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ぷる先生が人気すぎて、世論が割れた


灰色の線が本家を「家」と認めた翌朝、最初に困ったのは、飯ではなかった。


床だった。


雨よけの下に、薄い灰が出ていた。


昨日までなかった灰である。

灰色の線の周りに、細かい粉のようなものが浮いている。

触ればつく。

払えば舞う。

水をかけても、すぐに床へ戻る。


ベロが鍋を抱えたまま、顔をしかめた。


「何だこれ。朝から床が汚い」


ザガが槍の石突きで床をつついた。


「灰か?」


まめじいが目を細めた。


「古い粉でしょうな。昨日、奥の門が目を覚ましましたから」


牧人は床を見る。


「掃除すればいいのか」


ベロが即答した。


「親分、朝飯前に掃除するのか」


「でも、飯の列に粉があるとまずいだろ」


「それはそうだけど」


ぷるが近づいた。


ぷるん。


揺れた。


そして、灰を吸おうとした。


一口。


ぷるん。


もう一口。


ぷるるん。


ぷるは止まった。


ヒナが梁の上から覗き込む。


「やだ、ぷるが嫌そう」


ミズハが桶を置いた。


「普通の汚れじゃないわね。水で流すと、余計に広がる」


ぷるがもう一度、灰粉に近づいた。


今度は、ゆっくりだった。


ぷるん、と体を広げる。

床に薄く伸びる。

灰粉を包む。


吸うのではなく、押さえるように、巻き取る。


灰色の粉が、ぷるの体の中で黒く沈み、すぐに薄くなった。


ヒナが息を止める。


「ぷる、食べてる?」


まめじいが首を横に振った。


「食べてはおりませぬ。灰だけを選り分けておりますな」


ヒナは首をかしげた。


「やだ、掃除の先生みたい」


その一言を、雨よけの端にいた子どもが聞いていた。


昨日、灰色の線の内側で眠った子である。

まだ顔色は薄い。

けれど、目は昨日より開いている。


子どもは、ぷるを見て、小さく言った。


「ぷる、先生?」


ぷるは答えない。


答えないまま、灰粉を一枚ずつ床から剥がしていく。


ヒナが笑った。


「決まった。ぷる先生だ」


ベロが鍋を置いた。


「やめろ。変な名前を増やすな」


ニコが板を持って立った。


「ぷる先生」


ザガが叫ぶ。


「書くな!」


ニコは少し考えた。


ぷる先生の床


「悪化した!」


---


問題は、すぐ大きくなった。


飯の列に並んでいた男が、灰粉を踏んだ。

それだけならよかった。


靴の裏についた灰粉が、雨よけの外へ広がりかけた。


イトが梁の上で言う。


「足」

「灰」

「外、行く」


ザガが男を止める。


「待て」


男はびくっとした。


「何ですか」


「足、見せろ」


「え、俺、何かしました?」


「してねえけど、灰ついてる」


男が足を上げる。

靴底に、薄い灰がついていた。


その瞬間、ぷるが動いた。


ぷるん。


男の足元へ移動する。

靴底を包む。


男が固まった。


「え、何、何ですかこれ」


ヒナが梁の上から言う。


「ぷる先生の足裏検査」


「検査!?」


ぷるは靴底の灰だけを吸い、泥は少し残した。


ベロが感心する。


「泥は残すのか」


ミズハが笑った。


「灰だけを選んでるのね。普通の泥は管轄外かしら」


ぷるん。


ぷるは少しだけ誇らしげに揺れた。


子どもが言った。


「先生、すごい」


子どもの声で、雨よけの下が、ほんの少しにぎやかになった。


ぷるは、何でもない顔で次の灰粉を吸った。


しばらくして、別の子が、おずおずと靴を出した。


「ぼくも」


さらに別の子も来る。


「わたしも」


ベロが青ざめた。


「待て待て待て。飯の列の前で、足裏検査の列を作るな!」


ニコが板を書く。


ぷる先生の足裏検査


ザガが叫ぶ。


「やめろ!」


ヒナは笑いすぎて、梁から落ちかけた。


「やだ、ぷる先生大人気!」


牧人は少し考えて言った。


「灰が広がるよりはいいな」


ザガが頭を抱える。


「親分は、のんびりし過ぎだ」


まめじいは帳面を開いていた。


「灰粉付着者、八名。ぷる殿による除去、八名」


「帳面に書くんだ」


ヒナが笑う。


「必要ですからな」


ぷるん。


ぷるは揺れた。

いつもの掃除の揺れより、少し重かった。


ネムが小さく言う。


「ぷる、疲れた?」


ぷるは答えない。

答えないまま、床の灰だけをもう一度包んだ。


牧人が眉を寄せる。


「ぷる、無理するなよ」


ぷるん。


短い揺れだった。


