第八話 第一章 第八話 勇者は気づく おかあさんは 柔らかくて あったかくて いい匂いがして いつも味方でいてくれる事に その1
「母さんに、会ったんだ」
リィべは、長く話して疲れたのか、喉をホットミルクで潤しながら小さく頷いた。
「父さんも生きてたんだ」
神は生き返らせると言っていたけど、本当かどうか分からなかった。
けれど、本当に生き返っているんだ。ちゃんと生きて仕事してるんだな。
っていうか、超象局って何だよ。
知らなかったよ。そんなところで働いてるなんて!
しかも二人とも同じ職場なのかよ。仲良過ぎだろ。
あと、全長五十メートルのビッグフット?
ボクが知ってるのと全然違うじゃないか。
大体、そういうのはフィクションや都市伝説の中だけじゃなかったのかよ?
何度もツッコミを入れたら少し落ち着いてきてある事に気づく。
今のボクの状況も変わらないか。
両親に『勇者やってるよ』なんていっても信じてくれないだろうしなぁ。
見上げると、父さんと母さんの幸せそうな姿が天井に映し出された。
いいなぁー。
……直接会って怒鳴ってやりたい。あんたらが幸せなのは、神様に作り変えられたボクが勇者になって冥王を倒したからだぞ! って。
そんなの八つ当たりだって? わかってるよ。
あーくそ、瞼の裏が熱くて、水漏れしてきそうだよ!
瞼を閉じていると、近くに人の気配を感じる。
見上げると、側にいたのはもちろん彼女で、しかも息がかかるほどの近さ。
「何だよ。近いって」
驚いて口から心臓が飛び出そうになったじゃないか!
彼女は何も言わずにしゃがむと、ボクと目線を合わせてくる。
「だから近――うわっ!」
そして突然抱きしめられた。
彼女の着ている割烹着の滑らかな肌触りと柔らかな温もり。
そして、さっき飲んでいたホットミルクよりも優しくて甘い匂いが、ボクの思考を麻痺させる。
「ユーちゃん」
優しく囁かれると、抵抗する気が失せてくるからやめてほしい。
女の人ってずるいよな。
「……離してくれよ」
「んーん。離しません」
ぎゅぅーと、更に力を込めてくる。
柔らかな感触と甘い匂いが強くなり、ボクの五感のツボを刺激してきた。
段々、そう段々と脳が考えるのをやめていこうとする。
そのせいで、羞恥心まで奥に引っ込もうとしていく。
いやお前はいなくなっちゃダメだ。
心の中で手を必死に伸ばして、逃げようとする羞恥心を慌ててひっ捕まえた。
「ユーちゃん、こっち見て」
心の中で一悶着していると、リィべが覗き込んできたので慌てて目を逸らした。
「どうして逃げるの?」
「どうしてって……」
恥ずかしいからに決まってるだろ。
反射的に身体が動くんだよ。
「何でおかあさんを避けるの?」
「さ、避けてないってば!」
「嘘は、駄目」
うわっ、今度は左右から頰を固定してきた。首が動かせないぞ。
けれど甘いな。さっきと同じように目を動かせば……、
だ、駄目だ! 動かしても動かしても、二つの金色の太陽が追いかけてくる。
動きを読まれているのか、視界がずっと夜明けのように明るい。
こうなったら!
「もう分かったよ。降参、降参する」
ボクは両手を上げて負けを認める事にした。
「おかあさんの勝ち。でも聞いてもいい?」
「どうぞ」
「何で綺麗な瞳を隠しちゃったの? それじゃ外の様子が分からないわよ」
ボクがこの鬼ごっこを終わらせる為に導き出した手段。
それは瞼を閉じて視界を保護する事だった。
こうすれば、彼女も諦めるかと思ったんだが……。
「ユーちゃん、やっぱり、おかあさんの事嫌いかしら」
んん?
「おかあさん、避けられてばかりでとっても悲しいわ」
泣き落としだ。これはこっちの瞼という城門を開けさせようとする罠だ。
騙されないぞ!
「竜がヒトを癒すのはいけない事なの?」
段々と声が震えて来たぞ。な、泣くのか?
いや、これも嘘泣き……絶対嘘泣きだ!
