表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/55

値段がついた家


その日の昼、本家に最初に届いたのは礼ではなく、値段だった。


---


外輪の古い酒場の二階は、昼でも薄暗い。


窓は小さい。椅子は軋む。机の上には、金の話をするのにちょうどいいだけの静けさがある。


その机に、四つの銀貨が並んでいた。


その前に立っているのは、昨日ドルグを区域境まで追い込んだ攻略班の女だった。肩までの髪。大剣。左の頬に、浅い切り傷。顔はまだ怒っている。


向かいに座る男は、外輪で仲介を生業にしている人間だった。依頼、情報、搬出路、売り先。金の流れが通る場所には必ず顔を出す。


銀貨を指で弾いた。


「高くついたな」


「もう少しだった」


女は即答した。


「獲物はもう一息だった。境の外まで押し出して殺すだけだった。そこへ横から水のやつと石のやつが入った」


「魔物の増援か」


「ただの増援じゃない。連携してた。足元滑らせて、退路塞いで、杭まで抜いた。まるで——」


「本家だな」


「何だそれ。ギルドか?」


「ギルドじゃない。魔物の群れが、人間を親分と呼んでる場所だ」


女の眉が動く。


「……魔物が人間を?」


「外輪じゃもう知らないやつの方が少ない。配信にも出た」


「それが昨日の連中か」


「そうだ」


男は笑わなかった。


女は舌打ちした。


「中層ボスを狩るのに、なんで横から邪魔が入る」


「お前の仕事の中身を考えろ」


男は銀貨を一枚、指先で転がした。


「区域ボスを境の外で殺す。そうすりゃ復活できない。ボスが消えた区域は後任が見つかるまで空く。空いた区域の魔石、素材、通路——全部が商品になる」


「そうだ。だから金になる」


「で、それを本家が止めた」


「そうだ」


「つまりお前の仕事は、"区域を空けて利権にする"仕事だった。本家はそれを潰した側だ」


女が黙る。


「区域ボスの首一つは、まあ相場がある。だが区域ごと空けて売る仕事を潰す相手は、もっと面倒だ」


「面倒ってのは」


「値段がつくって意味だ。潰したい奴にも、利用したい奴にも」


女は机を叩いた。


「じゃあ、次は人数を増やす」


「やめとけ」


「なんで」


「お前が見たのは水と石だけだ。他にもいる」


「何が」


「黒い三つ首。災厄級だ。門前に座ってるらしい」


短い沈黙が落ちた。


女はそれを見ていない。だが、災厄級という単語だけで十分だった。


少しだけ声を落とした。


「……そいつが出る前に落とす」


「そういうのを考え始めると、たいてい死ぬ」


「じゃあ、あんたはどうする」


「様子を見る」


「臆病だな」


「仲介屋は、臆病なくらいでちょうどいい」


男は銀貨を戻した。


「次は本家の値段が決まる」


「誰が決める」


「監察。ギルド。利権屋。配信。いろいろさ」


女はそこで、初めて少しだけ嫌な顔をした。


目の前の仕事が、一段大きくなったと分かったからだ。


---


白閃牙のギルド長室は、昼でも静かだった。


静かすぎる部屋は、怒鳴るより怖い。


堂前烈牙は、机の上の端末を見ていた。その横にあるのは、監察局からの照会文。配信切り抜き。そして、別筋から上がってきた報告が一枚。


中層南根道・区域ボス回収失敗

妨害要因:本家側介入


八代玲臣が先に声を出した。


「何だよこれ」


「読めば分かる」


「読んだから言ってんだ」


「興奮するな」


「うるせえな!」


堂前は顔を上げなかった。


「南根道のドルグを落とそうとした攻略班が、横槍で引いた」


「そう書いてある」


「中層のボスを庇った側がいる」


「そうも読める」


「読める、じゃねえだろ。そうだろ」


八代は苛立っていた。


「あいつがまだあそこにいるだけなら放っておけた。だが家を持って、中層のボスまで動かしてる」


堂前は切り抜きを止めた。映っているのは、桶の水をクロに置く牧人の手だった。


「あいつはうちが切った人間だぞ。それが生きてて、しかも勢力を持ってる」


死んでくれた方がまだ処理しやすかった。


「最悪だな」


と八代。


「何が」


「利用価値が出た」


