番外編 海軍提督の手記
私の名はヴィクトル・ワイエルシュトラウス。
元海軍の提督だ。
若い頃から海に憧れ、世界中の海原を駆け抜けてきた。
花と嵐の軍隊生活。私は我が国の民と富を守るため、たくさんの戦いに参加した。最初はただの一将官として、そして最後には指揮官として。そして、その大部分で勝利を得たと自負している。
異例の速さで昇進し、軍艦の艦長となり、提督という地位にまで上りつめた。
もちろん失ったものも多いが、どんな人生でも得たものの陰には、喪失と悲しみはついてまわるものだ。
常に、である。
──ああ、それでも時に心は痛む。
悲しみを忘れたくて私はさらに働き、戦い続けた。
そして、いつの間にか我が国に対する大きな争いは収まり、海軍の仕事は戦闘というよりも防衛になっていった。それは国が平和になったということなので、心から喜ばしい。本当だ。
しかし、やることがなくなると途端に人生は不安定になる。
そこで、私は以前からやってみたかったことに着手した。
それは読書であったり、探検であったり、さまざまな国の人々と交流することだったり。
知ることは、私にとって刺激であり、喜ばしいことだった。
──そして。
気がついた時には、やりたいことのほとんどをやり尽くしていた。生来器用な方なので、大抵のことは人よりも早く、上手にできてしまう。
私は少し人生を急ぎ過ぎたようだ。
学問は好きでも、学者になるつもりはない。
音楽は好きでも、演奏家になる気もない。
多くの女性とつき合っても、結婚する気にはなれなかった。
四十歳を目前に、私は人生の目的を失っていた。
帰国をしたのは、主命によるものだったが、少し自分の将来について考えてみたかったのだ。
兄が亡くなって伯爵家を継承したこともあり、少し屋敷や領地のことも見ておきたかったというのもある。
これでも責任感は強いのだ。
国に帰ってしばらくは、領地の見回りなどで忙しくして気を紛らわせていた。
しかし、そんなものもやがて終わる。堅実な兄の領地経営と、私の報奨金や投資により、我が家の財産は相当なものになっている。
しかし、これといって欲しいものもない。学校や、慈善団体に多額の寄付をしても、自己満足にもならない。
友人知人は多いが、今ひとつ毎日に華やぎがない。社交に出ても、女性たちの視線が煩わしく必要最小限にとどめていた。
人生なんて、そんなものか。盛りを越して刺激的な毎日でもあるまいよ。
いっそ、また外国にでも行こうか。どこか自分を知らない国に骨を埋めるのも悪くはない。
──そう、考えていた時。
突然目の前に現れた女の子。
年頃の娘のようなのに、我が家の大型犬と転げ回って遊んでいたのを見つけた時は、正直何事かと思った。
彼女の家柄や、育ちの良いことは一目でわかる。
珍しく楽しくなってしばらく話しているうちに、少女の気立てが良く、何より聡明であることが伝わった。
リュドミラベル・マンシェット男爵令嬢。
珍しい薔薇色の赤毛に囲まれた聡明な顔立ち。態度は控えめながら、その瞳には抑えきれない好奇心が隠されている。
彼女は普通の貴族の甘やかされた娘のように、服飾や花婿候補に話題が限定されていない。雲や鳥や石ころにまで興味を持つ驚くべき娘だった。
こんな娘がいるのか。
この少女が特異なのか、時代が進んできたと言うべきか。
どちらにしても、社交にすっかり嫌気が差していた私は、この少女、リュミーに興味を持った。
しかし、彼女にはたった一つ欠点があった。
それは、幼馴染であるという婚約者が、つまらない少年だと言うことだった。
アシュハルト・ヴァイル。
彼は体格も良く、容姿も優れた海軍の士官候補生だが、中身の全く伴わない軽薄な男だった。
身のこなしから、体を鍛えていることはわかるし、銃の腕前や作戦立案など、将来優秀な将官となる素質はかいま見える。
だが、それを自分で自覚し、顕示欲が高く、女性にもてるのが当然と言う態度が鼻につく。
何より、婚約者であるリュミーに対する態度が最低だった。
私にだって若い頃があったのだから、彼が内心で、興味の幅が広く夢見がちなリュミーの気を引きたくて、わざと冷たくしている心情はわからないではない。
しかし、そのやり方があまりにも子供っぽい。そして、大人しいリュミーが逆らわないのをいいことに、彼はどんどん増長していった。
それは私の目にも余るくらいに。
ただ見ていて、わかったことがある。
それは、彼がどんなに浅はかで、あざといことをしでかしても、リュミーがそれほど痛手を受けているようには見えないということだった。リュミーの方が、家同士の婚約だから仕方がないと達観しているのだ。
そんなことにも気がつかない馬鹿な少年は、自分の祖父の誕生パーティの最中、一番汚いやり方で、誠実なリュミーの我慢の限界を超えさせた。
俗に言う「最後の藁」。
彼女の目の前で軽薄な娘とキスをして見せ、一番大切にしなくてはいけない人の心を折ってしまったのだ。
結果、愚かな青年は私にぶちのめされ、婚約は双方の家の話し合いのもと、円満解消された。
ただ一人、円満ではない少年は、身内にすら放って置かれることになった。まぁ、自業自得なので同情の余地はない。
私は彼女の両親の許可を取り、少なからず傷ついている(傷つく必要はないのだが)リュミーを屋敷に引き取った。
そして今まで以上に学びの場を与え、普通の淑女教育では考えられないような、世界地理や生物学、運転技術に複数の外国語も学ばせようと考えたのだ。
リュミーは優秀な生徒で、教えられたものだけでなく、そこから自分のテーマを見つけさらに学びを深くしている。
そしてこれまた、女としては変わり者の私の姪と共に、旅行に行ったりして、見聞を深めていった。
私の見込んだ通り、リュミーは賢く尊敬するべき立派な女性だ。若い頃に出会っていたなら、恋してしまいそうなほどに。
そしてそれは、私だけではなかった。
予想通りというか、予想より早かったというべきか。
後悔と自己責任でのた打ち回り、今までしたことのないような自己研鑽に努めつつも、ついに我慢しきれなくなったのだろうアシュハルトが、餌を求める野良犬のように、我が家の周りをうろつくようになったのだ。
私は彼に更に試練を与えた。
リュミーも既に、大人しいだけの幼馴染の少女ではない。
「一人前の男になって、出直してこい」
少年──いや青年の、打ちしおれた姿を見るのは、なかなか愉快だった。
いや全く、私は性格が悪い。
さぁ、彼は、彼女は、これからどうするだろうか?
ああ、愉快だ。
私は久しぶりに人生を楽しんでいる。
適切な試練を与え、不必要な手助けをせずに、成長する若い二人を見守る。
伸び代だらけの若者たちと接することで、毎日が俄然面白くなってきた。こちらまで得られる精神的熱量について、論文でも書きたくらいだ。
しかし、それはまたのちの話にしよう。興味があったら続きを読んでほしい。
今日の手記はここまでだ。
これから、悔い改めた若造の顔を拝みに行かないといけないからね。
楽しみにしていてくれたまえ。
ではまた──諸君。
追記:恋人たちは素晴らしい。
お読みいただきありがとございました。
発売されたら裏設定なども、ご紹介するかもしれません!