無理ではないが、楽でもない。


そんな揺れだった。


---


そこへ、外から声がした。


「撮っていいですか?」


ローだった。


雨よけの外で、記録石を手にしている。

横には国枝もいた。


まめじいが即座に言う。


「駄目ですな」


ローは素直に記録石を下げた。


「ですよね」


ヒナが不思議そうに聞く。


「あれ、今日は粘らないの?」


ローは灰粉を見た。


「これ、出したら駄目なやつだよ」


ベロが顔をしかめた。


「何でだよ。掃除してるだけだろ」


ローは記録石を下げたまま、雨よけの下を見た。


「映像だけ見た人には、そう見えない。深層由来の灰を処理できる高位粘体を、冥門組が運用してるように見える。しかも、その周りに子どもが集まって、先生って呼んでる」


ヒナが翼をすぼめた。


「たしかに」


国枝が静かに頷いた。


「外部から見れば、保護施設ではなく、除染施設か訓練場に見えるでしょう」


牧人はぷるを見る。


「ぷるは掃除してるだけだろ」


「実際を知っている者には、そう見えます」


と澄玲が牧人に言った。


「ですが、映像だけが出れば、危険性の方が先に見えます」


と澄玲が続けた。


いつの間にか手帳を開いている。


「普通は、深層由来の粉を掃除できません」


「そうなのか」


「少なくとも、簡単に処理できるものではありません」


まめじいが低く言う。


「封環層の古い粉です。表に出れば、人の手では収まりませぬ」


雨よけの下が、少し静かになった。


牧人は、ぷるに靴底を拭かれている子どもを見る。


「でも、処理してくれてるぞ」


「だから問題です」


ヒナが笑う。


「やだ、凄すぎて問題になるやつ」


澄玲は否定しなかった。


---


灰粉を踏んだ者は、結局十六人いた。


ぷるは全員の靴底を見た。

ついでに、床も磨いた。

ついでに、鍋の前に落ちた粥も吸った。

ついでに、豪志の裾についた泥も取った。


豪志は感動した。


「ぷる先生! 俺の裾まで!」


ぷるん。


ぷるは豪志の裾から泥を取った。

そのまま、豪志の靴にべったりついた外の土も取った。

さらに、腰の袋についた粉も取った。


豪志が両手を広げる。


「俺、磨かれてる!」


ナナが短く言った。


「単純に汚いだけ」


「ひどい!」


ザガが呆れる。


「磨かれてるんじゃねえ。掃除されてるんだ」


「男っぷりに磨きがかかってるんだから、同じじゃないですか」


「違う」


ミズハが笑った。


「働く男は、汚れてるくらいがセクシーよ」


ヒナが腹を抱える。


「やだ、セクシーって言葉が似合わない」


豪志は少し誇らしそうだった。


「冥門組のセクシー担当として、頑張ります!」


「頑張るな」


ザガが、うんざりした顔で言った。


---


騒ぎの隙をついて、雨よけの外にいた商人らしき男が、そっと小瓶を出した。


灰粉を少し採ろうとしたのだ。


イトが見ていた。


「びん」


ザガが振り向く。


「何だ」


「灰、取る」


男は慌てて笑った。


「いや、調査用に少しだけ――」


男の指先には、灰粉が薄く張りついていた。

爪の端が、かすかに灰色に濁っている。


ぷるが動いた。


男の足元ではなく、小瓶へ。


ぷるん。


小瓶の口に、ぷるの体の端が、細く伸びた。


中の灰を吸う。

ついでに、小瓶の中の油汚れも吸う。

さらに、男の指先についた灰粉も取る。


男は硬直した。


「瓶が……きれいに……」


ベロが言った。


「よかったな。新品みたいだぞ」


ヒナが笑う。


「やだ、盗もうとした灰まで掃除された」


澄玲は手帳に書いた。


深層由来物、無断採取の試み。


国枝が静かに横へ立った。


「商談でしたら、正式な手順を踏みましょう。勝手に拾う方とは、取引しません」


男は小瓶を抱えたまま頭を下げ、逃げるように去った。


豪志が小声で言う。


「今の、ぷる先生の授業っぽかったですね」


ザガが聞く。


「何の授業だ」


「道徳です。人のうちの物を勝手に持って帰るな、です」


ナナが頷いた。


「大事」


ニコが板を書く。


勝手に持って帰るな


ザガは板を見て、少しだけ黙った。


「……それは出していい」


ニコは頷いた。


---


昼前には、雨よけの下に妙な列ができていた。


飯の列ではない。

靴底を見る列である。


ぷるは先頭にいる。

子どもたちは、ぷるの前で片足ずつ上げる。

ぷるが揺れる。

灰粉があれば取る。

なければ、ぷるん、と横に揺れる。


ヒナが上から号令をかけた。


