都市防衛局、封鎖作戦を決める
都市防衛局の会議室は、朝から空気が硬かった。
机の上には、報告書が並んでいる。
市属ダンジョン監察局から共有された監察資料。
三船ローの公開記録の写し。
国枝市蔵の物資流通に関する非公式情報。
梶浦玄馬の接触記録。
白閃牙崩れの妨害事件記録。
そして、その監察資料の作成者名。
久慈野澄玲。
市属ダンジョン監察局・特別保護監察官。
水越篤臣は、都市防衛局・警備統括官として、それらを一枚ずつ読んだ。
直属の報告ではない。
だが、冥門組本家周辺の流入制限を検討する以上、現場を見た監察官の記録を無視することはできなかった。
急いではいない。
だが、遅くもない。
報告書の一行に、指が止まる。
冥門組側の対応は、過剰ではない。
水越は、その一文をしばらく見ていた。
「過剰ではない、か」
隣にいた都市防衛局の副官が言った。
「市属ダンジョン監察局から共有された追記です」
「分かっている」
水越は報告書を閉じなかった。
「だから厄介なんだ」
会議室の奥にいた局員が、眉をひそめた。
「厄介、ですか」
「過剰なら、処理は簡単だった」
水越は言った。
「魔物が人間を襲った。人間側が被害を受けた。危険個体を討伐する。報告書は短く済む」
誰も笑わなかった。
水越は続けた。
「だが、今回は違う」
彼は別の紙を机に置いた。
白閃牙崩れによる冥門組本家門前妨害事件。
「人間側が飯の列を荒らした」
「冥門組側は殺していない」
「拘束し、汚染を防ぎ、都市側へ引き渡した」
副官が小さく頷く。
「記録上は、そうなっています」
「記録上ではない。現場でもそうだ」
水越は淡々と言った。
「だから、問題なんだ」
会議室が静かになる。
「冥門組は危険だ」
「だが、乱暴ではない」
「乱暴ではない危険は、民衆に受け入れられる」
副官の表情が少し変わった。
水越は報告書をめくった。
外部で広がっている状況を、紙の上で短くまとめた一枚だった。
中立地帯という呼称。
通行板。
配給列。
休む者の列。
人間避難者。
封環層由来の小型種。
灰粉の除去。
入口の汚染防止。
彼は一度、紙から目を上げた。
「これを何と呼ぶ」
誰もすぐには答えなかった。
やや年配の局員が言った。
「避難所……でしょうか」
別の局員が言う。
「ただの魔物の巣ではありません」
水越は頷いた。
「そうだ。ただの魔物の巣ではない」
その言い方に、会議室の何人かが息を飲んだ。
水越は続けた。
「だから危険だ」
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水越は、次の資料を開いた。
そこには、門前に並ぶ板の記録があった。
飯
足
休む人
暴れぬこと。
取らぬこと。
泣いたら、右奥。
板も、替えるな。
ある局員が、少しだけ顔をしかめた。
「最後の一文は、何ですか」
「白閃牙崩れが板を入れ替えようとしたため、追加されたらしい」
「……生活感がありますね」
「そうだ」
水越は言った。
「生活感がある。だから外から見れば、安心できる」
彼は板の記録を机に置いた。
「だが、軍事的に見れば、これは通行管理だ」
会議室の空気が変わった。
「飯の列は、物資配給」
「足の列は、汚染検査」
「休む者の列は、収容区画への誘導」
「暴れぬこと、取らぬことは治安規則」
「泣いたら右奥は、弱者収容先の指定」
「板も、替えるな、は誘導表示の改ざん防止」
年配の局員がつぶやいた。
「言い方を変えると、確かにそうなります」
「言い方を変えなくても、そう見える」
水越は言った。
「守谷牧人にそのつもりがあるかどうかは、関係ない」
その名が出た途端、会議室が少し重くなった。
守谷牧人。
冥門組本家の中心。
本人はただ飯を出し、追い出さないだけだという。
だが、その周囲には魔物が集まっている。
災厄級の黒い三つ首。
高位粘体。
中層ボス級個体。
旧保全路の区域ボス。
封環層由来の小型種。
他にも、未分類個体が複数。
そして、人間避難者まで流れ込み始めている。
水越は、別の紙を出した。
冥門組本家周辺で確認された要素を、外部呼称から旧支配記録への仮登録まで、上から下へ短く並べた紙だった。
最後の一行に、彼は指を置いた。
未確認流通との接触の可能性。
副官が言った。
「未確認流通、ですか」
「分かっている」
水越は即答した。
「ある大型迷宮側の動きが、別ルートから上がってきている。まだ名は出さない」
「では、封鎖判断の材料に入れるのは早いのでは」
「遅くなるよりいい」
水越は、静かに言った。
「そちら側の裏流通が灰環に触れた時点で、これは都市一つの問題では済まない」
別の局員が口を開く。
「しかし、その名前を出すと、会議が拡大します」
「だから、今日の議題は討伐ではない」
