親父は揉めたくないだけ
朝の本家は、夜のうちに少し広げたが、まだ狭かった。
イシコが旧保全路寄りの壁を二つずらした。
国枝が持ち込んだ藁束は、先に寝床へ回した。
ニコは寝る前に板を三枚増やした。
それでも、まだ足りない。
藁が足りない。
包布が足りない。
寝床が足りない。
右奥も、左奥も、最初から余裕がない。
門前の端には、昨日よりさらに影が増えていた。
左耳の欠けた細いゴブリン。
殻の割れたカタツムリ型の小魔。
群れからはぐれたらしい、毛の抜けたコボルトの子供。
今朝はそこへ、羽の片方が折れた小さな蝙蝠鬼まで加わっている。
どいつも鍋を見る。
戻れた連中を見る。
板を見る。
クロは門の横に座っていた。
三つの頭のどれも、増えた連中を追い返す気はないらしい。
右だけが、ちょっと不満そうに鼻を鳴らしていたが、左が先に目を閉じたので、結局そのままだった。
牧人はその様子を見て、短く息を吐いた。
「増えたな」
「増えたわね」
とミズハ。
「見りゃ分かりますがね」
とベロ。
「見れば分かるよね」
とヒナ。
「親父は、拒まずに増やすから」
「どこまで増えるんだ」
とザガ。
牧人は門前を見た。
「……あの蝙蝠、さっきから俺の方見てないか」
ヒナが見る。
「見てるね」
「何で」
「鍋だよ」
とベロ。
「親父の後ろに鍋があるんです」
「俺じゃなくて鍋か」
「でも親父を見てるのかもよ」
とヒナ。
「そうか」
「そうだよ」
毛の抜けたコボルトの子供が、殻の割れた小魔の後ろに隠れた。
隠れたつもりらしいが、殻の方が小さいので全然隠れていない。
ヒナが翼で顔を覆う。
「やだ、かわいい」
「かわいいで増やすなよ」
とザガ。
「かわいいじゃん、見ちゃう」
右奥の隔離部屋では、先に運んだコボルトがまだ寝たり起きたりしている。
灰鼻は座っている。
肩口の裂けたコボルトは立っているが、まだふらつく。
でも、三匹とも、鍋の湯気だけは追っていた。
まめじいが帳面を閉じる。
「親父殿」
「何だ」
「寝床が足りないだけでは済まなくなっております」
「どういう意味だ」
「逃げたいやつ、本家に拾わせたくない連中、弱ったやつを獲物にしたい連中」
広場が少し静かになる。
まめじいは続けた。
「今までは、弱ったものは深い方へ落ちていった。ですが今は違う」
「……」
「上へ寄ってきております」
牧人は鍋を見た。
門前を見た。
右奥を見た。
足りない。
でも、追い返せない。
その顔を、もう門前の連中も見ている。
だから、上へ寄ってくる。
---
ネムは、食堂の壁際で椀を両手で持っていた。
食べるのはまだ遅い。
でも、もう床や壁を這う白い帯の方は見ない。
近くで見ると、ネムは人間ではない。
形は若い女に近い。
細い肩。
細い首。
顔立ちも遠目には人間の女に見える。
だが、肩から先に薄い白い胞子膜が張りついていて、髪に見えるものも、よく見ると細い菌糸だった。
首筋の後ろには、殻みたいな白い薄片が何枚か重なっている。
人に似せた形のまま、半分だけ菌床に食われた魔物。
それがネムだった。
牧人がネムの方を見て、少し首をかしげた。
「ネム」
「……何」
「その首の後ろの白いの、痛くないのか」
ネムは、少しだけ驚いた顔をした。
「……痛くない」
「そうか。乾いてるから、かゆいのかと思った」
「かゆくもない」
「そうか」
ヒナが横から口を挟む。
「親父。それ、心配の仕方が変」
「変か」
「人間の子供の話じゃないんだから」
「心配は心配だろ」
「だから変だって言ってるの」
ミズハが薄く笑う。
「でも、聞かれたのは初めてよね」
ネムは頷いた。
「……うん」
ヒナが翼を畳む。
「親父。この子の正体、ちゃんと聞いた方がいい」
「正体?」
