弱いところを殴りに来たら、先にいた
赤牙連盟の打ち合わせは、朝から殺気が濃かった。
親玉倉を抜かれた。下の者は流れた。そのうえ本家は、ぬけぬけと飯を出している。
機嫌が良くなる要素が一つもない。
石卓の向こうで、連盟長ガルガが腕を組んでいた。
横に補給頭ロッカ。
前には、今にも飛び出しそうな若牙ジド。
ジドが先に吠えた。
「本家だろうが、やるぞ!」
「勝てるか」
とガルガ。
ジドが歯を見せる。
「勝てるかじゃねぇ!やらねえと気が済まねぇんだよ!」
「無謀に突っ込んでも、自殺行為だ」
ロッカが石板に爪を立てた。
ぎっ、と嫌な音がする。
「正面は厚い。三つ首がいる。門番がいる。寄った連中もいる。今そこへ行ったら、負ける」
ジドが机を蹴る。
「じゃあどうすんだよ!」
ロッカは石板に線を引いた。
「周りから崩す。本家本体じゃない。鉄顎のところ」
ジドの目が少し光る。
「ゴルムか」
「そうだ。本家より外。でも外縁の流れに近い。そこが崩れりゃ、本家は守りを割く。弱いところを殴るなら、そこだ」
「弱いか? あいつ」
とガルガ。
ロッカは鼻を鳴らした。
「本家よりは薄い。奇襲ならまだ形になる。少なくとも、正面から突っ込むよりはましだ」
ジドが笑った。
「最初からそう言えよ」
「言ってる。お前が本家を殴りたがるだけだ」
ガルガが短く言った。
「行け、鉄顎を折れ。折れなきゃ、せめて外縁の流れを乱せ」
ジドが頷く。
「やっと面白くなってきた」
その時だった。
壁のひびに張りついた細い糸が、ほんのわずかに揺れた。
誰も気づかない。
イトだけが、そこで全部聞いていた。
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本家の梁の上で、イトは前脚をぴしっと上げた。
「ひーな」
屋根の端にいたヒナが振り向く。
「なにー?」
「じーど、くる」
ヒナが止まる。
「どこに?」
「ごーるむ」
ヒナの顔が変わった。
「……やだ。それ、まずいよ」
「おおい」
「多い!?」
ヒナはそのまま飛んだ。
食堂の奥で、まめじいが帳面を閉じた。
「なるほど」
「なるほどじゃないよ!」
とヒナ。
「ジドがゴルムのとこ来る! 多い! 奇襲!」
ベロが目を丸くする。
「イト、そこまで拾ったのか」
梁の上のイトが得意そうに前脚を上げる。
「みーた」
まめじいがすぐ動く。
「昼までには来るでしょう。準備は間に合います」
まめじいが周りをみて言う。
「イシコ殿、ミズハ殿、それとヒナ嬢は上、イト殿は下」
ミズハが髪を流した。
「待ち伏せね。好きよ、そういうの」
イシコは無言で立った。
立っただけで、もう行く顔だった。
ナナがすっと入ってくる。
「門前、私。逃げ込み、分ける」
ニコも板を抱えて現れた。
「じゃあ増やす」
「何を」
とベロ。
ニコが真顔で答える。
「板」
まめじいが少し笑う。
「ニコ殿、ゴルム方面に注意の板を」
さらに、まめじいが一気に決める。
「ナナ殿、門前受付の列分け」
「ぷる殿、本家の跡消しと片付け」
「ベロ殿、若いのまとめ」
「親父殿には、いつも通りで」
ヒナが吹いた。
「最後!」
「一番大事ですぞ」
その時、門前のクロの中央が低く言った。
「行く」
まめじいは首を振る。
「若頭は本家に居てください。本家を手薄にするのは危険です」
クロの中央が少し黙ってから、短く言った。
「……分かった」
「助かります」
とまめじい。
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みんなが散ってから少しして、牧人が畑から戻ってきた。
土のついた手。
根菜入りの籠。
顔はいつも通りだ。
門前を見て、少し止まる。
「……あれ?」
ナナが板を打っている。
