利権屋が匂いを嗅いだら、国枝が笑った
本家の門前が中立地帯と呼ばれ始めた翌日、最初に増えたのは人ではなかった。
荷だった。
米袋。
毛布。
水桶。
乾いた藁。
古い布。
割れていない椀。
そして、誰が持ってきたのか分からない木箱が三つ。
三つの木箱には、どれも差出人がなかった。
ただ、蓋の端に、小さく同じ印が焼かれていた。
ベロが木箱を見て、鍋の蓋を閉じた。
「親分」
「何だ」
「荷が増えてる」
「飯が足りないって言ってただろ」
「足りねえのは飯だ。誰の荷か分からねえ箱は飯じゃねえ」
ザガが門前まで来て、木箱を蹴らない程度に足で押した。
「差し入れか」
「違います」
国枝が静かに言った。
全員が国枝を見た。
国枝は、いつものように静かだった。
ただ、その目だけが少し冷えていた。
「これは、置き荷です」
豪志が首をかしげた。
「置き配なら、誤配送ですかね」
牧人は木箱を見た。
「うち、何も頼んでないもんな」
「いえ、置き荷です」
国枝が即座に言った。
「頼んでいない荷を置くのが、手口です。開ければ受け取ったことにされ、あとから理由をつけるための荷です」
豪志が手を打った。
「あれですね。無料お試しって書いてあるのに、気づいたら定期購入になってるやつ!」
牧人は感心したように頷いた。
「おお。便利だな」
ザガが叫んだ。
「便利じゃねえ! 詐欺じゃねえか!」
ヒナが梁の上から顔を出した。
「やだ、荷物なのに怖い」
「怖い荷物ね」
ミズハが、笑わずに言った。
ベロが木箱から一歩下がる。
「じゃあ、開けない方がいいやつですか」
「開けたら、受け取ったことにされます」
国枝が答えた。
ザガの目が細くなった。
「誰だ」
「大手ギルド再編連合の、下請け商人です。名だけなら、梶浦玄馬」
まめじいが低く言った。
「玄馬、ですか」
「知ってるのか」
と牧人。
まめじいは首を横に振った。
「名ではなく、匂いですな。こういう手を使う者は、だいたい同じ匂いがします」
ニコが板を出した。
勝手に置くな
ザガが頷いた。
「それは出していい」
ニコは柱に立てかけた。
ヒナが小声で言う。
「やだ、今日は板が正しい」
「たまにはな」
とザガ。
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木箱は門前の外へ戻された。
置いた者は、見つからなかった。
だが、昼前には、置いた側の人間が来た。
梶浦玄馬は、笑顔の男だった。
よく笑うのではない。
笑顔を、外さない男だった。
年は四十前後。
服は派手ではない。
だが、布地も靴も、汚れ方まで計算されているように見えた。
荷を運ぶ者ではない。
荷がどう動くかを見る者だった。
梶浦は門前から一歩離れた場所で、深く頭を下げた。
「冥門組本家の皆様には、昨日より多くの避難者対応が発生していると伺いました。微力ながら、支援の道を整えに参りました」
ザガが言った。
「帰れ」
「ご挨拶だけでも」
「帰れ」
梶浦は笑顔を崩さない。
「もちろん、本家の判断を尊重いたします。ただ、これだけの人の流れができれば、いずれ要るようになります。食料も、寝具も、灰粉対策具も。搬入路の整理も」
牧人は聞いた。
「搬入路って何だ」
「安全に荷を運ぶための道です」
「道なら、あるだろ」
「ええ。ですが、安全な道は、管理しなければなりません」
国枝が静かに前へ出た。
「その管理を、あなたがする」
梶浦は国枝を見た。
「国枝さんですね」
「ええ」
「お噂は聞いております。静かに動く商人だと」
「あなたは、騒がしく動く商人ですね」
ヒナが梁の上で息を飲む。
「国枝さんが、出て行った」
梶浦は少しだけ笑った。
「私は、仕組みを作る商人です」
「仕組みではありません。入口です」
国枝は、木箱が戻された場所を見た。
「あなたが欲しいのは、避難者支援ではない。本家を通じた、安全な搬入路です」
梶浦の笑顔は、まだ動かない。
国枝は続けた。
「封環層。古い記録。深層素材。三旧支配域の奥へ通じる道。そこへ繋がる荷の流れ。あなたは、それを先に押さえたい」
門前が少し静かになった。
牧人は、よく分かっていない顔をしていた。
「荷を運びたいだけじゃないのか」
ザガが低く言う。
「親分、こいつは荷じゃなくて、道を買いに来てる」
「道は売ってないぞ」
「そうだけどよ」
梶浦は、そこで初めて笑顔を少し薄くした。
「誤解です」
国枝が静かに笑った。
本当に、わずかに。
ヒナが梁の上で固まった。
「やだ、国枝さんが笑った」
「これは珍しいわね」
ミズハも目を細める。
国枝は言った。
「誤解であれば、今後は冥門組の門前に荷を置かないでください」
「通行権を求めないでください」
