本家に、映画スターがやって来た!
旧石門の番人が牧人を門主と呼んだ翌日。
本家の門前は、朝から少しだけ落ち着いていた。
通行証を見る。
名前を帳面に書く。
灰粉を落とす。
荷物を分ける。
右奥へ行く者は確認する。
昨日より、少しだけ流れができている。
牧人は受付小屋の横で、それを見ていた。
石の小屋は、今日も強そうだった。
窓は細い。
壁は厚い。
入口は一人ずつしか通れない。
牧人は、何度見ても思った。
「やっぱり、受付には見えないな」
イシコは横で胸を張った。
「受付」
「砦じゃないのか」
「受付」
ザガが腕を組んで言った。
「もう諦めろ。あれは受付って名前の砦だ」
ヒナが梁の上で笑った。
「やだ、ほぼ砦じゃん!」
ニコは板を出した。
受付
牧人は板を見た。
「いや、板で押し切るな」
ニコは少し考えて、下に書き足した。
強い受付
「もっと駄目だろ」
その時、門前の空気が少し変わった。
イトが梁の上で、脚を二本だけ動かした。
「敵じゃない。足、急いでない」
通行の列が、ざわつく。
豪志が受付小屋の前で、ぴたりと止まった。
「え」
声が震えていた。
「え、え、え」
ザガが低く言った。
「うるさくなる前に止まれ」
豪志は両手で口を押さえた。
だが、目だけはものすごく大きくなっている。
石畳の向こうから、五人が歩いてきた。
先頭に、背の高い女。
その横に、芝居がかった歩き方の男。
少し後ろに、鞄を持ったマネージャーらしき男。
さらに後ろを、黒い服の護衛が二人、距離を置いてついてくる。
本家の門前まで大勢で踏み込む気はない。けれど、完全な無防備でもない。そういう距離の取り方だった。
ひとりは、背の高い女だった。
黒いコートを着ている。
髪は後ろでまとめてあり、顔立ちは整っていた。
派手な宝飾はない。
けれど、歩くだけで人が見る。
その横に、男がいた。
長身。
整った顔。
長い指。
歩き方まで妙に芝居がかっている。
まめじいは帳面を開いた。
「お名前を」
女は軽く頭を下げた。
「朱堂レイナです」
まめじいは普通に書いた。
「ご用件は」
「右奥にいる子に、会えるかどうか、確認していただきたいんです」
まめじいは頷いた。
「では、同行者も記しておきます」
レイナは後ろを見た。
「鷹宮隼人さん」
「私のマネージャーが一名」
「鷹宮さんのマネージャーが一名」
「護衛が二名です」
まめじいは筆を止めた。
「本家へ入るのは、その六名でよろしいですかな」
レイナは首を横に振った。
「いいえ」
「右奥の確認をお願いするだけです」
「中へ入る必要があるなら、私と私のマネージャーだけで構いません」
「鷹宮さんたちは、門前で待ってください」
鷹宮が一歩前に出た。
「僕も――」
ナナが短く言った。
「待つ」
鷹宮は止まった。
「まだ何も言っていない」
「待つ」
豪志は、口を押さえたまま震えていた。
「しゅ……」
ナナが短く言った。
「静かに」
豪志は小声で叫んだ。
「朱堂レイナ……!」
ヒナが梁の上から首をかしげた。
「誰?」
豪志は信じられないものを見る顔で、ヒナを見上げた。
「知らないんですか!? 朱堂レイナですよ!?」
「都市圏映画祭で主演賞を何度も取って、災害復興映画にも出て、次の大作で主演の!」
牧人は首をかしげた。
「映画の人か」
豪志は胸を押さえた。
「親分さん、スターですよ!」
ザガが言った。
「で、隣の派手な男は誰だ」
豪志はまた震えた。
「鷹宮隼人です……!」
男は、その声を聞いたのか、軽く髪をかき上げた。
「灰環大迷宮にも、僕の名は届いていたか」
ヒナが即座に笑った。
「はじめて、聞いたんだけど!」
ザガが低く言った。
「なんか面倒そうな、やつだな」
鷹宮隼人は、少しもひるまなかった。
マネージャーが小声で補足した。
「鷹宮さんは、次回作で魔物側の役を演じる予定でして。取材も兼ねて、同行を」
ザガが低く言った。
「ついでに来たのか」
鷹宮は胸に手を当てた。
