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本家成立の朝は、挨拶もルールも一気に増える


朝、本家はうるさかった。


ぎい。

がた。

どん。

ぺち。


「そこ並べ!」


「押すな!」


「押してない! 押されてる!」


「礼は右! 飯は左! 寝床相談は真ん中!」


「……何だこれ」


守谷牧人は、玄関の前でしゃがんだまま言った。


手には油差し。

目の前には扉。

背後には、朝から本気でうるさい本家。


本家成立の翌朝だった。


昨日の夜、白い鳥みたいな何かが来て、面倒な気配を残して消えた。なのに朝になったら、最初に困ったのはそこではなかった。


扉が鳴る。


「親父」


とヒナ。窓枠に座って、かかとで壁をこんこん蹴っている。


「何だ」


「また扉直してるの?」


「鳴るだろ」


「鳴るけどさあ! 親父、外見て。列できてる。二列。いや三列」


牧人は外を見ない。扉を見る。


「あと少しで静かになる」


「ならないよ! もう静かな朝は終わったよ!」


ザガが横を通り過ぎながら言う。


「親分、昨日まで"ちょっと変な家"だったんだよ。今日は"一応ちゃんとしてるらしい本家"になった」


「なんだその言い方」


「でも合ってる」


ベロが貢物の山を抱えて通る。苔魚、根菜、骨、乾き肉、妙に光る石。


「これどこ置く?」


「用途が分かるものは右。分からないものは端」


とナナ。


ナナはもう板を三枚抱えていた。増設分だった。


見物は静かに。

礼は受付を通せ。

寝床希望は名乗れ。

本家で武器を抜くな。

廊下を走るな。

礼に生ものを混ぜるな。


「待て」


と牧人。


「最後の何だ」


「今朝追加した」


「何で」


「混ざったから」


本当に混ざっていた。


貢物の山の一角に、何かの肉の塊がどんと置かれていた。色が悪い。匂いも悪い。何の肉かも分からない。根菜に寄りかかるように乗っていて、根菜の方が迷惑そうだった。


「何だこれ」


とベロ。


「肉……だと思う」


とザガ。


「何の」


「分からん」


「どこから持ってきたんだ」


置いた当人は、広場の端にまだいた。小さな甲殻系の魔物で、気まずそうに二歩下がっている。牧人が見ると、さらに一歩下がった。


「おい」


「……」


「これ、どこから持ってきた」


「……その辺に、死んでた」


「その辺に死んでたやつを持ってくるな」


「礼です……」


「礼で謎の死体を持ってくるな」


ヒナが上から覗き込んだ。


「親父、種類分かる?」


「分からない」


「何の肉か分からないものが礼で来る家ってどうなんだ」


とザガ。


ベロが肉を突いた。


「これ食えるのか?」


「食うな」


と牧人。


「食わねえよ。聞いただけだよ」


「聞くな」


ナナが無言で板を裏返した。「礼に生ものを混ぜるな」の板を、甲殻系の魔物の真正面に向けた。


甲殻は固まった。読んでいた。読んだ上で、もう一歩下がった。


「読んで下がるな」


「すいません……」


「謝るなら持って帰れ」


強かった。


ミズハが黙って水桶を持ってきて、肉があった場所を洗い流した。


「ミズハ、ありがとう」


と牧人。


「早く流さないと、ぷるが寄るから」


見ると、ぷるがもう三メートル先からこちらへ向かっていた。


「止めろ」


とベロ。


ぷるは止まらなかった。


---


「親分」


とニコが走ってくる。


「何だ」


「板、足りない!」


「またか」


「増えるんだよ! 親分が"来たなら入れ"とか言うから!」


「来たなら入れるだろ」


「だから増えるんだよ!」


会話が一周した。


まめじいが帳面を開いたまま言う。


「親父殿。区分を切りますぞ」


「何の」


「来客です。家族、身内、預かり、客分、見物、中立、それと礼だけ勢」


「最後なんだ」


「礼だけ置いてすぐ帰る者どもですな。さっきの肉のような」


「そいつら困るな。でも区分いる?」


「要る」


とナナ。


「全部板にする?」


「する」


「板また増えるじゃねえか」


「親分」


とザガ。


「もう諦めろ。今日から本家は板で育つ」


「訳が分からない」


そこに、ヒナが被せた。


「親父、楽しいね」


まあ、楽しいかな。牧人は微笑んだ。


---


牧人は扉を押してみた。


き。

……ぎ。


「よし」


「何がよしだ」


とザガ。


「昨日より静か」


「違いが分からないよ、親分」


その時、門前でクロが短く鼻を鳴らした。


右の頭が外を向く。中央と左はまっすぐ前。


ヒナが翼を半分だけ開いて空気を嗅いだ。


「二つ来る」


「二つ?」


「一つは商人。塩と布の匂い」


「国枝か」


「たぶん」


そのあと、顔が変わった。


「もう一つ、嫌」


「嫌?」


「敵とは違う。けど好きじゃない。近づきたくない種類の嫌な匂い」


ヒナは普段、空気を雑に仕分ける。だが今の声はその枠から少しだけ外れていた。翼の先まで届く細い緊張が混ざっていた。


---


先に着いたのは、国枝市蔵だった。


今日も一人。だが荷が多い。昨日より明らかに多い。


塩、布、薬草。そこまでは分かる。だがその後ろに、干し紐、蝋燭、小瓶、包みが二つ。頼んでいない物が積まれていた。


ナナが眉を上げた。


「頼んでないものが混ざってる」


「おまけです」


と国枝。


「商人のおまけは、だいたいおまけじゃない」


とまめじい。帳面から目を上げないまま言った。


国枝は否定しなかった。


「昨夜のこと、外輪まで届いています。白閃牙を二度弾いたこと。前線まで返しに行ったこと。本家が成立したこと」


「早いな」


と牧人。


「噂は商品より早いんです」


国枝は荷を広場に置いた。前回の「約束分を届けに来た」という顔ではなかった。もっと腰が低い。だが目の奥には計算がある。


「率直に申し上げます。取引を拡げさせてください」


まめじいの帳面をめくる音が止まった。


ナナが半歩だけ前に出た。


「拡げる、というのは」


「品目を増やしたい。道具類、保存食、修繕材。外輪で出回らない上等の蝋燭と紙も」


「何と引き換えに」


「本家から出る魔石片、甲殻、骨材、それに地下旧路や中層から流れる拾い物です。外輪じゃまとまって手に入りにくい。しかも今後は量が増える。だから先に窓口を押さえたい」


