表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
73/90

飯は届いた。人が止まった


朝、本家の門前に、米袋が三つ届いた。


いつもなら五つ届く。


ベロは米袋を見て、鍋の前で止まった。


「少ねえ」


牧人も見た。


「少ないな」


国枝が静かに言った。


「足りないわけではありません」


ベロが国枝を見る。


「少ねえぞ」


「少ないですが、今日の飯は作れます」


「明日は」


「明日の分が、道で遅れています」


牧人が顔を上げた。


「道?」


国枝は短く答えた。


「周辺交通整理、という名目です」


ザガが門前から振り返った。


「始まったか」


国枝は頷いた。


「はい。冥門組本家に入る物と人の流れを、見始めています」


ヒナが梁の上で翼を止めた。


「やだ、封鎖?」


「まだ封鎖ではありません」


国枝は静かに答えた。


「飯は、止まっていません」


牧人は少し考えた。


「じゃあ、飯は通るのか」


国枝と一緒に、澄玲も門前へ来ていた。


国枝は荷の流れを見るため。

澄玲は、市属ダンジョン監察局・特別保護監察官として、流入制限が避難者や保護対象にどう影響するかを見るためだった。


澄玲は小さく目を閉じた。


「……本当に最初にそれを聞くんですね」


「飯が止まったら困るだろ」


「はい」


澄玲は手帳を閉じた。


「その反応は、都市防衛局側も予測していました」


ベロが鍋の蓋を叩いた。


「飯は最初だろ」


ザガが嫌そうに言った。


「そこだけ都市防衛局と同じ目線なのが、嫌だな」


ヒナが少し笑った。


「やだ、親父とベロ、予測されてる」


牧人は言った。


「とにかく、飯は大事だ」


「読まれやすい親分だ」


ザガが額を押さえた。


---


米袋は少なかった。


だが、飯は作れた。


ベロが鍋を火にかけ、ミズハが水を調整し、ぷるが米袋の底と荷車の車輪跡をきれいにした。


ぷるん。


澄玲が手帳を開きかける。


ヒナが素早く言った。


「ぷるのことは、かわいく書いて」


澄玲は少し考えた。


「ぷるが米袋を見ています」


「いいね!」


澄玲は続けた。


「報告書では、高位粘体による搬入物資確認になります」


「やだ、固い!」


ぷるん。


ぷるが不満そうに揺れた。


ネムが右奥から顔を出す。


「ぷる、米、見る」

「悪い粉、ない」


ベロが米袋に手を置いた。


「助かる。鍋に入れる前に、変なもん混ざってたら困る」


ぷるん。


ぷるは米袋の底をもう一度なぞり、荷車の車輪跡まできれいに吸った。


ヒナが梁の上から覗いた。


「やだ、ぷる、米袋より荷車を信用してない」


ザガが言った。


「実際、荷車の方が汚れてるだろ」


ベロは鍋を見た。


「よし。米は使える。飯にするぞ」


ぷるん。


ネムが短く言った。


「ぷる、仕事した」


ぷるん。


ぷるが少しだけ誇らしげに揺れた。


---


昼前、鍋の前に列ができた。


子どもが二人。

怪我人が三人。

疲れ切った探索者が一人。

封環層から出てきた小型種が三体。


小型種は門前の端で丸まっている。


飯の匂いがしても、前に出ない。


ネムがじっと見た。


「こわい」

「でも、腹、鳴る」


牧人は小型種を見る。


「飯、食うのか」


ネムは少し考えた。


「少し」

「やわらかいの」


ベロが鍋を見た。


「粥ならいける」


ザガが言った。


「米、減るぞ」


「粥は増える」


ベロは即答した。


牧人は鍋を見た。


「じゃあ、子どもと怪我人が先だな」


ネムが頷いた。


「子ども、先」

「痛い人、先」

「熱い人、先」


ベロが鍋の蓋を叩いた。


「決まりだ。次」


ザガが少し驚いた顔をした。


「早いな」


「長く話すと、冷める」


ベロは言った。


「飯も、話も」


ヒナが梁の上で手を叩いた。


「今日のベロは正しい!」


ニコが板を持ち上げた。


子ども

怪我人


ザガが見た。


「それは出していい」


ニコはもう一枚出そうとした。


優先配給制度


ザガが即座に言った。


「出すな」


ニコは素直に下ろした。