「ついでではない。役作りだ」
「魔物役って、どんな役だよ」
朱堂レイナが、そこで小さくため息をついた。
「だから、来なくていいと言ったでしょう」
鷹宮は微笑んだ。
「レイナ。君だけを、こんな灰色の場所へ行かせるわけにはいかない。暗い門には、光が必要だ」
ヒナが梁の上で崩れた。
「光って言うより、派手なだけでは」
豪志は小声で言った。
「でも、格好いい……」
ミズハが水桶の横で言った。
「そうかしら?」
「そうですよ! 俺も目指そうかな」
ザガが言った。
「やめろ! うるさい上に派手まで加わったら、たまらん」
ナナが短く言った。
「公害になる」
「公害って、ひどい!」
---
レイナは静かに答えた。
「右奥にいる子に、会えるかどうか、確認していただきたいんです。会わせてください、とは言いません。本人が嫌なら、会わずに帰ります」
牧人は、その言い方で少しだけ顔を上げた。
「知り合いか?」
レイナは頷いた。
「昔、同じ映画に出ていた子です」
「ユイカという名前です」
右奥の方で、ネムが少し動いた。
ミズハもネムを見た。
「ユイカちゃんね」
レイナは頷いた。
「災害後、行方が分からなくなっていました。都市側の施設では会えませんでした」
「事務所が、灰環大迷宮周辺の保護情報を辿って、ここに当たりをつけたんです」
「ここにいるかもしれないと聞いて、来ました」
まめじいが、少しだけ止まった。
本家の情報は、もう芸能事務所の調査線にも引っかかり始めている。
それは、良いことなのか。
悪いことなのか。
今は判断できない。
ただ、レイナの声には、急かす響きがなかった。
牧人は頷いた。
「会いたがってると伝える。でも、嫌だと言ったら会わせない」
レイナは、少しだけ目を細めた。
「はい」
その時だった。
鷹宮のマネージャーが、スマホ画面を見て、少しだけ顔をしかめる。
「失礼します」
一歩離れて電話に出た。
すぐに戻ってきたが、顔色が変わっていた。
「鷹宮さん」
鷹宮は髪をかき上げながら言った。
「どうした。次の取材なら、少し遅れると伝えてくれ」
マネージャーは低い声で言った。
「大変です。来週、不倫記事が出ます」
門前が一瞬で静かになった。
豪志も止まった。
ヒナも止まった。
ザガも黙った。
鷹宮の顔から、色が消える。
「なに! どこだ! 文春か? フライデーか?」
マネージャーは、言いにくそうに言った。
「月刊ムーです」
「……」
鷹宮が叫んだ。
「俺の不倫は、超常現象か!!」
ヒナが梁の上で聞いた。
「月刊ムーってなに?」
豪志が、なぜか真面目な顔で答えた。
「超常現象とか、古代文明とか、未確認生物とかを扱う雑誌です」
ヒナは少し考えた。
それから、門前を見回した。
クロ。
ぷる。
イト。
イシコ。
ネム。
旧石門へ続く灰色の線。
受付小屋の横で、まだ薄く光っている石脈。
「……それ、本家じゃん」
ザガが低く言った。
「否定しづらいな」
鷹宮は額を押さえた。
「俺の不倫は、ここと同じ部類か!」
ニコが板を出した。
鷹宮、超常現象
鷹宮が叫んだ。
「変なこと書くな!」
レイナは深くため息をついた。
「だから、来なくていいと言ったでしょう」
鷹宮は胸を押さえた。
「僕は今日、何をしに来たんだ……」
レイナが冷たく言った。
「勝手についてきたんでしょ」
「それを言われると、弱い」
---
騒ぎが少し落ち着くと、レイナはもう一度、牧人へ向き直った。
さっきまでの騒ぎから、きれいに距離を取るような顔だった。
「すみません。私の用件は、ユイカに会うことだけです」
牧人は右奥へ視線を向けた。
「ネム」
右奥から、ネムが顔を出した。
「ん」
「ユイカに聞いてくれるか。朱堂レイナって人が来てる。会いたくなかったら、会わなくていいって」
ネムは頷いた。
「聞く」
ぷるが、ぷるんと右奥へ向かった。
ナナも戸の前に立ったまま、誰も入れない位置を取る。
鷹宮が一歩動こうとした。
ナナが短く言った。
「止まる」