「はい、次。足、上げて。やだ、違う違う、靴を飛ばしちゃダメ!」


ベロが叫ぶ。


「飯の列と足の列を混ぜるな!」


ミズハが桶を持って笑う。


「完全に手習い場ね」


ネムが子どもの額に手を当てる。


「熱、下がった」

「足、きれい」


子どもは小さく言った。


「ぷる先生、やさしい」


ぷるは答えない。


答えないまま、その子の毛布の端についた灰粉だけを吸った。


牧人はそれを見て言った。


「ぷる、助かるな」


まめじいは低く頷いた。


「助かりますな」


「なら、いいことだろ」


「ええ。内側では」


牧人はまめじいを見た。


「外では?」


まめじいは雨よけの外を見た。


「外では、深層由来の灰粉を処理できる高位粘体が、子どもたちの足を検査し、汚染物を回収しているように見えるでしょうな」


牧人は少し考えた。


「でも、合ってるだろ?」


「合っているから困るのです」


ヒナが梁の上で、あごを触りながら言った。


「難しいんだね」


---


その日の夕方、ローは記録石を抱えて戻ってきた。


配信はしていない。

だが、外側ではもう噂になっていた。


「出してないのに、広がってます」


ザガが顔をしかめる。


「何がだ」


ローは困った顔で言う。


「ぷる先生」


雨よけの下が静かになった。


ベロが鍋の蓋を落としかける。


「もう?」


「はい。外で靴をきれいにされた人が話しました。あと、灰粉を採ろうとして瓶まできれいにされた商人も」


国枝が目を閉じた。


「余計なことを」


ローは続ける。


「意見、割れてます」


「どう割れてる」


と澄玲。


ローは指を折った。


「子どもに懐かれるなら安全だと言う者と、深層灰を処理できるなら危険だと言う者で、半々です」


「他には」


「ぷる先生かわいい、って声も多いです」


ローは、ぷるを見ながら続けた。


「あとは、冥門組は子ども向けの学校を始めたのか、いや除染施設だろう、で揉めてます」


ヒナが吹き出した。


「アハハ、学校と除染で揉めてる!」


豪志が胸を張った。


「俺、学校の方がいいと思います!」


ザガが言った。


「お前は黙ってろ」


ナナも言った。


「黙る」


「はい!」


澄玲は手帳を開く。


「外部認識、確認。高位粘体による灰粉除去行為が、教育行為または除染行為として解釈され始めている」


澄玲の記録は、市属ダンジョン監察局の一次記録としてまとめられ、必要項目だけが都市防衛局へ共有される。


書いてから、手が止まった。


「……自分で書いていて、意味が分からなくなります」


ミズハが楽しそうに笑った。


「でも、合ってるわよ」


「それが一番困ります」


---


牧人は、ぷるを見た。


ぷるは雨よけの端で、今日最後の床を磨いていた。

灰色の線の横を、丁寧に。

線そのものには触れずに。


子どもが近づいて、小さく頭を下げた。


「ぷる先生、ありがとう」


ぷるん。


ぷるは少しだけ揺れた。


その揺れを見て、ヒナが小声で言う。


「やだ、照れてる」


豪志が驚いて言った。


「スライムって照れるんですか」


ベロが鍋をかき混ぜながら言った。


「ぷるは照れるよ」


「さすが、ぷる先生」


なぜか、豪志は涙ぐんだ。


牧人は笑った。


「先生って呼ばれてるぞ」


ぷるん。


ぷるは答えない。

けれど、子どもの足元だけ、もう一度きれいにした。


まめじいはその様子を見て、帳面を閉じた。


「親父殿」


「何だ」


「本家に、また一つ役目が増えましたな」


牧人は首をかしげる。


「掃除か?」


「はい。掃除です」


まめじいは低く笑った。


「ただし、深層を相手にした掃除です」


牧人はぷるを見る。


「ぷる、無理はするなよ」


ぷるん。


ぷるは短く揺れた。


無理ではない。

そう言っているように見えた。


---


その夜、雨よけの外では、まだ噂が流れていた。


冥門組には、子どもの足を見てくれる先生がいるらしい。


冥門組には、深層の灰を消せる粘体がいるらしい。


冥門組は、保護の場なのか。

除染の場なのか。

学校なのか。

危険な魔物の組なのか。


答えは誰にも分からなかった。


ただ、本家の床だけは、今までで一番きれいだった。


そして、灰色の線の周りには、また少しだけ、新しい粉が浮き始めていた。


ぷるは、それを見て、ぷるん、と一度だけ揺れた。


明日も、掃除だ。


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