ニコが板を増やしている。
でも、いつもいるはずのイシコがいない。
牧人が言う。
「あれ?イシコがいないな。他のみんなもいない」
門前のクロの中央だけが答えた。
「散歩」
牧人が止まる。
「散歩?」
クロは黙った。
ベロが横から入る。
「たまには歩くんですよ、みんな」
牧人は少し考えて、頷いた。
「そうか、あいつらも、たまには散歩するんだな」
ベロが苦しそうに横を向く。
「そりゃ、たまにはな」
「そうだな。運動不足になるもんな」
牧人は普通に言った。
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ゴルムの持ち場は、見た目だけなら薄い。
古い石倉。
低い壁。
荷を置く空き地。
本家本体より、だいぶ地味だ。
だから、ジドは笑った。
「やっぱりな」
後ろの赤牙の若い衆も頷く。
「ここならいける!」
「本家より全然薄い!」
その時、足元に板が立っているのに気づいた。
"足元注意"
ジドが見て、鼻で笑う。
「読むかよ」
読めばよかった。
三歩目で、床が半段だけ沈んだ。
「うわっ」
転ぶほどではない。
だが、つんのめるには十分だった。
その瞬間、左右の石壁が低く鳴る。
ゴルムだった。
最初からいた。
なのに、立つまで壁だった。
「遅いわね」
上からミズハの声が降る。
梁の上。
足を組んで座っている。
だいぶ楽しそうだ。
「いらっしゃい」
ジドが顔を上げる。
「待ってやがったな!」
「待ちくたびれたわ」
その背後、逃げ道の細路には、もうイシコが立っていた。
無言。石みたいに動かない。
でも完全に道を塞いでいる。
赤牙の若い衆が止まる。
「うそだろ」
「うそじゃないよ」
とヒナの声。
もっと上だった。
屋根の上から、けらけら笑っている。
「やだ、ほんとに来た!」
足元を、細い糸が走る。
イトだ。
見えにくい。
だが見えた時には、もう遅い。
赤牙の若い衆が一匹、足を取られて前へ転がる。
ジドが前へ出る。
ゴルムが受ける。
ヒナが上から叫ぶ。
「やっちゃえ!」
横へ回ろうとした若い衆を、イシコが止める。
ミズハが上から水瓶を落とす。
割れる。
泥が散る。
滑る。
「うわっ!」
それでもジドが突っ込む。
ゴルムが真正面から受ける。
鈍い音。
ジドが横へ流れる。
そこへ、イシコの石の腕がどんと入る。
「ぐっ!」
「やっちゃえ!」
とヒナ。
「うるせえ!」
ジドが吠える。
ミズハが上から笑う。
「そっち、滑るわよ」
「誰が乗るか!」
乗った。
そして滑った。
ゴルムの拳が腹へ入った。
ジドがその場で折れたみたいに曲がる。
「がっ……!」
その後ろで、赤牙の若い衆が完全に慌てた。
「ジドさん!」
「え、待って待って!」
「聞いてない!」
「待ち伏せだろこれ!」
「だから待ち伏せだって言ってんだろ!」
「帰る!? 帰れます!?」
「石のでかいのがいる! 無理!」
「足元も嫌!」
隊列が崩れる。声が上ずる。逃げ道はない。
前にゴルム。横にイシコ。上にミズハ。足元にイトの糸。
どこを向いても、逃げ道がない。
ヒナが屋根の上で大笑いする。
「混乱してるよ!」
ゴルムが短く言う。
「観念しろ」
「くそ!」
とジド。
でも立てない。
赤牙は奇襲しに来たのに、待ち構えられて、正面から受けられて、横を切られて、上から崩されて、足元まで悪かった。
惨敗だった。
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その時、外から低い声がした。
「下がれ」
ガルガだった。
来ていた。
前へ出る気はない。
でも、このまま若い衆を全部壊すほど馬鹿でもない。
ロッカも横にいた。
顔が険しくなっていた。
「ジド、情けねえな」
ジドが歯を鳴らす。
「まだ――」
