豪志、はじめてのお使い・後編
帰り道、豪志はさらに慎重だった。
慎重すぎて、遅かった。
一歩歩いて、道順を見る。
一歩歩いて、石箱を確認する。
一歩歩いて、干し芋を確認する。
一歩歩いて、木札を見る。
ヒナとイトは、ドルグに見送られた後、もう一度顔を見合わせて、また天井と壁に戻っていた。
「これ、もう一回こっそりやる必要ある?」
「ある」
「あるかな」
豪志は真剣だった。
「帰りが一番危険なんです。お使いは、無事に帰って初めてお使いです」
天井の影で、ヒナが口だけ動かした。
「それは正しい」
イトも、声を出さずに頷いた。
豪志は、ヒナとイトがいつの間にか、また天井と壁に戻っているのに、気づいていなかった。
その時、後ろから声がした。
「おい」
豪志は跳び上がった。
振り返ると、さっきの小型種がいた。
最初に干し芋を渡した石ころのような小型種だ。
小型種は、豪志へ小さな欠片を差し出してきた。
石の欠片。
丸くて、少し温かい。
豪志は受け取った。
「くれるんですか?」
小型種はこくりと頷いた。
それから、通路の端へ走っていった。
豪志は欠片を見た。
「これ、何でしょう」
ヒナが首をかしげる。
イトが匂いを嗅いだ。
「道」
「覚える石」
ヒナが目を丸くした。
「お礼じゃん」
豪志は、石を両手で包んだ。
「おお! 干し芋で道を得ました」
ヒナが笑った。
「魔物の恩返しだ!」
イトは短く言った。
「よかった」
豪志は少し照れた。
「俺、ちょっといいことしたかな」
上で、ヒナは頷いた。
「ちょっとね」
イトも頷いた。
「ちょっと」
豪志は胸を張った。
「最後まで、お使い頑張るぞ!」
そこからの豪志は、さらに遅くなった。
その時、道覚え石が、ほんのり温かくなった。
豪志は足を止めた。
「光った」
ヒナが天井で目を細めた。
「光ってはないかな」
イトが短く言った。
「光ってない」
豪志は道覚え石を両手で包んだ。
「これは、こっちへ行けという合図では?」
右に、細い脇道があった。
行きには通っていない道だった。
ヒナの顔が変わった。
「違う違う違う」
イトが糸を伸ばしかける。
だが、豪志はすでに一歩踏み出していた。
「道覚え石が、俺に道を教えてくれている……!」
ヒナが小声で叫んだ。
「覚える石であって、案内石じゃない!」
イトが短く言った。
「違う」
豪志は聞こえていない。
細い脇道の先には、小さな行き止まりがあった。
そこに、穴鼠が三匹いた。
三匹とも、干し芋の匂いに気づいて、同時に顔を上げた。
豪志も止まった。
穴鼠も止まった。
静かな時間が流れた。
豪志はゆっくり木札を持ち上げた。
「冥門組本家、親分の使いです」
穴鼠たちは、鼻をひくひく動かした。
豪志は青ざめた。
「字が読めない方々だ……!」
ヒナが天井の影で腹を抱えた。
「やだ、学習してる!」
イトは糸を三本伸ばした。
穴鼠が干し芋へ飛びかかる。
豪志は叫びかけた。
だが、口を押さえた。
「んんんん!」
ヒナが驚いた。
「また叫ばなかった!」
イトの糸が、一匹目の前に落ちる。
穴鼠は転がった。
二匹目は石箱へ向かった。
豪志は石箱を抱えた。
「これは畑用です!」
三匹目は、豪志の足元を抜けようとした。
その瞬間、豪志の腰についた迷子紐が、ぴん、と張った。
ナナが結んだ紐だった。
本家までは届くはずがない。
だが、紐の先には、途中でイトが結び足した細い糸がついていた。
豪志は後ろへ引かれて、尻もちをついた。
三匹目の穴鼠は空振りした。
ヒナが天井から顔を出した。
「豪志、そこ違う道!」
豪志は尻もちをついたまま、目を丸くした。
「いたんですか!?」
ヒナは固まった。
イトも固まった。
豪志はさらに目を丸くした。
「さっきドルグさんのところで会いましたね!」
ヒナが頭を抱えた。
