留守を狙った末路
クロが一歩、前へ出た。
三つの頭が同時に低くなる。右が唸る。左が鳴る。中央だけが、八代をまっすぐ見ている。
門前の空気が変わった。
白閃牙の後列が、足を止めた。前列も動かない。八代だけが短槍を構えたまま立っている。
だが、構えた槍先が、微かに震えていた。
牧人が門前をもう一度見渡した。
割れた床。欠けた石壁。外れた戸板。傷の入ったゴルム。壁に寄るヒナ。壁際のイト。踏ん張っていた若い衆。
そして、潰れた芋が三本。
「……ゴルム」
「ああ」
「怪我は」
「左肩だけだ。止まっとる」
「ヒナ」
「ちょっと痛いけど、大丈夫だよ」
牧人は頷いた。それだけで十分だった。
寝床側の仕切りの奥では、ネムが毛布を抱えたまま立っていた。
奥へ下げた小型種を外へ出さないように、ずっと戸の前にいたらしい。
顔は少し青い。
でも、逃げてはいなかった。
牧人は一度だけそちらを見た。
「ネム」
「……奥、出してない」
「そうか」
「小さいの、泣いた。でも、出してない」
「偉い」
ネムは小さく頷いて、毛布を抱え直した。
それだけで、牧人の顔が少しだけ冷えた。
視線が八代に戻る。
「八代」
八代は答えない。
「留守を狙って入ったな」
沈黙。
「封鎖を越えて、門前まで来て、うちの者を傷つけた」
八代の唇が動いた。
「——だから何だよ。てめえにはむかついてんだよ!だから思い知らせてやるために来た!」
「そうか」
クロが一歩出た。
だが、牧人が先に言う。
「クロ」
中央の耳が動く。
「今日は休め。前には出るな」
右が少し笑う。
「まだ噛める」
「知ってる」
と牧人。
「でも今日は、もういい」
右が笑う。
左が低く鳴る。
中央は何も言わなかった。
牧人が一言だけ言った。
「イシコ」
イシコが顔を向ける。
牧人は門前を一度見渡した。
荒らされた床。
蹴散らされた若い衆。
そして、短く言った。
「任せた。やってやれ」
それだけだった。
イシコは前へ出た。
静かだった。
でも、明らかにさっきまでと違った。
本家の石畳が、イシコの一歩に合わせて少しずつせり上がる。
割れた床の継ぎ目が閉じる。
崩れた縁が立つ。
まるで、家そのものがイシコの足元へ寄ってくるみたいだった。
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イシコが一歩踏んだ。
床が変わった。
白閃牙の足元の石が、波のように動いた。立っていた者が膝をつく。踏ん張ろうとした者の足首を石が包み込む。三人が同時に転がった。
後列の一人が叫ぶ。
「な——床が!」
もう遅い。
石が足を掴む。膝を掴む。腰まで沈む者もいる。白閃牙の八人のうち五人が、三秒で動けなくなった。
残った三人が後ろへ下がろうとする。
ザガの槍が、その退路を塞いだ。
「どこ行くんだ」
ミズハが水桶を傾けた。床に薄く水が広がる。その水が白閃牙の足元だけに集まり、石と水の間で靴底が滑る。一人が尻餅をついた。
「汚いから、あんまり暴れないでくれる?」
ベロが鍋蓋を構えた。
「鍋蓋いる?」
「いらねえよ」
とザガ。
「念のため」
とベロ。
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八代だけが、まだ立っていた。
イシコの石が足元に来る前に、短槍で床を突いて跳んでいた。A級の反応速度。それだけは本物だった。
だが、着地した先の床も——イシコの石だった。
右足が沈んだ。
「っ——」
八代が短槍を振る。石の床に叩きつけて足を引き抜くつもりだった。
床がずれた。
槍が空を切った。
左足も沈んだ。膝まで。
「離せ!」
イシコは何も言わなかった。
石の拳を振り下ろす。
一発目。
八代はガードするが、短槍が手から離れかけて、意地で握り直す。
「ぐっ——」
二発目。
骨が軋む音がした。白閃牙の装具が歪む。八代の顔が潰れたように歪んだ。
三発目。
鎧ごと押し潰された。肩当てが割れて飛んだ。金具が床に散らばる。
「が、あ゛——っ」
四発目。
八代の体が跳ねた。だが腰から下は石に埋まっている。逃げられない。跳ねた体が石に叩き戻された。背骨が床を打つ音がした。
「やめ——」
五発目。地を這うようにな拳だった。
八代の下半身が抜けて頭から後ろに飛んだ。歯の欠片が散った。目が泳ぐ。短槍がようやく手を離れて、乾いた音を立てて転がった。
