豪志、はじめてのお使い・前編
朝、本家の畑で、大根が抜けた。
大根だった。
ただし、普通の大根より少しだけ太く、少しだけ白く、少しだけ堂々としていた。
牧人は泥を払って、満足そうに頷いた。
「いい大根だな」
ベロが鍋の前から見た。
「うん、いい」
ヒナが梁の上から身を乗り出した。
「やだ、白くて強そう!」
ザガは腕を組んでいた。
「大根に強そうとかあるか」
「あるだろ」
牧人は真面目に言った。
「これは、かなり強い」
ザガは返事をやめた。
ぷるが畑の端の泥を吸い、根についた灰粉だけをきれいに取った。
ぷるん。
ネムがしゃがんで見た。
「大根、元気」
「元気か」
「元気」
牧人はますます満足そうに頷いた。
その横で、まめじいが帳面をめくっていた。
「親父殿。収穫分でございますが、鍋用、右奥用、保存用、外部取引用に分けましょう」
「そうだな」
牧人は、大根をもう一本抜いた。
「あと、ドルグに持っていくか」
ザガが即座に振り返った。
「は?」
「ドルグに持っていく」
牧人は大根を抱えた。
「最近、会ってないだろ。おすそ分けしよう」
ヒナが梁の上で口を押さえた。
「えっ」
ナナが戸の前から短く言った。
「駄目」
イシコも言った。
「駄目」
ミズハが水桶を持ったまま笑った。
「それは駄目ね」
ザガが額を押さえた。
「親分。最近、狙われたばかりだろ」
「そうだけど」
「中層へ行くって、なんだよ!」
「大根を渡すだけだぞ」
「その“大根を渡すだけ”で、狙われたらどうすんだ!」
牧人は少し考えた。
「もう、大丈夫だろ」
「そんなわけねえ!」
ニコが板を持ってきた。
親分、中層へ行かない
牧人は板を見た。
「ちょっと、大根を持っていくだけだぞ」
ニコは、下に書き足した。
大根も、行かない
牧人は眉を寄せた。
「大根は行っていいだろ」
ザガが頷いた。
「大根だけならな」
ヒナが梁の上で笑い始めた。
「やだ、親父の外出禁止から大根の通行許可へ!」
ベロが腕を組んだ。
「じゃあ、誰が持っていくんだ」
雨よけの端で、豪志が勢いよく手を上げた。
「俺が行きます!」
全員が、豪志を見た。
豪志は胸を張った。
「親分さんの代わりに、この豪志が! 中層のドルグさんへ! 立派な大根を! お届けします!」
ナナが即座に言った。
「駄目」
「早い!」
ザガも言った。
「駄目だ」
「そっちからも!」
ベロも言った。
「駄目」
「鍋方向からも!」
イシコが短く言った。
「迷う」
「迷う前提!?」
ヒナが腹を抱えた。
「やだ、豪志の信用が死んでる!」
豪志は胸を押さえた。
「俺、そんなに駄目ですか!?」
ネムが右奥から顔を出した。
「うるさい」
「でも、歩ける」
豪志はぱっと顔を上げた。
「ネムちゃんが可能性を見てくれた!」
「うるさい」
「はい!」
牧人は豪志を見た。
「行けるか?」
ザガが叫んだ。
「親分!」
牧人は首をかしげた。
「道は分かるだろ」
豪志は力強く頷いた。
「はい! たぶん!」
「たぶんで行くな!」
ザガが怒鳴った。
まめじいが静かに言った。
「とはいえ、親父殿を行かせるよりは、まだよろしいかと」
ザガは黙った。
ナナも黙った。
ベロも、鍋の蓋を持ったまま黙った。
豪志は三人を見た。
「えっ、反論が止まったんですけど。俺、親分さんよりは安全判定ですか?」
ヒナが梁の上で言った。
「やだ、最低ラインで勝ってる!」
「最低ライン!」
牧人は大根を三本選んだ。
「じゃあ、豪志。これをドルグに届けてくれ」
「はい!」
「それと、これ」
牧人は小さな包みも渡した。
中には干した芋と、畑で採れた葉物が少し入っていた。
