第22話 もう一度
「いいか、慧。よく聞けよ」
安達は触手の攻撃を躱しながら怪異まで距離を詰めると、声を張り上げる。
「お前を連れ戻すまで、俺は絶対に諦めない。どれだけだって戦ってやる」
牽制の為、自分へ迫る触手を安達は刀で振り下ろす。
更に怪異の本体目掛けて刀を振るうが、その切っ先は回避行動を取った敵の表面をなぞっただけ。
「今お前が抱えてる傷は俺のせいだし、これから先お前が新しく背負う傷があれば、それも全部俺のせいだ」
すぐに消える敵の傷には目もくれず、安達は追撃を試みる。
「俺の事は信じられなくてもいい。恨んでたっていい。ただもう一度だけ、傷つく勇気を預けてくれないか」
視界の端、自身へ迫る新たな触手の存在に気付きながらも安達は前へ踏み込み、刀を大きく振り下ろした。
安達の攻撃は今度こそ、怪異の体を深く斬り付けた。
「今度こそ絶対に応えてみせる。だから、慧」
斬り開かれた怪異の体を睨みつけながら、安達は声を張り上げる。
「――手を伸ばせ!!」
***
安達の声は確かに慧の耳に届いていた。
日頃、自分についてあまり語ろうとしない彼が再会した自分に対してどんな気持ちを抱いていたのか。その片鱗を、慧は初めて目の当たりにしたような気がした。
恐怖は、まだ慧の心を支配している。
過去のトラウマと、望みが届かない絶望が判断を鈍らせようとする。
(……僕は、単純な人間なのかもしれないな)
しかし恐れよりも大きな感情が、慧の中に生まれつつあった。
傷つく事は怖い。
けれど安達自身が明かしてこなかった本心に触れ、自分への想いを知る中で、慧の胸に確かな温もりが広がっていく。
(そうだった)
安堵と喜び。
それを感じる中で彼は、かつて安達の存在を求め続けた自分が抱いていた望みの本質を思い出しつつあった。
(僕は傷つきたくなかったんじゃなくって、救われたかったんだ)
傷つきたくないから助けを求めた訳ではない。
ただ、自分を大切だと想ってくれる人を望んでいただけだった。
自分の身を案じ、危険から救ってくれる。
一族の都合の良い道具ではなく、一人の人間として尊重してくれる――それだけの価値がある存在なのだと示してくれる『誰か』が一人でもいて欲しかった。
そしてその『誰か』の立場を、かつての慧は安達に求めていた。
期待したい。信じたい。
そんな渇望が慧の中に芽生える。
手を伸ばしたら、それを掴んでくれる。
そんな未来が本当に待っているのなら、見てみたい。
かつて抱いていた願望が再び慧の心を突き動かす。
(たとえまた同じように傷つくとしても……もう一度だけ――)
再会後の安達が、表向きぶっきらぼうながらに慧に寄り添ってくれていた事も大きかったのだろう。
かつての思い出に加え、彼と重ねてきた新しい時間が慧に新たな期待を抱かせる要因となった。
「――手を伸ばせ!!」
安達の声が聞こえる。
それに背中を押されるようにして、慧は手を真っ直ぐ先へと伸ばす。
指先はまだ震えていたが、躊躇はしなかった。
ただ目一杯に、出来得る限り前方へと腕を突き出す。
「っ、義一……」
同時に、口が自然と動いた。
指先と同様に震える声を、慧は無理矢理喉奥から絞り出す。
「た、たすけ――」
しかし彼の言葉が言い終わるよりも先。
空へ伸ばされた手が強く掴まれる。
「……っ!」
掴まれるや否や、腕が力強く引き上げられる。
全身に纏っていた不快な感触が慧から離れていく。
「――よくやった」
慧の耳元で安達が囁き、頭を優しく撫でる。
その感触と、繋いでいる手から感じる絶対に離さないという力強い意志が、慧の張り詰めていた気持ちをゆっくりと解していった。
気を抜けば震える呼吸から嗚咽が漏れそうで、慧はそれを誤魔化すように唇を噛み締めた。
安達は怪異の外へ伸ばされた慧の腕を引き上げ、抱き留めるとすぐさま大きく後退する。
迫っていた触手を器用に掻い潜ってから、安達は慧をアスファルトの上に丁寧に下ろした。
「慧、体は……」
「平気だよ。義一、刀」
外出時に慧の目元を隠していた帯は怪異に呑まれた拍子に取れてしまっていた。
彼の目元には痛々しい火傷と、瞼が癒着してしまった痕が露わとなっている。
慧は帯がない違和感に気付いて目元に数度触れた後、右手を安達へ差し出して刀を要求した。
安達は一瞬、握っていた刀を渡す事を躊躇する。
危険な目に遭ったばかりの慧に、今すぐ前線に立てと命じるのはあまりに酷だと感じたのだ。
しかしそんな彼の考えに気付いたのか、慧は手を出したまま安達へと距離を詰める。
そして挑発するように不敵な笑みを浮かべた。
「……助けてくれるんでしょ?」
病室で交わした約束。
慧の口からそれを聞いた安達は息を呑み、彼の顔を見つめる。
「ああ」
安達はやがて、観念したように苦笑し、慧に刀を握らせた。
慧は満足そうに頷いてから怪異へと向き直り、刀を構える。
「終わったらパフェだからね」
「……ああ。二個でも三個でも頼めばいい」
「やったぁ」
無邪気に笑う慧の前へ怪異の触手が迫る。
それを無駄のない動きで両断した慧は怪異の本体へと距離を詰めるべく、地面を蹴り上げる。
「義一」
安達の傍から離れる直前。
「――ありがと」
慧は微笑み混じりの言葉をその場に残した。
安達は驚き、目を見開いた後。
「……全く」
既に駆け出してしまった慧の背中を見送りながら鼻で笑うのだった。