「見た目で分からないでしょ」
牧人はネムを見る。
「ネム。お前、どういうやつなんだ」
ネムは少しだけ迷った。
だが今日は黙らなかった。
「胞子巫女」
「それ、役目の名前?」
とヒナ。
「うん」
とネム。
「種で言うなら……人に似た菌魔」
「菌魔」
とベロ。
「それなら少し分かるな」
ネムは頷く。
「女王ミレアの根から切られた、人型の端役。浅い寄せ場で、落ちてくる前の弱ったやつを止める役」
ミズハが言葉を継ぐ。
「つまり、女王の本体じゃないのね」
「うん」
「でも完全に別でもない」
「そう」
「だから、半分飲まれた案内役だったわけね」
ネムは、椀を持つ指先を少し強くした。
「床や壁を這う白い帯、あれが女王の流れ」
「流れ?」
とヒナ。
「根から伸びてる。長く触れてると、静かな方へ寄る」
「静かな方?」
とザガ。
「分かりづれえな」
ネムは少し考えてから言い直した。
「痛いのが薄くなる」
「それは良さそうに聞こえるな」
とベロ。
「良くないやつでしょ、それ」
とヒナ。
「最初は」
とネム。
「でも長いと、返事が遅くなる。目が薄くなる。行きたい方が、自分で分からなくなる」
ヒナの羽がぴたりと止まる。
「嫌なやつだね」
「嫌なやつ」
とネム。
その言い方は、すごく普通だった。
だから少しだけ、本家の空気になじんだ。
牧人が腕を組む。
「じゃあ、今のネムはどうなんだ。まだ白い帯の影響あるのか」
「……少し」
とネム。
「でも、前より薄い」
「飯食ったからか」
ネムは首をかしげた。
「……分からない。でも、椀が温かいと、帯のことを忘れる」
ネムは、自分の指先を見た。
「あと、少しなら、治せる」
牧人が顔を上げる。
「治療できるのか」
「うん」
ネムは、右奥で寝ているコボルトの方を見た。
「浅い傷なら、塞げる」
「熱も、少し下げられる」
「弱ってる子なら、戻せる」
ヒナが目を丸くした。
「ネム、回復できるの?」
「できる」
ネムは短く頷いた。
「でも、全部は無理」
「深い傷、欠けたところ、死にそうなのは、無理」
「少し戻すだけ」
ミズハが静かに言った。
「それでも十分よ」
「右奥にいる子たちには、かなり大きいわ」
ぷるが床をぺたりと進んで、ネムの足元で止まった。
ネムはぷるを見る。
「ぷる、汚れ取る」
「ミズハ、水」
「ネム、治す」
ヒナがぱっと笑った。
「治療班じゃん!」
牧人は右奥を見た。
「じゃあ、寝床がもっといるな」
ネムは小さく頷いた。
「うん、治す場所、いる」
牧人は右奥を見た。
「じゃあ、寝床がもっといるな」
ネムは少しだけ目を細めた。
「うん」
「寝床、いる」
ヒナが牧人を見る。
「親父。寝床も、ご飯大事だ」
「当たり前だ」
「結局そこなのよね」
とミズハ。
---
会談が必要だと言い出したのは、まめじいだった。
「このままでは、路でぶつかります」
牧人が顔を上げる。
「誰と誰が」
「全部です」
まめじいは帳面をめくる。
「避難したいやつが上へ来る」
「うん」
「本家は拾いたい」
「うん」
「骸骨公領は線を引きたい」
「うん」
「人間側は、大きな揉め事だけは避けたい」
「うん」
ヒナが顔をしかめる。
「人間側って、監察局?」
「ええ」
とまめじい。
「これ以上、外輪の通行制限札を増やされれば、補給が死にます」
牧人が嫌そうな顔をした。
「会談って、座って話すやつか」
「そうです」
「向かい合って?」
「はい」
「……話し合ってくれるかな」
「今後のためですぞ」
「そういうの、俺は得意じゃないぞ」
ヒナが真顔で言う。
「知ってる」
「知ってるのか」
「本家全員知ってるよ」
ザガが頷く。
「親父、話し合いを始めたと思ったら、飯とか風呂を進めそう」
「そうか?」