「ユーちゃんが嫌だというなら、一人がいいって言うなら、とっても悲しいけどおかあさん出て行くわ」
「えっ!」
ボクは思わず瞼を開けてしまった。そこで交差する金色の視線。
そしてペロッと舌を出して微笑む彼女。
「ふふ。やっと、おかあさんと目を合わせてくれたわね」
「だ、騙したなー」
「ごめんなさい。でも、これだけは聞かせて?」
いつもニコニコしている彼女からは、想像もできない真剣な表情と少し硬い声音にボクは固まってしまう。
「おかあさんは一緒にいちゃ駄目?」
心臓が破裂するような一言が投げかけられる。
「おかあさんは、ユーちゃんに幸せになってほしいの。その為なら何だって協力するわ」
何だって協力……?
その一言を聞いた時、イケナイ事を考えた所為でお腹の下の方がカァーと熱くなってきた。
こんな時に何を考えてるんだボクは!
熱を振り払うように激しく首を振りまくる。
そんなボクを見て、彼女は不思議そうに首をかしげていた。
「どうしたの?」
「な、な、何でもないよ」
「ユーちゃん答えて。貴方にとっておかあさんは必要な存在? それとも、いらない存在、かな」
自分で「いらない存在」と言う時、悲しそうに顔を伏せないでくれよ。
「いらないなんて言ってないだろう! やめろよ……そうやって自分を卑下する人は……嫌いだ」
「ごめんなさい。じゃあ、おかあさんはここにいていい? ユーちゃんと一緒にここで暮らしてもいい?」
「…………」
「ユーちゃん?」
ちょっと待ってくれ。今なんて言っていいか考えてるんだから。
だから「無視しないで」と言いたそうな顔でこっちを見ないでください。
お願いします。すごい罪悪感だから!
ああ、もう集中できない。この場で答えるべき適当な言葉が思いつかない。
「大丈夫ユーちゃん? 目がぐるぐる回ってるわ」
ボクの気持ちは固まっている。
けれど、どう言えばいいのか分からない。
なんて言えばいいんだよ。
最初会った時はさっさと出ていけ。って思ったさ。突然現れてボクの母親と名乗った時は何言ってるんだって思ったよ。
けれど、今はもう違う。
家事全般をしてくれて、住む場所も快適にしてくれた。
趣味も理解してくれるし、料理も美味しくて、いつも側にいてくれて……それに褒めてくれる。
あっ、頰を温かいものが流れていく感触が……。
「ユーちゃん、泣いてるの?」
「な、泣いてなんか、ないさ……」
バレた。
見られたと分かった途端、涙が止まらない。どんどんどんどん、まるで滝のように流れてくる。
とっくに視界は滲んでいるのに、不思議なことに目の前の彼女の姿は少しも滲まなかった。
「やっぱりおかあさんなんて、ユーちゃんにとっては不快だったわよね……」
彼女の顔が悲しみに包まれる。
どうやらボクが一緒にいる事を拒否してると思い込んでしまったらしい。
彼女が立ち上がり、腕が、身体が、ボクから離れようとする。
このままじゃ、またひとりぼっちに……!
「待って!」
「ユーちゃん?」
ボクは離れようとする彼女の右腕を捕まえるというよりも、恥も外聞もなく全身を使ってしがみついた。
「い、行かないで……」
一人にはなりたくなかった。この世界に来てボクの事を気に掛けてくれる存在を離したくなかった。
「もう一人は嫌だ。誰にも相手されないのは嫌だよぅ」
割烹着の袖がしわくちゃになる程強く掴んでいるのに、彼女は嫌な顔一つせず微笑みを讃えたまま、再びしゃがみこむと、自由な左手をこっちに伸ばして来た。
叩かれる!
