補給頭ロッカ、倉の嘘を探して負ける
朝、赤牙連盟は、だいぶ機嫌が悪かった。
というより、腹が立っているやつほど声が大きい朝だった。
「空だ!」
「塩まで抜かれてる!」
「見張りは何してた!」
「知るか!」
木箱が飛ぶ。
食い残しの骨が転がる。
若い牙が怒鳴る。
下働きの小型種が縮こまる。
その真ん中で、若牙ジドが一番うるさかった。
「出ましょうよ!」
机を蹴る。
「今すぐ本家に出る!たぶんあそこだろ!門ぶち抜いて、犬ぶっ叩いて、返させりゃいい!」
連盟長ガルガは、座ったまま机を見ていた。
座っているのに、立っているやつより大きく見える。
「返すか?」
低い声だった。
ジドが止まる。
「……取ったんなら」
「取ったもん、返すか?」
止まる。
その代わり、横で補給頭ロッカが石板に爪を立てた。
ぎっ、と嫌な音がする。
「返さねえよ」
誰も言わない。
言わなくても分かることを、ロッカはわざわざ言った。
「倉を抜かれた。最悪だ。でも、今すぐカチ込んだら、もっと最悪になる」
ジドが噛みつく。
「なんでだよ!」
「勝てねえからだよ」
即答だった。
「門前に三つ首がいる。石の門番もいる。中層の連中まで、今は本家側だ。今こっちが腹減ってる状態で正面からぶつかったら、面子ごと飛ぶ」
ジドが机を叩く。
「面子飛ばされてんのは今だろ!」
「知ってるよ!」
ロッカも机を叩いた。
初めて声を荒げた。
「だから数えてんだろうが!」
しん、とする。
ガルガがそこで、やっと口を開いた。
「ロッカ」
「はい」
「読むか」
ロッカは鼻を鳴らした。
「読みます。倉を抜かれたこと自体はもういい。よくねえけど、そこだけ怒鳴っても腹は戻らねえ。一番気持ち悪いのは、盗られた肉と塩が、どこを通って消えたかが見えねえことです」
ガルガの目だけが動く。
「本家か」
「本家かもしれねえ。他の連中かもしれねえ。でも、どっちにしろ、頭が回るやり方だ」
石板に線を引く。
「乱してねえ。必要な分だけ抜いてる。表の路にも、売りの匂いにも出てこねえ。ってことは、どっかで一回飲んでる。受けてる場所がある」
ジドが吐き捨てる。
「本家の庭にでも積んでんだろ」
「だったら匂いが出る」
「じゃあ地下かよ」
「そうかもしれねえ」
ジドは眉を上げた。
「"かもしれねえ"で止めんのかよ」
ロッカが睨む。
「止めるよ。今はまだな。確かめる方が先だ」
ガルガが椅子にもたれた。
「行け」
短い。
「地下か、嘘か、倉か、全部見てこい」
ガルガが、ジドを見る。
「ジド」
「はい」
「お前は出るな」
ジドの顔が歪んだ。
「なんでだよ!」
「お前は見つかったらそのまま殴る。今日は殴る日じゃねえ」
それが悔しかった。
でも正しかった。
ジドは歯を鳴らし、最後に言った。
「じゃあ一個だけ言っとく。今日中に答えが出なかったら、俺は出る」
ガルガは否定しない。
ロッカだけが舌打ちした。
その場で、火種はできた。
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同じ朝、本家の裏では、牧人が芋を見ていた。
「これは今日。これは寝かせる。これはまだ早い」
若い衆が頷く。
「はい!」
「投げるな」
「はい!」
返事の直後に一本転がった。
「あっ」
「ほらな」
ヒナは屋根の上から笑っていた。
「親父、畑の時だけだいぶ丁寧だよね」
「畑だからな」
梁の上では、イトが前脚で石蓋をちょんちょん叩いていた。
とん。
とん。
「ひーな」
「なにー?」
「しーた」
「下?」
もう一回。
とん。
ヒナがしゃがみ込む。
「地下になんかあるの」
その足元で、ぷるが籠の底をぺたりと拭いている。
最近ちょっと働きすぎだ。
たぶん「ぷーる」と呼ばれて以降、妙にやる気がある。
ヒナが見下ろす。
「ぷるもえらいよ」
ぺたり。
一回だけ、大きく跳ねた。
たぶん、聞いていた。
その横で、まめじいが帳面をめくっていた。
「親父殿」
「何だ」
「本日の寝かせ部屋、石の方へ回しますかな」
「石の方?」