「前からあった」


「いや、前は"都合のいいやつ"だった」


「今は違う」


「今は"使えるやつ"だ」


「そうだ」


堂前はそこで初めて端末を閉じた。


「監察が動いてる」


「らしいな」


「配信は広がった」


「見た」


「中層のボスまで傘下になってるらしい」


「そこがおかしいんだよ!」


八代が机を叩く。


「追放したんじゃなかったのかよ」


「追放したさ」


「今までは放っとけたが、今は放っとけない」


その時、七海が短く言った。


「国枝が動きます」


八代が顔を向ける。


「もうか」


「早いな」


と堂前。


「匂いに敏感なやつは、早い」


七海は書類を差し出した。


「外輪で接触予定。名目は物資流通の確認」


「物資ねえ」


八代が笑う。


「結局、買いに行くんだろ」


「買えるならな」


と堂前。


「だが、あれはたぶん並べて売る家じゃない」


「じゃあどうする」


「まず、向こうの値札を見る」


八代は苛立った顔のまま黙った。


堂前は最後に言った。


「お前は行くな」


「は?」


「牧人はお前の顔を見たら、話す前に閉じる」


「……」


「だから、今は国枝を先に行かせる」


「商人を?」


「あいつは商人じゃない。仲介屋だ。場を読む」


その言い方に、七海だけが小さく頷いた。


---


本家では、今日も芋の話をしていた。


「この深根芋、葉が二枚目に入った」


「水は」


「昨日より少なめ」


「少なめってどのくらい」


「少なめ」


「雑だな」


「雑じゃない。感覚よ」


とミズハ。


ヒナは窓辺で足をぶらぶらさせていた。


「親父」


「何だ」


「今日、こっちに向かってる人間がいるよ」


「そうなのか」


「他人事みたいに言うね」


「他人事じゃないけど、芋の観察に忙しんだよ」


「のんきなんだよなあ……」


とザガ。


その時、門前で若い衆が騒いだ。


「来た!」


「誰だ」


「南根道の!」


ドルグのところの若い衆が二匹、荷を担いで来た。


昨日の救援礼だった。


袋の中身は、深根芋、乾いた茸、硬い豆、あと妙に大きい骨付き肉。礼としては重かった。


「親分からです」


「多いな」


と牧人。


「昨日のことがありましたので」


「義理堅いな」


とザガ。


「親分は義理堅いです」


若い衆はそこで少しだけ胸を張った。


「……あと、本人も今日中に来ます」


「ドルグが?」


「報告があると」


「珍しいな」


「珍しいです」


ミズハが少しだけ目を細める。


「生きて戻った親分は、礼が重いのよ」


「そういうもんなのか」


と牧人。


「そういうもの」


とザガ。


---


そこへ、もう一つの足音が重なった。


人間だった。


しかも、一人。武装は軽い。だが、目が軽くない。


それと、匂い。ヒナが先に気づいた。


「金の匂い」


「え?」


「さっき言ってたやつ。来た」


門前で、男が立っていた。


四十半ばくらいだ。旅装だが、布の質がいい。靴の底が新しい。腰に武器はない。代わりに、小さな革袋をぶら下げている。


クロは門前で目を開けたまま寝ていた。男はその横を、息を止めて通った。


板を読んだ。


見物は静かに→ 勝手に入るな→ 記録するなら先に言え→


少しだけ考えてから、男は口を開いた。


「国枝市蔵と申します。物資流通の話をしに来ました」


ザガがすぐに前へ出た。


「待て。何者だ」


「商人です」


「商人がA級の中まで一人で来るか」


「護衛は途中で返しました。ここから先は、護衛がいる方が危ない」


ザガの目が細くなる。


「名前は聞いた。どこの筋だ」


「外輪で物資の仲介をしています。ギルドにも出入りしますが、所属はどこにもありません」


「都合のいい言い方だな」


「便利な言い方です」


まめじいが帳場から顔を出した。


国枝を一目見て、短く言う。


「利権商人ですな」


国枝は少しだけ笑った。


「お目が高い」


「目ではありません。靴の底です。外輪の補給所で最近直した靴だ。探索者は底をすり減らすが、商人は底を張り替える」


「……恐れ入ります」