「そうね」
とミズハ。
「そうなりますな」
とまめじい。
牧人は少し黙った。
「……今回は話をするか」
「出来るの?」
とヒナ。
「……大丈夫」
「信じたいけどなあ」
まめじいは咳払いをして続けた。
「ですから、まず"この路では斬り合わない"を決めねばなりません」
「停戦か」
とザガ。
「そうです」
ミズハが指を折る。
「停戦」
「補給」
とまめじい。
「避難導線」
とナナ。
「保護対象をどこまで拾うか」
とベロ。
「区画境界」
とザガ。
ヒナが羽を止める。
「やだ、ほんとに会談じゃん」
「会談ですな」
とまめじい。
「しかも、かなり物騒なやつです」
牧人は、だいぶ嫌そうな顔をした。
「揉めないで終わればいいんだけどな」
全員が少し黙った。
ヒナが一番先に言う。
「親父は、ほんとそこなんだよね」
「何が」
「被害が広がらず、飯が回って、避難ができて、もう余計に傷つかなきゃいいってだけでしょ」
「そうだな」
「でも周りは、もうそれじゃ済まない」
とミズハ。
「済ませたいけどな」
と牧人。
「済ませたいのと、済むのは別ですぞ」
とまめじい。
その通りだった。
---
昼前に、届け物が二つ来た。
一つは監察局からだった。
外輪の巡回兵が、門前に板札を一枚置いていった。
クロの横を通る時だけ、足が速くなっていた。
薄い板札に、事務的な字でこうあった。
灰環大迷宮外輪の補給線維持を優先。
大規模衝突は回避せよ。
次の大規模交戦後、通行制限の追加判断を行う。
ベロが鼻を鳴らす。
「要するに、また派手にやったら余計に閉めるぞってことだな」
「そう読めますな」
とまめじい。
「ですが逆に言えば、今は"揉めずに回せ"と言っておる」
牧人はそれを聞いて少し安心した顔をした。
「揉めるなってことは、会談しなくていいんじゃないか」
「逆です」
とまめじい。
「逆?」
「揉めないために会談をするんですぞ」
「……そうか」
ヒナが小さく笑う。
「親父、今の本気で言ったでしょ」
「本気だった」
「やりたくないんだね」
もう一つは、骸骨公領からだった。
細い骨鳥が一羽、低く飛んで門の手前に降りた。
薄い骨片を一枚、くちばしから落として、すぐに飛び去った。
クロの右が骨鳥を目で追う。
中央は動かない。
左がちょっとだけ口を開けたが、間に合わなかった。
ヒナが翼で左を指す。
「今、食べようとした?」
左は何も答えなかった。
骨片には短くこうあった。
停戦協議は応じる。
詳細は着座時に提示する。
短かった。
だが返事が来たこと自体が、骸骨公領にとっては十分な譲歩だった。
まめじいが骨片を裏返す。
「裏は空白ですな」
「何か書いてあると思ったのか」
とベロ。
「骸骨公領は、たまに裏に本音を書くのです」
「今回はないのか」
「ないですな。つまり、表がそのまま本音」
「どっちにしろ怖いな」
とザガ。
ネムが小さく言う。
「骸骨公領は、拾わない」
「そうなの?」
とヒナ。
「拾うんじゃなくて、分ける。通すやつ、通さないやつ、最初に決める」
「線を引く方か」
と牧人。
「そう」
「嫌だな」
「親父は嫌でしょうね」
とミズハ。
「向こうは"秩序"って言うでしょうけど」
「嫌だ」
---
本家地下は、昼でも薄暗かった。
イシコが先に降りる。
ミズハが湿りを見る。
ネムは少し遅れて階段を下りた。
地下の広間は、前より広く見えた。
広くなったのではない。
見えるようになったのだ。
壁の継ぎ目。
床石の刻み。
柱の四角いくぼみ。
前はただ古いだけに見えたものが、今日は妙に揃って見える。
牧人が天井を見上げる。
「ここ、前からこんなに広かったか」
「広さは変わってないわよ」
とミズハ。
「そうか。何か違う気がする」