「独占ですかな」


とまめじい。声は穏やかだった。目は穏やかではなかった。


「独占とは言いません。優先、です」


「どう違う」


「他の商人が来ても構いません。ただ、本家が最初に声をかける相手を私に」


「つまり独占だな」


とザガ。


「言い方の問題です」


「商人はそういうとこだよな」


ナナが国枝を見た。


「白閃牙が退いたから来た」


「はい」


「勝ち馬に乗りたい」


「乗りたいです」


「正直だな」


とベロ。


「正直が一番安く済むんです」


まめじいが帳面を閉じた。


「親父殿。どうしますかな」


牧人は国枝を見た。図太さの下に、賭けている顔があった。本家が勝った翌朝に荷を増やして来る。それがどういう意味か、国枝自身が一番分かっている顔だった。


「条件」


とナナが先に言った。


まめじいが帳面をめくる。


「念のため申しますが、親父殿の家は現金が厚いわけではありませんぞ。支払いは、礼で集まる魔石片と骨材、それに中層から流れる品と、足りぬ分は掛けです」


「承知の上です」


と国枝。


「値は、まめじいが決める。品は、私が確認する。おまけは、次から中身を先に言え」


とナナが言った。


「厳しいですね」


「当たり前」


国枝は一拍だけ黙った。


「……受けます」


「早いな」


とベロ。


「返事も早い方が得なんです」


まめじいが帳面を開き直した。


「では今日の分から値を詰めますかな」


「お手柔らかに」


「しませんぞ」


ぷるが塩袋へ寄った。ベロが止めた。


「今日はだめだ」


ぷるが止まった。止まったが、体の端だけが袋の方へ伸びていた。諦めたふりをして全然諦めていない伸び方だった。


「おい」


ベロが塩袋を持ち上げた瞬間、ぷるの体がぺたりと貼りついた。


「離れろ」


ぷるっ。


「離れろって」


ぷるるっ。


ベロが振る。取れない。横に振る。取れない。逆さにした。ぷるも逆さになった。離れない。


「ミズハ姐さん、取ってくれ」


「自分で取りなさいよ。見てる分には面白いけど」


「取れねえから言ってんだよ」


最終的にイシコの石の手で、ぺりっと剥がされた。ぷるは何事もなかったように広場の隅へ戻って床を拭き始めた。


国枝はその一部始終を、表情を変えずに見ていた。目の端にほんの少しだけ「帰りたい」の色があった。


「親分さん。もう一つ。商いとは別の話です」


広場の雑音は変わらない。だが牧人の周り三歩だけ、空気が変わった。


国枝は声を落とした。


「白閃牙の事故処理、あれは綺麗すぎます。帳簿が綺麗すぎる時は、誰かが先に拭いている。数が合いすぎている報告書は、書く側の都合で作られている」


まめじいが静かに帳面を閉じた。聞く側に回る時の閉じ方だった。


「親分さんが生きて戻ると困る側が、上の方にいるかもしれないという話です」


ヒナの翼が動いた。冷えた空気を切るように、短く。


「来た」


全員がそちらを見た。


国枝も振り向いた。クロはもう立っていた。イシコは壁から離れている。ナナが板を一枚、さりげなく裏返した。「見物は静かに」の板だった。


---


門前に、影が入ってきた。


大きくない。武装していない。白閃牙みたいな圧もない。


なのに、広場の温度だけが下がった。


布を深く被った細い影だった。足音が軽い。歩き方にためらいがない。本家の広場に初めて来たはずなのに、自分がどこに立つべきか最初から知っているような足運びだった。


クロの右の頭だけが、低く唸った。白閃牙が来た時の音とは違う。喉の奥でもっと古いものが転がるような、鈍くて重い音だった。


影は板を見た。一枚ずつ見た。「本家で抜くな」の板で少しだけ止まった。


それから、顔を上げた。


布の奥で、目だけが光っていた。湿り気のない、深い色だった。光があるのに、温度がない。


広場の小型種が、誰にも言われずに一歩ずつ下がっていた。体が勝手にそうしていた。


「本家」


声は低い。男とも女とも取りにくい。


「挨拶に来た」


誰もすぐには返さなかった。


ザガの指が槍の柄を握ったまま動かない。ベロの笑いが消えている。まめじいだけが帳面を開いたが、何も書かなかった。


牧人が、一拍遅れて言う。


「……どちら様ですか」


「親分、普通じゃねえ」