痛みを覚悟して、視界を閉ざした後に感じたのは想像と違う感覚だった。
「ごめんね。おかあさん酷いことしちゃったわね」
しなやかでふにっとした物に頭を撫でられる。
それは彼女の左掌だった。
手のひらから伝わる温もりが、地肌から頭蓋骨を抜けて、直接脳を撫でられているみたいだ。
「いい子いい子。ユーちゃんはいい子いい子」
そんな言葉をかけながら、ボクの頭を優しく包み込むように繰り返し撫でてくれる。
一撫でされる度に、ボクの身体から嫌なものが蒸発していくようだった。
「おかあさんはユーちゃんと一緒にいてもいい?」
先程と同じ問いかけをしながら、ボクの涙を指で優しく拭ってくれる。
「うん」
もう自分をごまかすのは止めた。
「朝になったら、ユーちゃんを起こして朝ごはん作って、それが終わったらお家の掃除して、昼食の準備して午後の家事済ませて、夕飯作って寝かしつけていいの?」
「毎日してくれるの?」
「もちろん、だっておかあさんですもの」
「ずっと一緒にいてくれる?」
「もちろん、だっておかあさんですもの」
「いなくなったりしない?」
「ユーちゃんを置いていなくなる事なんてありません。だって……おかあさんですもの」
リィべは指を立てて「あ、でも」と付け加える。
「悪いことしたら怒りますよ。おしりペンペンですからね」
「……はい」
ボクはその間も頭を撫で続けられていた。
撫でられ続けたせいで、頭がスライムのように蕩けそうなふにゃふにゃとした感覚だ。
恥ずかしいという気持ちはほんの少しある。
でも、今はずっとこうして貰いたかった。
「いい子ね。いい子はおかあさんがもっと褒めてあげましょうね」
リィべの手が頭から離れる。少し、いやかなり名残惜しい。
何をするんだろうと思っていたら、ボクの目の前でしゃがみこみ、大きく両手を広げた。
「ユーちゃんおいで〜」
そんな事されたら、普通の人は何言ってるんだと返すんだろうけど、ボクは違う。
一秒も離れていたくなくて、リィベの胸に頭から飛び込んだ。
頭を柔らかなものに包まれ、背中を両腕でしっかりと包み込まれる。
「ふふふ。よしよし」
リィベは抱きしめたボクを軽々と持ち上げて椅子に座る。
「重くないの?」
「全然。これで、もーと褒めてあげられるし、ぎゅうぅぅぅって出来るのよ」
今のボクは、リィべの弾力のあるふとももの上に座らされて、抱っこされているような格好になっている。
普通なら凄い恥ずかしいだろう。
けれどリィべの、柔らかさと温かさと甘い匂いがボクの全てを包み込んでくれる。
人肌に温められた蜜の中にいるようで、スゴくスゴく心地いい。
「ふふ。かわいいかわいいユーちゃん」
リィべの声が鼓膜を震わせる度に、優しい気持ちになっていくような……そしてこの感覚は何?
まるで時計の針が巻き戻るようなこの感覚は一体……?
「ユーちゃん。おかあさんに聞いて欲しいことはない?」
「聞いて欲しい事って?」
顔を上げると、リィべが微笑みながら頷く。
「もし、心の中に溜め込んでいる嫌なものがあるなら、おかあさんに話して。すっごく楽になるから」
心の中に溜め込んだもの。
それは特に考えなくてもすぐに思い当たる。
「ある……けど話してもいいの? きっと嫌な気持ちになるよ」
「ええ話して。おかあさんが全部聞いてユーちゃんの嫌な記憶を全部吸い尽くしてあげます」
頭を撫でられる。
「じゃあ……」
リィべに撫でられると、普段なら恥ずかしくて脳がストッパーをかけていた事も、躊躇う事なく口に出すことができるようになっていた。
「以前にも言ったと思うけど、勇者になんてなりたくなかった。神様はボクが選ばれし人間みたいな事を言ってたけど、本当は怖くてやりたくなんかなかった」
「そうよね。たった一人で悪と戦うなんてとても大変だもんね」
「でもね。冥王が、地球に攻めてくるかもしれないと知った時、ボクは勇者になる事を決心したんだ」
「それはどうして?」
「なんて言えばいいのかな。地球にいた頃のボクは弱くて惨めで友達もいないような人間だったんだ。けれど……」
「けれど?」
「やっぱり自分が生まれ育ったところだし、冥王に支配されたら、自分の趣味が無くなっちゃうのは嫌だったから。そんな理由で勇者になるのはおかしい?」
「そんな事ないわ。ユーちゃんの趣味は、とても素晴らしいものじゃない。自分の好きな事が出来なくなるのはとても嫌な事よね」
ああ、この女性は、ボクを認めてくれるんだ。
それに気づいた途端、更に心の中に溜め込んでいた思いが溢れ出す。