「最近忙しくて挨拶に行けなくて悪かった、って伝えてくれ」
豪志は真剣な顔になった。
「分かりました」
「あと、元気かって」
「はい」
「あと、あんまり無理するなって」
「はい」
「あと、中層で変な臭いがしたら教えてくれって」
「はい」
ザガが言った。
「親分、伝言が長え」
豪志は慌てて指を折り始めた。
「最近忙しくて挨拶に行けなくて悪かった、元気か、無理するな、変な臭いがしたら教えてくれ、大根は強い……」
「最後のは言ってねえ」
牧人は言った。
「でも言ってもいいぞ」
「言うな!」
ザガが止めた。
ニコが板を出した。
豪志、はじめてのお使い
豪志の顔が明るくなった。
「いいですね!」
ナナが言った。
「はしゃぐな」
ヒナが梁の上で笑った。
「やだ、子供みたい」
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出発の準備は、妙に大がかりになった。
大根三本。
干し芋。
葉物。
短い手紙。
そして、まめじいが書いた道順。
まめじいが渡した道順には、外れ道を使うな、旧保全路には入るな、中層へ続く正規の細道だけを通れ、と書かれていた。
その下に、三行だけ、わざわざ別の墨で書き足してある。
途中で誰かに話しかけられても、立ち止まらない。
知らない小道に入らない。
石が笑っても、答えない。
豪志は道順を見た。
「石が笑うんですか?」
まめじいは静かに答えた。
「たまに」
「怖い!」
ザガが言った。
「答えんなよ」
「答えたらどうなります?」
「たぶん迷う」
豪志は真剣に頷いた。
「石が笑っても、無視します」
ヒナが梁の上で言った。
「やだ、人生であまり聞かない決意!」
まめじいは、さらに小さな木札を一枚出した。
黒い紐が通してある。
木札には、荒い字でこう書かれていた。
冥門組本家
親父の使い
豪志は木札を両手で受け取った。
「これは?」
「本家の目印でございます」
ザガが補足した。
「途中で魔物に会ったら、それを見せろ。少なくとも、本家の荷を持ってる奴だとは分かる」
豪志の顔が明るくなった。
「これがあれば襲われないんですね!」
ザガは即座に言った。
「絶対じゃねえ」
ナナも短く言った。
「見せるだけ」
「威張らない」
ベロが鍋の前から言う。
「あと、振り回すな。札が強いわけじゃない」
豪志は木札を首にかけた。
「分かりました。俺は強くない。札も強くない。でも本家の使いです」
ヒナが梁の上で笑った。
「やだ、自己評価だけ正確!」
クロの右が低く言った。
「札を見せても寄ってくる奴がいたら、逃げろ」
豪志は真顔で頷いた。
「戦わないんですね」
「戦うな」
ザガ、ナナ、ベロが同時に言った。
豪志は背筋を伸ばした。
「はい! 俺、戦いません!」
ヒナが腹を抱えた。
「すごく大事な宣言!」
ナナは豪志の腰に紐を結んだ。
豪志は驚いた。
「えっ、何ですかこれ」
「迷子紐」
「子ども扱い!」
「違う」
ナナは短く言った。
「豪志扱い」
豪志は胸を押さえた。
「新しい分類!」
イシコが小さな石を渡した。
「道、戻る石」
「これがあれば戻れますか?」
「たぶん」
「みんな“たぶん”が多い!」
ベロは包みを見て、眉を寄せた。
「大根を落とすなよ」
「はい!」
「干し芋も落とすな」
「はい!」
「葉物は潰すな」
「はい!」
「道中で食うな」
豪志は一瞬だけ黙った。
ベロの目が細くなる。
「今、考えたな」
「考えてません!」
ヒナが吹き出した。
「やだ、干し芋に一瞬、目がいった!」
牧人は豪志の肩に手を置いた。
「頼んだぞ」
豪志は背筋を伸ばした。
「任せてください、親分さん!」
その瞬間、クロの右が低く言った。