水越は言った。
「封鎖だ」
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会議室の空気が、そこで一段冷えた。
防衛局員の一人が身を乗り出す。
「冥門組本家を封鎖するのですか」
「冥門組を攻めるのではない」
水越は訂正した。
「人と物の流れを絞る」
「それは、実質的な封鎖では」
「そうだ」
「冥門組側が反発すれば」
「反発するだろう」
水越は隠さなかった。
「だが、放置すれば、もっと大きくなる」
机の上の資料が、一枚めくられる。
そこには、外部で広がっている噂の写しがあった。
冥門組の門前なら追い出されない。
飯が出る。
灰粉を取ってくれる。
人も魔物も、暴れなければ置いてもらえる。
白閃牙崩れが絡んでも、冥門組側は殺さなかった。
ぷる先生がいる。
若頭は怖いが、勝手に触らなければ大丈夫らしい。
水越は最後の一文で、眉をわずかに動かした。
「ぷる先生とは何だ」
副官が少し困った顔をした。
「高位粘体と思われる個体です。子どもにそう呼ばれているようです」
「高位粘体を先生と呼ぶのか」
「映像では、泥や汚損物を除去していました」
「危険性は」
「不明です。少なくとも、白閃牙崩れの汚損物を無力化しています」
水越は目を閉じた。
「それを、民衆が好意的に見ている」
「はい」
「危険な存在が、役に立ち、優しく見える」
副官は答えなかった。
水越は言った。
「一番、広がる形だ」
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市属ダンジョン監察局側の席に、澄玲も呼ばれていた。
彼女は会議室の端に座っている。
都市防衛局の会議でありながら、澄玲の前にも資料が置かれていた。
水越が彼女を見た。
「久慈野監察官」
「はい」
「市属ダンジョン監察局側の見解を確認します」
水越は紙を持ち上げる。
冥門組は問題です。
ですが、必要な問題です。
「これは、あなたの見解ですね」
澄玲は姿勢を崩さずに答えた。
「特別保護監察官としての見解です」
「いまも同じ認識ですか」
「同じです」
「では聞きます」
水越の声は荒くない。
「必要な問題なら、問題のまま拡大させていいのですか」
澄玲はすぐには答えなかった。
会議室の全員が、彼女を見る。
澄玲は静かに言った。
「いいえ」
水越は頷いた。
「では、流れを制限する必要がある」
「制限は必要です」
澄玲は答えた。
「ただし、やり方を間違えれば、冥門組ではなく、門前にいる人たちが先に崩れます」
「人たち、ですか」
「はい」
「魔物もいる」
「います」
「封環層由来の小型種もいる」
「います」
「それでも、人たち、と呼ぶ」
澄玲は一度だけ、息を吸った。
「現場では、そう扱われています」
会議室の空気が、また少し変わった。
水越は澄玲を見た。
「あなたは、守谷牧人に寄りすぎている」
「そう見えることは承知しています」
「見えるのではない。そうなりかけている」
澄玲は黙った。
水越は澄玲を見たまま、しばらく何も言わなかった。
それから、報告書を閉じた。
「だから、あなたを外さない」
澄玲は顔を上げた。
「外さない、のですか」
「現場を見た者がいなければ、封鎖はただの圧力になる」
水越は言った。
「ただの圧力は、失敗する」
澄玲は、その意味を考えた。
「あなたには、封鎖線の条件整理に入ってもらいます」
「私は、封鎖に賛成していません」
「賛成しろとは言っていません」
水越は淡々と返した。
「最悪の封鎖にしないために、必要です」
澄玲は、そこで何も言えなくなった。
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水越は次の紙を出した。
作戦名は、まだ空欄だった。
「目的を確認する」
副官が読み上げる。
「第一。討伐を目的としない」
「第二。冥門組本家への人と物の流入を制限する」
「第三。封環層入口への接触を管理する」
「第四。避難者の流入を都市側窓口へ誘導する」
「第五。未確認流通との接触を監視する」
「第六。冥門組側を刺激し、戦闘状態に移行させない」
水越は頷いた。
「それでいい」
局員の一人が言った。
「冥門組側に通達しますか」
「まだだ」
「なぜです」
「通達すれば、先に外へ漏れる」
水越は言った。
「そして、冥門組が封鎖される、という噂だけが走る」
副官が頷く。
「避難者が殺到しますね」
「そうだ」
「冥門組に逃げ込む者も増える」
「それを避ける」
水越は机の上で指を止めた。
「まず、周辺の道を確認する」
「次に、物資搬入の帳簿を押さえる」
「その後、都市側の避難窓口を立てる」
「最後に、通達する」
一人が言った。