ベロが鍋を指す。


「制度じゃねえ。俺の鍋だ」


牧人は頷いた。


「分かりやすいな」


ザガが言った。


「それを外が、制度って呼ぶんだよ」


ベロは少し黙った。


「じゃあ、外が勝手に言ってるだけだ」


ヒナが梁の上で笑った。


「やだ、鍋番が外の評価を気にしてない!」


そこへ、ローが門前の外から顔を出した。


「もう出てるよ」


ザガが嫌な顔をした。


「何がだ」


ローは言った。


「冥門組本家、優先配給制度を開始」


門前が止まった。


ベロが鍋の蓋を押さえた。


「俺の鍋だぞ」


ヒナが梁の上で言った。


「やだ、鍋が行政になった!」


澄玲は、少しだけ手帳を見る。


「……記録上は、そう扱われます」


ザガが唸った。


「だから書き方を選べって話なんだよ」


「選びます」


澄玲は短く答えた。


---


鍋は回った。


子ども。

怪我人。

熱のある者。

立てない者。


その次に、働ける者。


最後に、普通に腹が減っている者。


一人だけ文句を言いかけたが、ザガが見たら、黙った。


右奥の端では、小型種三体が、ネムの運んだ椀をゆっくり啜っていた。


一体が椀の縁を両手で抱えたまま、離そうとしない。


牧人がネムを見た。


「食ったか」


「食った」


「泣いたか」


「泣いてない」


牧人は頷いた。


「なら、いいな」


そこまでは、いつもの騒ぎだった。


けれど、イトだけが梁の上で外を見ていた。


ヒナが気づいた。


「イト?」


イトは短く言った。


「道、静か」


ザガが顔を上げた。


「何だ」


「人、少ない」

「荷、曲がった」

「同じ道、通ってない」


国枝の顔が、そこで変わった。


「もう始まっていますね」


牧人が聞いた。


「何が」


澄玲が答えた。


「門前流入制限です」


門前の空気が、少し変わった。


飯は届いた。

鍋も回った。

子どもも怪我人も食べた。


だが、いつもなら昼前に来る者が、来ていない。


水を抱えた老人。

古い毛布を持ってくる女。

昨日まで端で寝ていた小型種の群れ。

荷車の音。

遠くの呼び声。


それらが、今日は薄かった。


ヒナの笑いが止まる。


「……止められてるの?」


澄玲は首を横に振った。


「止めてはいないはずです」


「じゃあ、何?」


国枝が答えた。


「曲げているのです」


ザガが低く言った。


「道をか」


「はい」


国枝は門前の外を見た。


「戦わずに、流れを変える。水越篤臣らしい」


ベロが鍋を見たまま言った。


「で、明日の米はどうする」


国枝は静かに答えた。


「通します」


「止まったら」


「別の道を使います」


「それも止まったら」


国枝は、少し黙ってから、言った。


「畑です」


全員が、牧人を見た。


牧人は鍬の柄を一度だけ握り直した。


「……計算通りだ」


一瞬、門前が静かになった。


ザガが即座に言った。


「嘘つけ」


ベロも鍋の方から言った。


「絶対、今思いついただろ」


ヒナが梁の上で笑い崩れた。


「やだ、親父の作戦勝ちって顔が、三秒で崩れた!」


牧人は少しだけ目をそらした。


「でも、畑は広げるつもりだった」


国枝が静かに頷いた。


「そこだけは、本当ですね」


ザガが額を押さえた。


「そこが一番ややこしいんだよ」


---


真木レンは、列の端で椀を持っていた。


食べ終わっていない。


だが、話を聞いていた。


レンは椀を置いた。


「俺、見てきます」


牧人がレンを見る。


「どこを」


「外の道です」


ザガが目を細める。


「危ねえぞ」


レンは頷いた。


「分かってます」


「なら、行くな」


「でも、人間側の列なら、俺が一番紛れられます」


ザガは黙った。


レンは続けた。


「荷の道が変わったなら、誰かが見ているはずです」


ナナが、レンの隣で短く補った。


「白閃牙崩れ、みたいなのが、また絡んでくるかも」


国枝も頷いた。


「都市防衛局なのか、商人なのか、便乗なのか。外からの方が見えます」


レンは、自分の言葉が二人に拾われたことに、一瞬だけ目を瞬かせた。


それから、頷いた。