鷹宮は止まった。
「まだ何も」
「止まる」
「はい」
ヒナが梁の上で笑った。
「やだ、光が止められた!」
豪志が小声で言った。
「俺もああいう立ち方をすれば、格好よく止められるのでは」
ザガが言った。
「お前はまず黙れ」
ニコの板が、すっと出た。
豪志、光らない
「そんな、光りたい!」
まめじいは受付小屋の中で帳面をめくった。
「朱堂殿は、右奥確認待ち」
「鷹宮殿は、同行者」
「マネージャー殿も同行者」
「ただし、右奥立ち入り不可」
鷹宮が言った。
「僕の欄に、超常現象とは書かないでくれ」
まめじいは少し考えた。
「書きませぬ」
鷹宮はほっとした。
ニコが板を持っていた。
鷹宮、超常現象
鷹宮はそちらを見た。
「そっちは、そのままか」
ニコは頷いた。
「板は強い」
ザガが言った。
「それは本当に、そうなんだよな」
---
レイナは受付小屋の前で待った。
石の窓口の横。
雨よけの端。
右奥には入らない。
有名人らしい特別扱いを求めなかった。
鷹宮は一度だけ、芝居がかった姿勢で壁にもたれようとした。
イシコが短く言った。
「壁、もたれない」
鷹宮はすぐ離れた。
「すまない。壁に嫌われたくはない」
ヒナが笑った。
「やだ、壁にも気を遣う二枚目!」
しばらくして、ネムが戻ってきた。
その後ろに、小さな影があった。
ユイカだった。
細い肩。
短く切った髪。
目の下に、まだ疲れが残っている。
彼女はネムの服の端を握っていた。
ぷるが足元にいる。
ナナが少し横にいる。
誰も、ユイカの前には出なかった。
レイナは、すぐに一歩下がった。
近づかなかった。
その場で膝をついた。
「ユイカ」
ユイカの唇が、少しだけ動いた。
「……レイナさん」
豪志が息を呑んだ。
ヒナも笑わなかった。
鷹宮も、何も言わなかった。
レイナは微笑んだ。
「久しぶり、無事でよかった」
ユイカは、目を伏せた。
「探してたの」
「うん」
「連れて帰るの」
レイナは首を横に振った。
「戻れとは言わない」
ユイカが顔を上げた。
レイナは続けた。
「会いたかっただけ。無事か、見たかっただけ。ここにいたいなら、ここにいていい」
ユイカの指が、ネムの服をぎゅっと握った。
牧人は横から言った。
「嫌なら、行かなくていい」
レイナは、牧人を見た。
その目が、少しだけ変わった。
「それを、ちゃんと言ってくれる人が必要だったんです」
牧人は首をかしげた。
「そうか」
ザガが低く言った。
「親分は分かってねえな」
ヒナが小さく笑った。
「でも、そこがいいんだよ」
鷹宮が口を開きかけた。
「この再会は、まるで――」
レイナが見た。
鷹宮は口を閉じた。
ザガが少しだけ眉を上げた。
「分かる時もあるんだな」
鷹宮は小声で言った。
「今は、黙る場面だ」
ユイカはレイナを見た。
「……帰るの?」
レイナは頷いた。
「無事を確認できただけでよかった。仕事もあるし、今日は帰るね」
ユイカは少しだけ黙った。
それから、ネムの服を握ったまま、小さく言った。
「また、来る?」
レイナは頷いた。
「もちろん、会いたい時は連絡してね」
レイナの顔が、ほんの少し緩んだ。
「うん、元気な時に」
ユイカは、それ以上は言わなかった。
レイナも、近づかなかった。
「ありがとう」
それだけだった。
抱きしめたりはしなかった。
涙の再会にもならなかった。
大げさな言葉もなかった。
けれど、門前にいた者たちは、誰も茶化さなかった。
豪志でさえ、黙っていた。
ニコが板を出しかけて、やめた。
牧人は、それを見て少しだけ頷いた。
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帰り際、鷹宮はクロの前で足を止めた。
クロは門前に伏せていた。
三つの首のうち、中央だけが鷹宮を見ている。
鷹宮は、さっきまでの混乱を少しだけ整えて、深く頭を下げた。
「君の存在感は、見事だ。次の作品で、魔物の王を演じる。佇まいを、少し学ばせてほしい」