「気のせいじゃないですな」
とまめじい。
「整っておるんです」
「整ってる?」
「見えなかったものが、今日は見えております」
ヒナが低く飛ぶ。
「親父。ここ、こんなに会談向きだったっけ」
「会談向きって何だ」
とベロ。
「椅子並べたくなる感じ」
「なんだそれは」
ネムが、そこで初めてはっきり足を止めた。
「……ここ、白い帯が嫌がってた」
全員がネムを見る。
「嫌がってた?」
とミズハ。
「うん。ここより先、ミレアはあんまり伸ばさなかった」
「何でだ」
と牧人。
「白い帯が来ても、ここの石は吸わない。弾く」
「弾く?」
とヒナ。
「うん。ミレアの流れが来ても、ここの石は従わない。自分の方が先にあるから」
まめじいの目が細くなる。
「石律、ですかな」
「何だそれ」
とベロ。
まめじいは柱を見回した。
「石律機構。古い灰環の地下構造管理です」
「もっと分かる言い方して」
とヒナ。
「境界、通行、停戦、記録――そういう"線引き"だけを、一度だけ強く動かす仕組み、と伝わっております」
「便利なの?」
「便利というより、重いですな」
「何が違うんだ」
「勝手には動かせない、ということです」
その言葉に応えるみたいに、地下の空気が変わった。
かち、と石が噛むみたいな音。
ヒナが翼を上げる。
「……今の何」
誰も答える前に、床の一部が薄く青く光った。
線だった。
細い。
だが、地下の広間を四角く区切るように走っている。
柱のくぼみにも光が入る。
壁の継ぎ目が揃う。
奥に埋まっていた古い石板が、音もなく半分だけせり出した。
石板に、文字が浮いた。
停戦議場 一時開放
議題数過多を確認
石律機構 記録開始
全員が止まる。
ベロが一番先に言った。
「……怖」
「分かるわ」
とミズハ。
ヒナが石板と牧人を見比べる。
「親父」
「何だ」
「今、"議題多すぎ"って怒られた?」
「知らん」
牧人は石板をもう一度見た。
「これ、俺たちに何か返事しろってことか」
「違うと思います」
とまめじい。
「石律機構は、勝手に場を開いただけです。返事は求めておりません」
「じゃあ、お辞儀した方がいいか」
ヒナがすぐに言う。
「石にお辞儀してどうすんの」
「礼儀だろ」
「相手は石だよ」
「石でも、場を貸してくれたんだろ」
ミズハが小さく吹き出した。
「親父、そういうとこよ」
まめじいが、珍しく興奮を隠しきれていなかった。
「正式起動ですな」
「何が」
と牧人。
「石律機構です」
「知ってるのか」
「名だけは。ですが現物を見るのは初めてです」
ネムが石板を見たまま呟く。
「もっと古いやつ」
「女王より古いのか?」
とザガ。
「うん。ミレアより前から、ずっとここにある」
「それで十分だ」
とザガ。
石板の文字は、すぐには増えなかった。
ただ、光だけが細く残る。
石律機構はしゃべらない。
説教もしない。
だが、議場として地下を一時開放し、記録は取るとだけ示してきた。
つまり、この場はただの便利な地下ではなくなった。
「親父」
とヒナ。
「会談、ほんとにやる場所できちゃった」
「できたな」
「やだ」
「何だ」
「逃げられなくなった」
「そうかもな」
牧人は少しだけ嫌そうな顔をした。
「まあ、やるしかないか」
ザガが即答する。
「揉めないようにな」
「大丈夫だろ」
---
準備は、そのまま始まった。
誰をどこへ座らせるか。
どの路から入れるか。
どこまで武器を許すか。
補給路は何本にするか。
避難導線はどこへ逃がすか。
本家地下のどこまでを中立扱いにするか。
ニコが叫んだ。
「親分! 板!」
「いらん」
「そんな!」
ヒナが笑う。
「会談の案内板は必要じゃない?」
「そうか」
「よし!任せろ!」
