親父の家に、人間の看板が立つ
翌朝。
本家の門前に、知らない板が立っていた。
いや、板はいつも立っている。
ニコの板。
まめじいの板。
受付小屋の板。
昨日増えた板。
武器はここに置け。
暗殺もだめ。
鍋に毒、だめ。
変なものは受付へ。
飯、食べる?
そういう板なら、牧人ももう慣れた。
慣れたくはなかったが、慣れてしまった。
だが、今朝立っていたのは、それとは違った。
木枠がある。
白い下地がある。
黒い大きな文字が並んでいる。
妙にきちんとしている。
いかにも人間社会が作った看板だった。
牧人は、門前で立ち止まった。
「何だ、これ」
まめじいが嬉しそうに答えた。
「外向け案内看板でございます」
「外向け」
「はい」
牧人は看板を読んだ。
冥門組本家
登録受付
迷子・怪我人・避難者はこちら
封環層入口、勝手に入るな
武器を抜くな
鍋を倒すな
親父に全部聞くな
最後の一行で、牧人は止まった。
「誰だ、これ入れたの」
全員が少しだけ黙った。
ヒナが梁の上で笑いをこらえていた。
ザガは目を逸らした。
ベロは鍋を見ていた。
ミズハは水桶を拭いていた。
イトは梁の上で糸を巻いていた。
ナナは戸の前で無表情だった。
ニコは板を抱えていた。
牧人はニコを見た。
「ニコか」
ニコは頷いた。
「大事」
牧人は看板をもう一度見た。
親父に全部聞くな。
「まあ、大事かもしれないけどな」
ヒナが限界だった。
「やだ、親父が納得しかけてる!」
ザガが言った。
「実際、大事だ。何でも親分に聞くから、話がでかくなる」
牧人は眉を寄せた。
「俺が答えなきゃいいのか」
ミズハが笑った。
「親父は、聞かれたら答えちゃうでしょう」
ベロが鍋の前から言った。
「飯のこと以外は、まめじいに聞け」
まめじいも頷いた。
「外の制度に関わる話は、わたくしが控えて、必要なら久慈野殿へ回します」
牧人は少し安心した。
「飯なら俺でもいいのか」
ベロは真顔で言った。
「飯は俺に聞け」
ヒナが梁を叩いて笑った。
「やだ、親父の担当が消えた!」
まめじいが帳面を閉じて言った。
「親父殿には、最後の判断だけお願いすればよろしいかと」
「最後の判断って何だ」
「皆が迷った時でございます」
牧人は看板を見た。
「つまり、普段は俺に聞かない」
ニコが板を出した。
親父、温存
「温存ってなんだ?」
ニコが板を裏返した。
親父、保存
牧人は目を閉じた。
「俺は野菜か」
ザガが低く笑った。
「親分を保存するな」
---
看板を立てたのは、イシコだった。
正確には、人間側が持ってきた木枠を、イシコが石の基礎に固定した。
固定しすぎていた。
牧人は看板の足元を見た。
石の台座がある。
厚い。
重い。
どう見ても、ちょっとやそっとでは倒れない。
「イシコ」
「ん」
「看板だよな」
「看板」
「これ、台座が強すぎないか」
イシコは首を横に振った。
「倒れたら、危ない」
「まあ、それはそうだけど」
「強い看板」
ヒナが笑った。
「受付小屋の次は強い看板!」
ザガが台座を軽く蹴った。
びくともしなかった。
「本当に強えな」
イシコは少し誇らしげだった。
「風、勝てない」
ミズハが水桶の横で笑った。
「風どころか、馬車でも勝てなさそうね」
牧人は頭を抱えた。
「看板にそこまで強さを求めるな」
イトが梁の上から短く言った。
「字、見える」
「人、止まる」
牧人は顔を上げた。
「そんなに効果あるのか」
イトは頷いた。
「足、迷わない」
ヒナが言った。
「イト判定だと、有効!」
牧人は、だんだん分からなくなってきた。
---
最初に来たのは、人間の避難者だった。
母親らしい女と、十歳くらいの男の子。
女は門前で迷い、看板を読んだ。
冥門組本家。
登録受付。
迷子・怪我人・避難者はこちら。
女は、受付小屋へ向かった。
まめじいが帳面を開く。
「お名前を」
女は少し怯えながら名乗った。
まめじいはいつも通り書く。
「ご用件は」
「この子が、足を痛めていて」
「それと、少し休める場所があれば」
ネムが右奥から顔を出した。
「寝床、こっち」
声は眠そうだった。
だが、女には十分だった。
「行っても、いいんですか」
ネムは頷いた。
「こっち」
「静か」
ナナが戸の前で立ち位置を変えた。
「武器、ない?」
女は慌てて首を振る。
「ありません」
ぷるが、ぷるんと足元へ来る。
靴底の灰を吸った。
子どもが少しだけ笑った。
「ぷるぷる」
ぷるん。
ぷるは少し誇らしげだった。
ヒナが梁の上から言った。
「そのまま右奥ね」
「走らない」
「大きい声出さない」
「ネムの言うこと聞く」