「迷ったら吠えろ」
豪志はクロを見た。
「吠えるんですか、俺が」
「そうだ」
「人として大丈夫ですか」
「迷うよりはいい」
豪志は真顔で頷いた。
「分かりました。必要なら吠えます」
ザガが額を押さえた。
「いや、吠えるなよ」
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出発前、牧人はヒナとイトを呼んだ。
豪志には聞こえないように、少し離れた畑の端でだった。
「ヒナ、イト」
「なに?」
「ん」
牧人は中層へ続く道の方を見た。
「豪志を見ててくれ」
ヒナが目を丸くした。
「こっそり?」
「こっそり」
イトが首をかしげた。
「吊るす?」
「吊るすな」
牧人は即答した。
イトは少しだけ残念そうに頷いた。
「吊るさない」
まめじいも横から言った。
「豪志殿に気づかれぬよう、道を外れそうな時だけ、戻してくだされ」
「危ない魔物が近づく時は知らせる」
「それ以外は、なるべく見守りでございます」
ヒナは胸を張った。
「任せて!」
ザガが横から低く言った。
「ヒナ、お前は笑うな。イト、お前は吊るすな」
ヒナが目を逸らした。
イトも目を逸らした。
ザガは低く言った。
「返事」
「はーい」
「うん」
牧人は二人を見た。
「頼んだぞ」
ヒナは少しだけ笑った。
「親父、心配なんだ」
牧人は首をかしげた。
「大根もあるからな」
ザガが言った。
「豪志を心配しろ」
「豪志も心配してる」
ヒナが笑いそうになって、口を押さえた。
イトは短く言った。
「見る」
---
豪志は出発した。
大根を背負い、干し芋を抱え、葉物を胸に固定している。
首には、本家の木札。
ほとんど野菜の配達人だった。
門前から一歩出た豪志は、振り返って大きく手を振った。
「行ってきます!」
ナナが短く言った。
「静かに」
「はい!」
全然静かではなかった。
豪志の背中が角を曲がる。
それを見送ってから、ヒナが梁の上へ跳んだ。
イトも糸を伸ばし、壁の影に移った。
二人は、牧人とまめじいの指示通り、豪志の後を追った。
ヒナは梁から梁へ。
イトは糸を伝って天井と壁の影へ。
こっそり。
少なくとも、本人たちはそのつもりだった。
本家から少し離れると、通路は急に静かになった。
豪志は道順を見ながら歩いていた。
「外れ道を使わない。旧保全路には入らない。正規の細道だけを通る」
そこまでは良かった。
三分後。
豪志は、分かれ道の前で止まった。
右。
左。
真ん中。
道順には、こう書いてあった。
二つ目の分かれ道を右。
豪志は顔を上げた。
「三つある……!」
ヒナが天井の影で口を押さえた。
イトが短く言う。
「早い」
「早いね」
豪志は深刻な顔で考えた。
「右、左、真ん中。二つ目の分かれ道を右。これは、三つあるから、まだ二つ目じゃない可能性がある」
ヒナが震えた。
「やだ、理屈が変!」
イトが糸を一本垂らしかけた。
ヒナが慌てて止める。
「まだ! まだ見守る!」
豪志はしばらく考えた末、真ん中へ進もうとした。
イトが即座に糸を足元へ落とした。
豪志はぴたりと止まる。
「あっ」
足元に、糸。
豪志は顔を輝かせた。
「これは……神のお告げ!」
ヒナが天井で崩れた。
「神じゃない! イト!」
イトが小さく言った。
「神じゃない」
豪志は真剣に糸を見つめた。
「行くな、ということですね」
イトは小さく頷いた。
「うん」
豪志には見えていない。
豪志は右へ進んだ。
ヒナは小声で言った。
「もう初手で介入したね」
イトは答えた。
「迷った」
「そうだね」
---
次の難所は、石だった。
道の端に、小さな石が三つ並んでいる。
