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白閃牙で終わらない線


朝の監察局は、紙の匂いがした。


久慈野澄玲の机の上には、書類が何枚も並んでいた。


白閃牙の事故報告。

危険個体処理の申請。

処理後の搬出記録。

共同保管庫の預かり票。


一枚ずつなら、まだよくある。

だが、並べると嫌な顔になる。


同じ日付。

同じ重さ。

同じ処理済みの印。


処理したなら、搬び出す量は減るはずだ。

なのに減っていない。


澄玲は一枚の紙を指で押さえた。


「処理済みなら、重さは減るでしょう」


誰も答えない。

答えるのは、紙ではない。


扉の外で、局の若い職員が止まった。


「久慈野さん」


「何」


「白閃牙から追加の書類です」


「早いですね」


「はい。事故処理の補記だそうです」


「補記」


澄玲は少しだけ目を細めた。


「補記が早い時は、隠し忘れがある時です」


「はあ」


「置いていって」


「はい」


若い職員が去る。

静かになる。


澄玲は新しい書類を受け取って、前の書類と並べた。


重さが合わない。

日付が近すぎる。

何かある。


だが、まだ確証がない。


澄玲は椅子から立ち上がった。


---


国枝市蔵は、保管庫の表には立たなかった。


少し離れた裏路で、荷の流れだけを見ていた。


灰環外輪共同保管庫。

迷宮の外輪に置かれた、複数ギルドの名義で管理される共用倉庫だ。

誰が何を入れたか追いにくい。

だから、追いにくくしたいものが入る。


表の帳面では、今日ここへ入る荷は三つになっている。


塩。

乾燥豆。

補修材。


表向きは、普通の荷だ。


だが、国枝は荷そのものより、運ぶ人間を見る。


一台目の荷車を押している男は、重い荷の扱いに慣れていない。

塩や豆なら、もっと楽に押す。


後ろにいる確認役もおかしい。

倉の番というより、処理場の立会人みたいな立ち方だった。

腰の札を、何度も手で確かめている。


国枝は小さく息を吐いた。


「余計な便を出しましたな」


隣にいた若い手代が首をかしげる。


「旦那、何がです」


「焦りを、です」


「分かるんですか」


「分かりますよ」


国枝は荷車を見る。


「白閃牙が今朝、事故処理の補記を出した」


「はい」


「その半日後に、共同保管庫へ“日用品”が入る」


「はい」


「偶然にしては、できすぎております」


手代が小声で聞く。


「旦那、中身は見ますか」


「見られれば見ます」


「見られなければ」


「荷の重さと匂いを見る」


荷車が門をくぐる。

門番は札を見て通した。

止めない。


それが逆に嫌だった。


ちょうどその時、風が少しだけ流れた。


豆や塩ではない。

危険素材を一時封じする時の、薬みたいな匂いだった。

しかも、わざと薄めてある。


国枝は、そこで確信した。


手代が顔をしかめる。


「旦那、今の」


「ええ」


「豆じゃないですね」


「豆ではありませんね」


「何です」


「封じ薬です。薄めてある」


国枝は踵を返した。


「帰ります」


「もうですか」


「十分見ました。次は監察局です」


「言うんですか」


「全部はまだ言いません」


「何でです」


「全部言えるほど、こちらも揃っておりません」


---


《白閃牙》の空気は悪かった。


八代玲臣は机を叩いた。


「何でまた補記なんだよ!」


事務役が淡々と答える。


「共同保管庫へ流した荷の重さと、事故処理済みの数字が合っていないからです」


「適当に直せよ」


「直した結果が今です」


「腹立つ言い方すんな!」


堂前烈牙は怒鳴らなかった。

怒鳴らないまま、紙を見ていた。


事故報告。

危険個体処理。

追加補記。

共同保管庫預かり。

外輪搬出許可。


並べるほど気分が悪くなる。


本来なら、白閃牙の中で閉じるはずだった。


事故として処理する。

危険個体処理済みにする。

それで終わるはずだった。


だが今は違う。


本来なら外輪を通らないものまで、帳面の上で動かしている。

そこまで行くと、事故ではなく隠蔽になる。


八代が低く言う。


「だからあの補助の囮野郎が邪魔なんだよ」


「その言い方はやめろ」


と堂前。


「今それを言うと、余計に記録が増える」


「記録が増えるって何だよ」


「言葉まで拾われる。今はそういう時期だ」


八代が舌打ちする。


「気に入らねえ」


「俺もだ」


と堂前。


「冥門組とかいうやつも、保管庫もだ」


事務役がさらに言う。


「共同保管庫側から、“次の便は慎重に”との連絡が来ています」


「慎重に?」


と堂前。


「どういう意味だ」


「名義と荷目を、もっときれいに揃えろ、という意味かと」


「ふざけるな」


「揃っていないから言われているのです」


堂前は紙を揃えた。


「だが、今一番気に入らんのは」


「何です」


と事務役。


堂前は短く答えた。


「白閃牙だけで終わらなくなってることだ」


---


澄玲と国枝が向かい合ったのは、昼を少し過ぎてからだった。


監察局の小部屋。

机が一つ。

椅子が二つ。

紙は多い。

空気は悪い。


国枝が木箱を机に置く。


「共同保管庫へ、今朝、余計な荷が入りました」


「外輪の共用倉庫ですね。複数ギルドの名義で管理している」


と澄玲。


「ですから、誰が何を入れたか追いにくい」


「見ましたか」


「ええ。表向きは塩、乾燥豆、補修材」


「実際は」


「封じ薬の匂いがしました。わざと薄めてある」


澄玲はすぐ書きつける。