「会いましたね。じゃないよ」
イトは短く言った。
「帰る」
糸が道覚え石に触れた。
石は、ほんのり温かいままだった。
豪志は石を見た。
「これは、道を教えたんじゃなくて」
ヒナが言った。
「そう!」
豪志は真剣な顔で頷いた。
「干し芋が危ないと教えてくれたんですね」
「違う!」
ヒナの声が通路に響いた。
穴鼠たちは、その声に驚いて隙間へ逃げていった。
イトが短く言った。
「結果、よし」
ヒナは息を吐いた。
「よくない。全然よくない」
豪志は石箱と干し芋を抱え直した。
「すみません。帰り道で、少し成長した気がします」
ヒナはじっと豪志を見た。
「どの辺が?」
豪志は胸を張った。
「字が読めない相手に札は効かないと、完全に理解しました」
イトが頷いた。
「そこは、成長」
ヒナは少し笑った。
「まあ、そこはね」
豪志は道覚え石を大事にしまった。
「あと、道覚え石は、道を教えてくれる石ではない」
ヒナが頷いた。
「そう」
豪志は続けた。
「でも、干し芋が危ない時は温かくなる」
「違うって!」
ヒナの声が、また通路に響いた。
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本家に近づくにつれて、豪志の歩幅は少しだけ大きくなった。
声も戻ってきた。
「もう少しです。もう少しで帰還です」
ヒナが上から口だけ動かす。
「最後で走らないでね」
イトが頷く。
「転ぶ」
豪志は門前へ続く角を見つけた。
その瞬間、顔が明るくなった。
「見えた!」
声が響いた。
本家の門前で、ザガが顔を上げた。
ナナも戸の前で目を動かした。
ベロは鍋の蓋を閉じた。
牧人は畑の端に立っていた。
明らかに、待っていた。
豪志が門前に入った瞬間、全員がこっちを見た。
豪志は木札を掲げた。
「冥門組本家、親分の使い、梶間豪志! ただいま戻りました!」
ザガが眉を寄せた。
「いきなり、うるせえな」
豪志は慌てて石箱も掲げた。
「あと、これです!」
ヒナとイトは、何食わぬ顔で別方向から戻った。
ザガが二人を見た。
「楽しかったか」
ヒナは目を逸らした。
「別に」
イトは短く言った。
「見た」
「だろうな」
牧人が豪志へ近づいた。
「ご苦労様。届けたか」
豪志は胸を張った。
「届けました!」
「ドルグは元気か」
「元気でした!」
「何か言ってたか」
豪志は背筋を伸ばした。
「ドルグさんからの伝言です!」
牧人が頷いた。
「おう」
豪志は指を折りながら言った。
「一つ。最近顔を出せていないのは、こちらも同じ」
「二つ。本家が忙しいのは聞いている」
「三つ。中層側で変な臭いが出たら知らせる」
「四つ。親分は、ひとりで来るな」
ザガが頷いた。
「そこは正しい」
豪志は胸を張った。
「五つ」
ザガが言った。
「まだ、あるのか」
ヒナが梁の上で身を乗り出した。
「やだ、増やすなって言われてたのに!」
豪志は慌てた。
「違います! これは伝言ではなく、俺の所感です!」
ベロが鍋の前から言った。
「所感ってなんだ」
豪志は指を立てたまま言った。
「五つ。豪志は、ちゃんと使命を果たしました!」
ナナが短く言った。
「それは事実」
豪志の顔が輝いた。
「ナナさん!」
ザガが額を押さえた。
「認めるな。調子に乗る」
イトが短く言った。
「使命」
「果たした」
ヒナが笑った。
「だいぶ、ギリギリだったけどね」
牧人は少し困った顔をした。
「一人で来るなって、ドルグも言うのか」
ザガが即答した。
「言うだろ」
ナナも言った。
「言う」
ベロも言った。
「言う」
ヒナが笑った。
「当然、ドルグも親父外出禁止派だよ」
豪志はさらに言った。
「あと、大根は強いそうです」
牧人は満足そうに頷いた。
「そうだろ」
ザガが頭を抱えた。
「そこ拾うな」
豪志は石箱を差し出した。