女は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます」
牧人が言った。
「大丈夫か」
女が振り返る。
牧人は言った。
「飯もあるから、あとで食っていけ」
女の目が少しだけ揺れた。
「ありがとうございます」
ベロが鍋の前で頷いた。
「飯は大事だ」
---
次に来たのは、小型の魔物だった。
丸い毛玉のような魔物が三匹。
言葉は喋れない。
だが、看板の前で止まり、じっと見上げている。
ヒナが梁から降りた。
「読める?」
毛玉たちは、ぷるぷる震えた。
ヒナは看板を指差す。
「迷子?」
毛玉が一匹、跳ねた。
「怪我?」
もう一匹が、少し傾いた。
「飯?」
三匹全部が跳ねた。
ヒナは笑った。
「やだ、飯は全員!」
ベロが鍋の前から言った。
「順番だ」
毛玉たちは、板を見て、素直に並んだ。
ザガが腕を組んだ。
「看板よりニコの板の方が効いてねえか」
まめじいが頷いた。
「外向け看板は入口。ニコ殿の板は現場案内でございますな」
牧人は言った。
「言い方が本格的になってきたな」
まめじいは胸を張った。
「本家側現場台帳の係でございますので」
ニコがすぐに板を出した。
まめじい、公式
まめじいは、少し嬉しそうだった。
牧人は止めなかった。
止めても増えるだけだと、少し分かってきた。
---
昼前には、列ができた。
避難者。
怪我人。
迷子の小型種。
物資運び。
飯だけの者。
迷宮庁からの伝達役。
都市側の確認担当。
人間もいる。魔物もいる。どちらでもないようなものもいる。
みんな、まず看板を見る。
それから受付小屋へ行く。
武器を持つ者は、武器置き場へ行く。
飯だけの者は、ベロの鍋の方へ並ぶ。
怪我人は、ネムとミズハの方へ回される。
灰粉がついた者は、ぷるに止められる。
奥へ行こうとした者は、ナナに止められる。
イトは梁の上で足を見ている。
ヒナは空から案内している。
「飯だけは左!」
「怪我人は右奥の手前!」
「武器持ちは受付前!」
「クロを見て固まらない!」
「イトを見上げ続けない!」
「豪志に道を聞かない!」
豪志が受付横で叫んだ。
「最後、ひどくないですか!」
ナナが短く言った。
「迷う」
「俺が!?」
ニコが板を出した。
豪志、案内しない
豪志は胸を押さえた。
「看板化が早い!」
ヒナが笑った。
「やだ、豪志の行動がすぐ現場ルールになる!」
その時、豪志は紙袋を持っていた。
昨日置いていった、きょうのおかずの追加号だった。
表紙には、大きくキャベツが載っている。
豪志が小声で言った。
「ちなみに、今日のおかずはキャベツ特集です」
ベロが鍋から顔を上げた。
「中身はまともか」
「表紙はまともです」
「中身を聞いてる」
豪志は少し目を逸らした。
「鷹宮さんの続報が、端に少し」
ザガが低く言った。
「またか」
豪志は記事を開いた。
「今回は記事というより、読者投稿です」
「“鷹宮隼人に捧げる、疑惑のキャベツ炒め”」
ヒナが梁の上で吹き出した。
「やだ、捧げるというより追撃!」
ミズハが笑った。
「人間社会って、本当に忙しいわね」
ベロは真顔で言った。
「キャベツは悪くない」
牧人は言った。
「そこか」
豪志はさらに読み上げようとした。
ナナが短く言った。
「案内、止まる」
豪志は口を閉じた。
三秒後、また開いた。
「でも、密会ナス田楽のレシピが」
ベロが言った。
「そこだけ見せろ」
ヒナは梁の上で崩れた。
---
混雑が増えると、イシコが黙って壁を直した。
受付小屋の横に、短い石壁ができる。
列が二本に分かれる。
また石が出る。
今度は足元に低い段差。
人が自然と止まる場所ができる。
牧人はそれを見ていた。
「イシコ」
「ん」
「勝手に道ができてるぞ」
「道、いる」
「まあ、いるけど」
「人、多い」
「曲がる」
ヒナが上から言った。
「やだ、列整理が石でできてる!」
イトが梁の上で頷いた。
「足、楽」
ミズハも水桶を置き直した。
「水も流しやすくなったわ」
ぷるが、ぷるんと通路の端へ移動する。
灰粉の流れが、自然にぷるの方へ寄っていく。
ぷるん。
ぷるは満足そうだった。
まめじいは帳面に書いた。
「看板設置に伴い、列動線が自然形成」
牧人は言った。
「言い方がもう施設だろ」
ザガが門前を見た。
「実際、施設だ」
牧人は言い返せなかった。
クロは門の横に伏せていた。
何もしていない。
ただ、いる。
それだけで列が整う。
強引に割り込もうとした人間が一人、クロを見て、静かに最後尾へ戻った。
クロの右が低く言った。
「見ただけだ」
ヒナが笑った。
「いるだけ整列する!」
ニコが板を出した。
