国家指定攻略組が測りに来たら、灰環大迷宮に測り返された
朝飯の列が落ち着いたころ、門前に知らない二人組が立っていた。
一人は、背の高い男だった。
黒い探索外套を着ている。
腰に剣はある。
だが、抜く気配はない。
立っているだけで、門前の空気が少し締まった。
もう一人は、赤い髪を後ろで結んだ女だった。
手には細い測定具のようなものを持っている。
目が鋭い。
クロではなく。
牧人でもなく。
まず、床を見ていた。
ヒナが梁の上で翼を止める。
「やだ、強そうなの来た」
ザガが槍を持つ。
「強そうじゃねえ。強い」
豪志が雨よけの端から首を伸ばした。
「親分さん、あれ誰ですか」
「知らん」
牧人は鍋の横から二人を見た。
知らない。
だが、白閃牙とは違った。
前へ出すぎない。
声を張らない。
武器を見せつけない。
ただ、入っていい場所と悪い場所を見ている。
ミズハが桶を置いた。
「礼儀はあるわね」
ナナが短く言う。
「でも、見る」
イトが梁の上で頷いた。
「見る」
「いっぱい」
男が一歩だけ前に出て、頭を下げた。
「国家指定攻略組、榛名景吾です」
赤い髪の女も頭を下げる。
「同じく、緋村アオイです。戦闘目的ではありません。封環層入口と、この周辺の安全確認に来ました」
ザガの目が細くなる。
「安全確認?」
榛名は頷いた。
「測りに来ました」
豪志が小声で言う。
「測りに来ました、って言い方かっこいいですね」
ナナが言った。
「豪志、静かに」
「はい」
牧人は前に出た。
「測るだけなら、まあ」
まめじいが横から低く言う。
「親父殿」
「何だ」
「測られるものにも、いろいろございます」
「まさか、体重とか」
「違います」
ヒナが吹き出した。
「やだ、親父、国家指定攻略組に体重測定されると思ってる」
榛名の口元が、ほんの少しだけ動いた。
笑ったのかもしれない。
だが、すぐに真顔へ戻る。
「中へ入る前に、条件を伺います」
ニコが板を出した。
武器はここに置け
榛名は迷わず剣を外した。
アオイも短剣を外す。
ザガが少しだけ眉を上げる。
「素直だな」
榛名は答えた。
「相手の敷居を越えるなら、相手の決まりに従います」
ヒナが小声で言う。
「やだ、ちゃんとしてる」
豪志が頷いた。
「白閃牙に聞かせたいですね」
ザガが言う。
「名前を出すな。空気が汚れる」
ぷるが近づいてきた。
ぷるん。
榛名とアオイの靴の前で止まる。
アオイが足元を見る。
「これは?」
ベロが鍋の前から言う。
「足裏検査です」
「足裏検査」
アオイは一瞬だけ固まった。
ヒナが笑う。
「灰粉ついてたら、ぷる先生が取ってくれるよ」
「ぷる先生」
アオイの目が、初めてはっきり動いた。
ぷるが榛名の靴底を包む。
灰はなかった。
ぷるん、と横に揺れる。
次にアオイの靴底。
薄く、灰粉がついていた。
ぷるは灰だけを吸った。
泥は残した。
アオイの顔が変わる。
「選別している」
ミズハが笑った。
「そう。賢いでしょう」
アオイはしゃがみ込んだ。
「高位粘体です。しかも、ただ吸着するだけではない。深層灰と通常汚れを分けている」
ぷるん。
ぷるは少しだけ誇らしげに揺れた。
子どもが横から言った。
「ぷる先生、すごい」
アオイは子どもを見る。
それから、ぷるを見る。
「先生と呼ばれているのですか」
ヒナが胸を張った。
「先生の人気はすごいよ」
アオイは「先生」と口にしかけて、止めた。
代わりに、ぷるへ静かに頭を下げた。
ベロがぼそっと言う。
「スライムにお辞儀してる」
榛名は雨よけの中を見た。
飯の列。
子どもの列。
靴底を見るぷる。
灰粉の受け口。
ナナの戸。
ネムの寝床。
クロのいる門前。
そして、灰色の線。
榛名の表情は変わらない。
だが、目だけが少し重くなった。
「報告書より、整っていますね」
澄玲が、少しだけ苦い顔をした。
「報告書は、可能な限り正確に書いています」
「分かります。現場の方が、報告書より厄介なだけです」
ヒナが翼を震わせる。
「やだ、厄介って言われてる」
---
封環層入口までは、牧人とまめじいが案内した。
