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肉と通路は、殴る前に取られる


朝、本家の食堂で、ヒナが最初に声を上げた。


「肉がない」


正確には、肉が乗っていない椀が増えていた。


「やだ。朝から悲しい」


ベロが椀を覗く。


「こっちもだ。根菜だけ」


「こっちは汁だけ」


とザガ。


「味も薄い」


ミズハが椀を並べながら言った。


「干し肉の荷が半分。塩も半分。今日はだいぶ薄味ね」


ヒナが牧人の方を見る。


「親父、聞いた? 肉がないって」


牧人は黙って椀を持ち上げた。中を見て、置いた。


「まめじい」


「はい、荷が減った原因は、赤牙ですな」


落ち着いていた。


「南外輪の搬入路を二本押さえられました。昨日の夕方からです」


牧人は頷いた。


クロが皿を見た。


右が低く唸る。右の鼻が空の椀を押した。かたん、と鳴った。


「外の弱いの、狩るか」


ベロが吹いた。


「おおっ若頭、狩で調達してくるか」


「やめろ」


と牧人。


即答だった。


「今それやったら赤牙の思うつぼだ」


右が不満そうに鼻を鳴らす。左はもう椀を覗いている。中央は黙ったままだった。


そこへ、南根道の若い衆が飛び込んできた。


「親分!」


「何だ」


「干し肉の荷、南外輪で止められました!」


続けてもう一匹。


「藁束を運ぶ通路に泥を流し込まれて、通れません!」


さらにもう一匹。


「怪我人を通す安全路、朝から滑るようにされてる!」


食堂が少し静かになる。


ヒナの翼が止まる。


「やだ」


ミズハが少し笑った。


「ずいぶんいやらしいわね」


まめじいが帳面を開いた。


「肉の搬入。保存の効く餌。乾いた寝床へ続く路。怪我人を通す安全路。解体場の使用順」


「全部、"暮らしを回す線"ですな」


ザガが顔をしかめる。


「殴り込みじゃねえな」


「はい」


とまめじい。


「家を飢えさせる戦です」


その一言で、若い衆の方が先に怒った。


「叩き返しますか!」


「南外輪まで踏み込んで——」


「こっちの藁に触るなら、あっちの倉を——」


「やめろ」


牧人がそこで言った。


大きい声ではない。でも通った。


「今、肉が少ない」


「寝床が湿る」


「怪我人が通れない」


食堂を見回す。


「そういう時に外へ出て、怪我人増やしてどうする」


若い衆が止まる。


ヒナが笑う。


「親父、そこはちゃんと親分なんだよね」


ミズハも乗る。


「怒る前に、ごはんと寝床を戻したいのね」


「戻す」


と牧人。


「殴るのは、そのあとだ」


右がまた低く鳴った。


左はもう寝ていた。中央だけが牧人を見て、短く頷いた。


---


同じ頃、人間界では、三船ローが本気で困っていた。


理由は簡単だ。隣に、梶間豪志がいたからだ。


学生時代の同期で、やくざ映画ばかり見ている男だった。


黒いシャツ。黒い上着。無駄に尖った革靴。映画の中のやくざを見すぎて、私服の組み立てを完全に間違えた男だった。


「お前さ」


と豪志。


「行ったんだろ」


「冥門組に」


「見ただけだ!しかも門前で逃げた!」


ローは即答した。


「会ってない! 見て終わった! 怖くて終わった!」


豪志は感動していた。


「いいなあ……俺も一回でいいから会いてえんだよ。冥門組の親分に」


「だからその呼び方やめろって!」


「やめねえよ。人間界じゃもうそう呼ばれてるってんだい、バカヤロー」


「だから怖えんだよ!」


豪志は急に低い声を作った。


「ロー……ここで会わなきゃ男が立たねえんだよ……バカヤロー」


「なんでだよ!」


「俺、こういう時に言いてえ台詞いっぱいあるんだよ。バカヤロー」


豪志が決め顔を作る。


「"筋ぃ通してくださいよ"とか。"落とし前つけてもらおうか"とか。"若いの連れて来いよ"とか、バカヤローとか」


「どこで言うんだよ。普通に恐ろしい所だぞ。っていうか、バカヤローはさっきから言ってるだろう」