「中層の土石です。畑の土に少し混ぜると、根が締まるそうです」
牧人の目が変わった。
「畑用か」
「はい!」
牧人は石箱を受け取った。
「ありがたいな」
まめじいが横から覗いた。
「これは良いものですな」
ベロが鍋の前から首を伸ばした。
「鍋にも使えるか」
まめじいは少し考えた。
「少しなら」
ベロの目も変わった。
「少し」
ザガが嫌な顔をした。
「畑と鍋が同時に食いついた」
ヒナが梁の上で腹を抱えた。
「やだ、土石が本家の重要物資に!」
豪志は、もう一つ、小さな石欠片を出した。
「それと、途中で会った小さい子からもらいました」
イトが短く言った。
「道、覚える石」
まめじいの顔が変わった。
「道覚え石ですか」
豪志は驚いた。
「すごいやつですか?」
「迷いやすい者が持つと、帰り道を少し覚えやすくなります」
門前が静かになった。
全員が豪志を見た。
豪志は石を見た。
「……俺用?」
ナナが短く言った。
「豪志用」
ヒナが笑い崩れた。
「やだ、ダンジョンから迷子対策もらってる!」
ザガが肩を震わせた。
「よかったな、豪志」
豪志は胸を押さえた。
「俺、迷宮に心配されてる……!」
牧人は真面目に頷いた。
「いいことだな」
「いいことですか!?」
「帰ってこられるだろ」
豪志は少し考えた。
「いいことです!」
ベロが鍋の蓋を開けた。
「じゃあ、帰還祝いに飯だな」
豪志の顔が輝いた。
「やった!」
ナナが言った。
「静かに食べる」
「はい!」
豪志は椀を受け取った。
その顔は、少しだけ誇らしげだった。
ヒナが梁の上から言った。
「豪志、はじめてのお使い成功だね」
イトも短く言った。
「成功」
ミズハが静かに言った。
「これで、一人前かしら」
豪志は椀を持ったまま、胸を張った。
「ありがとうございます! 途中で石に挨拶して、本家の札を見せて、小さい子に干し芋を渡して、札が効かない穴鼠に襲われかけて、大根を守って、ドルグさんに会って、土石をもらって、迷子対策石まで手に入れました!」
ザガが言った。
「情報量が多い」
ミズハが笑った。
「それ、一日で全部やったの?」
イトが短く言った。
「濃い」
牧人は豪志を見て、少し笑った。
「助かった」
豪志は、そこで少しだけ黙った。
それから、椀を持ったまま、深く頭を下げた。
「また行きます」
ナナが即答した。
「一人では駄目」
豪志は胸を張って言った。
「ドルグさんのとこまで、一人でも行けましたよ」
ヒナが言った。
「私たちが、ずっと一緒だったでしょ」
豪志は目を丸くした。
「えっ、帰り道のちょっとだけですよね!?」
ヒナとイトは同時に固まった。
「じゃあ、ドルグのとこに、なんで私たちがいると思ったの」
豪志は少し考えた。
「……ホントだ!なんでいたんですか!」
ザガが顔を手で覆った。
ヒナが笑い崩れた。
「やだ、今さら!」
豪志は口を開けた。
「えっ、行きもですか!」
イトが短く言った。
「見た」
豪志は椀を持ったまま固まった。
「俺、ずっと見守られてたんですか?」
ナナが言った。
「そう」
ミズハが言った。
「よかったわね」
豪志は目を潤ませた。
「俺、本家にすごく心配されてる……!」
ザガが言った。
「そこは誇るな」
牧人は少し笑った。
「無事に帰ってきたから、いいだろ」
豪志は大きく頷いた。
「はい!」
門前に、久しぶりに大きな笑い声が戻った。
その笑い声を聞きながら、牧人は土石を大事そうに見た。
「明日、畑に少し混ぜるか」
全員が同時に言った。
「一人で行くな」
牧人は困った顔をした。
「畑なんだけどな」
ヒナが笑いながら言った。
「親父は、相変わらずだ」
本家の空気は、ようやく少しほぐれていた。
中層の方では、ドルグが大根を一本、静かに見ていた。
「強い大根だ」
そう言って、低く笑った。