そのうち一つに、顔のような模様があった。
豪志は止まった。
「石が笑ってる……!」
ヒナは息を止めた。
イトも糸を構える。
まめじいの注意。
石が笑っても、答えない。
豪志は石を見た。
石も、豪志を見ているように見えた。
沈黙。
豪志は、真顔で石に頭を下げた。
「お世話になっております」
ヒナが天井で声を殺して崩れた。
イトが短く言った。
「答えた」
「うわ~やらかした!」
豪志は慌てて口を押さえた。
「しまった! 挨拶は返答に含まれるのか!?」
石は何も言わなかった。
代わりに、奥の方で、かさり、と小さな足音がした。
豪志はびくっとした。
「石さん?」
ヒナが小声で言う。
「石さんって呼んだ!」
イトが糸を伸ばした。
通路の奥から出てきたのは、小さな丸い魔物だった。
岩の欠片に足が生えたような姿。
以前、門前にいた小型種に似ているが、少しだけ色が濃い。
豪志は固まった。
小型種も固まった。
豪志は、慌てて首から木札を持ち上げた。
「ええと、本家の使いです!」
小型種は木札を見た。
それから、豪志の背負い袋を見た。
豪志は、そっと背負い袋を押さえた。
「大根は渡せません」
小型種は首をかしげた。
豪志は続けた。
「これはドルグさん宛てです」
小型種は、もう一度木札を見た。
それから、少しだけ下がった。
ヒナが天井で小さく頷いた。
「ちゃんと効いてる」
イトも短く言った。
「本家」
豪志は少し安心した。
「でも、葉っぱなら少し」
ヒナが小声で言った。
「やだ、早速寄り道!」
イトが短く言う。
「だめ」
糸が、豪志の背負い袋に触れた。
豪志ははっとした。
「いけない。これは任務だった」
小型種は、じっと豪志を見た。
豪志は自分の携帯用の干し芋を一つ出した。
「これは俺の分です。これならあげます」
ヒナが少し笑った。
「そこは偉い」
イトも頷いた。
「自分の」
小型種は干し芋を抱えた。
それから、ぺこりと頭を下げた。
豪志も頭を下げた。
「お気をつけて!」
小型種は、干し芋を持って通路の端へ消えた。
豪志は胸を張った。
「危機を乗り越えた」
ヒナが天井で囁いた。
「何の危機?」
イトは短く答えた。
「干し芋」
---
中層へ続く細道に入る頃には、豪志は汗だくだった。
まだ半分も来ていない。
それでも、本人はかなり達成した顔をしていた。
「俺、今、すごく一人前なのでは」
天井の影で、ヒナが口だけ動かした。
「一人前は、こんなに時間かからないかな」
イトも声を出さずに頷いた。
豪志は道順を読んでいた。
「この先、低い天井。頭をぶつけるな。大根もぶつけるな」
豪志は天井を見た。
低い。
豪志はしゃがんだ。
大根もしゃがませようとした。
背負い袋ごと、体を横に傾ける。
「大根さん、気をつけてください」
ヒナが口を押さえた。
イトが不思議そうに言った。
「大根と、しゃべってる」
「しゃべってるね」
豪志は、そろそろと低い通路を進んだ。
その時、前から大きな影が来た。
角。
肩。
岩のような体。
ドルグだった。
豪志はびくっとして、背負い袋を抱え込んだ。
「出た!」
ドルグが足を止めた。
「……出た、とは何だ」
豪志は慌てて木札を見せた。
「冥門組本家、親父の使いです!」
ドルグは木札を見た。
それから、豪志を見た。
「豪志じゃないか」
豪志は目を丸くした。
「覚えてくれてたんですか!?」
「忘れる方が難しい」
ヒナが天井で崩れた。
「確かに、忘れられないやつだよね!」
豪志は胸を押さえた。
「俺、そんなに印象的でしたか」
ドルグは少し考えた。
「声が、うるさい」
「動きも、うるさい」
「あと、全部うるさい」
