白閃牙崩れ、勝てないので低レベルな嫌がらせをする
朝から、飯の列は長かった。
飯の列。
足の列。
休む者の列。
三本に分けたはずなのに、門前は前より騒がしい。
ニコの板は、また増えていた。
柱に立てかけられた古い板には、
暴れぬこと。
取らぬこと。
泣いたら、右奥。
と、相変わらず書いてある。
その隣に、ニコは新しい板を置こうとしていた。
豪志はうるさい
豪志が即座に反応した。
「ひどい! 名指しで警告ですか!!」
ザガが見て、少し黙った。
「……それは必要だな」
ヒナが梁の上で笑った。
「確かに、必要だね」
ベロは鍋をかき混ぜながら言った。
「それよりよ。飯の列が乱れてるぞ」
その時、飯の列の後ろで、変な声が上がった。
「へえ。魔物の飯を食ってるわけだ」
空気が少し止まった。
男が三人いた。
服は探索者風。
だが、装備は古い。
肩の白閃牙の徽章は、半分だけ剥がされていた。
先頭にいたのは、尾坂という男だった。
白閃牙の本隊ではない。
堂前が命じたわけでもない。
八代の側に寄って、白閃牙の名前で人を押しのけていた半端者たちだ。
白閃牙本体からも煙たがられ、かといって、自分たちが終わったとは認められない。
だから、来た。
ただし、勝てないことは分かっていた。
クロがいる。
イシコがいる。
正面から暴れたら終わる。
だから尾坂たちは、もっと低いことをしに来た。
尾坂が、椀を持っている避難民を見下ろした。
「人間が、魔物の列に並んで恥ずかしくねえのか」
避難民は答えなかった。
椀を握ったまま、少しだけ下を向いた。
ベロが鍋の前で止まった。
ザガの目が細くなる。
ヒナが梁の上で翼を広げかけた。
その前に、牧人が言った。
「飯の列で暴れるな」
声は大きくなかった。
だが、門前にはよく通った。
尾坂は牧人を見た。
「出たな。魔物の親玉」
豪志が端から顔を出した。
「親玉じゃなくて、親分だ!」
ナナが即座に言った。
「豪志、その通り」
「はい!」
尾坂の横にいた男が笑った。
「何だこいつ。人間の下っ端まで飼ってるのか」
豪志は少しだけ嬉しそうにした。
ザガが低く言う。
「喜ぶな」
「はい!」
尾坂はニコの板を見た。
飯
足
休む人
三枚の板を見て、少し考える。
そして、「飯」の板を持ち上げた。
そのまま、そっと「足」の列の前へ動かす。
ニコが言った。
「やめろ」
尾坂は肩を揺らした。
「まだ置いてねえだろ」
その瞬間、梁の上から糸が落ちた。
尾坂の手首に巻きつく。
糸は上へ引かれず、横へ引かれた。
尾坂の手だけが、板を持ったまま止まる。
「うわっ!」
イトが短く言った。
「置く前に止めた」
尾坂は手首の糸を見て、顔を引きつらせた。
「何すんだ、縛るな!」
ヒナが梁の上で腹を抱えた。
「やだ、イト、すごい!」
尾坂の後ろにいた男が、こそこそと袋を出した。
泥の入った袋だった。
嫌がらせに撒くつもりだったらしい。
ぷるが、先に袋を包んだ。
ぷるん。
袋はきれいになった。
泥だけが、きれいに一か所へ寄せられている。
男は袋を見た。
「……掃除された」
ヒナが笑い転げた。
「やだ、嫌がらせが開始前に片づいた!」
ベロが鍋の前から怒鳴った。
「飯場の近くで泥袋出すな!」
三人目は、腐った魚汁の入った小瓶を袖から出した。
「これでも食らえ!」
男が小瓶を振りかぶる。
ぷるが床を滑った。
ぷるん。
男の足元に滑り込む。
「あ」
男は滑って、小瓶を自分の胸元に落とした。