クロの右が目を開けた。
「俺を真似るな」
ヒナが梁の上で笑った。
「やだ、若頭が演技指導拒否!」
鷹宮は食い下がった。
「では、せめて立ち方だけでも」
クロの中央が言った。
「伏せていればいい」
鷹宮は一瞬、本当に伏せようとした。
ザガが止めた。
「やめろ。どんな魔物の王だよ」
イトが梁の上で、糸を少しだけ揺らした。
「変な人。でも、悪くない」
ヒナが笑った。
「そう、悪い人ではないよね」
鷹宮は梁を見上げた。
「変な人……」
ザガが言った。
「そこは否定できねえだろ」
豪志は目を輝かせていた。
「俺も、佇まいを学べば」
ナナが短く言った。
「光らない」
ニコが板を出した。
豪志、光らない
豪志は胸を押さえた。
「またですか!?」
レイナは、そのやり取りを見て、少しだけ笑った。
「ここは、もっと怖いところかと思ってましたが、にぎやかで温かいですね」
牧人は首をかしげた。
「鍋も温かいぞ」
レイナは、声を出して笑った。
「それは、名セリフです」
ザガが言った。
「いや、ただの飯の話だ」
ヒナが笑った。
「やだ、親父が主演みたい!」
牧人は困った顔になった。
「主演って何だ」
豪志が即答した。
「物語の中心です!」
全員が、少しだけ黙った。
ヒナが言った。
「豪志、たまにいいこと言うね」
豪志は胸を張った。
「はい!」
ニコが板を出した。
豪志、たまにいい
豪志は板を見た。
「たまに!」
その時だった。
鷹宮のマネージャーのスマホが、また震えた。
マネージャーが一歩離れて出る。
すぐ戻る。
さっきよりも顔色が変わっていた。
鷹宮が青ざめた。
「まさか」
マネージャーは低い声で言った。
「鷹宮さん。続報です」
「続報!?」
「来週、もう一本出ます」
鷹宮は両手を握りしめた。
「またか! どこだ! 文春か? フライデーか?」
マネージャーが言った。
「きょうのおかずです」
「おか……おかず?」
豪志が反応した。
「おかず?」
ヒナが梁の上で崩れた。
「やだ、今度は食卓方面!」
ベロが鍋の前から顔を上げた。
「気になる!」
ザガが即座に言った。
「反応するな」
鷹宮は顔を両手で覆った。
「俺の不倫は、飯の付け合わせか!!」
ニコが板を出した。
鷹宮、おかず
鷹宮が叫んだ。
「書くな!」
レイナが、ため息をついた。
「早く帰った方が、いいんじゃない」
牧人は少し困った顔で聞いた。
「きょうのおかずって、何だ」
まめじいが少し考えた。
「本家台帳には」
ミズハが即座に言った。
「記録しない方がいいわね」
ベロが鍋を見た。
「今日のおかずは、大根だ」
鷹宮は震える声で言った。
「今、その情報はいらない……」
ヒナが梁の上で、まだ笑っていた。
「やだ、鷹宮さん、最後におかずになった!」
鷹宮はマネージャーを見た。
「頼む。次は、せめて芸能誌であってくれ」
マネージャーは目を伏せた。
「努力します」
ザガが言った。
「そこ、努力でどうにかなるのか」
レイナは、もう何も言わなかった。
ただ深く、深くため息をついた。
---
その夜。
広報素材の整理から戻ったローが、受付小屋の前で固まっていた。
「映画スターが来たんですか」
ザガが言った。
「来た」
「朱堂レイナが?」
「来た」
「鷹宮隼人も?」
「来た」
「不倫記事が月刊ムーで?」
「らしいな」
「きょうのおかずでも?」
「らしいな」
ローは両手で頭を抱えた。
「僕がいない日に、情報量が多すぎる!」
ヒナが梁の上で笑った。
「やだ、ローが一番悔しそう!」
ニコが板を出した。
ロー、いない日に伸びる
ローは崩れた。
「それ、今いちばん刺さるやつです」
牧人は畑の方を見ていた。
「明日は静かだといいな」
ザガが言った。
「親分、たぶん無理だ」
旧帳場の奥で、石が小さく鳴った。
ごん。
牧人は黙った。
ヒナが笑った。
「やだ、門も同意してる」
ニコが板を出した。
明日、未定
牧人は、もう何も言わなかった。