「旧保全乾燥室二番ですな。芋を寝かせるにも、塩を置くにも、あそこが一番ようございます。荷台路も少し起こしましたので、運びも楽ですぞ」
「じゃあそこ」
牧人は迷わない。
「あと、昨日収穫した分も少し回しといてくれ」
ヒナが止まる。
「昨日収穫した分?」
まめじいは何でもない顔で言った。
「乾いた方が具合がよろしいもので」
「そうか」
と牧人。
「便利ですぞ」
とまめじいが意味深に言う。
ヒナが小さく笑う。
「なにかあるの?」
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昼前、ロッカは二匹の牙を連れて、外縁の崩れた石路にいた。
本家の中に入ったわけではない。
赤牙側からも触れる、古い保全路の残りだ。
昔の迷宮設備の死にかけの口。
もう使われていないはずの、半分埋もれた細路。
だが匂いがする。
乾いた空気。
塩。
古い藁。
わずかに獣脂。
ロッカが鼻を鳴らす。
「……生きてやがる」
若い牙が小声で言う。
「カシラ、これ本家の中ですか」
「中じゃねえ。でも、本家の周りに古いもんがまだ繋がってる」
壁の一枚だけ違う。
押す。
動く。
細い通路。
入る。
乾いている。
妙に乾きすぎている。
風が下へ向かって抜けている。
「保全路か」
「たぶんな」
「なんでこんな古いのがまだ――」
「知らねえよ。でも生きてるから腹立つんだろうが」
通路の先に、石室があった。
ロッカが目を細める。
「ここだろ」
覗く。
止まる。
そこにあったのは、芋だった。
山ほど。
きれいに並んで、
寝ているみたいに静かだった。
若い牙が言う。
「芋ですね」
「見りゃ分かる」
「かなりあります」
「それも見りゃ分かる」
ロッカはこめかみを押さえた。
「なんでこんなとこに芋があるんだよ」
若い牙が小声で言う。
「補給用ですかね」
「親分の趣味じゃねえのか」
「それはそれで嫌ですね」
ロッカは舌打ちした。
「外した。いや、半分当たりだ。部屋はある。乾燥室も生きてる。だから他にもある」
その時、通風孔の上で何かがかさっと動いた。
見上げる。
ヒナだった。
顔だけ出して、笑っている。
「やだ、そこ見つけたんだ」
ロッカが顔をしかめる。
「見つかっちまったか」
「見つかるでしょ。そこ、芋寝かせ部屋だよ」
「芋寝かせ部屋って何だよ」
「親父が芋やってるから」
「知らねえよ!」
ヒナはけらけら笑った。
「でも読みは正しいよ。地下に持ってる、までは当たり」
若い牙がイラつく。
「カシラ、落としますか」
「届くか?」
届かなかった。
高かった。
通風孔の奥から、小さい声。
「ひーな」
「うん、イト」
「おーやーい」
「親父は今、上で芋見てる」
ロッカは若い牙を見た。
「なんで上で会話してんだよ」
若い牙が小声で言う。
「カシラ、だいぶ馬鹿にされてません?」
「分かってるよ」
でも追わない。
追ったら本家側の口にぶつかる。
そこまで頭は熱くなっていない。
ロッカは引いた。
「今日はこの部屋の先は追わねえ」
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だが次の路で、もっと嫌なものを見た。
壊れた滑車。
割れた石札。
錆びた封鎖具。
何に使っていたのか分からない、迷宮の残りかす。
その隙間を、風が抜ける。
ロッカが床へ鼻を寄せる。
「ここも通ってる」
石板をずらす。
半段だけ床が沈む。
その下を、細い荷台路がすっと滑っていった。
袋が二つ。
塩。
干し肉。
若い牙が叫ぶ。
「今、下走った!」
「見えた!」
「なんだここ!」
ロッカは歯を鳴らした。
「倉が一部屋あるんじゃねえ。古い乾燥室、荷台路、保全孔、空き部屋……。地下ごと倉のふりしてやがる」
ロッカの読みは近かった。
だが、どこが倉で、どこからが古い迷宮設備なのか、線が引けない。
読み切れない。
その時だった。
奥の暗がりで、細い糸が一瞬だけ光った。
若い牙が止まる。
「カシラ」
「見えてる」
「見られてませんか」
ロッカは短く言った。
「見られてる。だから今日はここまでだ」
「追いますか」