「まだも何も、壊れてる」
とロッカ。
一言だった。だが効いた。
ジドが初めて黙る。
だが、ガルガは黙らなかった。
前へ出た。
「おい、鉄顎」
ゴルムが見る。
「何だ」
「俺が相手だ!」
それだけ言って、踏み込んだ。
速かった。
さすがに連盟長だった。
一撃。
二撃。
重い。
だが――受けたのはゴルムだった。
正面。
真正面。
一歩も引かない。
三撃目で、横からイシコが入る。
石の腕が、ガルガの脇を打つ。
ガルガが揺れる。
そこへゴルムの拳が、胸の真ん中へ入った。
鈍い音がした。
ガルガが、二歩下がる。
止まろうとして、止まれない。
膝が落ちる。
ロッカの顔が、そこで変わった。
「……終わりだ」
短かった。
それが、終わりの声だった。
ガルガは歯を食いしばったまま立ち上がろうとしたが、立ち切れない。
ジドは起きられない。
若い衆はもう隊列がない。
ロッカが鼻を鳴らす。
「連盟長が落ちた。若牙も折れた。外縁の面も消えた。赤牙、ここで終わりだ」
ガルガが悔しそうに睨む。
でも、否定はしない。
それで終わりだった。
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まめじいが、そこでようやく前へ出た。
帳面を持っている。
こういう時まで持っている。
「では」
「では、じゃねえ」
とロッカ。
「まだ腹立ってるんだよ」
「でしょうな」
まめじいは頷いた。
「外縁の細路、ゴルム殿預かり」
「赤牙の下働きと小型種、飢えた者は本家へ流してよし」
「石の向こうの倉と荷は、本家預かり」
まめじいはロッカを覗き込んで言った。
「異存ありますかな」
ロッカがガルガを見る。
ガルガは息を整えながら、短く言った。
「……ねえよ」
ジドが顔を上げる。
「ガルガ!」
「うるせえ!お前は寝てろ」
ジドは寝た。
というより、起きられなかった。
ロッカが最後にゴルムを見る。
「お前、あの辺まとめられるか」
ゴルムが短く答える。
「できる」
「なら、もうあっち使え。赤牙の看板、今日で下ろす」
ヒナが止まる。
「えっ、終わるの!?」
ロッカが答える。
「倉を抜かれた。奇襲も潰れた。連盟長まで落ちた。これで看板抱えても、痩せるだけだ」
ガルガは目を閉じた。
それから、鼻を鳴らした。
「……下ろせ」
それだけだった。
赤牙連盟は、そこで終わった。
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本家へ戻ると、牧人は普通に根菜を洗っていた。
「散歩どうだった」
と聞く。
「……勝った」
とイシコがぼそりと言った。
「散歩で?」
ヒナが吹いた。
「うん!勝った!」
「そうか」
短い。
その横で、ニコが新しい板を書いていた。
<ゴルム方面 本日終了>
ヒナが見て笑う。
「やだ、早い!」
ナナがさらに一枚立てた。
<逃げ込みは今まで通り>
「こっちも早い!」
「必要」
ミズハが肩を揺らす。
「この家、勝つと板が増えるのよね」
ベロが鼻を鳴らす。
「負けても増えるけどな」
牧人はふと、イシコを見た。
「散歩、するんだな」
イシコは少しだけ間を置いた。
「……まあ」
ヒナが屋根の上で転がる。
「アハハハ!」
牧人は手を洗いながら言った。
「で、飯は足りるか」
全員がそっちを見る。
ヒナが吹いた。
「親父、いつもそこが心配なんだね!」
「腹減るだろ」
その通りだった。
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本家と赤牙の抗争は、そこで決着した。
赤牙は、周りから崩そうとして、先に待たれて、こてんぱんにされた。
勝ったのは――先に待っていた方で、
最後に残ったのは――飯を切らさない方だった。