同行したのは少ない。
牧人。
まめじい。
クロ。
イト。
澄玲。
榛名。
アオイ。
ザガとイシコは門前に残る。
ヒナも残った。
「上から見るね。変なの来たら叫ぶよ」
「頼む」
ミズハは右奥。
ネムは寝床。
ぷるは灰粉の受け口。
ぷるは一度だけ牧人を見た。
ぷるん。
「ここ頼む」
ぷるん。
短い返事だった。
奥へ進むと、アオイはすぐに測定具を止めた。
「ここから先、数値が乱れます」
牧人が聞く。
「壊れたのか」
「壊れていません。壊れていないのに読めないのが問題です」
「そうか」
「そうです」
アオイは少しだけ困った顔をした。
イトが壁に張りつく。
「上」
「息」
「今日は、細い」
まめじいが頷いた。
「昨日より、道が締まりましたな」
榛名が聞く。
「締まった?」
「家の側が、少し整ったのでしょう。灰の流れを受け口へ寄せましたゆえ」
アオイが止まる。
「灰の流れを、寄せた?」
澄玲が小さく言った。
「旧帳場の反応で、灰受け口を設定しました」
アオイは黙った。
榛名も黙った。
牧人は二人を見る。
「まずかったか?」
アオイが答える。
「普通は、できません」
「掃除しやすくしただけだぞ」
「普通は、それもできません」
まめじいが低く笑った。
「親父殿は、深層の異常まで家の用事にしてしまいますな」
「だって、掃除だろ」
澄玲が、手帳を閉じずに言った。
「その“掃除”で片付けようとしてるのが、おかしいです」
---
封じられた扉の前に着いた。
扉は開いていない。
けれど、前とは違っていた。
輪郭が薄く浮いている。
中央の窪みに、灰色の点が残っている。
眠っている壁ではない。
閉じている門だった。
榛名は手を出さなかった。
距離を保ったまま、膝を少しだけ折って見る。
「触らないのか」
と牧人。
「触る許可を得ていません」
「扉にか?」
「あなた方にです」
牧人は少しだけ驚いた。
「ちゃんとしてるな」
榛名は真顔で答えた。
「ちゃんとしていない者が、深層で長く生きることはありません」
アオイはクロを見ていた。
正確には、クロの首ではない。
首の付け根。
肩。
脇腹。
前脚の付け根。
何かの痕がある場所を、順に見ていた。
クロの右が低く唸った。
アオイはすぐに目を伏せる。
「失礼しました」
牧人がクロを見る。
「痛むのか」
クロは短く答えた。
「痕だ」
牧人の脳裏に、はじめてクロと会った時の光景が浮かんだ。
首。
肩。
脇腹。
前脚の付け根。
黒い鉄杭が、いくつも刺さっていた。
ただの討伐杭ではない。
あの時も、そう思った。
アオイは、クロを見ないまま言った。
「討伐杭ではありません」
「分かるのか」
「打ち方が違います。討伐用なら、あの位置には残しません」
アオイはそこで言葉を切った。
「殺すため、というより……止めるための杭に見えます」
クロは答えなかった。
右も左も黙っている。
中央だけが、封鎖門を見ている。
榛名が静かに言った。
「アオイ」
「はい。ここまでにします」
牧人はクロの背を見る。
「クロ」
「昔の話だ」
「そうか」
それ以上、牧人は聞かなかった。
榛名は、そのやり取りを見ていた。
そして、ほんの少しだけ目を伏せた。
---
アオイの測定具が、突然、細く鳴った。
灰色の線が、床を走る。
門ではない。
門の横の壁だ。
イトが言う。
「横」
「開く」
まめじいの顔色が変わった。
「親父殿、少し下がってくだされ」
「何だ」
「旧石門です」
壁の一部が、ずれた。
大きくは開かない。
人が一人通れるほどでもない。
手のひらを入れれば届くほどの隙間だけができた。
そこから、冷たい風が吹いた。
そして、灰粉が出た。
細かい灰。
昨日のものより濃い。
床へ落ちると、灰色の線を伝って、本家の方へ流れようとする。
牧人が言った。
「また掃除が増えるな」
アオイが振り返る。
「今、それを最初に言いますか」
「灰が出てるだろ」
「出ていますが」
榛名が低く言った。
「ここは、開けるべきではありません」
まめじいも頷く。
「今はまだ」
牧人は壁の隙間を見た。
「じゃあ、閉めよう」
