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23/56

中層の親分が殺されかけたので、水路の姐と石の姐が止めに行った


昼前だった。


本家の広場では、深根芋の芽床をどう置くかで、牧人とナナが珍しく同じ方向を見ていた。


「こっちの日当たりがいい」


「ここは水が寄る」


「でも乾きすぎないだろ」


「乾かないだけで、寄りすぎる」


「難しいな」


「畑だからな」


その横で、ヒナが苔角兎を一匹抱き上げていた。


「親父、この子、また葉っぱ食べた」


「食うだろ」


「止める気ない?」


「もう食った後だし」


「甘いなあ」


ミズハは水路の縁に腰を下ろし、水を細く流している。

イシコは壁の修繕跡を指で確かめていた。

クロは門前で寝ていた。

いつも通りだった。


そこへ、土埃を上げて一匹飛び込んできた。


南根道の若い衆だった。


肩で息をしている。

片腕が裂けている。

足も泥だらけだ。


「親分がやばい!」


広場が止まった。


ザガが先に動いた。

若い衆の胸倉を掴む。


「お前、ドルグのとこの者か」


「そうだ!」


「何があった」


「人間が来た! 装備が違う、久しぶりに来た本気の攻略班だ!」


ドルグの名前が出た瞬間、周りの若い衆まで顔を上げた。


その言い方で、空気の質が変わった。


ミズハが水を止める。

イシコが振り向く。

ザガの顔から少しだけ笑いが消える。


「どこだ」


とベロ。


「南根道の下り、区域境の岩橋だ! 親分が押さえてるけど、どんどん押されてる! あのまま境の向こうまで追い込まれたら——」


若い衆の声が詰まった。


牧人の顔をみて、まめじいが言った。


「区域持ちの親分衆、いわゆる区域ボスは、担当区域の中で倒されても、二十四時間たてば復活できます」


「うん」


「ですが、区域の外で殺されれば、復活できません」


「……ああ」


「しかも、倒された事実は残る。若い衆は離れ、繰り返せば区域剥奪ですぞ」


若い衆が、喉を震わせて続けた。


「あいつら、それを分かってやってるんだ! わざと親分を境の外へ追い出して、復活できないようにしてから殺す気だ!」


拳が震えていた。


「……ひでえ連中だ。ボスの仕組みを知ってて、そこを突いてきやがる」


ドルグ本人がここにいないのに、その声だけで、必死さは十分伝わった。


牧人は少しだけ黙った。


全員の目が、自然とクロへ向いた。


クロが目を開ける。

中央の頭が若い衆を見る。

三つの顎が持ち上がる。


立ちかけた。


それを止めたのは、まめじいだった。


「若頭が出ると、ここが空きます」


「……」


「今回は、正面の暴力より、地形と足止めです」


クロが止まる。

納得はしていない顔だった。

だが、まめじいの判断を蹴る気もない。


まめじいの言葉の意味を理解したように、ミズハが立ち上がった。


濡れた髪を払う。

目がもう、戦いの顔になっていた。


「あそこは水路があるから、私に向いてる。今回は私が行く」


イシコも続く。


「付き合う。岩橋なら、塞げる」


ザガが槍を掴む。


「現地を知ってる奴が要る。俺も出る」


ベロは鍋の蓋を取る。


「回収役が要る」


「お前、それほんと何の道具なんだ」


と牧人。


「今は盾だ」


「よし、行こう」


と牧人が腰を上げた。


そこにナナが口を開いた。


「親父は残れ」


「いやでも」


「親父が行くと、若頭も行くだろ」


「そうなると、本家がガラガラになりますな」


とまめじいが言う。


「……」


さらにナナが続ける。


「畑と寝台と本家を空けるな」


牧人は不服そうだったが、否定しきれなかった。


「……危ないなら戻れよ」


「分かってる」


とミズハ。


「親父はうさぎを中へ入れといて」


とベロ。


「そこなのか」


「今日はそこも大事だ」


四人は出た。


ミズハ。

イシコ。

ザガ。

ベロ。


クロは門前に残った。

寝たままではない。

立って、外を見ていた。


「若頭」


とザガ。


「本家頼む」


クロは短く鼻を鳴らした。


「あまり遅いようなら、行く」


短い一言に、重さがあった。


---


南根道の下りは、湿っていた。