ぶしゃっ。
腐った魚汁が、男だけにかかった。
門前が止まった。
一番近くにいた尾坂が、即座に一歩下がった。
「くさ! 寄るな!」
男は震えた。
「何だよ、仲間だろ!」
「臭い仲間はいらねえ!」
もう一人も鼻を押さえた。
「お前、臭い! 帰れ!」
ヒナが梁の上で笑い転げた。
「臭くて、仲間割れだ!」
ザガが鼻を押さえた。
「自爆だな」
クロの右が、低く言った。
「臭え」
男は半泣きで言った。
「帰りたい」
牧人は少し考えて言った。
「臭いな。風呂入るか?」
門前が、妙な静けさになった。
ザガが叫んだ。
「敵に風呂すすめるな!」
牧人は首をかしげた。
「臭いだろ」
ミズハが、すっと桶を持ち上げた。
「駄目よ、親父。風呂まで臭くなるわ」
魚汁まみれの男が、ミズハを見た。
「体を洗いたい――」
「任せて。ここで洗うわ」
ミズハが微笑んだ。
次の瞬間、ミズハが水を走らせた。
ばしゃあっ。
男は門前を転がった。
「ごぼっ、待て、洗うってそういう――」
「臭いのは落とさないと」
さらに水が来た。
ばしゃあっ。
ヒナが梁の上で腹を抱えた。
「やだ、風呂じゃなくて洗車!」
ザガが鼻を押さえたまま言った。
「人間用の水量じゃねえ」
ミズハは涼しい顔で言った。
「汚い人用よ」
ベロが鍋の前から叫んだ。
「こっちに流すなよ!」
ぷるが床を滑った。
ぷるん。
流れてきた魚汁混じりの水だけを、きれいに吸う。
ネムが短く言った。
「ぷる、仕事増えた」
魚汁まみれだった男は、地面に座り込んで震えていた。
「俺、ちょっと嫌がらせに来ただけなのに……」
牧人は頷いた。
「きれいになったな」
ザガが尾坂を見る。
「お前ら、何しに来たんだよ」
尾坂は手首を糸で止められたまま叫んだ。
「むしゃくしゃしてて、ちょっと嫌がらせしてやろうと思っただけだ!」
ベロが鍋の蓋を持ち上げた。
「飯場の近くでやるな!」
イトは梁の奥から短く言った。
「板」
「泥」
「魚」
「悪口」
ザガが低く言う。
「嫌がらせの種類が、全部小物だな」
尾坂は叫んだ。
「小物って言うな!」
イトの糸が、尾坂の手首をもう一巻きした。
尾坂はびくっとした。
「ちょ、締めるな!」
イトは梁の奥から短く言った。
「逃げる」
「逃げねえよ!」
「逃げる顔」
「顔で決めるな!」
ヒナが梁の上で腹を抱えた。
「確かに、逃げるって顔してる!」
イトの糸が、尾坂たち三人の足首にも絡んだ。
逃げないように、座らせる。
尾坂たちは、門前の端に並んで座る形になった。
尾坂が叫ぶ。
「何で座らされてんだよ!」
イトは答えた。
「逃げるから」
「逃げねえって言ってるだろ!」
「逃げる顔」
「また顔か!」
ヒナが梁の上で笑いすぎて、翼で柱を叩いた。
「やだ、顔だけで信用ゼロ!」
---
尾坂は座らされたまま、真木レンを見つけた。
レンは飯の列の端にいた。
椀を持っている。
顔色は悪い。
だが、逃げなかった。
尾坂は口元を歪めた。
「おい、レン。お前も落ちたな。魔物の飯で生きてんのか」
レンの肩が跳ねた。
だが、逃げなかった。
椀を持ち直す。
ナナが、レンの背を軽く叩いた。
イトの糸が、尾坂の口元を少し締める。
「うるさい」
尾坂は目を剥いた。
「俺、まだ悪口の途中だぞ!」
イトは短く答えた。
「豪志より、うるさい」
豪志が戸惑った表情で呟いた。
「俺より"うるさい"と言われてるやつ、はじめて見た」
ザガが小声で言った。