「支援物資を使って、ここにいる者の名簿を作ろうとしないでください」
梶浦の笑顔が、止まった。
国枝は続ける。
「それでも支援したいなら、米だけを、通常価格で売ってください。売り先は、私です。冥門組ではありません」
梶浦は静かに国枝を見た。
「ずいぶん、強く出ますね」
「強く出ているのではありません」
国枝は淡々と言った。
「値段を聞いているだけです」
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その場で取引は成立しなかった。
梶浦は頭を下げて帰った。
だが、空気は残った。
ベロが鍋の前で小さく言う。
「国枝さん、今の勝ったんですか」
「勝っていません」
国枝は答えた。
「始まっただけです」
ザガが鼻を鳴らす。
「面倒だな」
「面倒です」
牧人は国枝を見る。
「米は買えるのか」
「買います」
「なら、いいな」
澄玲が手帳を開きかけて、止めた。
「今の流れで、米の心配だけですか」
「飯が足りないからな」
「そうですね」
澄玲は手帳を閉じた。
「そこは、ずっと一貫しています」
ヒナが笑った。
「褒めてるのか諦めてるのか分かんない」
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午後、国枝は門前の外でローと話していた。
本家の内側ではない。
本家から少し離れた、石垣の影だった。
ローは記録石を持っていなかった。
国枝が、持つなと言ったからだった。
「梶浦玄馬、動くと思う?」
ローが聞いた。
「動いています」
「もう?」
「昨日からです」
ローは顔をしかめた。
「早いなあ」
「こういう者は、匂いに来ます。飯、灰粉、封環層、旧石門、国家指定攻略組の撤退。外から見れば、すべて利権の匂いです」
「親分さんに言わなくていいの?」
「言いました」
「どこまで」
「米が要る、と」
ローは少し黙った。
「それ、ほとんど言ってない」
「親分さんは、まず米から判断します」
国枝は本家の門前を見た。
「だから、米の流れを押さえます」
ローは低く笑った。
「怖いね、商人」
「梶浦ほどではありません」
ローは少し声を低くした。
「あと一つ。黒冠の裏筋が、冥門組の荷の流れを拾ってる」
国枝の目が、少しだけ動いた。
ローは続けた。
「見てるのは千景本人じゃない。黒冠側の流通屋と情報屋だ。ただ、その奥で、鴉宮千景の名前が出てる」
国枝はすぐには答えなかった。
遠くで、ぷるが足裏検査をしている。
ヒナが笑っている。
ベロが鍋を守っている。
国枝は言った。
「確かな接触になるまでは、余計な火を増やすだけです」
「親分さんに言わなくていいのか」
「いま言えば、親分さんはこう聞きます」
「何て」
国枝は淡々と答えた。
「飯は足りるのか、と」
ローは少し考え、それから頷いた。
「言いそう」
「だから、まず足りるようにします」
「黒冠は?」
「火がこちらへ向いた時に、考えます」
ローは笑わなかった。
「黒冠の流通網がこっちを見てるのは、けっこう大きい話だよ」
「ええ」
「隠すの?」
「隠しません。早く出しすぎないだけです」
国枝は、石垣の影から本家を見た。
「本家は今、人と魔物を追い出さずに置いているだけです。そこへ別の名まで混ぜれば、外は物語を作ります」
「もう作ってるけど」
「これ以上、材料を渡す必要はありません」
ローはため息をついた。
「商人って、記録者より情報を嫌う時があるね」
「情報を嫌っているのではありません」
国枝は言った。
「値崩れを嫌っているのです」
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そのころ、澄玲は監察局の仮詰所で、報告書を書いていた。
最初の分類は、すでに消してある。
危険魔物集団。
その文字を消すのに、時間がかかった。
危険ではない、とは書けない。
危険性はある。
若頭。
ザガ。
ゴルム。
封環層への接続。
旧石門の反応。
深層灰を選別する高位粘体。
危険材料だけなら、十分すぎる。
だが、危険という一語では足りなかった。
澄玲は新しい文を書いた。
冥門組本家は、危険性の高い魔物集団である。
そこで手が止まった。
違う。
それだけでは、いま見てきたものが落ちる。
澄玲は続けた。
ただし、現状では都市圏の安定に寄与している。
筆が重くなった。
さらに、封環層への接続を確認。
本家門前には、人間避難者および封環層由来の小型種が混在。
暴力行為がない限り、排除されていない。
灰粉の流出防止、食事提供、休息場所の整理が行われている。
外部では、中立地帯との呼称が発生。
澄玲は息を吐いた。
報告書としては、かなりまずい。
潰すべき危険にも見える。
利用すべき拠点にも見える。
