第四話 勇者は胃袋を掴まれ リィベは頰をつっつく その4
下層に降りると。ふんわりと全体がいい匂いに包まれていることに気づく。
途端に、お腹が「ぐうう」と鳴いた。
おいおい勘弁してくれよ。何が作られてるか分からないのに、匂いだけで美味しいと思うなよ。
そう腹の虫を嗜めるも、確かにいい匂いなのだ。
一体何作っているのやら。
リビングには白いテーブルクロスが引かれたテーブルがある。
椅子は四脚あるが、テーブル自体の大きさはそれほどでもないので、四人座ったら身体が密着してしまいそうだ。
リビングの奥のキッチンで何やら作業している割烹着の背中を見つける。彼女だ。
「ふんふんふん〜〜ふ〜ふふふ〜〜ん」
すごく上機嫌で鼻歌を歌っているみたいだ。
よく聞くとリズムよくトントンと何かを叩く音が混じっていた。
背中から見てるのでよく分からないが、左手で何かを抑え右手は上下に動いている。
「ふふふ。ユーちゃん美味しいって言ってくれるかしら? 喜んでくれるといいなぁ」
彼女はボクを喜ばせようと料理を作っているのが、その声音からでも十分に分かる。
きっと今は満面の笑顔なのだろうと容易に想像がついた。
けど残念。ボクは美味しいなんて口が裂けても言ってやらないから。
ボクがテーブルに近づくと、足音が聞こえたのか彼女がこちらを振り向いた。
「あらもう降りてきたの? もう少ししたら出来るからその時に呼ぼうと思ってたのに」
「うん。夕飯って聞いたらお腹空いちゃってさ居ても経ってもいられなくなって降りてきちゃった駄目だったかな」
頭の中で考えた台詞は完全に棒読みになってしまった。
こりゃ演技だとバレたな。
「あらまあ! ううん。そんな事ないわよ。おかあさんの料理期待してくれて凄い嬉しいわ! すぐ用意するから待っててね」
「……うん」
満開の花のような笑顔を見て、自分がこれから行う事への罪悪感で少し胸がチクリとした。
椅子に座って待つ事少し、彼女がお盆をボクの前に置く。
「はぁい、お待たせしました」
どんなゲテモノ料理が出てくるのか身構えていたが、出てきたのは見た事のある料理ばかり。
小鉢に入ったひじき。
お椀には味噌汁。
鮭の塩焼きが乗ったお皿に。
茶碗山盛りのご飯。
少し地味な感じだが、その分とても懐かしい。
まるで長い事音信不通だった友達とバッタリ再会したような感じだ。
「そんなに食い入るように見ても、料理は食べれないわよ」
「分かってるよ」
箸を持ったところで、どれから手をつけるか考える。
目に止まったのは、鮮やかな紅色の切り身。
綺麗な狐色で表面に脂が染み出し、焼き立ての香ばしい匂い。
ぐ、ぐうううゥゥゥゥッ〜〜。
「…………」
めっちゃ腹が鳴った。これは絶対聞かれた!
恐る恐る彼女の方を見てみると……。
「ふふふ」
両手で頬杖ついて、笑ってこっちを見ていた。
けど、「そんなにお腹空いてるの」という感じではなく「おかあさんの作ったご飯でお腹を空かせてくれて嬉しいわ」と喜んでいる様子。
お腹の音聞かれてそんなに喜ばれると、それはそれで恥ずかしいんですが。
「ユーちゃんご飯が冷めちゃうわ」
「あ、ああ、そうだった」
そうだ。恥ずかしがっている時じゃない。
早く食べないと。
その時のボクは、目の前の優しい雰囲気の夕食を前にして、わざと不味いと言ってやろうと思っていた気持ちはどこかに吹き飛んでいた。
鮭の切り身に箸を入れると、中からトロリと脂が溢れてくる。
それを見ただけで生唾が出てきた。
頭の中でそれを早く食え。食わないと絶対後悔するぞと喚き立てているようだ。
切り分けたそれを口に入れた途端、ほんのりの甘さと絶妙な塩加減、さらに脂がコクとなり、口の中で踊り回る。
あまりにも新鮮な感覚に口の中が軽くシビれる。
「どう、美味しい?」
感想を聞かれたけれど、今は喋ってる場合じゃないのでとりあえず頷いておく。
「そう。良かった」
どうやら伝わったようだ。
右手で茶碗を持ち、照明を反射して艶めく炊きたてのご飯を口いっぱいに頬張る。
ご飯の柔らかな甘みと、鮭の旨味と塩味が一体となった。
うおおおおおおおおおおおっ!