豪志は少しだけ黙った。


「でもよ。冥門組の親分って、やっぱりすげえのか」


「すげえよ。あと若頭がもっと怖えよ」


「いいなあ……」


「よくねえよ!」


ローは深くため息を吐いた。


「とにかく言っとく。変なこと言うな」


ローが続ける。


「親分って呼ぶな。兄貴も駄目。盃も駄目。映画の台詞も駄目。どうなるか分からないから」


豪志は胸を張る。


「任せろよ。バカヤロー」


「うるせえな!バカヤローはやめろ」


---


ダンジョンの入口で、ローが足を止めた。


「いいか、よく聞け」


豪志が背筋を伸ばす。


「ここからは魔物の領域だ。護衛はいない。俺とお前だけ」


「男だな」


「男じゃねえ、金がねえんだ」


ローは通路の壁に手を当てた。


「俺が前を歩く。なるべく魔物の少ないルートを通る。前に一回来た時に、国枝に教わった道だ」


「何回か来てんのかよ」


「配信だよ。命懸けの」


「かっけえ」


「かっこよくねえ。怖かっただけだ」


ローは豪志の目を見た。


「もし魔物が出たら、戦わない。すぐ逃げる。走る方向は俺が指示する。勝手に動くな。叫ぶな。映画の台詞は絶対に言うな」


「最後だけ具体的だな」


「お前だから言ってるんだよ」


豪志は少しだけ真面目な顔になった。


「分かった」


「ほんとか」


「たぶん」


「たぶんじゃ困るんだよ!あと、バカヤローは絶対禁止だ」


「分かってるよ。バカヤ・・・」


「次言ったら、帰るからな」


通路を進む。ローが先頭。豪志がすぐ後ろ。


壁の苔に豪志が怯える。


「ロー、この壁動かねえよな」


「動かねえよ」


「この穴は」


「ただの穴だ」


「この音は」


「風だ。黙れ」


一度だけ、遠くで何かの足音がした。ローが手を上げて止まる。豪志も止まった。息を止めた。足音は遠ざかった。


「……行くぞ」


「ロー、お前すげえな」


「すごくない。慣れただけだ。慣れたくなかったけど」


「なんか、手土産でも持っていった方がいいかな」


「お前、何言ってる?」


「だって、手ぶらだと失礼じゃないか」


「バカ、遠くから見るだけだよ。見つかったらどうなるか」


豪志は真顔でつぶやいた。


「花でも摘んでいくか」


ローは、いつもで逃げられるように靴ひもを結びなおした。


---


本家の門前が見える位置で身を隠しながら、豪志は黙った。


クロがいたからだ。


門前。三つ首。でかい。顔一つだけで十分怖いのに、三つある。


豪志はローの袖を引いた。


「帰るか」


「早いな!」


「いや無理だろ!」


「お前が来ようって言ったんだろ!」


「映画より怖えよこれ!」


その時、上にヒナがいた。


「……あ、前に外輪寄りの茶屋で監察局の人と喋ってた配信者のやつだ」


ローがぎょっとする。


「見つかった。……えっ、監察局の人と? 何で知ってるんだよ」


「見てたから、あと、あの時の揚げ芋おいしかったなー」


ローが指さす。


「あーお前か!芋ドロボー!」


ヒナがけらけら笑う。


「一個くらいいいじゃん」


「揚げたてだったし、三個しかなかったんだぞ!」


ミズハが、遠くからそのやり取りを眺めながらつぶやいた。


「なあに、芋どろぼうって」


豪志は二人のやり取りを見て、さらに困った。


「何その話。こええんだけど。何で空から芋盗まれるんだよ」


「盗んでないもん。屋根にいたら、ちょうどよく飛んできたの」


とヒナ。


豪志は、覚悟を決めて叫んだ。


「親分さんに、ご挨拶に参りました!」


「うるさいなー、親父に会いに来たの? じゃ、入りなよ」


「あっさり入れた?」


とローが頭を抱えた。


ヒナが二人を門前へ案内した。


そこへナナが出てきた。


「名前」


豪志はローを見た。ローは見ないふりをした。


豪志は前を向き直った。


背筋を伸ばした。


そして、片手を前に出して、膝を曲げた。


「おひかえなすって」


静寂。


完全な静寂。


ヒナが窓枠に乗って聞いた。


「……何て?」