「馬鹿!ここで追ったら、本家側の出口にぶつかる」
ロッカは身を引いた。
「今日は"地下が一部屋じゃねえ"まで掴めりゃ十分だ」
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戻ると、ジドが待っていた。
腕を組んでいる。
面構えが、だいぶ悪い。
「遅え」
「見てた」
「で?」
ロッカは答える。
「本家の周りに、古い保全路がまだ生きてる。倉を一部屋持ってるんじゃねえ。地下ごと、荷を飲んでる」
ジドが眉を上げる。
「ぶっ壊せばいいだろ」
「どこを」
「地下ごと」
「どこが地下口か、まだ全部見えてねえ」
ジドが舌打ちする。
「じゃあまた様子見かよ」
「違う」
ロッカの目が細くなる。
「次は路を折る。地下口じゃなくてもいい。上で受ける方を崩せば、下も詰まる」
そこへガルガが来た。
足音だけで、空気が少し下がる。
「読めたか」
「半分」
「半分か」
「倉の形は読めません。でも、本家の下が普通じゃねえことと、盗った荷がそこへ消えてることは読めました」
ガルガは黙って聞いた。
それから言う。
「なら、次は遠慮なく触れ」
ジドがすぐ笑う。
「出るんだな」
ガルガは否定しない。
「倉を抜かれて、黙ってるだけじゃ連盟が痩せる。次は本家そのものに触る」
火種は、そこで火になった。
ロッカだけが最後に言う。
「正面からはまだ早い。でも、境界は踏みます」
ガルガが頷く。
「踏め、こっちが赤牙だと、思い出させろ」
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さらに、ずっと遠くの、誰も見ない封鎖門の一つで、
古い石札が一瞬だけ光った。
乾いた青白い線が、すぐ消える。
ひびの奥の記録片が、薄く鳴る。
保全流路、局所起動。
未登録流量、断続観測。
それだけだった。
短い。
薄い。
だが、反応した。
石律機構の線は、まだ死んでいなかった。
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夕方、本家の門前には、誰も来なかった。
それが、とても変だった。
ヒナは屋根の上で腹ばいになって、外縁へ伸びる風の線を見ていた。
昨日まで、細い線が何本か、本家の方へ折れてきていた。
今日は違う。
来ない。
途中で止まっている。
いや、止められている。
「……あれ?」
とヒナ。
梁の上のイトが前脚を上げた。
「こーない」
ヒナが止まる。
「分かるの?」
「こーない」
「うん。来ない」
下でぷるが、ぺたりと床を拭きながら一回だけ跳ねた。
たぶん、そっちも分かっている。
ベロが顔を上げる。
「何が来ない」
「昨日まで逃げてきたやつが、今日は来ない」
ミズハが食堂の窓にもたれたまま言う。
「逃げてくるやつが、来られなくなったのね」
まめじいが帳面を閉じた。
「締め始めましたな」
「誰が」
とベロ。
「赤牙でしょう」
それは、分かりやすすぎる答えだった。
ニコが板を片しながら言った。
「せっかく、"祝!赤の脱退者"って板つくったのに」
「そんな板を見たら、入りたくなくなるだろ」
ベロがうんざりしたように言う。
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ヒナはすぐ飛んだ。
屋根から壁へ。
壁から外縁の石路へ。
そこに、赤い布が結ばれていた。
細い杭。
低い位置。
一本ではない。
三本。
四本。
本家へ流れそうな細路ごとに、赤い目印が立っている。
「うわ」
ヒナは顔をしかめた。
「分かりやすっ」
そこへ、排水路の石蓋の下から、小さい影が転がり出た。
赤い布を腕に巻いた、小型種だった。
腕に痣。
頬に擦り傷。
息が荒い。
ヒナがすぐ降りる。
「おいで! こっち!」
小型種は一度だけ振り返った。
その先、細路の曲がり角に、赤牙の若い牙が二匹立っている。
その中央に、ジドがいた。
腕を組んでいる。
面構えが悪い。
追ってくるわけではない。
でも、逃がす気もない顔だった。
ジドが大きい声で言う。