「結局、うるさい!」
イトが短く言った。
「合ってる」
ドルグは木札へ視線を戻した。
「本家の使いか」
豪志は急に背筋を伸ばした。
「はい! 親分さんからのお届け物です!」
ドルグは豪志を見た。
それから、天井の方を見た。
「上の二人も、出てこい」
ヒナが固まった。
イトも固まった。
ドルグは、もう一度言った。
「羽の音と糸の匂いがする。隠れる気があるなら、もう少し上手くやれ」
ヒナが天井から降りてきた。
「やだ、バレてた」
イトも壁からするりと降りた。
「バレた」
豪志は驚いた。
「えっ! なんでいるんですか!」
ドルグは三人を見た。
「久しぶりだな」
ヒナが笑った。
「久しぶり! 最近、本家の方が大騒ぎでさ」
ドルグは頷いた。
「顔を出せず、悪かった。中層側も少し荒れていた」
ヒナの表情が少しだけ変わった。
「そうだったんだ」
「大事にはしていない。だが、親分の方も騒ぎが続いていると聞いた」
ドルグは低く続けた。
「親分は無事か」
豪志が勢いよく言った。
「無事です!」
声が通路に響いた。
ドルグは少し耳を伏せた。
「声が大きい」
「すみません!」
「謝る声も大きい」
「すみません!」
ヒナが笑った。
「やだ、全然直らない」
ドルグは豪志の背負い袋を見た。
「それは何だ」
豪志は急に真面目な顔になった。
「親分さんからのお届け物です!」
彼は背負い袋を下ろし、大根三本と干し芋と葉物を並べた。
「あと、伝言です」
豪志は指を折りながら言った。
「最近忙しくて挨拶に行けなくて悪かった」
「元気か」
「あんまり無理するな」
「変な臭いがしたら教えてくれ」
「豪志は強い」
ヒナが頭を抱えた。
「やだ、最後だけ完全に違う!」
イトが短く言った。
「違う」
豪志は慌てて首を振った。
「あっ、違います! たぶん『大根は強い』でした!」
ヒナが笑い崩れた。
「大根と豪志、どこで入れ替わったの!?」
豪志は胸を押さえた。
「緊張で、途中から自分を励ましてました!」
ドルグは大根を見た。
しばらく黙る。
それから、低く笑った。
「大根は強いか。親分らしい伝言だな」
豪志の肩が落ちた。
「ですよね」
ドルグは大根を一本持ち上げた。
「だが、ここまで持ってきたなら、豪志も少しは強い」
豪志の顔がぱっと明るくなった。
「ドルグさん!」
ヒナが天井を仰いだ。
「やだ、ついでに認定された!」
イトが短く言った。
「少し」
豪志は胸を張った。
「少しでも十分です!」
ドルグは真顔で大根を見た。
「それと、大根は強い」
ヒナが笑い崩れた。
「そっちは認めた!」
ドルグは真面目だった。
「中層では、根の強いものはありがたい。土も灰も見る」
イトが大根を見た。
「強い」
豪志は感動していた。
「俺、ちゃんと伝えられましたか?」
ドルグは頷いた。
「伝わった」
豪志は拳を握った。
「やった……!」
その瞬間、天井から小さな石粒が落ちた。
豪志がびくっとする。
ドルグの顔が少し険しくなった。
「静かに」
ヒナも翼を止めた。
イトが壁に張りつく。
「上」
「足」
「知らない」
豪志は声を小さくした。
「敵ですか?」
ドルグは低く言った。
「たぶんな」
豪志は木札を握った。
「本家の使いです!」
ドルグは首を横に振った。
「相手による」
「万能じゃないんですか!?」
「万能なら、俺も札を持つ」
ヒナが小声で言った。
「ドルグが正論だね」
イトが短く言った。
「万能じゃない」
豪志は大根を抱えた。
「じゃあ、大根、守ります」
ヒナが小声で言った。
「そこ?」
イトは短く言った。
「大根、だいじ」
通路の上から、二匹の小さな魔物が下りてきた。
細長い体。
