変だよな? でも今までも散々似たようなことして来たわけだし……。


「もう、しょうがない子」


  リィべはちょっと困ったような態度を見せながらも、ボクをしっかりと抱っこしてくれる。

  ああ、凄い安心する。


  トクン……トクン。


  一定の間隔で微かに音が聞こえる。なんの音だろう?

  でもうるさくはない。むしろずっと聞いていたいような……。


「甘えん坊なユーちゃん」


  さっきまでボクの頭を撫でてくれていた右手がソッと背中に移動して来た。


  そして。


「そんな甘えん坊さんには、コレをしてあげます」

  ポンポンとボクの背中を叩いてきたのだ。

  痛みは全くない。


  一定のリズムと、適度な力加減。何これ、ずっとポンポンしてほしいよ。


「ふああ〜〜あふっ」


  気持ちよくて、つい欠伸が出ちゃった。


「あら、眠くなって来ちゃったのかしら」

「……うん」


  瞼が重い。何度擦っても眠気は取れない。むしろドンドン大きくなっていく。


「寝ちゃってもいいのよ」


  ポンポンと背中を叩かれるたびに眠気のエレベーターはどんどん下へ降りていく。


「眠いけど、寝たくない」

「あら、何で?」

「だって……眠って目を覚ましたら、この幸せな時間が終わってしまいそうな気がするんだもん」

「あらまあ、大丈夫よー。おかあさんはどこにも行きません。ずっとユーちゃんと一緒ですからねー」


  ポンポン。

 トクントクン。


 背中から聞こえる音と共に、身体に直接振動が伝わってくる。


 これは、リィベの心臓の音?


「眠かったら寝ちゃってもいいのよ。大丈夫だからねー」


 ポンポン、トクントクン。


  そうか、トクントクンって音は彼女の心臓の鼓動だったのか。


  背中から伝わる優しいポンポンと、鼓膜を直接震わせるトクントクン。

  この二つの音が、ボクの意識をあったかくて柔らかくて優しい場所に案内してくれるようだった。


  リィべはボクの背中をポンポンしながら歌を唄う。


 眠れユーちゃん おかあさんの胸に抱かれて

 暖かく居心地が良い それはゆりかご

 おかあさんの腕の中 おかあさんの愛で

  誰にも貴方を傷つけたりさせない


  ゆったりとしたリズムで歌っている。これは子守唄だろうか。


 お休みなさい 誰にも邪魔はさせないから

 わたくしの可愛いユーちゃん ゆっくりお眠り

 おかあさんの優しい胸に抱かれて


  時計が巻き戻るような感覚。


  それは赤ん坊に戻っていく音だったんだ。

  今のボクの心は完全に一人じゃ何もできない甘えん坊になっている。

  じゃあ、もう遠慮なんてしなくていいよね。


  子守唄とトクントクンを聞きながら、ポンポンされて柔らかくて甘い匂いに包み込まれたまま寝ちゃっていいんだ。


「おやすみ……」


  おかあさん。


「おやすみなさい。可愛い坊や」


  額に、柔らかくて弾力のある感触を感じたところで、ボクの意識は深く深く潜っていく。

  そこは呼吸のできる温かな水の中でプカプカと漂うような心地よさだった。

  水の中なのに人肌のように温かく、呼吸もできる。

  しかも身体は浮かんでいるのに、まるで抱きしめられているように固定されていて、不安も一切感じさせない。


  こんな安心できる幸せな場所があったんだ。


  どこかで、体験した事があるような気がする。 子供の頃、いや、それよりも前に……いつだろうか?


 いいや。今は何も考えたくない……。


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