「国枝市蔵が動きます」
「動くだろう」
「梶浦玄馬も」
「動く」
「三船ローも撮ります」
「撮る」
「久慈野監察官は、現場側の予測を出します」
水越は澄玲を見た。
「市属ダンジョン監察局側の見解として、出してもらう」
澄玲は小さく頷いた。
「提出します」
水越は会議室へ視線を戻した。
「だから、一手目を間違えるな」
会議室の全員が黙った。
水越は、静かに言った。
「冥門組本家は、潰せば済む相手ではない」
「だが、広がるままにしていい相手でもない」
彼は作戦名の空欄に、ペンを置いた。
少し考えた後、短く書く。
門前流入制限案
副官が見て、眉をひそめた。
「封鎖作戦、ではないのですか」
「会議室の中では封鎖でいい」
水越は言った。
「紙の上では、流入制限にしておく」
「なぜ」
「封鎖と書けば、封鎖される側が敵になる」
水越はペンを置いた。
「まだ、敵にすると決めたわけではない」
澄玲は、その言葉に少しだけ目を伏せた。
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会議の終わり際、別の資料が回された。
ローの記録から切り出された一枚だった。
門前に座らされた白閃牙崩れ。
倒れかけた板。
水で洗われた男。
そして、画面の端に映った板。
板も、替えるな。
会議室の空気が、わずかに緩んだ。
副官が小さく言った。
「これも、通行管理の一部ですか」
水越は写真を見た。
「……現場では、生活規則だろうな」
「では、資料から外しますか」
「外さない」
水越は言った。
「生活規則が、いつの間にか制度になる」
「その速度を見るために必要だ」
澄玲は、その言葉を聞いていた。
本家の内側では、たぶん誰も制度などと思っていない。
ニコは必要だから板を書いただけ。
ベロは鍋を守っただけ。
ぷるは汚れを取っただけ。
ミズハは臭い男を洗っただけ。
牧人は、飯の列で暴れるなと言っただけ。
だが、外から見れば違う。
それは、配給であり、治安であり、衛生であり、収容であり、通行管理だった。
水越が立ち上がる。
「本日中に、第一段階の配置案を作れ」
「表向きは周辺交通整理」
「実態は、冥門組本家門前への流入制限」
副官が短く頭を下げた。
「了解しました」
澄玲は立ち上がらなかった。
水越が彼女を見る。
「久慈野監察官」
「はい」
「あなたは、現場側の反応を予測してください」
「冥門組側、ですか」
「冥門組側。避難者側。国枝。三船ロー。すべてです」
「守谷牧人は」
水越は、澄玲の報告書を一枚めくった。
「報告書を見る限り、彼は飯の流れをかなり重く見ている」
澄玲は、もう分かっていた。
水越は言った。
「最初に聞くのは、飯は通るのか、でしょう」
澄玲は目を閉じかけた。
「……言います」
会議室の何人かが、少しだけ困った顔をした。
水越は続けた。
「なら、飯を止めるな」
「飯を止めれば、こちらが先に悪者になる」
副官が書き留める。
「食料搬入は制限対象外」
「違う」
水越は訂正した。
「管理対象だ。止めるな。だが、誰が通しているかは、把握する」
澄玲は、その言葉で理解した。
封鎖ではない。
討伐でもない。
これは、流れを握る作戦だ。
冥門組を潰さず、冥門組を敵に回さず、それでも冥門組本家が勝手に大きくならないようにする。
正しい。
かなり正しい。
だからこそ、危ない。
---
夕方、本家では、何も知らない牧人が畑の端を見ていた。
牧人は鍬を持ち、首をかしげる。
「ここ、もう少し広げるか」
ベロが鍋の方から言った。
「何を広げるんだよ」
「畑」
「またか」
「飯が足りなくなるだろ」
ヒナが梁の上から笑った。
「やだ、親父、そんなに広げたら廊下まで畑になっちゃう! そのうち寝床も畑にする気?」
牧人は鍬を持ったまま、大真面目に頷いた。
「……寝ながら耕せるな」
「耕すな! 寝室を畑にするな!」
ザガが即座に怒鳴った。
ベロも呆れたように鍋をかき混ぜる。
「そのうち、本家の玄関を開けたらすぐ大根が生えてそうだな」
牧人が、顔をしかめて言った。
「歩きづらいだろ」
「自分で言い出したんだろ」
ぷるが畑の端の泥を吸った。
ぷるん。
ネムが右奥から顔を出す。
「奥、静か」
「子ども、寝た」
牧人は頷いた。
「そうか」
---
その頃、都市防衛局では、門前流入制限案の一枚目が印刷されていた。
作戦名は、まだ正式ではない。
だが、会議室の中では、もう別の名で呼ばれ始めていた。
冥門組本家、封鎖作戦。
水越篤臣は、その呼び名を訂正しなかった。
ただ、紙を閉じる前に、副官にだけ短く言った。
「討伐ではない。だが、放置でもない」
副官は頭を下げた。
紙の上には、作戦名が一行だけ残った。
門前流入制限案