まめじいが牧人を見る。


「親分。この手の方は、匂いだけ嗅ぎに来ることがあります」


「匂い?」


「何が売れるか、何が足りないか、何に値段がつくか。まず見に来るんですぞ」


「なるほど」


「入れるかどうかは、親分のご判断です」


牧人は国枝を見た。


「何を持ってきた」


「今日は見本だけです」


国枝は革袋から小さな布包みを出した。中身は塩だった。白くて細かい。


「外輪の精製塩です。品質は確認いただける」


牧人が指先で舐めた。


「うまいな」


「ありがとうございます」


「で、何が欲しい」


「今日は、何も。まず持ち込めるものを見ていただくだけです」


「怪しいな」


とザガ。


「怪しいですね」


とベロ。


「正しい反応です」


と国枝。


牧人は少し考えた。


「中に入っていいけど、勝手に動くな。触るな。聞いたことを外で売るな」


「承知しました」


ザガがまだ嫌な顔をしている。だが牧人が許可した以上、止めはしなかった。


国枝は静かに入った。


---


国枝は、最初から買う話をしなかった。


商人なのに、いきなり「これをいくらで」と言わない。まず流れを見る。誰がどこにいるか。誰が中心か。何が不足で、何が余っているか。


値段の前に呼吸を読むタイプだ。


「芋、作り始めたんですね」


「始めた」


と牧人。


「まだ途中だけど」


「水路がある」


「ある」


「寝台もある」


「ある」


「洗浄も回ってる」


「回ってる」


「……よくできた場所ですね」


国枝はそこで一拍置いた。


「だから、壊さない方が高い」


「高いって何だ」


「失礼。職業病です。ここは壊すより残す方がいい、という意味です」


「また値段の話か」


とザガ。


国枝は笑わないまま、素直に頷いた。


「私は商人ですから」


「売りに来たのか」


と牧人。


「半分」


「もう半分は」


「買いに来た」


「何を」


「流れです」


空気が少しだけ固まった。


ベロが小声で言う。


「始まったな」


「始まったね」


とヒナ。


「何が」


と牧人。


「ややこしいやつ」


国枝は続ける。


「誤解しないでください。今すぐ何かを切り売りしろという話ではありません」


「なら何だ」


「こちらが持ち込めるものを持ち込む。そちらが足りないものを埋める。その代わり、将来的に外輪との流通を一本、こちらが預かる」


「預かる?」


「噛ませる、でもいい」


「嫌な言い方だな」


「商人ですので」


ミズハが水桶を置いた。


「親父、やめときな」


「何で」


「この人、優しく言ってるだけで、流れの首を持ちたがってる」


国枝が少しだけ笑う。


「綺麗な方は、よく見ておられる」


「水は濁る前に分かるの」


牧人は少し考えた。かなり普通の顔で考えた。


「塩は欲しい」


「欲しいですぞ」


とまめじい。


「布もいる」


とヒナ。


「でも、嫌な匂いもする」


ヒナが続けて、ナナは黙って頷いた。


牧人は国枝を見た。


「今は買わない」


国枝はすぐ頷いた。


「ええ」


「でも、持ってくるだけなら見てもいい」


「親分!」


とザガ。


「持ってくるだけだよ」


国枝の肩が、ほんの少しだけ下がった。


「では、塩を二袋。布を三反。薬草を一箱。次回お持ちします」


「明日?」


「早いですね」


「無理ならいい」


「問題ありません」


と国枝。


まめじいが帳面を開いた。


『外輪商人・国枝市蔵。物資持ち込み打診。塩・布・薬草。条件未定。利権筋の可能性あり。』


---


国枝が去って、しばらく経った。


日が傾き始めた頃——門前で、また空気が変わった。


重い。静かなのに重い。


ドルグだった。


今日は血の匂いは薄い。だが横腹には、まだ昨日の帯が巻かれている。後ろに若い衆を四匹だけ連れていた。


門前で止まる。


牧人が出てくる。


「来たな」


「来た」


ドルグはまず、深く頭を下げた。


でかい親分が、ちゃんと頭を下げると、広場の空気が変わる。


「昨日は助かった」


「うん」


と牧人。


「生きてるならいい」


