第四話 勇者は胃袋を掴まれ リィベは頰をつっつく その5
「ユーちゃんお待たせ……あらまあっ」
後片付けを終えたわたくしが戻ってくると、ユーちゃんはテーブルの上に突っ伏しています。
最初は具合が悪いのかなとも思い、近づいて様子を見ました。
近くで顔色を見てみると、血色は良くとても健康そうです。
それに呼吸も一定で穏やか。
どうやらお腹いっぱいで眠ってしまったようですね。
「ユーちゃん、ユーちゃん」
声を掛けてみても反応がありません。
「す〜すぴ〜〜」
どうやらかなり熟睡してるみたいですね。
これはどうしましょう? このあと大切な話をする予定でしたのですが……。
起こすのも可哀想ですし、しょうがありません。
「ちょっとゴメンね」
わたくしはユーちゃんを起こさないよう慎重に、背中と柔らかい太ももの裏に手を入れて抱き抱えます。
両手の中で眠るユーちゃんは無防備で温かくて、まるで大きな赤ちゃんのよう。
「さあ、お部屋に行きましょうね」
ユーちゃんの部屋に戻ったわたくしは彼をベッドの上に寝かせます。
「うーーん」
ここまで移動しても起きる気配はありません。
可愛らしい寝顔、見てたら我慢出来なくなってしまいました。
起こしちゃったらごめんなさい。
心の中で謝りながら指を伸ばします。狙うは……。
ユーちゃんの柔らかいほっぺを優しくつっつきます。
「んーー?」
あらいけない。起こしてしまったかしら?
「んー」
健やかな寝息、夢の世界に戻ったみたい。
じゃあもう少し。
起こさないように力を調節して……。
ふふふ。いつまでも突っついていたくなる柔らかいほっぺ。
「んん?」
あ、起こしてしまったかしら……。
「ん、すーすー」
ほっ。
このまま寝かしてあげましょう。
お話はまた明日。
「お休みなさいユーちゃん」
彼の身体が冷えないように毛布をかけてから、電気を消して部屋を後にします。
さてと……あら、この気配は?
廊下に出ると、外に複数の気配を感じました。
しかもまっすぐこちらに向かってくるようです。
「ちょっとおかあさん出かけて来ますね」
寝ているユーちゃんに声をかけてから部屋のドアを閉めます。
わたくしは塔の玄関から外へ出ました。
吹雪は止み、厚い雲は何処かへ消え去り、満月が煌々と輝いています。
綺麗。そうだ。今度ユーちゃんとお月見しましょう。
確か地球ではそういう習慣がありましたものね。
でもその前に……。
こちらに近づいて来る気配をなんとかしないといけませんね。
わたくしは着ている服を手早く脱いで四次元空間にしまいました。
そして身体を元の姿に戻していきます。
あっという間に、わたくしの視界はユーちゃんの寝ている塔を見下ろす形となりました。
素肌に当たる夜風が心地いい。
けれど、この身体では彼を抱きしめることは出来ません。
この大きな体や鋭い爪では彼を傷つけてしまう。
早く済ませましょう。
わたくしは背中の翼を広げて、満月が漂う夜空へ飛び立ちます。
飛び上がってすぐに、雪の大地を進む黒い豆粒の集団の姿を見つけました。
あれね。
私はその集団の前方に勢いよく降りていきます。
着地の衝撃で、積もっていた雪が飛び散り、彼等を覆い隠します。
小さな彼等は、雪のベールを跳ね除けて、わたくしの姿を見つけると、唖然とした顔をしています。
それはそうでしょう。わたくし達の姿を見たことのあるヒトは滅多にいないでしょうから。
「……! …………!!!」
何かを叫んでいるようですが、声が小さすぎて聞こえません。
それよりも気になるのは、集団の中で一人だけわたくしの姿を見て微動だにしないヒト。
全員が身体を守る鎧を着て剣や槍を持っているのに、その人物は黒いローブに身を包んでいて、他とは異なる雰囲気を纏っています。
例えると、狼の群れにその皮を纏った狩人が紛れ込んでいるよう。
なのに狼は誰一人気づいていないようです。
自分たちに敵などいないと信じ込んでいるからでしょう。
わたくしは彼等の頭に直接話しかけることにしました。
『貴方達の目的は分かっています。この先にいる勇者を再び封じようというのでしょう?』
いきなり声が聞こえたからでしょう。ヒューマン達は自らの頭を抑え、信じられないと言った顔をしています。