長い間取っていなかった食事によって身体に熱いものが漲っていく。
「ユ、ユーちゃん?」
呼ばれているのも気にせずに、切り身を口に放り込み、ご飯をかっ込み、時々味噌汁で流し込み又切り身に手を伸ばすを繰り返す。
鮭が半分になったところで、お茶碗に乾いた音がカランと響く。
「あっ」
しまった。ご飯無くなっちゃった。
配分間違えた〜。うう、結構傷つく。ボクはこれからご飯なしで鮭の切り身を食べないといけないのか?
……そんなの虚しすぎる
「ユーちゃんお代わりいる?」
ご飯を失い傷心状態のボクに女神の囁きが聞こえてきた。
「い、今なんて?」
「お代わりしたいんでしょ?」
「な、なんで分かるんだよ!」
「だって、お茶碗が空になった途端、この世の終わりみたいなお顔するんだもん。すぐ分かったわ」
なんて事だ。そんなに顔に出ていたなんて。
「それで、お代わりする?」
少し首を傾げながらの彼女の問いに、ボクは只々頷いてお茶碗を差し出すしか選択肢がなかった。
「はい。ちょっと待っててね。山盛りでいいわよね」
こちらの返事を待つ事なく、テーブルからキッチンに向かってそこにある炊飯器から、新しいご飯をよそってくれる。
戻ってきた彼女の手には、一杯目と同じかそれ以上に山盛りになった白米が。
「まだまだいっぱいあるから、たくさん召し上がれ」
その一言でボクのリミッターが弾け飛び、最初と変わらぬ、いやそれ以上の勢いで二杯目を平らげた。
切り身が三分の一になったところで、ボクのお茶碗から二回目の乾いた音が聞こえた。
彼女の方を見ると、「なーに?」と言いたげにこちらを見返してくる。
アレを言えというのか。恥ずかしい。
けど、食欲には抗えなかった。
「お、お代わり」
そんな一言を言っただけで顔が熱くなって、彼女の顔を見ていられない。
けれど予想外の反応が返ってきて、ボクの心は一瞬にして氷点下まで下がる。
「はい。と言いたいところだけど、ユーちゃん残さず食べないとダメですよ」
残さず食べる?
何か残ってたか、味噌汁も飲み干し、お茶碗は空っぽだし、鮭は残ってるけど次のご飯のために取ってあるからだ。
他に何か残って……?
「こ・れ」
彼女の両手にあったのは小鉢だ。そこに入った黒い物体ひじきがボクの視界に入る。
「ひじきも食べないとダ〜メ」
「ええっ!」
正直、黒くて細長いソレを口に入れようと思えない。
「いらないよ」
「なんで嫌なの?」
そういやなんでだろう。
聞かれて初めて、嫌いな理由を探してみることにした。
「……色が美味しそうに見えない?」
「あらまあ、お口に入れたことはないの?」
「うん」
少なくとも自分の記憶にはない。
「じゃあ、食べてみましょう」
彼女は一口分を箸で取ってボクの口へ。
「あ〜〜ん」
「いいよ。自分で食べるから!」
「あ〜〜ん」
全くこっちの言うことを無視して、笑顔でボクが口を開けるのを待っている。
右手の箸でひじきを掴み、左手を下に添えてボクの方の前まで持ってきた。
目で「さあ、食べてみましょう。ね?」と語りかけてくる。
このままじゃ、ボクが食べるまでこの状態だ。
ええい。しょうがない。
ボクは目を閉じて勢いよく口を開けた。
「はい。どうぞ」
ひじきが舌の上に置かれたのを感じて、ちょっと鳥肌を立たせながら口を閉じた。
彼女の取り分けた量は一口分より少し多く、飲み込めない。
どうやら、噛まずに飲み込もうとしていたのが見破られていたようだ。
「よぉく噛むんですよ」
言われるままに顎を動かすと、優しい味が口いっぱいに広がる。
あれ、美味しい……。
そのまま何度か噛み続けてるいるうちに、入っているのがひじきだけではないことに気づく。
噛むと汁が溢れ出す油揚げかな、これは豆だろうか、丸っこくて食べ応えのあるものも入っている。
そして細長くてほんのりと甘い何か。
飲み込んでからボクは口を開いた。
「んっ……これひじき以外にも何か入ってる?」
「ええ。油揚げに大豆、にんじんが入っているわ」
「見せて」
