第12話 罪
「よし兄」
離婚後に母親に引き取られる事が決まり、最後の参加になる親戚の集まりの日の事だった。
大きな日本家屋の大広間、その片隅に腰を下ろして息を潜めていた安達の傍にどこか遠慮がちな様子で慧がやって来た。
安達は自分が避けるようになってからも彼が何とか接点を持とうとして来ている事に気付いていた。
まだ幼い事もあり、慧は相手の心境の変化など気付きもしていないのだろう。
そのように安達は考えていたのだが、この時の恐る恐るといった様子から鑑みるに、彼は幼いながらに何かを悟っていたのかもしれないという考えが初めて過った。
「あの、ね」
幼さに不釣り合いな、ぎごちない、相手の顔色を窺うような笑顔を慧は浮かべる。
安達の、親戚への嫌悪は未だ強い。
しかしこの時は、自分よりずっと小さな子供を傷付けているかもしれないという罪悪が勝った。
「何だよ」
だから久しぶりに、安達は慧の声掛けに反応を示した。
幼い顔に安堵の色が宿る。
「つぎ、いつあえる?」
安達は息を呑んだ。
慧は両親の離婚の事をまだ知らないようだった。
「あのね、ちょっとまえから、みんなが少しこわいなって思うことがあって……。でも、よし兄はそんなことないから……。だからね、ぼくはよし兄といっしょにいたいなって」
甘えるような上目の視線と、どこかたどたどしい言葉遣いで自分の顔色を窺う慧を「二度と会えない」と冷たく突っぱねる事が当時の安達には憚られてしまった。
どうせ関わるのが最後ならば、幼い子供を泣かせた罪悪感のまま別れるのではなく、綺麗な形で別れた方があと腐れもないだろうと。
そんな考えが彼の中には生まれる。
かつて慧と接していた時の、兄貴分として格好をつけたいという想いを思い出したのもあったのだろう。
「すぐ会えるだろ」
だから安達は、無責任にそんな言葉を返した。
「ほんと?」
「これまでだってそうだったろ」
「うん」
何も知らない慧が、素直に頷きを返す。
嘘を吐いた罪悪感から逃れる為に、安達は慧の頭を撫で、優しく接した。
「じゃあ、ぼくがこわい時、いっしょにいてくれる?」
「いるって。前だって寝れないって助けを求めて来た時は一緒にいただろ」
「っ、うん! じゃあ、よし兄」
自分の頭に置かれた手を、慧が握る。
子供らしい無邪気な笑顔が安達に向けられていた。
「ぼくがたすけてっていったら、いっしょにいてね」
「……ん。わかった」
この時の慧の言葉と想いを、安達は軽く見ていた。
そして自らの心の保身だけを考えていた。
それに何も思わなかったわけではないけれど、胸の奥で燻ぶる不快な感情に彼は気付かないふりをしたのだ。
「お前が助けて欲しい時は、俺が助けてやるよ」
守れない事がわかり切っていた、浅はかに交わした約束。
それを信じ切った慧は疑う様子もなく小指を立てる。
「うん、やくそくだよ」
「ああ」
その小さな小指に、安達は自分の小指を絡めた。
「約束だ」
――この日の己の選択を、深く悔やむ事になる事とも知らずに。
***
離婚後。安達は古いアパートで母と暮らしていた。
母は離婚が成立する前から少しずつおかしくなっていた。
親戚からの重圧や父との対立などに耐え切れなかった彼女は精神を病んでおり、離婚後も自傷行為や夜な夜な気が触れたように叫ぶことがあった。
半ば無理矢理、彼女を病院へ連れて行った事で正式に診断を受ける事となったが、状況は思うようには好転しなかった。
母は息子である安達に強い執着をするようになり、初めは彼女を気に掛けていた安達も、徐々に母親から心が離れていった。
同級生が家庭環境に悩まされる事無く部活に打ち込んだり、放課後に遊びに行く話を聞くうちに、自身を取り巻く不自由な環境に不満が高まっていったのだ。
母を壊した父方の親戚への憎悪が膨らむ一方で、そんな父を一度は選んだ母に対しても徐々に心が動かなくなっていく。
そんな自分の変化に気付いた安達は、母親の執着から逃れる為、そして何より母をこれ以上愛せなくなる事がないようにと、親元を離れる決意をした。
その選択として選んだ進路が警察官になる事だった。
進学が出来るような状況ではなかったが、ただ就職するだけでは母親から離れる理由としては薄い。
警察官になれば、警察学校も独身警察官も寮で生活することが出来る。
また当時、ニュースで取り上げられていた小さなカルト集団による犯罪の話が、父方の親戚達を彷彿とさせた事、似たような集団が野放しにされている事へ憤りを覚えた事もあったのだろう。
それらの総合的な理由から、安達は高校卒業と同時に警察官となる事を選んだのだった。
***
祖父母に母を預け、警察官となってから三年と少しが経った頃。
都内の交番に勤務していた安達を一人の私服刑事が訪ねてきた。
彼女は少しだけ安達を借りたいという旨を上司に掛け合い、二人きりになる機会を設ける。
「君が、安達義一クン? 突然ごめんねぇ。君に聞きたい事があってさぁ」
安達が彼女に抱いた第一印象は『警察らしくない』、というものだった。
のんびりとした口調で安達の名を呼んだ彼女は、どこかうさん臭い笑顔を残したまま、妖しく目を細めて問いかける。
「――神楽坂家について」
その言葉を聞いた途端。
警察になってから薄れていた激しい怒りと嫌悪が胸の奥底から湧き立つのを安達は感じた。
「……教えてくれないかにゃあ?」
そんな安達の心情を知ってか知らずか、彼と向かい合っている女性刑事は回答を促す。
これが安達義一と早乙女真綾の――そして特怪との出会いだった。