「白閃牙の補記のあとですか」


「その日のうちです。焦っておりますので」


「共同保管庫側の立会人は」


「番号だけです。名前は出ておりません」


国枝は木箱から写しを三枚出した。


白閃牙の補記。

共同保管庫の預かり票。

外輪の搬出許可。


澄玲は一枚ずつ見た。


「ここです」


と国枝。


「立会人番号」


「……同じですね」


「白閃牙事故処理にもいる」


「います」


「共同保管庫の受けにもいる」


「います」


「搬出許可の確認欄にもいる」


「三か所に同じ番号」


国枝は静かに言う。


「名前を出したくない時の常套ですな。番号だけなら、個人の不正に見せられる」


「ギルド長が嘘をついた」


と澄玲。


「現場が勝手に動いた」


「処理担当が杜撰だった」


「そういう形へ落としたい」


「でも、実際には」


「保管庫まで通る時点で、もう一人では済みません」


澄玲は深く息を吐いた。


「白閃牙の事故改ざん」


「左様で」


「危険個体処理の虚偽」


「ご覧の通り」


「共同保管庫」


「そこまで通っております」


「違法流通の可能性」


「ただの偶然とは言いにくいですね」


部屋が静かになる。


「利権線ですね」


と澄玲。


「そう見ております」


「嫌いです」


「私もです」


「でもあなたは、その線のそばで商売してきた」


「否定はしません」


「よく私のところへ来ましたね」


「来たくて来たわけではありません」


「正直で結構です」


国枝は続ける。


「迷宮の中で、冥門組が流れを変えました」


「ええ」


「拾われるはずのなかったものが拾われる。補給も避難も、今までの慣習では回らなくなる」


「ええ」


「そうすると、今まで“ついでで流せていたもの”が逆に目立つ」


澄玲は窓の外を見た。


荷車は通る。

札は揺れる。

人は何も知らない顔で歩く。


その下に、別の線がある。


「白閃牙で終わらないわね」


と澄玲。


「終わりません」


と国枝。


「白閃牙は入口です」


澄玲は次の紙を見た。


「共同保管庫の名義は長いですね」


「長い名前は、だいたい隠れ蓑です」


「構成員は」


「表向きは、搬送業者、保管業者、処理立会人、外輪調整商の合同名義」


「裏は」


「まだそこまでは」


澄玲が言う。


「共同保管庫へ入る便、次に動くのは」


「明後日です」


と国枝。


「止めるには?」


「今は止めない方がいい」


「泳がせる」


「ええ」


「嫌な言い方ですね」


「商人ですので」


澄玲は新しい札を一枚引いた。


件名を書く。


白閃牙事故関連調査 継続


その下に、もう一行。


共同保管庫流通線 予備監査開始


ペン先が止まる。


まだ公にはしない。

まだ早い。

だが、もう戻らない。


「次の段階で、もっと面倒になりますね」


「静かに、大きく」


と国枝。


国枝は立ち上がった。


「私は次の便の顔を見てまいります」


「お願いします」


「監察局は?」


「帳簿の顔を見ます」


「お互い、顔を見る仕事ですね」


「一緒にしないでください」


「失礼いたしました」


国枝が出て行く。

扉が閉まる。


澄玲は一人になって、木箱の上に指を置いた。


指先で、立会人番号をもう一度なぞる。


同じ番号。

三枚。

三か所。


澄玲は札を引き出しにしまって、鍵をかけた。


---


国枝が本家の門前を通りかかったのは、夕方近くだった。


補給便の仮置きを確認するついでだ。

ついでだが、足は自然にこっちへ向いていた。


門前では、牧人が座っていた。


鍋の横で、毛の抜けたコボルトの子供に椀を持たせている。

子供は椀を両手で抱えたまま、まだ口をつけていない。


国枝は足を止めた。


「親分さん」


「おう」


「忙しそうですね」


「飯食わせてるだけだ」


「それが忙しそうにみえます」


「そうか」


牧人は国枝を見た。


「国枝さん。外で何かあったか」


国枝は少しだけ止まった。


「何もありません」


「嘘だろ」


「嘘ではありません。まだ、です」


「まだ?」


「ええ。まだ全部は見えておりません」


「見えたら言うか」


「言いますよ。ただし」


「ただし?」


「親分さんが聞いて、“じゃあ俺が行く”と言わない場合に限ります」


ヒナが梁の上から叫んだ。


「国枝さん、それ無理!」


「そうですか」


「そうだよ!」


牧人が少し考えた。


「……行かない」


ヒナが即座に言う。


「嘘」


「嘘じゃない」


「親父、それいつも言う」


国枝が少しだけ笑った。


「ではまた、次の便の時に」


「おう。飯、食っていくか」


「今日は遠慮します」


「そうか」


「次は、いただきます」


国枝は門前を離れた。


振り返ると、牧人はもうコボルトの子供の方を見ていた。

椀を持たせたまま、何か話しかけている。

子供はまだ食べていない。

でも、椀だけは離さなかった。


国枝は小さく息を吐いた。


迷宮の中では、あの男が流れを変えている。

外では外で、別の線が動き始めている。


それが繋がる日は、そう遠くないだろう。


国枝は歩きながら、手代に言った。


「次の便、明後日です」


「はい」


「旦那、顔が険しいですよ」


「商人はいつでもこの顔です」


「嘘ですよね」


「嘘ではありません」


白閃牙で終わらない記録が、

人間側でも、静かに始まっていた。


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