その時、隙間の奥から何かが覗いた。
目ではない。
顔でもない。
石の札のようなものが、こちらを向いた。
イトが短く言う。
「見る」
クロの中央の首が低く唸った。
石札が、音もなく震えた。
門前、確認。
家、確認。
掃除、確認。
牙、確認。
外客、確認。
アオイが固まった。
「外客?」
榛名が静かに言った。
「我々です」
次の瞬間、石札に薄い文字が浮いた。
外客、測定中。
牧人が首をかしげた。
「測られてるな」
榛名が答える。
「はい。こちらが測りに来たのに、向こうにも測られています」
「お互い様か」
「そういう軽い話ではありません」
まめじいが低く言う。
「親父殿。閉めましょう」
「そうだな。灰が出るし」
牧人がそう言った瞬間、灰色の線が隙間の前で細く光った。
閉鎖、要求。
理由、灰。
アオイが測定具を見たまま言った。
「理由が、灰?」
「灰が出ると、ぷるが大変だからな」
石札が震えた。
掃除係、ぷる。
負荷、確認。
旧石門、半閉鎖。
アオイが低く言った。
「旧石門が、スライムの負担を読んでいます」
榛名が聞く。
「報告書に書けるか」
「書きたくありません」
ずず、と音がして、壁の隙間が少し狭まった。
完全には閉じない。
けれど、灰の量は一気に減った。
石札に、薄い文字がもう一行浮いた。
本閉鎖、要記入。
家主、未記入。
牧人は安心した。
「これなら、ぷるが何とかするか」
まめじいは額に手を当てた。
「親父殿。半分しか閉まりませなんだ」
「半分で十分だろ」
「本閉鎖には、家主の名が要るようです」
牧人は首をかしげた。
「家主って、まだそれを聞くのか」
まめじいの声が低くなる。
「親父殿、答えてはなりませぬ」
「答えたら閉まるのか?」
「閉まるかもしれませぬ。別のものも、開くかもしれませぬ」
「面倒だな」
「だから、名でございます」
榛名が、ほんのわずかに口の端を動かした。
笑いそうになって、堪えたようだった。
アオイは真顔のまま、静かに言った。
「普通は、深層の旧石門の前で、家の名義の話はしません」
澄玲が手帳を閉じた。
「旧石門に、掃除係ぷるの負荷を理由とした半閉鎖が認められました。本閉鎖は、家主未記入のため保留」
牧人は少し考えた。
「いいことじゃないのか」
アオイが小さく言った。
「普通は、旧石門は人の事情で閉まりません」
榛名も頷いた。
「まして、スライムの負担を理由にはしません」
牧人は言った。
「ぷるの労働環境は守ってやらないと、残業させたら可哀そうだろ」
誰も、すぐには返せなかった。
クロだけが、低く息を吐いた。
---
榛名はそこで、探索を打ち切った。
「これ以上は見ません」
牧人が聞く。
「もういいのか」
「十分です」
アオイは測定具をしまった。
「正確には、十分すぎます」
「まだ奥、見てないぞ」
榛名は首を横に振った。
「奥を見るには、準備が足りません。こちらの」
「そうなのか」
「はい」
榛名はまっすぐ牧人を見た。
「本家と封環層の関係は、報告書より進んでいます」
澄玲が疲れた顔をした。
「私の報告書が遅いような言い方はやめてください」
「現場が早すぎるのです」
「それは否定しません」
アオイはクロへ頭を下げた。
「無礼な観察をしました」
クロは答えない。
牧人はクロを見た。
「謝ってるぞ」
クロの右が、低く言った。
「見ただけだ」
左は答えない。
中央も答えない。
アオイは、その沈黙のほうに、もう一度頭を下げた。
クロの右が、ほんの少しだけ牙を見せた。
牧人はクロを見た。
「噛むなよ」
右が短く答えた。
「今はな」
「今だけじゃなくてな」
右は低く笑った。
榛名は苦笑した。
「帰ります」
---
門前へ戻ると、ヒナが真っ先に聞いた。
「どうだった?」
牧人は答えた。
「測りに来たのに、測られて帰るらしい」
ヒナが目を丸くする。
「やだ、何それ」
アオイが真面目に頷いた。
「おおむね、その通りです」
ザガが榛名を見る。
「何もせず帰るのか」
「はい」
「本当に、測りに来ただけか」
「はい。そして、測りきれませんでした」
アオイが少しだけ横を見る。