牧人は少し考えた。


「飯は食ったのか」


レンは一瞬だけ止まった。


「まだです」


「食ってから行け」


レンは目を瞬かせた。


ザガが言った。


「親分」


「腹減ってたら、よく見えねえだろ」


ベロが鍋の方から言った。


「それはそうだ」


ヒナが梁の上で笑った。


「やだ、偵察前に飯!」


レンは椀を見た。


少しだけ、笑いそうになって、こらえた。


「……食ってから行きます」


ナナが短く言った。


「それでいい」


豪志が後ろから顔を出した。


「俺も――」


ナナが即答した。


「行くな」


「なぜ!俺も人間です!紛れられます!」


「うるさいから、目立つ」


ニコが板を出した。


豪志はうるさい


豪志が叫んだ。


「また、それ!」


ヒナが梁の上で笑った。


「豪志はうるさい、だけは間違いない!」


---


レンは飯を食ってから出た。


一人ではない。


ナナが後ろについた。


レンが無理をした時、引き戻すためだ。


少し離れて、ローも歩いた。


「撮るなよ」


ザガが言った。


ローは手を上げる。


「撮らない。見るだけ」


「それが信用ならねえんだよ」


ローは笑って、記録石をしまった。


国枝はレンに小さな札を渡した。


「道で止められたら、これを見せてください」


レンは札を見る。


「これは」


「荷札です。名前は出していませんが、取引先なら印で分かります」


札の隅には、小さな丸印が焼きつけられていた。


「分からない人には、ただの札です」


レンは札を握り直した。


「分かる人には分かるんですね」


「そうです」


レンは札を握った。


「分かりました」


澄玲が言った。


「無理はしないでください」


レンは頷いた。


「はい」


牧人は言った。


「変な奴がいたら戻れ」


「はい」


「腹が減っても戻れ」


「そこもですか」


「そこもだ」


ベロが鍋の蓋を叩いた。


「腹減った奴は、判断が雑になる」


レンは、今度は少し笑った。


「分かりました」


そして、門前の外へ出た。


イトが梁の上から、糸を一本、レンの肩に軽く触れさせて、すぐに引いた。


それだけだった。


何も言わなかった。


ナナが一度だけ、レンの背を見た。


何も言わずに歩いた。


---


外の道は、確かに変わっていた。


封鎖ではない。


誰も槍を並べていない。

誰も「通るな」と怒鳴っていない。


ただ、道の角に人が立っている。


荷車は止められる。

行き先を聞かれる。

怪我人は「都市側の窓口へ」と案内される。

子ども連れは「安全な休息所がある」と別の道へ誘導される。


本家へ向かう道だけが、少しずつ遠回りになる。


レンは、人混みに紛れてそれを見た。


ナナが低く言う。


「止めてはいない」


レンは頷いた。


「でも、曲げてる」


「見えるか」


「見えます」


レンは、自分でも少し驚いた。


以前なら、こんなものは見えなかった。


誰が強いか。

誰が偉いか。

誰についていれば怒られないか。


そればかり見ていた。


今は、違うものが見えた。


誰が列を曲げているか。

誰が荷札を見ているか。

誰が本家の名前を聞いた瞬間、顔を変えるか。


ローが少し離れたところで言った。


「いい目になったね」


レンは振り返らない。


「撮ってないですよね」


「撮ってない」


「見てますよね」


「見てる」


ナナが言った。


「記録屋」


ローは笑った。


「はいはい」


その時、道の向こうで、商人風の男が一人、荷車の横に立っているのが見えた。


笑顔を外さない男。


レンは、その顔を知らない。


だが、ローが小さく息を吐いた。


「出た」


ナナが聞く。


「誰」


「梶浦玄馬」


レンは、その名を覚えた。


梶浦は、防衛局の人間と話していた。


怒鳴ってはいない。

笑っている。

荷車を指し、道を指し、門前の方角を一度だけ見る。


ローが低く言った。


「道が変わったら、道を売る奴が来る」


レンは手の中の荷札を握った。


国枝が渡した、ただの荷札。


ただのはずなのに、梶浦の近くにいた男が、その札を一度見て、目を細めた。