尖った鼻。
目だけが妙に光っている。
中層の隙間に住む、盗み食い専門の魔物だった。
ドルグが言った。
「穴鼠だ」
豪志は慌てて木札を見せた。
「本家の使いです!」
穴鼠は一瞬だけ止まった。
だが、鼻が干し芋の方へ動いた。
ドルグが低く言った。
「そいつらは字を読まん」
豪志は絶望した。
「札が効かない相手がいる!」
ヒナが言った。
「やだ、教育の差!」
イトが短く言った。
「匂い、勝った」
豪志は干し芋を胸に抱えた。
「俺の分はもう一つしかありません!」
ヒナが言った。
「自分のも守るんだ」
穴鼠が一匹、豪志の足元へ走った。
豪志は叫びかけた。
だが、叫ばなかった。
口を両手で押さえた。
「んんんん!」
ヒナが驚いた。
「やだ、叫ばなかった!」
イトの糸が穴鼠の前に落ちる。
穴鼠はつまずき、転がった。
もう一匹は大根の方へ向かう。
豪志はとっさに大根を持ち上げた。
「これはドルグさん宛てです!」
穴鼠は止まらない。
豪志は大根を振り回しかけた。
ヒナが叫ぶ。
「大根で殴らない!」
豪志は止まった。
「危なかった!」
ドルグが一歩出る。
足音だけで、穴鼠二匹は固まった。
「行け」
低い一言。
穴鼠たちは、干し芋の匂いだけを未練がましく嗅いで、隙間へ逃げていった。
豪志は膝から崩れそうになった。
「生きてる……」
ヒナが肩を叩いた。
「大丈夫。干し芋も生きてる」
イトが大根を見た。
「大根も」
豪志は大根を抱きしめた。
「よかった……!」
ドルグは、その様子を見て、また低く笑った。
「親分のところは、相変わらずだな」
ヒナが頷いた。
「相変わらずだよ」
---
ドルグは大根と包みを受け取った。
代わりに、小さな石箱を出した。
「親分に渡してくれ」
豪志は背筋を伸ばした。
「お返しですね!」
「中層の土石だ。畑の土に少し混ぜると、根が締まる」
ヒナが目を丸くした。
「畑用?」
「親分なら使うだろう」
「使うね」
イトも頷いた。
「使う」
ドルグはさらに言った。
「それと、伝言だ」
豪志は慌てて背筋を伸ばした。
「はい!」
ドルグは指を一本ずつ折るように、ゆっくり言った。
「一つ。最近顔を出せていないのは、こちらも同じだ」
「二つ。本家が忙しいのは聞いている」
「三つ。中層側で妙な臭いが出たら知らせる」
「四つ。親分は、ひとりで来るな」
豪志は真剣に頷いた。
「一つ、顔を出せていないのは同じ」
「二つ、本家が忙しい」
「三つ、変な臭い」
「四つ、親分はひとりで来るな」
ドルグは頷いた。
「そうだ」
豪志はさらに頷いた。
「完璧です」
ヒナが小声で言った。
「今のところはね」
イトが短く言った。
「今は」
ドルグは豪志を見た。
「もう一つだけ、豪志」
「はい!」
「伝言は増やすな」
豪志は固まった。
「……増やしません」
ヒナが吹き出した。
「やだ、先に釘刺された!」
イトが短く言った。
「刺された」
ドルグは低く続けた。
「特に、自分を褒める言葉を混ぜるな」
豪志は目を逸らした。
「まだ混ぜてません」
「まだ、だろう」
ヒナが笑い崩れた。
「やだ、未来の改変まで読まれてる!」
豪志は胸を張った。
「大丈夫です。俺はもう、さっき一度学びました」
イトが短く言った。
「危ない」
ドルグは少しだけ笑った。
「では頼む」
豪志は石箱を抱え、木札を握り直した。
「はい! 必ず届けます!」
その声は、やっぱり少し大きかった。
ドルグは耳を伏せた。
「声は少し小さくしろ」
「はい!」
ヒナが笑った。
「やだ、最後まで大きい」
豪志は、今度は本家へ帰るために、来た道を振り返った。
お使いは、まだ半分しか終わっていなかった。