「お前の"うるさい"とは、種類が違うけどな」
ザガは座らされた尾坂を見た。
「飯場を荒らして、板を替えようとして、泥を撒こうとして、魚汁持ち込んで、レンに絡んだ。忙しいな」
尾坂は叫んだ。
「全部未遂だ!」
ベロが鍋の蓋を叩いた。
「未遂で済ませてもらってんだろうが!」
牧人は尾坂を見る。
「人を脅すな」
「飯の列でやるな」
「入口を汚すな」
尾坂は座らされたまま叫ぶ。
「そればっかりか!」
ベロが即答した。
「大事だからだ!」
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ローと国枝は、外の噂を確認しに来ていた。
その途中で、騒ぎにぶつかった。
記録石は構えていない。
だが、何が起きたかは見ていた。
澄玲もいた。
門前の混在状況を確認しに来ていたところだった。
彼女は半分剥がされた白閃牙の徽章を見て、表情を硬くした。
「白閃牙の崩れ者ですね」
尾坂が座らされたまま叫んだ。
「崩れ者って言うな!」
澄玲は無視した。
ザガが聞く。
「正式にやれるか」
「やります」
澄玲は即答した。
それから、間を置いて、付け足した。
「避難者への威迫。配給導線への妨害。汚損物の持ち込み」
さらに続ける。
「それと、封環層入口への汚染未遂」
尾坂が叫んだ。
「大げさだろ! 板を替えようとしただけだ!」
澄玲は淡々と言った。
「配給導線への妨害です」
「泥はまだ撒いてねえ!」
「汚染未遂です」
「魚汁は自分にかかった!」
「悪臭物の持ち込みです」
「悪臭物って何だよ!」
ベロが鍋の前で叫んだ。
「悪臭物だろうが!」
ヒナが笑いすぎて梁を叩いた。
「やだ、白閃牙崩れ、悪臭物で自分も悪臭物に!」
ローが低く言う。
「映像、要る?」
澄玲は一瞬だけ迷った。
「被害者の顔は出さないでください」
「分かってる」
ローは記録石を上げた。
座らされた尾坂たち。
倒れかけた板。
ぷるに掃除された泥袋。
水で洗われた魚汁男。
それだけを、ゆっくりと収めた。
ザガは画には入れなかった。
ローは小さく言った。
「これは回る」
ザガが睨む。
「変に回すな」
「分かってる。変に回さなくても回る」
澄玲が手帳を開いた。
「白閃牙崩れによる冥門組の本家門前妨害事件として、正式記録にします」
尾坂の顔色が変わった。
「待て。妨害事件ってほどじゃねえだろ!」
「白閃牙の徽章を所持」
澄玲は淡々と書く。
「避難者へ、白閃牙時代の関係を利用して威迫」
「配給導線の混乱を狙った行為」
「汚損物および悪臭物を所持」
「封環層入口への汚染未遂」
尾坂は黙った。
ヒナが小声で言う。
「やだ、澄玲さん、怒ると書き方が怖い」
ミズハが笑わずに言った。
「書類で逃げ道を塞いでるわね」
国枝が静かに頷く。
「良い塞ぎ方です」
---
白閃牙崩れは、全員で三人だった。
殺されてはいない。
怪我も大したことはない。
一人だけ、やたらと濡れている。
だが、三人とも動けない。
クロは門前で、目を細めているだけだった。
クロの右が低く言う。
「やるか」
牧人はクロを見る。
「噛むな」
右が答える。
「分かった。今はな」
「今だけじゃなくてな」
クロの右が、低く笑った。
尾坂たちの顔色が悪くなる。
ヒナが笑った。
「やだ、若頭の冗談、効きすぎ」
「冗談とは言ってねえ」
「怖いよ!」
ぷるは泥袋を処理し終えた。
ぷるん。
ネムが近づいて、ぷるを見る。