レンは、すぐに視線を外した。


ナナが短く言った。


「戻る」


レンは頷いた。


「はい」


---


レンが戻ったのは、夕方前だった。


門前では、ベロが二度目の鍋を洗っていた。


牧人は畑の端にいた。


「戻ったか」


「はい」


「腹は減ったか」


「少し」


「あとで食え」


ザガが言った。


「報告が先だろ」


牧人は首をかしげた。


「食いながらでいいだろ」


「親分」


レンは少し笑った。


「先に話します」


門前の空気が変わる。


レンは短く言った。


「止めてはいませんでした」

「でも、曲げています」

「怪我人も、子ども連れも、都市側へ案内されています」

「荷車は止められて、行き先を聞かれています」

「冥門組本家の名前を出すと、顔が変わります」


国枝は黙って聞いていた。


澄玲は手帳を開いた。


ザガが聞く。


「防衛局か」


「防衛局もいました」


レンは一度、息を整えた。


「でも、商人もいました」


国枝の目が細くなる。


「梶浦玄馬ですか」


レンは頷いた。


「ローさんが、そう言いました」


ローが後ろで手を上げる。


「言いました」


国枝は静かに息を吐いた。


「早いですね」


ヒナが言った。


「何が?」


「道が変わったことに、もう商人が匂いを嗅ぎつけています」


ザガが低く言う。


「封鎖に便乗する気か」


「便乗ではありません」


国枝は言った。


「道が絞られれば、通せる者の値段が上がる」

「梶浦玄馬は、それを売りに来ます」


牧人は聞いた。


「道を売るのか」


「はい」


「道は売り物なのか」


「売り物にする者がいます」


牧人は少し考えた。


「面倒だな」


「はい」


国枝は答えた。


「面倒です」


その時、ニコが板を持ってきた。


道、売るな


ザガが言った。


「それは出すな。相手に刺さりすぎる」


ヒナが梁の上で笑った。


「やだ、直球すぎる!」


ニコは首をかしげた。


そして裏返した。


道、ただ


ザガが頭を抱えた。


「もっと危ない!」


牧人は板を見た。


「道はただだろ」


国枝が静かに言った。


「親分さん。その感覚は、今回かなり危険です」


牧人はますます分からない顔をした。


「そうなのか」


「はい」


国枝は門前の外を見た。


「道に値段をつける者が来ます」


イトが梁の上で短く言った。


「来る」


ザガが顔を上げる。


「見えてんのか」


「音」


イトは答えた。


「笑う足」


ヒナが小声で言った。


「やだ、嫌な足音」


---


日が落ちる少し前、門前の外に男が立った。


派手ではない服。

計算された汚れ。

笑顔を外さない顔。


梶浦玄馬だった。


門前に入る前に、梶浦は深く頭を下げた。


「冥門組本家の皆様。本日は、道のご相談に参りました」


ザガが低く言った。


「帰れ」


梶浦は笑顔を崩さない。


「帰る道も、いずれ少なくなります」


門前が静かになった。


牧人は鍬を持ったまま、梶浦を見た。


「道はあるだろ」


梶浦は穏やかに言った。


「あります。ただ、通れる道には、通せる者が必要になります」


国枝が前に出た。


「梶浦さん」


「国枝さん」


二人の商人が、門前で向かい合った。


ヒナが梁の上で小さく言った。


「鍋の話だったのに」


ベロが鍋の蓋を持ったまま言った。


「鍋は守るぞ」


ザガが槍を持ち直した。


「道もだ」


イトは梁の上で、外を見ていた。


「まだ、いる」


国枝の目が変わる。


「誰が」


イトは短く答えた。


「道の後ろ」


梶浦の笑顔が、初めてほんの少しだけ薄くなった。


そして梶浦は、後ろを振り返らなかった。


振り返らない、ということが、何かを意味していた。


国枝は、それを見ていた。


その夜、本家の門前で、鍋の順番を決めただけの日は終わった。


けれど、門前の外ではもう、鍋ではなく道の値段を決めようとする者が立っていた。


梶浦玄馬は、最後まで後ろを振り返らなかった。


国枝だけが、それを見ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