「そいつ、本家へ入れるのか!」
ヒナが睨み返す。
「入れるよ!」
「じゃあ次から、逃げたやつの脚から折るぞ!」
「感じ悪っ!」
ジドは鼻を鳴らす。
「飯が欲しいなら、赤牙で黙って並べ、流れたやつから先に切る」
その言い方に、小型種の肩が震えた。
ヒナはその背を押した。
「走って!」
走る。
小さい。
でも速い。
赤牙の若い牙は追わない。
追わない代わりに、そこへ赤い杭をもう一本、深く打ち込んだ。
ヒナは空へ戻りながら、顔をしかめた。
「次は倉じゃなくて、逃げ道をふさぐ気だ」
ナナが門前で、小型種に言った。
「赤布を外して、早く入れ」
---
本家へ戻ると、小型種はそのまま門前で崩れた。
牧人がちょうど畑から戻ってきたところだった。
土のついた手で相手を見る。
「腹減ってるか」
小型種は頷く前に、目だけで肯定した。
「減ってる」
「じゃあ飯だ」
ヒナが翼をばたつかせる。
「親父! 今日はちょっと違う!赤牙、逃げ道に杭打ってた!来るやつ止めてる!ジドいた!」
牧人が顔を上げる。
「ジド?」
「うん、次は脚から折るって」
ベロが舌打ちした。
「とうとうそこまで来たか」
ミズハが椀を持ってくる。
「はい。今日は昨日より濃いわよ」
小型種は震える手で受け取った。
「……いいのか」
牧人は眉をひそめる。
「いいから、食え」
小型種は、椀を持ったまま言う。
「今日、三匹戻された。二匹は殴られた。一匹は……まだ戻ってない」
食堂が少し静かになる。
ヒナの翼が止まる。
「ジドが?」
「若牙が、『本家へ流れたやつは敵だ』って」
ベロが低く言う。
「始めやがったな」
まめじいは帳面を開いた。
「補給頭が読みで負け、若牙が締めで取り返しにきた。分かりやすい流れですな」
「分かりやすくて嫌だね!」
とヒナ。
その時、門前のクロの右が低く唸った。
外だ。
本家の外縁路。
赤い杭が、今度は二本見える。
さらにその向こうに、赤牙の若い牙が三匹。
様子見だ。
だが、もう隠れていない。
牧人が椀を持ったまま言った。
「増えたな」
「増えたね」
とヒナ。
「次来るよこれ」
ミズハが笑う。
「そうね。来る顔してるわね」
---
その夜、食堂の机の上には、地図の代わりに赤い杭が置かれていた。
ヒナがそれをつんつん叩く。
「倉を抜かれて、次は線を締める。分かりやすい。分かりやすいけど、感じ悪い」
ベロが腕を組む。
「ロッカはカシラだ。でも、こういう締め付けはジドの匂いだな」
まめじいが頷く。
「連盟長ガルガが許し、補給頭ロッカが止めず、若牙ジドがやっておる。つまり、連盟が一段上げた、ということですな」
ヒナが顔をしかめる。
「やだ」
イトが梁の上から言った。
「やーだ」
ヒナが顔を上げる。
「アハハ! そこ覚えるの!?」
ぷるがぺたりと一回跳ねた。
たぶん、それにも同意している。
ミズハがくすっと笑う。
「かわいいけど、厄介な話だわね」
その通りだった。
赤牙は、倉を抜かれた。
読みでも負けた。
だから次は、逃げ道そのものを締めに来た。
本家が飯を出すなら、
赤牙は本家へ来る前に折る。
そこまで来た。
牧人は少し黙っていた。
それから言う。
「で」
全員が見る。
「飯は増やせるか」
ベロが吹いた。
「飯だよな」
ヒナも笑う。
「親父、そこからなんだよね!」
ナナが言った。
「増やします」
「寝床は」
「空けます」
「じゃあいい」
いいわけがない。
だが、親父の中ではまずそこだった。
ミズハが肩を揺らす。
「喧嘩の前に、うちはまず台所なのよね」
「台所だろ」
と牧人。
「腹減ってるやつが来るんだから」
その時、梁の上のイトが前脚を上げた。
「おーやーい」
ヒナが吹き出す。
「親父、呼ばれてる!」
「おう、言葉うまくなったな」
ぷるがぺたりと大きく跳ねる。
ベロが笑う。
食堂が少しだけ緩む。
でも、緩んだのはそこまでだった。
外では、赤い杭が増えていく。
本家へ流れる線を、赤牙が締め始めている。
倉の話は、もう終わりだ。
次は、境界だ。
本家と赤牙の喧嘩は、もう正面まで来ていた。




