均衡は、だいたい空気が読めない
会談が終わったあと、本家は緊張感から解放された。
全員、真面目な顔をしすぎた反動で急にだらけた。
ベロは鍋の前にしゃがみ込み、
ヒナは梁の上で翼をだらんと垂らし、
ザガは壁に背をつけたまま「会談って疲れるな」と珍しいことを言い、
ミズハは「だから嫌だったのよ」と笑い、
クロは門前で寝転がっていた。右だけが片目を開けて地下の入口を見ている。
牧人は座ったまま、最初の一言でこう言った。
「飯にするか」
ヒナが梁の上から叫ぶ。
「今それ言うの!?」
「腹減っただろ」
と牧人。
「その前に、もっとこう、『終わったな』とか『疲れたな』とかあるでしょ!」
「終わったから腹減っただろ」
ミズハが肩を震わせる。
「理屈は分かるのが腹立つわね」
ネムは少し離れたところで、それを見ていた。
白い帯のある場所では、こういうだらけ方はしない。
向こうは最初から最後まで、誰も形を崩さない。
だから、会談が終わった途端に全員が「疲れた」「腹減った」「鍋まだ?」になるのは、こっちだけだった。
ヒナがネムに気づいて翼を振る。
「ネム、こっち来なよ」
「……いいの」
「いいよ。今日はみんな、もう顔作るのやめたから」
「顔作る?」
「親父が親分っぽい顔するのをやめたってこと」
「最初からしてない」
と牧人。
「妙にかしこまった顔してたよ」
とヒナ。
「してましたな」
とまめじい。
「お前らな」
ベロが鍋の蓋を少し持ち上げる。
「親分、冷める前に回します?」
「回すか」
その時だった。
地下の青い線が、ぴし、と鳴った。
全員が止まる。
ヒナが先に言う。
「え、何」
「何だ」
と牧人。
「今の音、さっきまでと違う」
「静かな音って何だよ」
とザガ。
青い線が、もう一度強く光る。
今度は一本ではなかった。
床を走る線が増え、柱のくぼみまで青く染まり、会談の時より細かい格子が足元へ走った。
まめじいの顔が引き締まる。
「親父殿」
「何だ」
「まだ終わっておりませんな」
「何が起こる?」
「なんでしょうな」
石板が、音もなくせり上がった。
さっきの議場用の文ではない。
もっと短い。
もっと事務的だ。
議場記録照合 開始
保全路 一部封鎖
権限確認 実施
異常反応監査 来訪
ベロが鍋の蓋を持ったまま固まる。
「……来訪って何」
「来るんでしょうな」
とまめじい。
「何が」
とヒナ。
「面倒なものが来ますな」
「やだ!」
牧人が石板を見て言った。
「保全路って何だ」
「本家地下と旧管理区画を繋ぐ古い路ですぞ」
とまめじい。
「イシコ殿が壁を寄せたところの奥です」
「ああ、あれか」
「あれです」
「あれを封鎖するってことか」
「勝手にされますな」
「嫌だな」
「そうですな」
床の中央が、すっと盛り上がった。
最初に出てきたのは、細長い石の人型だった。
肩の線が妙にまっすぐだ。
顔の代わりに縦長の石板みたいなものがはまっている。
目の位置には、青い細線が二本だけ走っている。
二体目はでかい。
低い。
四角い肩。
前腕がやたら太い。
盾を持っていないのに、最初から「通すな」の形で立っている。
三体目は細いが、一体目とは違う。
表面に薄い石片が何枚も重なっていて、腕の先に細い札みたいなものが浮いていた。
ヒナが梁の上で固まった。
「……うわ」
ベロも鍋の前で固まる。
「うわ」
ザガが驚いて言った。
「うわ、変なの出たな」
ミズハが吹き出した。
「変なの出たって、ひどいわよ」
「変だろ」
「変だけど」
牧人は三体を見て少し首をかしげた。
「お前ら、誰だ」
三体は答えない。
牧人はもう一回言った。
「聞こえてるか」
三体はまだ答えない。
牧人がまめじいを見る。
「しゃべらないな」
「石ですからな」
「さっきの骨はしゃべったぞ」
「骨と石は違います」
「そうか」
「そうじゃねえ!」
とザガ。
「知ってる?」
ヒナがネムに聞いた。
ネムが小さく首を振る。
「……名前までは知らない」
「それ以外は分かる?」
とヒナ。