放置すべき異常にも見える。
守るべき避難先にも見える。
だから、上層部は怒る。
案の定、呼び出しは早かった。
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監察局の上席は、澄玲の報告書を机に置いた。
その向かいに、もう一人座っていた。
都市防衛局、警備統括官。
水越篤臣。
澄玲は、その顔を見て、少しだけ息を整えた。
水越は報告書を閉じる。
「久慈野監察官。確認します」
声は荒くなかった。
むしろ、静かだった。
「あなたは、冥門組本家を危険と認めている」
「はい」
「封環層への接続も確認した」
「はい」
「災厄級の黒い三つ首が門前にいる」
「はい」
「中層・旧保全路の区域ボスも出入りしている」
「はい」
「人間の避難者も流れ込み始めている」
「はい」
水越は、そこで初めて澄玲を見た。
「ならば、封鎖対象です」
澄玲は答えた。
「封鎖すれば、散ります」
「何が」
「人も、魔物も、灰粉も、情報もです」
水越の眉がわずかに動いた。
澄玲は続けた。
「冥門組を潰せば、門前にいる避難者が散ります。封環層由来の小型種も散ります。灰粉の流出経路も不明になります。旧石門への反応も、失われる可能性があります」
「だから、放置しろと?」
「いいえ」
澄玲は首を横に振った。
「監視、記録、制限、交渉が必要です。ただし、討伐対象として単純処理する段階では、ありません」
水越は静かに言った。
「善人であることと、危険でないことは別です」
「分かっています」
「守谷牧人が善人だとしても、あの場所は危険です」
「はい」
「災厄級が従っている時点で、都市防衛上の脅威です」
「はい」
澄玲は、そこで報告書の端を一度握り直した。
「冥門組は、問題です」
水越は黙っている。
「ですが、必要な問題です」
部屋が静かになった。
水越は、報告書をもう一度開いた。
「必要な問題、ですか」
「はい」
「私は、その表現を認めません」
澄玲は目を伏せなかった。
「認められなくても、現場はそうなっています」
水越は立ち上がった。
「では、私は都市防衛局として封鎖案を作ります」
澄玲の顔が少し強張る。
水越は続けた。
「即時討伐ではありません。封鎖です。人の流れ、物資の流れ、魔物の流れを止める」
「それは、本家を刺激します」
「刺激しない封鎖を考えるのが、こちらの仕事です」
水越は報告書を机に戻した。
「久慈野監察官。あなたの報告は読みました」
「ですが、私は親父を嫌っているのではない」
「危険を放置できないだけです」
その一文で、澄玲は理解した。
水越篤臣は、敵ではない。
だが、味方でもない。
本家を危険だと正しく見ている人間だった。
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同じころ、本家では、牧人が米袋を見ていた。
国枝が手配した米が、予定より少し早く届いたのだ。
ベロが袋を開ける。
「本物です」
「よかったな」
と牧人。
「よかったですけど、量は足りません」
「また買えばいい」
「金は」
牧人は少し考えた。
「畑を増やすか」
ザガが門前から振り返る。
「親分、急に農業で解決しようとするな」
「飯は畑からだろ」
「今欲しいのは、今の飯だ」
ヒナが梁の上で笑う。
「やだ、親父の解決策が長期的!」
ぷるが米袋の脇に寄って、軽く揺れた。
灰は、ついていなかった。
ネムが短く言う。
「米、きれい」
ベロが米袋を抱える。
「米はきれいでいいんだよ」
門前では、休む者の列がまだ残っていた。
人間がいる。
小型種がいる。
ゴルムが壁側で、邪魔にならないように座っている。
若頭が門前で目を細めている。
牧人はそれを見て言った。
「まあ、今日も何とかなったな」
まめじいが低く笑う。
「親父殿。何とかなる日が続くと、仕組みになりますぞ」
「仕組みは増やすな」
「もう、増えております」
ニコが板を持ち上げた。
本日の米
ザガが言う。
「それはいい」
ニコはもう一枚持ち上げた。
中立地帯、本日の米
「混ぜるな!」
ヒナが笑い崩れた。
「やだ、米まで中立!」
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その日の夜、外では、二つの話が同時に広がった。
冥門組の門前は、潰せない。人も魔物も、そこにいる。
そして、冥門組の荷の流れに梶浦玄馬が手を伸ばし、国枝に止められた。
監察局の奥では、澄玲の報告書が、水越篤臣の前に置かれていた。
冥門組は、問題です。
ですが、必要な問題です。
水越は、その一文をしばらく見ていた。
そして、静かに言った。
「ならば、必要なまま封じる方法を考えるしかない」




