第八話 後ろの席の君
いつも近くにいる人ほど、その存在が当たり前になっていく。
でも、本当はその「当たり前」こそが、一番大切な時間だったのかもしれない。
その日は朝から雨だった。
窓の外を見ると、細かい雨が校庭を濡らしている。
「今日、外で遊べないじゃん。」
大和が残念そうにつぶやいた。
「雨だから仕方ないよ。」
莉央が笑う。
「教室で遊ぼう。」
私は机の中から筆箱を取り出した。
一時間目の準備をしようとして、鉛筆を並べる。
その時。
「あれ……。」
消しゴムがない。
昨日、家で宿題をした時に机の上へ置いたままだったのかもしれない。
どうしよう。
先生が来る前に探さないと。
机の中を何度も確認していると。
「柚。」
後ろから名前を呼ばれた。
振り返る。
湊くんが、自分の消しゴムをこちらに差し出していた。
「これ、使う?」
一瞬、驚いた。
「え?」
「消しゴム。」
「……いいの?」
「うん。」
私はそっと受け取る。
「ありがとう。」
手のひらに乗せた消しゴムを見る。
少し小さくなっている。
「湊くんの消しゴム、小さいね。」
思わず言った。
湊くんは自分の筆箱を見る。
「まだ使えるから。」
「物を大事にするんだね。」
そう言うと、湊くんは少し考えた。
「普通。」
思わず笑ってしまう。
「また言った。」
湊くんが少しだけ目を丸くする。
それから。
ほんの少し笑った。
「柚も。」
「え?」
「よく笑う。」
その言葉に、胸が少しだけ跳ねた。
自分では気づいていなかった。
でも。
湊くんは見ていた。
「そうかな。」
「うん。」
それだけの会話。
でも、不思議だった。
前なら。
後ろを振り向くだけで緊張していた。
何を話せばいいかわからなかった。
でも今は。
少しだけ。
振り返ることが楽しみになっていた。
休み時間。
莉央が私の机の横に来た。
「ねぇ、柚。」
「なに?」
「最近さ。」
莉央が後ろを見る。
そこには、いつものように湊くんが座っている。
「神崎くんと話す時、前より自然になったね。」
私は少し驚いた。
「そう?」
「うん。」
莉央は笑う。
「最初、名前呼ばれただけで固まってたじゃん。」
「……そんなことないよ。」
「してたよ。」
私は何も言えなくなる。
確かに。
少し前の私は、湊くんのことを遠くから見ているだけだった。
でも今は。
後ろを振り向けば、そこにいる。
「おはよう」と言える距離。
「ありがとう」と言い合える距離。
それだけで、十分嬉しかった。
放課後。
私は借りた消しゴムを湊くんに返した。
「ありがとう。」
「うん。」
湊くんは受け取る。
そして少しだけ笑った。
その日から。
雨の日の教室が、少しだけ好きになった。