さらに、六発目。
今度は深い。石の拳が八代の体を門前の壁際まで押し込んだ。背中が壁にぶつかり、壁にひびが入った。
八代の体はそのまま、壁と石の間に挟まれている。顔だけが出ている。鎧は肩と胸が潰れ、右の腕が変な方向に曲がっている。
「壁は直す。お前は直さない」
イシコが口を開いた。
八代は答えなかった。意識はある。目は開いている。だが、声が出ない。口の端から血と唾液が糸を引いて落ちた。
ザガが見下ろした。
「折れてるな、肋骨。三本か四本」
「五本だと思うわ」
ミズハが水桶を傾けて、床の血を流した。
「汚れるから、早く出して」
ベロが鍋蓋を手に持ったまま、首を傾げた。
「もう一発いる?」
「いらん」
牧人が止めた。
「もういい」
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ローが石の記録石を取り出した。
「撮れてますよ、親分。最初からずっと回してました」
国枝が横に並ぶ。
「封鎖破り、不法侵入、器物破損、傷害。映像は全部記録しております」
「全部?」
と牧人。
「ええ、記録してます」
牧人が八代を見た。
八代は壁と石の間に挟まれたまま、動かない。短槍は三つに折れて床に転がっている。
「お前、留守を狙って入ったな」
さっきも言った。だが、今度は確認ではない。記録に残すための言葉だった。
八代は答えない。
「封鎖区を越えて、門前まで来て、うちの者を傷つけた。言い訳があるなら聞く」
沈黙。
「ないか」
牧人が背を向けた。
「ローと国枝、映像を監察局に送ってくれ。八代の処分は向こうに任せる」
「了解です」
「イシコ、十分だ。こいつら出してやれ」
イシコが足を踏んだ。石がゆっくり開く。白閃牙の動けなかった者たちが転がり出た。全員、立てなかった。
「這って帰れ」
牧人がそれだけ言って、門前に戻った。
豪志が後ろから顔を出した。
「親分、すごかったっすね。俺も何かやります」
「じゃあ、芋を拾え」
「芋!?」
「散らばってるからな。拾ってくれ」
「はい!」
素直だった。
「そういえば、お前無事だったんだな。珍しく大人しいから気づかなかった」
とローが言った。
「姐さんの戦いに圧倒されてた」
と豪志。
「よかったですね。心配しましたよ」
と国枝も安心したように言った。
「心配かけました。もう一人歩きは控えます」
と豪志は照れくさそうに言った。
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翌日。
映像は回った。
監察局の久慈野が堂前を訪ねたのは、昼前だった。
「堂前さん。お忙しいところ恐れ入ります」
久慈野が記録石を机の上に並べた。
「先日の件です。冥門組の門前にて、白閃牙が封鎖区域を越え、不法に侵入しております」
堂前が記録石に手を伸ばした。映像が浮かぶ。
八代が先頭に立っている。白閃牙の八人が後ろに並んでいる。封鎖の札を踏み越え、門前に入り、ゴルムに斬りかかっている。
堂前の顔が変わった。
「……これは」
「さらに、冥門組の本家に対し、門前の床・壁を破壊。留守番役や若い衆にまで武器を使っています」
久慈野がさらに記録石を再生した。ヒナが壁にぶつかる映像。ゴルムが肩を斬られている映像。芋が潰れている映像。
堂前が椅子から立った。
「……八代が、やったのか」
「はい。指揮は八代さんです。映像が記録されており、捏造の余地はありません」
堂前の拳が握られた。
「堂前さん。もう一つ、お伝えしなければならないことがあります」
「……まだあるのか」
「白閃牙そのものが、処分を受ける可能性があります」
堂前が止まった。
「……処分」
「封鎖破りと集団侵入は、個人の暴走ではなく、組織的行動と判断される可能性があります。その場合——白閃牙は解散の対象になります」
久慈野は淡々と言った。
堂前の顔が赤くなり、その後白くなったが、少ししてまた赤くなった。
拳が震えていた。怒りだった。
「……八代を呼べ」
「はい」
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八代が入ってきた。
肋が折れている。肩が潰れている。右腕がまともに動いていない。壁に手をつきながら、堂前の前に立った。