「たぶん、もっと古い側の気配」
その直後、石板に新しい文字が出た。
均衡監査執行体 セクト
均衡執行体 ヴェク
記録照合体 リネア
ヒナが石板と三体を見比べる。
「うわ、自己紹介を石が代わりにやった」
「本人がしゃべればいいのに」
とベロ。
牧人が頷く。
「そうだな。自己紹介は自分でやるもんだ」
真ん中の細長いのが一歩前へ出た。
「石律機構・均衡監査執行体、セクト」
声にも角があった。
怒ってはいない。
でも柔らかさが一切ない。
「同執行体、ヴェク」
と、でかい方。
「同記録照合体、リネア」
と、細い方。
牧人が少しだけ安心した顔をした。
「しゃべれるじゃないか」
ヒナが頭を抱える。
「親父、そこ安心するとこじゃない」
「しゃべれた方が話が早いだろ」
「話が早いとかの問題じゃないんだけど」
ヒナが翼をばたつかせる。
「っていうか、ほんとに事務的!」
セクトが広間を見回す。
「会談記録照合を行う」
「終わったぞ」
と牧人。
「終了は記録済み」
「じゃあ帰っていいよ」
「帰らない」
牧人はちょっと考えてから言った。
「茶でも出すか」
全員が止まった。
「親父」
とヒナ。
「何だ」
「お客さんじゃないよ」
「せっかくだからさ」
「なんのせっかくだよ」
「監査でも喉は乾くだろ」
「石だよ!」
セクトは何も答えなかった。
喉が乾くかどうかは不明だった。
「議場内の異常反応を確認」
「異常?」
とまめじい。
「菌床系残滓」
「ネム?」
とヒナ。
「一部」
「一部って何」
ネムの肩が少しだけ強張る。
だがその前に、牧人が立った。
「ネムはうちの者だ」
セクトの青い線が、牧人へ向く。
「権限根拠を確認」
「何」
「その個体を本家保護対象として扱う根拠」
「連れて帰った」
「弱い」
「飯を食ってる」
「補足」
「寝る場所もある」
「続けろ」
「風呂付」
「風呂付って!」
とベロ。
「まだ弱い」
牧人は少し考えた。
「椀も持ってる」
セクトの青い線が微かに揺れた。
ヒナが叫ぶ。
「石が動揺してる」
「なんで?」
「親父が変なこと言うから!」
ミズハが肩を震わせる。
「親父にはかなわないわ」
「変かな」
「とりあえず、法的根拠ではないわね」
「法的」
「ここの石が求めてるのは、そっちよ」
牧人が腕を組む。
「じゃあ、こう言う。ネムは自分で行くと言った。俺が来いと言って、自分で行くと答えた。だからうちの者だ」
セクトは少しだけ黙った。
「記録上、帰還意思の確認はあるか」
まめじいがすぐに帳面を開く。
「あります。ネム本人が"行く"と発言。帳面に記録済み」
セクトの青い線が一度だけ細くなった。
「暫定通過」
「通った!」
とヒナ。
「暫定だけど!」
「恒久判断は保留」
「やっぱり役所!」
---
その時、ヴェクが右へ半歩ずれた。
その先にいたのはイシコだった。
いつの間にか地下へ降りてきていたらしい。
壁際に無言で立っていた。
腕を組み、青い線とヴェクを順に見ている。
ヴェクが言う。
「保全路への立入制限を実施する」
イシコは動かない。
ヴェクがさらに言う。
「照合中、無認証の出入りは封鎖」
イシコはまだ動かない。
でも、目だけが細くなる。
ヒナが小さく言う。
「石の姐さんと四角いの、空気が重い」
「どっちも守るやつだからな」
とザガ。
本当に重かった。
ヴェクは機構の封鎖を守る。
イシコは家の出入りを守る。
似ている。
でも、守っているものが違う。
牧人がそこで口を開いた。
「どっちも門番みたいなもんだろ。仲良くやればいい」
イシコがゆっくり牧人を見た。
ヴェクもゆっくり牧人を見た。
ヒナが即座に言う。
「親父、今のは黙ってた方が良かった」
「何で」
「どっちも怒ってる」
「怒ってないだろ」
「怒ってるわよ」
とミズハ。
「門番を門番って言うと、だいたい怒るのよ」
「じゃあ、何ていうんだ?門守り?」
「ちょっと、黙っててね」
セクトが二体を見もしないまま言う。
「ヴェク」
「了解」
ヴェクはそれ以上出ない。
イシコも出ない。