若頭、列を整える
クロの右が板を睨んだ。
「書くな」
ニコは板を裏返した。
若頭、見るだけ
牧人は言った。
「それならいいのか」
クロは答えなかった。
中央が少しだけ目を閉じた。
たぶん、少しだけ気に入っていた。
---
昼を過ぎたころ、澄玲から正式な掲示文の写しが届いた。
澄玲本人は来ていない。
正式窓口になったからといって、毎日本家にいるわけではない。
今日は監察局で書類を処理している。
伝達役の若い職員が、受付小屋へ紙を出した。
まめじいが受け取る。
「都市側告知の写しでございますな」
牧人も横から覗いた。
告知には、きちんとした文字が並んでいた。
冥門組本家周辺区域における通行・避難・保護対象確認について。
市属ダンジョン監察局を正式窓口とし、現地確認は本家受付を経由すること。
封環層入口周辺への無断立ち入りを禁止する。
危険物・用途不明物は事前申告すること。
都市防衛局による直接干渉は制限される。
牧人は読み終えて、少し黙った。
「うちの看板と、だいたい同じことを書いてるのか」
まめじいは頷いた。
「はい、言葉が長いだけでございます」
ニコが板を出した。
変なものは受付へ
伝達役の職員が、それを見て小さく言った。
「分かりやすいですね」
水越の副官と同じ顔だった。
ヒナが梁の上で笑った。
「やだ、人間側がまた板に負けてる!」
伝達役は慌てて咳払いした。
「失礼しました」
ザガが低く言った。
「最近、それ言うやつ多いな」
---
外では、すぐに報じられた。
ローは、見出しを見て頭を抱えた。
「俺が抑えめに書いても、外が勝手に盛るんだよね」
国枝が横で言った。
「抑えめに書いているのですか」
ローは少し黙った。
「最近は」
国枝は見出しのひとつを指した。
冥門組本家、実質的な中継拠点化か。
ローは目を逸らした。
「現地を見ると、否定しづらい」
国枝はため息をついた。
「そこが一番困りますね」
---
その頃、本家では、牧人が看板の前に立っていた。
朝より板が増えている。
冥門組本家
登録受付
迷子・怪我人・避難者はこちら
封環層入口、勝手に入るな
武器を抜くな
鍋を倒すな
親父に全部聞くな
その下に、ニコの板。
変なものは受付へ
豪志、案内しない
クロ、見るだけ
小さいの、飯あと
飯、食べる?
さらに、豪志がこっそり貼ろうとした小さな紙。
豪志と踊ろう
ベロがそれを見つけて、剥がした。
「鍋の周りで踊るな」
豪志は少し残念そうだった。
「離れたところで踊りますから」
「どこで踊っても追い出されるぞ」
ヒナが梁の上で笑った。
「やだ、豪志のダンスは周囲に迷惑!」
牧人は看板を見上げた。
「看板、増えたな」
ザガが隣に立った。
「増えたな」
「家の前だよな」
「家の前だ」
「施設じゃないよな」
ザガは少し黙った。
「親分」
「ん」
「諦めろ」
牧人は深く息を吐いた。
ミズハが水桶を抱えて笑った。
「家でも施設でも、雨に濡れる人が減るならいいじゃない」
イトが梁の上から短く言った。
「足、迷わない」
ネムが右奥から顔を出した。
「寝床、静か」
ぷるが、ぷるんと揺れた。
ベロが鍋をかき混ぜる。
「飯、足りる」
クロの中央が低く言った。
「なら、いい」
牧人は、それぞれを見た。
そして、もう一度看板を見た。
親父に全部聞くな。
牧人は少しだけ笑った。
「これは残すか」
ヒナが目を丸くした。
「やだ、親父が認めた!」
ザガが低く笑った。
「親分が認めた時点で、もう板が一段強くなったぞ」
ニコがすぐ板を出した。
親父、認めた
牧人は言った。
「それは出すな」
---
夕方。
外向け看板の横に、小さな板がもう一枚増えた。
これは、まめじいではなく、ニコでもなく、牧人が言って、ベロが書いた。
字は少し荒かった。
飯は、並べば出る
ヒナがそれを見て、笑った。
「親父の公式発言!」
水越の正式文書より短い。
澄玲の告知より雑。
ニコの板より少しだけ人間らしい。
でも、本家の門前には合っていた。
飯は、並べば出る。
その下で、毛玉の魔物が三匹、きちんと並んでいた。
人間の子どもも、椀を持って並んでいた。
物資運びの男も、少し離れて並んでいた。
ザガが見て言った。
「これが一番効いてねえか」
牧人は言った。
「飯だからな」
ベロが鍋の前で頷いた。
「飯は大事だ」
旧帳場の奥で、灰色の線が一度だけ薄く光った。
石板に、文字が浮かぶ。
仮記録。
外向看板、設置。
受付、拡張。
飯、並べば出る。
列、整う。
誰も、その文字を読んではいなかった。
ただ、門前の列は、昨日より少しだけ静かだった。
そして少しだけ、長かった。