彼女から小鉢を受け取り、箸を入れてみると、確かに黒いひじき以外にも、茶や橙の具材が入っていた。
一口取って口に入れる。美味しい。もう一口もう一口と食べているうちに、いつのまにか小鉢は空になっていた。
「ちゃんと全部食べれたのね。えらいえらい」
ただ苦手だったひじきを食べただけで、頭を撫でられた。
「美味しかったから食べれたんだよ」
それを聞いて、頭を撫でていた手が止まる。
「そう言ってくれて嬉しい。おかあさん作った甲斐があったわ」
しっとりと微笑む彼女にボクの頭は撫でられ続ける。
恥ずかしいけど、正直嫌じゃなかった。
「も、もういいよ。それよりお代わり、欲しいんだけど」
「あっ、そうだったそうだった。すぐ持ってくるわ。大盛りでいいわよね」
ボクが頷くと、彼女は軽やかにスキップするように炊飯器へ向かう。
何がそんなに嬉しいんだか。
そんなボクの疑問は、目の前に置かれた白く輝く山を見た途端に考える事をやめた。
頭の中はご飯を早く食べたいという事だけに集中したからだ。
さて三杯目を食べようと思ったところで視線に気づく。
見ると、彼女が子供を見守るような視線を、こちらに送ってくる。
「何?」
ボクはご飯を口に入れながら問い掛けた。
「ん? 作ったご飯を美味しそうに食べてくれて、おかあさんとっても嬉しいなぁ」
彼女がボクの方に手を伸ばす。ほとんど不意打ちで反応できなかった。
「なんだよ!」
「ほっぺに、ごはんつぶ付いてたの」
ボクの頰についてたご飯粒をそのまま自分の口へ。
た、食べた!
「うふふ。美味しい」
そう言われると、滅茶苦茶恥ずかしいんですけど……。
「そ、そういえばさ」
「何かしらユーちゃん」
「あんたは食べないのか?」
よく考えたら食卓の上にはボクの分しか見当たらない。
彼女の前には何も置かれていないのだ。
「もしかして、ボクが全部食べちゃった、とか?」
ふと、そんな不安が胸をよぎる。
「そんなことないわ。ちゃんとおかあさんの分は取ってあります」
ほっ、良かった。
「じゃあ、なんで食べないんだよ」
「ユーちゃんが食べ方忘れてないか気になってんだけど、大丈夫みたいね」
「もし、忘れてたら?」
「その時はおかあさんが食べさせてあげようと思ってたわ」
彼女に抱き抱えられながら「あーん」させられるところを想像してしまう。
『はいユーちゃん。ごはんですよー。あーんってして』
『あーん。もぐもぐ……おいしい』
『はい。よく出来ました』
ちょっと良いかも、って何が良いんだよ!
「ボクは一人でも食べれるって分かっただろ。もう見なくていいから食べてくれよ」
「おかあさんも一緒に食べていいの?」
「構わないよ……それに一人で食べるより一緒に食べた方がいい……あっ!」
また何言ってるんだボクは!
「あらまあユーちゃんったら。すぐ持ってくるわね」
彼女はまさしく電光石火の速さでに自分の分のご飯を持ってきた。
「いただきます」
食前の礼をした彼女は綺麗な所作でご飯を食べていく。
あまりにも流れるような美しさで、口元に食べ物が運ばれていき、艶めく唇が動く姿に目が離せない。
「うん。美味しく出来てる。あらどうしたの?」
ヤバイ見つめているの気づかれた。
「な、何でもない! うんうん美味しい!」
ボクは恥ずかしさを紛らわすためにご飯を思いっきりかっ込んだ。
「ふふ。変なユーちゃん」
彼女もまた食事に戻っていく。
ボクも自分の分のご飯に集中する。
食卓に会話はない。箸が動く音だけが聞こえるだけ。
けどそれがとても心地よい時間だった。
「プハー、めっちゃ食べちゃった。もう入らない」
自分のお腹をポンと叩く。
苦しくて動けないが、この身体の内側が満たされている感覚嫌いじゃないなぁ。
このまま瞼を閉じてしまいたい……。
ああ、駄目駄目! これから彼女の話を聞くんだから。
食器を洗う音がまるで子守唄のように聞こえてきて、どんどん目頭が重くなるのを止められない。
……ちょっとくらいならいいか。
そう、ちょっと目を閉じるだけ……。