「私たち、何もしていませんよね」
榛名は旧石門の方を見た。
「何もしていない。見ただけだ」
「見ただけで、門が半分閉じました」
「だから、帰る」
その場が静かになった。
豪志が小声で言う。
「ただの撤退なのにカッコイイな。俺も負ける時は、ああいう品を出したい」
ナナが言った。
「お前は、常に負けている」
「ひどい!」
ベロが鍋の前で言った。
「飯は食っていきます?」
榛名は一瞬止まった。
アオイも止まった。
牧人が言う。
「来たなら食っていけばいいだろ」
榛名は少し迷ってから、頭を下げた。
「いただきます」
ヒナが笑った。
「やだ、国家指定攻略組が本家のご飯食べて帰る」
ミズハが笑う。
「それくらいはしていきなさい。測定だけじゃ、お腹はふくれないもの」
ぷるが近づいた。
ぷるん。
榛名とアオイの足元をもう一度見る。
アオイの靴に、封環層の灰が少しついていた。
ぷるが吸う。
アオイは静かに言った。
「ありがとうございます、ぷる先生」
ぷるん。
ヒナが梁の上で震えた。
「国家指定攻略組にまで、先生って呼ばれた!」
ベロが頭を抱える。
「もう止められねえ」
---
夕方には、話が変な形で広がっていた。
国家指定攻略組、冥門組を前に撤退。
封環層入口、測定不能。
旧石門、冥門組の事情で半閉鎖。
ぷる先生、国家指定攻略組にも対応。
ローは頭を抱えた。
「最後だけ変じゃない?」
国枝が静かに言う。
「最後が一番広がるでしょうね」
「ですよね」
澄玲は報告書を見つめていた。
国家指定攻略組、戦闘判断を回避。
封環層旧石門、一部反応。
掃除係ぷるの負荷を理由に、半閉鎖。
本閉鎖は、家主未記入のため保留。
黒い三つ首の痕に、封鎖門側の反応あり。
書けば書くほど、危険な組織に見える。
だが、実際に牧人が言ったのは、
灰が出ると、ぷるが大変だからな。
それだけだった。
澄玲は手帳を閉じた。
「報告書とは、何なのでしょう」
ヒナが横から覗いた。
「やだ、監察官が壊れかけてる」
---
夜。
榛名とアオイは、帰り際にもう一度だけ本家を見た。
雨よけの下では、子どもが飯を食べている。
ぷるが床を掃除している。
クロが門前にいる。
牧人が鍋の横で、ベロに何か言われている。
アオイが低く言った。
「危険です」
榛名は頷いた。
「危険だな」
「でも、壊す場所には見えません」
「そうだな」
「報告はどうしますか」
榛名は少し考えた。
「戦闘不可、ではない。戦闘非推奨」
アオイは頷いた。
「理由は」
榛名は本家を見た。
「測定不足」
「本音は?」
「飯の匂いがする場所を、初手で壊す判断はできない」
アオイは少しだけ笑った。
「報告書には書けませんね」
「書かない」
アオイは少し迷ってから、聞いた。
「それでいいのですか」
榛名は答えなかった。
答えない代わりに、もう一度だけ雨よけの下を見た。
子どもが、毛布を膝にのせて、椀を抱えていた。
榛名は、それで決めたようだった。
二人は門前を離れた。
その背中を、イトが梁の上から見ていた。
「帰った」
「でも、また来る」
牧人は鍋の横から顔を上げた。
「そうなのか」
イトは頷いた。
「見る」
「もっと」
牧人は少し困った顔をした。
「見るだけなら、まあいいか」
まめじいが低く言った。
「親父殿。見るだけで済む者ばかりではありませぬぞ」
牧人は本家の奥を見た。
灰色の線は、今夜も薄く光っている。
封環層の旧石門は、半分閉じたまま、静かにこちらを見ているようだった。
牧人は言った。
「灰が出るなら、明日も掃除だな」
ぷるん。
ぷるが短く揺れた。
まめじいはため息をつく。
「迷宮攻略を、掃除で進める家など、そうありませぬ」
ヒナが笑った。
「そこが本家っぽいんじゃない?」
牧人はよく分からないまま、頷いた。
雨よけの外で、夜の風が通った。
旧石門は、まだ開かなかった。
けれど、閉じたまま、道を一本だけ覚えていた。
掃除係ぷる。
負荷確認。
半閉鎖。
本閉鎖、要記入。
そして、その下に、ごく薄い文字が浮かんでいた。
外客、測定中。
家主、未記入。
待機中。