堂前は座っていた。
しばらく何も言わなかった。
「……八代」
「はい」
「お前、何をしたか分かっているのか」
八代は答えなかった。
「封鎖を越えた。門前に入った。冥門組を狙った。守りの者を傷つけた」
堂前の声が低くなる。
「——それだけじゃない」
堂前が八代を見た。
「お前のせいで、白閃牙が潰されるかもしれん」
八代の目が動いた。初めて、表情が変わった。
「……潰される?」
「解散だ。お前が勝手に動いたせいで、全員が巻き込まれる。お前一人の話じゃなくなったんだ」
八代の唇が動いた。何か言おうとした。
「黙れ」
堂前が立った。机を叩いた。記録石が跳ねた。
「白閃牙は俺が作った。俺が育てた。俺が名前をつけた」
声が震えた。
「それを——お前が——留守狙いなんていう、最低の真似で——」
声が割れた。
堂前が八代の前に立った。八代より頭半分低い。だが、見上げる目に容赦はなかった。
「出ろ」
八代が口を開きかけた。
「出ろと言った」
堂前が八代の肩当て——すでに半壊している——を掴み、引き剝がした。金具が飛んだ。白閃牙の紋章が床に落ちた。乾いた音がした。
「腰の印も外せ」
八代の手が震えた。腰の印をゆっくり外す。床に落ちる。二つ目の乾いた音。
「短槍は」
「……折れました」
「折れた」
堂前が繰り返した。
「そうか。お前にはもう何も残ってないな」
堂前が背を向けた。
「今日からお前は白閃牙じゃない。名前も印も装備も、全部置いていけ。二度と白閃牙を名乗るな。——二度と俺の前に立つな」
八代が一歩下がった。もう一歩。壁にぶつかった。
そのまま、壁伝いに部屋を出た。
誰も見送らなかった。
廊下で八代が膝をついた。立てなかった。
しばらくそこにいた。
誰も助けに来なかった。
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本家の門前。
翌朝。
ヒナが天井から降りてきた。
「……静か」
寝床側の仕切りも、ようやく開いていた。
ネムが毛布を三枚抱えて出てくる。
一枚は小型種に噛まれたのか、端が少しだけほつれていた。
「ネム、寝れた?」
とヒナ。
「少し」
「奥の子たちは?」
「寝た。一匹、寝たふり、でも外へ出なかった」
ベロが鍋を見ながら笑う。
「寝たふりまで分かるのか」
「分かる」
とネム。
「耳が起きてた」
ぷるが足元を通り、ネムの毛布の端についた泥をぺたりと吸った。
ネムは少しだけ毛布を持ち上げる。
「ありがと」
ぷるは答えず、ぷるんと揺れた。
ベロが鍋の蓋を開けた。薄い粥の湯気が上がる。
「今日は、静かだな」
「昨日のやつら、もう来ないかな」
とヒナ。
「来ねえだろ。あれだけやられたら」
まめじいが茶を啜った。
「堂前殿、相当お怒りだったそうですな」
国枝が頷く。
「久慈野さんの報告では、八代は追放。装備も印も全て没収です。白閃牙の処分はまだ検討中ですが、最悪の場合は解散もあり得ると」
「解散か」
「堂前さんにとっては、自分が育てた隊を壊されたようなものですからな。そりゃあ怒りますよ」
牧人が粥を受け取った。
「……うちは関係ない。向こうの話だ」
「そうですな」
まめじいが湯呑を置いた。
「それにしても、イシコ殿の石は見事でしたな。壁を直して、人は直さん」
「聞こえてるよ」
イシコが奥から声を出した。
「褒めてるんですよ、姐さん」
とベロ。
「……ふん」
ぷるが床を撫でた。
「ぷるるん」
「ぷるもご機嫌だね」
とヒナ。
ミズハが水桶を置いた。
「血の跡はもう消えたわ。芋は無駄になっちゃったけどね」
「芋か……」
ベロが粥をかき混ぜた。
「あの芋は惜しかったな」
「お前、まだ芋の話してんのか」
とザガ。
「芋は大事だろ」
豪志が奥から顔を出した。
「あの、昨日潰れた芋、食えるところだけ切って干しときました」
「……お前、仕事早いな」
とベロ。
「はい!」
素直だった。
牧人が粥を啜った。
門前は静かだった。白閃牙の痕跡は、もうどこにもない。石が塞ぎ、水が流し、風が乾かした。
残ったのは、豪志が干した芋だけだった。
ヒナが天井の端に座った。
「……ねえ」
「なんだ」
「いろいろ大変だったね」
「そうだな」
牧人が粥の碗を置いた。
イシコの足元の石が、微かに振動した。
それで十分だった。