本家周りと違って、ここは生活の匂いが少ない。

代わりに、土と岩と、古い血の匂いがする。

区域ボスのシマらしい道だった。


先を走る若い衆が叫ぶ。


「こっちだ!」


そこから先は、もう音で分かった。


鉄。

水。

怒鳴り声。

そして、顎が岩を砕く重い音。


岩橋の向こうに、ドルグがいた。


膝をついていた。


でかい身体の横腹に、深く杭が刺さっている。

血が石を濡らしていた。

そして——立っている位置が、まずかった。


岩橋の中央。

ここはまだ南根道の区域内だ。

だが、橋の向こう端はもう境界の外になる。


あと十歩。

あと十歩押されたら、ドルグは区域の外に出る。


四人組の攻略班だった。


前に二人。横に一人。後ろに一人。


一人は大剣。

一人は鎖付き鉤爪。

一人は水瓶みたいな触媒を持った術師。

最後の一人が、鉄板を張った大盾で前に立っている。


四人とも、殺す構えではなかった。

押している。

大盾の男がドルグの正面を塞ぎ、大剣と鉤爪が左右から削り、術師が後方から退路を断つ。

じわじわと、橋の向こう側へ。


ザガが舌打ちした。


「分かってるな、あいつら」


ベロが低く言う。


「ボス狩り慣れしてる。区域境で殺す気だ」


ミズハの目が細くなる。


「追い出してから、殺すつもりか」


イシコが一言。


「外で殺す気」


その瞬間、大剣の女がドルグの肩へ剣を叩き込んだ。


「退け!」


ドルグが唸る。

だが立ちきれない。

もうかなり削られている。

そして、また半歩、橋の向こう側へずれた。


鉤爪の男が笑う。


「久しぶりだな、中層ボス。区域境まであと少しだ。大人しくしてりゃすぐ終わる」


若い衆が飛び出しかけるのを、ザガが止めた。


「今出るな。まとめて潰される」


「でも親分が!」


「親分を助ける気なら、順番守れ!」


ミズハが前へ出る。


「水路がある」


「見えるか」


とベロ。


「見える。橋の下、古い逃がし」


イシコが岩壁を見た。


「右、崩せる」


ザガが頷く。


「じゃあ正面は俺とベロで釣る」


「釣られるか?」


「釣るんだよ」


ミズハはもう目を閉じていた。

橋の下の水の流れを読む。

人間には見えない細い筋。

岩の裏へ逃げた水。

昔の設備の残り。

全部が頭の中で一本につながる。


「……いける」


その一言で、全員が動いた。


---


ザガが飛び出す。


「こっちだァ!」


大声だった。

わざとだ。

正面から見せるための声。


攻略班の視線が一瞬そちらへ切れる。


その隙に、ミズハが指を振った。


橋の下の水が跳ねた。

一本ではない。

薄い膜が三枚、違う角度で走る。

一枚は足元。

一枚は視界。

一枚は杭の根元。


術師が反応する。


「水!? ここで!」


「遅い」


とミズハ。


足元が滑る。

大剣の女の踏み込みが半歩ずれる。

その半歩で、ドルグの首筋から剣先が外れた。


同時に、ベロが鍋の蓋で鉤爪男の膝を払う。

完全には倒れない。

でも、十分だった。


押していた流れが止まった。

ドルグの身体が、橋の向こうへ進まなくなった。


大盾の男が踏み込む。

だが足元が濡れている。

重心が一瞬浮いた。


イシコが右の壁へ拳を打ち込む。


岩が落ちる。


橋の向こう側——区域境の出口、その半分が崩れた。

完全封鎖ではない。

でも、ドルグを押し出す隙間はもうない。


大剣の女が叫ぶ。


「境が!」


「塞いだ」


とイシコ。


攻略班の大剣女が、そこでやっと振り返った。


「新手か……! 魔物の増援!?」


ザガが笑う。


「そういうことだ」


「まとめて片づけてやる!」


「やってみろ」


その言葉の途中で、ミズハの二手目が入る。


今度は血だ。


ドルグの流した血を、水で薄く広げる。

匂いが一気に橋の向こうへ流れる。

若い衆の鼻には合図。

だが人間にはノイズだ。


橋の下、左右の陰から、南根道の若い衆が一斉に吠えた。


攻略班が振り向く。

その瞬間、視界へまた水膜。


「くそっ!」


術師が火を切る。

だが水で揺らいだ。

火線が橋の欄干を舐めるだけで終わる。


ミズハが笑った。


「水のある場所で、火は遅いのよ」


綺麗な言い方だった。

だが、かなり嫌な意味だった。


ザガがその隙にドルグの横へ滑り込む。