『彼は貴方達に危害は加えません。それはわたくしが保証しましょう。さあこのままお帰りなさい。そして王に伝えるのです』
ヒューマンの兵達は顔を見合わせて、口を動かしながら頷いているようです。
どうやら納得してくれたようですね。
たった一人を除いて……。
兵達は黒ローブに相談しているようです。
『そこの黒いローブの者。そう貴方です』
黒ローブはビクリと身を震わせて、こちらを仰ぎ見ました。
それでも影に隠れて顔は見えません。
『貴方、ヒトではありませんね』
その言葉を頭の中に送り込んだ途端、周りの兵を押しのけて黒ローブを脱ぎ捨てて正体を露わにしました。
二本の足と腕に胴体。そこまではヒトとそっくりなのですが、肌は黒く、むき出しの血管が全身を駆け巡っています。
そして頭部は脳がむき出しになっていて周りのヒトの二倍の大きさがありました。
ヒューマンの兵達は初めて知ったのか、異様な姿を見た衝撃で動けないようです。
『やはり魔族……冥王の命令ですね』
魔族は何も答えずに脱兎の如く逃げ出しました。
逃がしません。
わたくしは逃げる背中に向けて小さく息を吐きます。
吐息は白炎となり、逃げる魔族だけを確実に焼き滅ぼします。
白炎が消えた後、残ったのは黒く焦げた地面だけでした。
『貴方達は早くお帰りなさい。そして冥王の魔の手はまだ完全に退けられていないと皆に伝えるのです。そしてもう一度考えなさい。貴方達の敵は一体誰なのか』
ヒューマンの兵達は蜘蛛の子を散らすように回れ右をして逃げ帰っていきました。
いけない。大切な事を忘れてました。
『いいですか! 勇者は貴方達に危害は加えません。けれど、もし彼に危害を加えようとすればわたくし達は全力で相手をしますので、そのつもりでいてください!』
逃げる兵達から返事は聞こえませんが、頭の中に直接語りかけたので、大丈夫でしょう。
それにしても、まだ諦めていないのですね……。
わたくしは寒さの所為ではない身体の震えを抑えながら塔に戻りました。
一刻も早く、あの子の顔を見たかったのです。
入る前に玄関先で服を着てから、彼の部屋へ少し早足で向かいます。
扉の前で立ち止まり耳をすませると、部屋から規則正しい寝息が聞こえてきました。
良かった。外の騒ぎで起きてはいないよう……あら?
安堵したのもつかの間、苦しそうな唸り声を耳が捉えました。
どうしたのかしら?
わたくしは様子を確かめるために部屋の扉をあけて中へ。
「ユーちゃん?」
「うーん、ううー」
こちらの声に反応しません。どうやら眠ってはいるみたいだけど……。
「嫌だ、うー嫌だよぉ」
苦しそうに呻いている……まさか、わたくしのいない隙に魔族が!
夢魔か何かが取り憑いている。とも思ったのですが、それらしい反応はありませんでした。
良かった。でも相変わらず、胸を掻き毟り、お顔にシワが寄ってとても苦しそう。
「嫌だ。ボクをそんな目で見ないで、一人ぼっちにしないでよ」
ああ、なんて事なの。
この子は夢の中でも、ずっと苦しんでいるのですね。
「ユーちゃん」
わたくしは、こちらに助けを求めるように伸ばされた左手を、両手でそっと包み込みます。
「ボクを、ボクを一人にしないで」
「一人じゃないですよ。これからはおかあさんがずうっと一緒」
閉じる瞼の隙間から流れる一筋の涙を拭いながら、そう声をかけ続けました。
「一人に、しないでぇ」
「はい。一人になんかしません。貴方のその心の亀裂、おかあさんが必ず埋めてあげますからね」
彼の左手を優しくさすってあげると、安心してくれたのか、寝顔から眉間のシワは完全に消えて、気持ち良さそうな寝息を立て始めました。
「お休みなさい。いい夢見てね」
左手を戻そうとしたのですが、彼はしっかりとわたくしの手を握って離してくれません。
「あらあらまあまあ、おかあさんと離れたくないのかしら? 可愛い子」
わたくしは彼が満足するまでそこにいました。
部屋を離れた時には月は眠り、お日様が顔を出していました。
えっ? 辛くないのかって?
何で辛いと思うことがあるのです?
可愛い我が子に必要とされているのに、それを拒む親なんていません。
たとえ種族が違っていても、です。




