第6話 俺のせい
慧が向かっているのはリビングの方だ。
「慧」
その背中を追いながら安達が名を呼べば、慧が振り返る。
照明がついていない廊下では彼がどんな顔をしているのかすらよくわからない。
「あ、義一」
「何してるんだ」
「喉乾いちゃったから、お水を飲もうかなって」
「部屋に来てただろ」
「うん。起きてたらちょっかい掛けようと思ったんだけど、仕事の電話してたでしょ」
「ちょっかいって、お前なぁ」
会話をしながらリビングへ向かう慧を安達も追う。
途中で廊下やリビングの電気をつけ、慧がキッチンへ辿り着いたところで彼に追い付く。
安達は手探りでグラスを探す慧の手を掴むと、その頭上に空いている手を伸ばし、二人分のグラスを取った。
「俺がやる」
「あ。ありがと」
「俺がいる時は俺に頼みゃいいって――」
小言を言っていた安達はふと、掴んでいた慧の手が震えていることに気付いた。
彼は言葉を切り、僅かに目を見開く。
「流石に物の場所とかも覚えたしね。このくらいなら自分でやるよ」
安達が顔色を変えた事に慧は気付いていない。
彼は普段通りを装い、穏やかに笑っていた。
「ったく」
安達は小さく息を吐くと、慧の頭に軽く手を置いてから冷蔵庫へ向かう。
中に入っていたミネラルウォーターのペットボトルを開け、二人分の水をグラスに入れてから、彼はその内の一つを慧に持たせた。
「ガキがいっちょ前に、大人に気ぃ遣うんじゃねー」
礼を言い掛けていた慧が僅かに息を呑む。
小さく口を開いたまま、その顔が安達の方へと持ち上げられた。
「なんだよ」
「……ううん」
慧は水を何口か飲み、息を吐いた。
浮かべている笑みは、先程までよりも力が抜けて自然になっている。
「僕、もう中二だよ」
「ガキじゃねーか」
揶揄うようにケラケラと笑ってから、安達は水を一気に飲み干す。
彼が空いたグラスを流しの端に置いた音に気付いたのだろう。
慧もつられるようにしてグラスの中を飲み干した。
「おかわりは?」
「いらない」
「ん」
慧の分のグラスも流しに置いた安達は、普段の習慣からリビングの電気のスイッチに手を掛けるも、そこで動きを止めた。
「部屋戻るか?」
「……んー」
普段ならば、こういう場面の慧があっさりと頷いて戻る事を安達は知っている。
だからこそ、彼が言い淀んだ事で何かを悟った安達はスイッチから静かに手を離した。
慧は考える素振りをしたまますぐに返事をしない。
彼の中で言いたい事は確かにあるものの、それを口にする事を躊躇してしまっていたのだ。
それに気付いているからこそ、安達は返答を急かすこともなく静かに待っていた。
「あの、さ」
「ん?」
「ちょっと、眠くなくなっちゃったなー……なんて」
相手の様子を窺うような、自信がなさそうな。
そんな小さな声で慧は言う。
はっきりとした言葉で自分の意思を伝える事が出来ないのは、彼なりの虚勢だった。
慧は安達から拒絶される事を恐れていた。
安達は彼の言葉を聞き、静かに目を伏せてから苦笑する。
「奇遇だな。俺もまだ眠くない」
「義一……」
「テレビでも見るか」
「う、ん」
安達は慧の手を取るとリビングのソファまで導く。
並んでソファに座り、安達は適当に録画していた動物番組をテレビで流し始める。
安達は番組の出演者や動物の様子を口に出し、慧もそれに耳を傾けながら時折笑顔を見せていた。
しかし三十分ほどが経過した頃。
慧の反応が鈍くなり、何度か船を漕いでは意識を取り戻すような様子が見られるようになる。
それに気付いた安達は彼が安らかに寝付けるように口を閉ざし、静かに見守った。
「……義一?」
「ん?」
「ううん」
眠気に負けそうな、覇気のない声が安達を呼ぶ。
それに彼が答えるも、慧は何でもないと答える。
しかしそれから数分後。
「よしかず」
「なぁんだよ」
「ん、なんでもない」
「何だそれ」
くすくすと笑う声が二つ、テレビの音に紛れる。
安達は気付いていないふりをしていたが、慧が何度も自分の名ばかり繰り返す理由には気付いていた。
「よし……」
「いるよ」
何度か似たようなやり取りが繰り返された末。
普段のぶっきらぼうな物言いとは打って変わった、柔らかな声が返された。
「ずっといる」
安達は慧の肩を引き寄せ、彼が自分に凭れ掛かるよう促す。
「だから、変な心配すんな」
「……うん」
慧の口が緩やかな弧を描く。
緊張の伴わない、穏やかな微笑だった。
「……ごめん。ありがと」
そう呟いてから一分と経たない内に、規則正しい呼吸が慧の口から漏れ出す。
慧が眠りについたのを確認してから、安達はソファから立ち上がり、慧を寝かしてやった。
「謝んじゃねー、ばーか」
傍にあったブランケットを掛けてやる最中、安達の目は慧の寝顔を捉える。
「お前が気にする事なんてない。全部、俺のせいだよ」
テレビから聞こえる明るい笑い声とは相反した、低く昏い声が安達の口から漏れる。
彼の瞳は深い後悔と怒りで揺らいでいた。
「だからお前は好きに生きて良いし、どんな想いだって俺にぶつけて良いんだ。慧」
彼が慧の目元に掛かった前髪を分けてやれば、日中は帯に隠されている部分が露わになる。
それを目に焼き付け、顔を険しく歪ませてから、安達は深く息を吐き出すのだった。