「平気?」
ぷるん。
「あとで、水、って」
ミズハがすぐに桶を持った。
「はいはい、口直しね」
ベロが叫んだ。
「粘体に口直しって何だよ!」
「気分よ」
「気分かよ!」
ニコは割れかけた板を見ていた。
暴れぬこと。
取らぬこと。
泣いたら、右奥。
端が少し欠けている。
イシコが近づき、欠けた部分を指でなぞった。
「直す」
ニコは頷いた。
「強くする」
イシコは短く言った。
「石にする」
ザガが慌てる。
「重くしすぎるなよ。人間が読める高さにしろ」
ニコが新しい板を出した。
板を替えるな
ザガは深く頷いた。
「それは出せ」
ニコはもう一枚出した。
板を破るな
「それも出せ」
さらにもう一枚。
魚汁を持ち込むな
ザガは止まった。
「それは普通すぎて、出すと逆に怖い」
ニコは言った。
「でも、いた」
「いたけどな」
ヒナが笑った。
「やだ、また必要な板が増えた」
---
澄玲が尾坂たちを引き渡す手配をした。
ただし、門前からそのまま解放はしない。
都市側へ正式に渡す。
イトは梁の上へ戻った。
だが、糸はまだ尾坂たちに繋がっている。
尾坂たちは門前の端に座らされていた。
それでも、目だけは入口や列の隙間を探している。
ローがそれを見て言った。
「座らされても逃げ道探すんだ」
イトは短く答えた。
「逃げる」
「こういうの、逃げる」
澄玲が頷いた。
「その通りです」
尾坂が睨んだ。
「いつまで縛ってんだよ」
イトは言った。
「渡すまで」
「ふざけんな」
「ふざけてない」
短い声だった。
尾坂は、それ以上何も言わなかった。
---
夕方には、門前は元に戻っていた。
飯の列。
足の列。
休む者の列。
少しだけ違うのは、柱に新しい板が増えたことだった。
板を替えるな
板を破るな
入口を汚すな
飯の列で暴れるな
ベロがそれを見て、満足そうに頷いた。
「最後のやつは大事だ」
ヒナが笑う。
「ホント、大事だよ。暴れないでほしい。面白いけど」
牧人は縛られて運ばれていく尾坂たちを見た。
「飯の列で暴れるなって言ったのにな」
ザガが言う。
「あいつらは飯を食いに来たんじゃねえ。嫌がらせに来たんだ」
牧人は少し考えた。
「飯場で、嫌がらせだダメだな」
「飯場以外でもダメだろ」
「そうか」
ヒナが梁の上で笑った。
「やだ、親父、基準がまず飯場」
「飯場は大事だろ」
ベロが即座に言った。
「大事だ」
ミズハが笑う。
「入口もね」
「入口もだな」
ぷるん。
ぷるも揺れた。
ネムが右奥から短く言う。
「奥、静か」
「泣いてない」
牧人は頷いた。
「なら、今日はそれでいい」
---
夜。
ローの記録は、顔を隠して外に出た。
世論は、割れなかった。
白閃牙崩れが、小さすぎた。
誰が見ても、嫌がらせだった。
誰が見ても、負けていた。
誰が見ても、板を替えようとした方が悪かった。
監察局の机に、澄玲の手帳が開いて置かれていた。
手帳の余白には、その日のうちに書かれた三行があった。
本家門前は、危険である。
ただし、現状、避難者と封環層入口の汚染を防いでいる。
白閃牙崩れによる妨害行為を確認。
そして、机の上、手帳の隣に、上席宛ての追記が一枚、置かれていた。
書かれていたのは、一行だけだった。
冥門組側の対応は、過剰ではない。
本家の門前では、割れかけた板が、石で補強されていた。
梁の上で、イトが短く言った。
「見てる」
その声がしただけで、門前は少し静かになった。