だが、地下へ降りる路の一本だけ、青い線が濃くなった。
局所封鎖だ。
ヒナが目を丸くする。
「うわ、ほんとに封じた」
「早いわね」
とミズハ。
「親父が"増やす"って決めるのと同じくらい早いわね」
「的確な比較だな」
とベロ。
札片が、ネムの前で止まる。
「確認。胞子菌魔型半同化個体。識別名ネム」
ネムが小さく頷く。
「本家保護下への移行を確認。暫定」
「暫定多いな」
とザガ。
「監査というのはそういうものです」
とまめじい。
「嫌なものだな」
「嫌ですな」
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セクトは初めて広間全体を見回した。
「議場記録照合、八割完了」
「あと何が残ってる」
と牧人。
「未整理項目」
「何だ」
「鍋の配置が導線に近い」
広間が一瞬止まった。
「……鍋?」
と牧人。
「鍋?」
とヒナ。
ベロが鍋を抱えた。
「やっぱり来た!」
ミズハが笑う。
「そこなのね」
セクトは真顔のままだ。
「熱源と人流が重なる」
「危険」
とリネアが補う。
牧人は少しだけ考えて、頷いた。
「それはそうか」
ヒナが振り向く。
「納得するの!?」
「危ないならずらすだろ」
「親父、会談では譲らなかったのに、鍋では譲るの!?」
「鍋は実際そこにあるからな」
「理屈はそうだけど!」
ベロがうめく。
「鍋、負けた……」
「負けてない」
と牧人。
「場所を変えるだけだ」
「それを負けたって言うんだよ!」
牧人がセクトに聞いた。
「どこならいい」
セクトが床の線を示す。
「導線から二歩以上離れた位置」
牧人は鍋を見た。
導線を見た。
二歩数えた。
「ここか」
「可」
「よし」
ヒナが翼で顔を覆う。
「親父、石に鍋の位置を指導されてる……」
「いい場所だぞ」
と牧人。
「そういう問題じゃない」
---
その時、地下の入口からニコの声が落ちてきた。
「親分! 板!」
全員がそっちを見る。
ニコは青い線の手前で止まった。
止まったあとで、ヴェクとイシコを見比べた。
「え、増えてる」
ヒナが叫ぶ。
「増えたんじゃない! 監査!」
「何が違うの!?」
「空気!」
「分からない!」
セクトがニコを見る。
「記録補助要員か」
「板係です!」
「有用」
「やった!」
「ただし走るな」
「うわ、監査に怒られた!」
ニコは青い線の内側へ、おそるおそる一歩入った。
「……ここ、入っていいの」
「記録補助は許可」
とセクト。
「じゃあ板置いていいの」
「記録用途に限り許可」
「やった!」
「ただし」
「まだある!?」
「整列して置け」
ニコが振り返る。
「親分、整列だそうです」
「整列して置け」
と牧人。
「親分まで!?」
広間の空気が、そこで少しだけ緩んだ。
ネムは三体を見ていた。
ミレアとは違う。
本家とも違う。
救うわけではない。食うわけでもない。
ただ、崩れすぎないように線を引き直しに来た。
ネムは小さく言った。
「……怖い。でも、食べないから、まし」
ヒナがネムを見る。
「うん。ましだよね」
「うん」
牧人はセクトを見た。
「で、何が駄目だった。まとめてくれ」
「議場記録未整理」
「うん」
「保全路立入管理不足」
「うん」
「異常反応保護下移行の根拠不明瞭。暫定通過」
「うん」
「鍋」
「……それはもうずらした」
「確認済み」
「よし」
セクトが最後に言う。
「本家地下、記録照合継続」
「保全路、一部封鎖維持」
「保護対象、暫定認可」
「均衡監査を続行する」
ベロが鍋を新しい位置に置きながら顔をしかめる。
「やだなあ」
ネムが小さく頷く。
「やだ」
ヒナが笑う。
「やだね」
ベロが鍋を担いで階段を上がり始める。
「親分、上で回します」
「頼む」
ニコが板を抱えて追いかけた。
「じゃあ板も上!」
「走るな」
とセクト。
「また怒られた!」
地下の青い線が、細く光ったまま残る。
セクトは動かない。
ヴェクも動かない。
リネアの札片だけが、静かに回り続けていた。