とザガ。


影は少しだけ首を傾げた。


「普通では困るか」


「困るとか困らないとかじゃなくて」


ナナの声が被る。


「名乗りなさい」


短い。硬い。朝から板を増やし続けた声とは別の強さがあった。


影はほんのわずかに笑ったように見えた。


「名は、まだ要らない」


「やだ、名乗んないの?」


とヒナ。


「感じ悪っ」


影が一瞬だけヒナを見た。それだけでヒナの翼が半分閉じた。閉じたことにヒナ自身が驚いていた。


影はクロを見る。長く、静かに。三つの首のそれぞれを、順に見た。


「古い空気が残っている」


クロの左の頭がはっきり唸った。右も低い。中央だけが動かなかった。動かないことが一番重く見えた。


ザガの指が白くなる。


「親分、やるか?」


「まあ、待て」


牧人は一歩前へ出た。


出た瞬間、影の目がこちらへ移った。布の奥の光が、初めて牧人だけを見た。


「挨拶なら追い出さない」


「親父!」


とヒナ。


「ただし、うちの中で喧嘩するな」


影は少しだけ間を置いた。


「……家みたいだな」


その一言の響きが、他の全部と違った。壁の向こう側から窓を覗き込んでいるような響きだった。知っているが、入らない。見えているが、触らない。


まめじいの帳面を持つ手がほんの少しだけ強くなった。ナナの板を持つ指が、いつもより一本多く掛かっていた。


牧人だけが言う。


「そうだよ。家だ」


影は一度だけ頭を下げた。


「次は、もう少し名のある者が来る」


「やだ、その言い方! 次も来る気じゃん!」


とヒナ。


影はそのまま、すっと下がる。三歩見送る前に、もう気配が遠い。足跡も、匂いも残っていなかった。最初からそこに誰もいなかったような消え方だった。


ヒナが梁へ飛ぶ。


「やだ、静かに帰るのが一番感じ悪い」


「速えな」


とベロ。


「速いんじゃない。薄い」


ヒナの声にさっきの軽さが戻りかけていた。でも翼の先だけ、まだ少し硬かった。


クロはまだ門前を見ていた。三つの頭がそれぞれ別の方向を見ているのに、全部が同じものを探しているような目だった。


牧人がその背中を見る。


「知ってるのか」


右。中央。左。少しずつ間が違う。


最後に中央の頭が低く鳴った。


「……知らねえ」


嘘だろうな、と牧人は思った。首の付け根の毛が、まだ少しだけ逆立っていた。知らない相手にするような反応に見えなかった。


でも、それ以上は誰も聞かなかった。答えない時のクロは、答えたくない時のクロだ。それが分かるくらいには、もうみんなこの門番を知っていた。


---


まめじいが帳面を開く。


「親父殿。来客区分を増やしますかな。普通の客と、普通じゃない客です」


「雑だな」


「親父殿にだけは言われたくありませんな」


ヒナが吹いた。ベロも笑った。ザガまで口元だけ緩んだ。


ニコが板を持ってくる。


「何て彫る!?」


「早いな!」


「板係だから!」


「そんな係いつ決まった!」


「今!」


ナナが短く言う。


「本家の決まりは、必要な時に決まる」


牧人は玄関の扉を押した。


き。

……ぎ。


まだ鳴る。


「親分」


とザガ。


「今日も油差すのか」


「鳴るからな」


「鳴らないようになるか?」


「なるだろ」


「なるのか?」


ベロが礼の山からまた変な石を拾う。


「これ何に使うんだろうな」


「気持ちだろ」


と牧人。


「もう全部それで押し切る気だな」


「だいたい気持ちだろ」


「でも、たぶん合ってるわよ」


とミズハ。


それで少しだけ、広場に笑いが戻った。


戻ったのは顔だけだった。


ヒナの翼の先は、まだほんの少しだけ硬い。クロの首の毛は、完全には寝ていない。まめじいの帳面には、さっきの一件がもう書かれている。ただし行間がいつもより広かった。何を書いていいか分からなかった分だけ、白い隙間が残っていた。


本家成立の朝は、挨拶もルールも一気に増えた。


次はどんな面倒が起こるか。


なのに牧人が一番気にしているのは、まだ扉の音だった。


本家の一日は、たぶんこれからずっとうるさい。


そしてたぶん、明日はもっとひどい。


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