「……そういうとこが親分だな」


頭を上げてから、ドルグの顔が少し変わった。報告の顔だ。


「親分、一つ報告がある」


「うん」


「昨日の攻略班、あいつらはただのボス狩りじゃなかった」


ザガが眉を上げる。


「区域境まで追い込んで、外で殺す。あの手口は、区域ボスの復活の仕組みを知ってる人間のやり方だ」


「うん」


「しかも四人組で、搬出の知識もあった。区域が空いた後の利権まで見てやってる」


「つまり?」


「また狙って来る」


短い沈黙が落ちた。


「嫌だな」


と牧人。


「嫌だ」


とドルグ。


「だから次は、若い衆だけで止められるように立て直す。親分のとこの手を借りなくて済むようにする」


ザガが少しだけ笑った。


「殊勝だな」


「うるせえ」


「褒めてる」


「褒めるな」


牧人は普通に言った。


「立て直しに要るものがあったら言え。土とか石とか、出せるものは出す」


「……親分」


「何だ」


「おれは、畑を作る話をしてるんじゃねえよ」


「畑は重要だろ」


「……そうだな」


少しだけ、ドルグの顔が緩んだ。


ヒナが笑いをこらえた。ベロも少しだけ肩を揺らした。ザガは笑っていなかった。ドルグの報告の中身が、本気で嫌だったからだ。


牧人は最後に言った。


「ドルグ、傷が直ってないだろ。無理するなよ」


「……分かってる」


「今日は風呂入ってけ」


「入る」


「気持ちいいぞ」


---


本家の中では、今日も飯が温まり、怪我人が寝ていて、うさぎが布を咥えている。


でも外では、もう違う話が始まっていた。


監察は分類しようとしている。仲介屋は値段をつけようとしている。元ギルドは、回収できるかを見始めている。


親父のシマは、ただの噂ではなくなった。


使える場所だと思われ始めたのだ。


それは、かなり面倒なことだった。


ヒナが、そこでくるっと一回転した。


「ねえ、若頭って、お手するかなあ」


ザガが即座に振り向いた。


「馬鹿野郎。急に何言ってんだ。殺されるぞ」


「えー」


「えーじゃねえよ。何考えてんだ」


クロの右が、そこで低く唸った。


「冗談言うな」


中央は黙っている。

左は半分寝ていた。


ヒナは翼をぱたぱたさせる。


その時、牧人が普通に言った。


「するぞ」


食堂が止まった。


「は?」


とベロ。


ヒナが目を丸くする。


「親父、ほんと?」


「する」


牧人は手を拭いて、門前のクロを見る。


「クロ」


右がじろりと見る。


「何だ」


「お手」


右が即座に怒った。


「ふざけるな!」


怒った。


怒ったのだが――


前脚が出た。


すっ。


食堂がもう一回止まった。


ベロが叫ぶ。


「するんかい!」


ヒナが屋根の上で転がる。


「アハハハハハ! やった! 本当にした!」


牧人は普通に、その前脚を一回だけ持った。


「よし」


「よし、じゃねえ!」


とザガ。


右は前脚を引っ込めて、ものすごい顔で中央を睨んだ。


「てめえだろ」


中央が短く言う。


「俺じゃない」


左も、眠そうに目だけ開けた。


「俺でもないぞ」


右が吠える。


「じゃあ誰だよ!」


ヒナがこらえきれなかった。


「アハハハハ! 若頭の中で犯人探し始まった!」


ミズハが肩を揺らす。


「ふふ。手は正直ね」


ナナが短く言う。


「記録したい」


ニコはもう板を持っていた。


<若頭 お手確認済>


「増やすな!」


とベロ。


ぷるが、ぺたりと一回大きく跳ねる。


たぶん、拍手だった。


牧人は首を傾げた。


「なっ、するだろ」


右がまだ怒っている。


「しねえ!」


中央がぼそっと言う。


「した」


左もゆっくり言う。


「したな」


「うるせえ!」


ヒナは笑いながら翼をばたつかせた。


「もう一回! もう一回!」


「調子に乗るな!」


クロの右は怒りっぱなしだったが、二回目はしなかった。


そこだけは、ぎりぎり若頭の意地だった。


こうして今日も、本家は本家のままだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