と言ってニコが走ってナナにぶつかりそうになる。
「走るな」
とナナ。
国枝も来た。
物資の確認と、補給線の仮置きだ。
「乾燥芋はあと二日。塩はまだ持ちます。包布は足りません。鍋は、もう一つ増やした方がよろしいでしょう」
「会談前に、先に飯か」
と牧人。
「その方が揉めにくい」
「空腹の会談は、だいたい失敗します」
と国枝。
「うちの会談は、まず鍋からか」
とベロ。
「大事なことだろ」
と牧人。
豪志もついてきた。
「会談って、あれでしょ。お互い睨み合って、机ばんってやるやつ」
「やらねえよ」
とベロ。
「やるかもしれないわよ」
とミズハ。
「机がかわいそう」
とヒナ。
牧人が真面目な顔で言う。
「机、あるのか」
全員がそちらを見た。
「……ないな」
とザガ。
「だろ。机がないなら、ばんってならない」
「そういう問題じゃねえよ」
とベロ。
ネムは少し離れたところで、その全部を見ていた。
鍋。
板。
路の確認。
座る位置。
ネムの椀が、いつの間にか空になっていた。
ヒナが気づく。
「ネム、おかわりいる?」
ネムは少しだけ迷って、頷いた。
「……いる」
---
夕方前、骨の使いが二度目の骨片を落としていった。
今度は、さっきより字が多い。
骸骨公領、日没後着座。
保護対象の扱いで譲歩なし。
感情論は不要。秩序をもって座れ。
ベロが骨片を見て顔をしかめる。
「最後の一文、感じ悪い」
「向こうらしいですな」
とまめじい。
牧人は骨片を持って、しばらく黙っていた。
「秩序をもって座れ、ってことは、お構いなくってことか」
「違います」
とまめじい。
「武器は持つなってことだろ」
「いや、もっと概念的な……」
「概念」
「感情で話すな、という意味ですぞ」
「感情駄目なのか」
牧人が聞く。
「うちは譲るとこあるか」
「停戦と導線はあります」
とまめじい。
「ですが"拾うな"と言われれば、親父殿は譲らないでしょう」
「譲らないな」
「そうでしょうな」
ヒナが翼を畳む。
「やだ、もう会談っていうか、思想戦じゃん」
「最初からそうよ」
とミズハ。
「親父だけが、まだ"揉めないで済ませたい"と思ってるだけよ」
ザガが肩をすくめる。
「でも、話はしなきゃならねえ」
「そうね」
「じゃないと、路で殺し合いになる」
「それはもっと嫌だわ」
「だよな」
牧人は骨片の文をもう一度見た。
それから、広間を見回した。
「じゃあ、今夜は話し合いだな」
「軽いですねえ」
とまめじい。
「軽くない」
「顔がそう見えます」
「揉めないでほしいだけだ」
「それが難しいんですぞ」
---
その時、地下の石板が、もう一度だけ淡く光った。
短い一文が増える。
議場維持 今夜一度限り
全員がそちらを見る。
まめじいがゆっくり息を吐いた。
「上位介入は、これで終わりですな」
「終わり?」
とヒナ。
「これ以上、石律機構は助けてくれない、ということです」
「助けてもらった覚えないんだけど」
「場を作ってもらっただけで十分です」
地下はまた静かになった。
石律機構はもう何も言わない。
議場を一度だけ開き、記録を始めた。
それだけだ。
でも、それだけで十分重かった。
牧人は立ったまま、地下の広間を見回した。
石板の光は消えかけている。
線だけが、まだ薄く青い。
「なあ」
「何」
とヒナ。
「揉めなかったら、ここで鍋やれるかな」
全員が一瞬だけ黙った。
ヒナが最初に笑う。
「会談の前に鍋の話してるの、たぶんこの迷宮で親父だけだよ」
「鍋は大事だろ」
「大事だけど、順番が変」
「変か」
「変だよ」
そこへ、門の外から足音が届いた。
一つではない。
複数の、重さの違う足音。
ヒナの羽が上がる。
「……来た」
牧人はゆっくり立ち上がった。