ナナが真顔で豪志を見た。


「それは何」


「挨拶です」


「聞いたことない」


「任侠の挨拶です!」


「任侠とは」


「えっと、その、義理と人情の——」


「用件」


「あ、はい。冥門組の親分に会いたいです」


ヒナが窓枠を叩いて笑った。


「やだ、何今の! おひかえなすってって何!?」


ベロが吹く。


「初めて聞いた」


ザガが顔を覆った。


「こういう変な人間もいるんだな」


ローがうめく。


「だから言うなって言っただろ! 変なこと言うなって!」


ナナだけが真顔だった。


「来客列、最後尾」


「えっそんな列あるの!?」


そして並んだ。


前には藁束の相談をしに来た若い衆。後ろには塩の追加荷を持ってきた小型種。真ん中に、緊張顔の豪志。


ヒナが上から笑う。


「ちゃんと並んでる。えらい」


豪志は小声でローに言った。


「これ、親分に会えそうだ」


「俺は、会いたくない」


「さっき摘んだ花を用意しとこう」


「やめろ、そんなもの捨てろ」


---


順番が来た。


牧人が食堂から出てくる。


土のついた手。畑帰りの顔。その後ろには、でかい魔物たち。


豪志は目を見開いた。


「……親分?」


「はい」


と牧人。


それから、もう一回やった。


片手を前に出して、膝を曲げた。


「おひかえなすって!」


牧人が止まった。


「……何だそれ」


「挨拶です!」


「聞いたことない」


ヒナが爆笑した。


「二回目! 二回目やった!」


ベロが腹を抱える。


「親父にもやるんだ!」


ザガが空を見た。


「親分、さっきも同じの見たぞ」


「何なんだ」


ローが額を押さえた。


「すみません。こいつ映画の見すぎです」


「映画って何だ」


「忘れてください」


ヒナが息を整えながら言った。


「やだ、この人面白い。もう一回やって」


「やらなくていい」


と牧人。


「やりたいです」


「やるな」


ローが豪志の襟を掴んで言った。


牧人は豪志を見た。それからローを見る。


「変な人達だな」


「すみません」


「でも、悪い人じゃなさそうだ」


「いい人です!」


「自分で言うな!」


とザガがいった。


その直後、豪志はクロを見てしまった。


「若頭さん——」


「駄目だ!」


とロー。


「今のなし!全部なし!」


クロの右が低く唸る。


豪志が半歩下がる。


「すみません!」


ヒナが笑う。


「何がしたかったの」


---


そこへ、また若い衆が飛び込んできた。


「親分! 今日の解体場の順番、赤牙が横から割り込んでる!」


「怪我人の道、また泥流された!」


「藁束の荷も遅れてる!」


食堂の空気がまた変わる。


今度は本家側の魔物たちが、さっきより露骨に怒った。


「もう行かせろ!」


「南外輪まで踏み潰してくる!」


「塩まで触ってきやがって!」


クロの右が低く唸った。中央は黙ったまま、牧人だけを見ていた。


豪志が小さく言う。


「うわ、右だけ怒ってる……」


「余計なこと言うなよ」


とロー。


牧人は立った。


「やめろ」


「でも親父——」


「やめろ」


食堂が止まる。


「今出ていって、肉は増えるか」


「寝床が乾くか」


「怪我人の道が空くか」


誰も答えない。


「……空かねえ」


とザガ。


「だろ」


牧人は食堂を見回した。


「向こうは今、腹と路を取りに来てる」


「じゃあこっちは、腹と路を守る」


「殴るのは、そのあとだ」


まめじいが帳面をめくる。


「解体場は本家前へ寄せます」


「乾いた寝床は、旧保全路側の空き部屋を開けます」


「怪我人の道は、イシコ殿の側から踏み板で新しく繋ぐ」


イシコが一歩出る。無言で頷く。


クロの中央が短く頷いた。それだけだった。


ヒナが笑う。


「親父、今日はちゃんと親分っぽい」


ミズハも乗る。


「でも言ってることは、ずっと"飯と寝床を戻す"なのよね」


「それが一番困るからな」


豪志は少し黙っていた。


それから、小さく言った。


「……スゲー、やっぱり親分だ」


ベロが鼻を鳴らす。


「そりゃそうだろ」


「でも、もっと出入りとか、ドンパチとかしないのかな」


「飯と路だよ」


とロー。


「そっちの方がよっぽど重要だろ」


豪志は真顔で頷いた。


だが、悪い癖は死んでいなかった。


「親分さん」


「風呂、いただいていいですか」


ローが顔を覆う。


「別にいいけど」


「せっかくなんで、お背中とかお流しします」


「要らない」


と牧人。


「また来ます!」


「えっ帰るの?」


ヒナが笑いすぎて窓枠を叩く。


「やだ、面白い!」


ミズハが肩を揺らした。


「お風呂入りたいのか、帰りたいのかどっちなのよ」


豪志は真顔だった。


「怖いけど、ちょっと通いたくなる場所ってあるじゃないですか」


「ねえよ!」


とロー。


---


まめじいが、そのローへ静かに近づいた。


「配信者殿」


「えっはい?」


「帰りたいのは分かりますが、ひとつ話があります」


ローが嫌な顔をする。


「今ですか」


「今です」


まめじいは帳面を閉じた。


「今、赤牙に搬入路を絞られておりましてな」


「聞いてました」


「国枝殿の荷だけでは、いずれ足りなくなる」


「でしょうね」


「そこで、です」


まめじいはローの目を見た。


「人間界側から、別の搬入口を開きたい」


ローが眉をひそめる。


「別の搬入口って」


「配信者殿の配信を見ている人間は、それなりにおるでしょう」


「まあ、それなりには」


「その中に、商人。冒険者。運び屋。ダンジョン内への荷を扱える者がおるはずです」


ローは黙った。


まめじいは続ける。


「本家の中を映せ、とは言えません。ただ、"本家と取引できる"という事実を、配信者殿の口から流してもらえれば」


「新しい搬入ルートが開く、と」


「はい。赤牙が南外輪を押さえても、人間界側から荷が入れば、締め付けが効かなくなる」


「そちらは搬入路が増える。こちらは配信で稼げる」


「配信者殿が本家への窓口になれば、取引の仲介手数料も取れますな」


ローが少し黙る。


「……つまり、俺が本家の人間側の商い口になる、ってことですか」


「嫌なら断ってくださって結構」


「嫌とは言ってないです。怖いとは思ってる」


「それで十分ですぞ」


豪志が横から口を挟む。


「ロー、それやれよ」


「そしたら俺、"伝説の組の舞台裏"ってサムネ考えるから」


「お前は黙れ!」


「だって絶対回るだろ!」


「その方向にだけ頭回るな!」


ヒナが笑う。


「やだ、この人ほんとにうるさい」


ミズハも楽しそうだった。


「でも人間側から荷が入るのは悪くないわね」


ローは深く息を吐いた。


「……考えます」


「はい」


とまめじい。


「考えている間にも、肉は減りますがな」


「圧をかけないでください!」


「事実ですぞ」


---


その日の本家は、いつもより慌ただしく、少しだけ笑いが多かった。


肉が減る。通路が塞がる。寝床が湿る。怪我人が遅れる。


それは全部、殴るより先に家を弱らせるやり方だ。


でも本家は、その日にちゃんと動いた。肉を配り直し、寝床を組み替え、怪我人の路を引き直した。


牧人が最後に言う。


「で、風呂は沸いてるか」


「親分、入るのか」


とベロ。


「いや、あいつらが」


「まだ、いたのかよ」


豪志が即答した。


「お風呂、いただきます!」


「ホントに入るのかよ!」


とロー。


ヒナが翼をばたつかせる。


「やだ、変な人間。面白い」


イトが梁の上から、糸を一本落とした。豪志のサングラスにぴたりとくっつく。


「うわ!」


「あー」


「笑われてる!」


「たぶん気に入られたぞ」


とベロ。


かなりにぎやかだった。


でも、まずは路を守る。


そこからだった。


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