「立てるか」


「……舐めるな」


「立てねえな」


「うるせえ!」


でも、立てないのは本当だった。


横腹の杭が深い。

あれを抜いている時間はない。


ベロが叫ぶ。


「イシコ!」


「保持」


イシコが前へ出る。

本当に前へ出るだけで、橋の幅が足りなくなる。

大盾の男が完全に止まる。


「化け物……!」


「そうだ」


とイシコ。


「どけ!」


攻略班の大剣が来る。

イシコは受ける。

真正面から。

石翼で、受けた。


鈍い音。

橋が軋む。


ミズハはそこで、もう一本、水を走らせた。


今度はドルグの杭へ。


「動くな」


「……何を」


「抜く」


水が杭の周りへ細く入り込む。

血と肉の間へ、冷たく滑り込む。

摩擦を減らす。

痛みは増える。

でも抜ける。


ドルグの顔が歪む。


「ぐ、ぁ……!」


「叫ぶな」


「無茶言うな!」


ザガとベロが肩を入れる。

ドルグの巨体をずらす。

ミズハが引く。


杭が抜けた。


血が噴く。

だが、その直後に水が傷口を押さえる。

縛るのではない。

一瞬だけ、流れを止める。


「今、立ちなさい!」


とミズハ。


ドルグが顔を上げる。


そこでようやく、本当に火が入った。


「……俺のシマで、好き勝手させるかァ!」


立った。


まだ完全じゃない。

でも立っただけで、空気が変わる。


若い衆が吠える。

橋が揺れる。


攻略班の大剣女が舌打ちした。


「ちっ、勢いが戻りやがった!」


「一気に行くぞ」


とザガ。


「こい!全員斬る!」


その瞬間、イシコが翼を開いた。


完全飛行ではない。

重い石翼の一跳び。

だが橋の上では、それで十分だった。


上から落ちる。


大剣と橋の間へ。


衝撃で岩が割れる。


攻略班の足が止まる。

その隙に、ミズハが橋の欄干から下の水を全部引き上げた。


細い水ではない。

面だった。


壁みたいな水が、一瞬だけ橋を横切る。

視界が切れる。

呼吸が乱れる。


「今!」


とザガ。


若い衆が一斉に前へ出る。

ここでようやく、南根道の流れが押し返した。


大剣の女が、一瞬だけ橋の向こうを見た。


半壊した区域境の出口。押し出しの線はもう死んでいる。


これでは、獲物を区域外に出すことは無理だ。

しかも、魔物の増援がこれで打ち止めとも限らない。


「……引くぞ」


低い声だった。悔しさはある。だが、目的を失った場にしがみつく声じゃなかった。


攻略班は撤退を選んだ。


術師が最後に何か投げたが、ミズハが空中で散らした。


去り際、大剣の女だけが振り返る。


「……魔物どもめ。面倒だな」


それだけ言って、四人は消えた。


---


静かになったのは、三拍あとだった。


若い衆がドルグへ駆け寄る。


「親分!」


「親分!」


「死んだか?」


「死んでねえ!」


怒鳴れるならまだ大丈夫だ。

だが、かなり危なかったのも本当だった。


ザガが息を吐く。


「間に合ったな」


ベロが肩を回す。


「ぎりぎりだ」


ミズハは橋の下の水を戻していた。


「境の外に出される前でよかったわ」


イシコが一言。


「首、回避」


ドルグがミズハを見る。


「……水路の姐」


「何」


「借りを作った」


「そうね」


「あんたが助けに来てくれるとは思わなかったぜ」


「親分のシマの流れが崩れる方が嫌なの」


「……そっちか」


「そっちよ」


それが妙に、ドルグには効いた。


本家が自分を助けた、ではない。

本家は、流れを守るために来た。

だから余計に、借りが重い。


---


帰り道。


牧人は本家で、芋の芽床へ布をかけていた。


「遅いな」


「遅いですな」


とまめじい。

ヒナがうさぎを抱えて言う。


「少しは落ち着いて待ってれば?」


「でもさあ、遅くない?」


ヒナが嬉しそうに言う。


「私が見に行ってこようか?」


そこへ、足音が戻ってきた。


ザガ。

ベロ。

ミズハ。

イシコ。

その後ろに、若い衆が二匹。


牧人が見る。


「どうだった」


ミズハが先に言った。


「攻略班は撤退した。ドルグは区域内に押し戻した」


「死んでねぇって、怒鳴ってた」


とザガ。


「じゃあ大丈夫だな」


牧人の判断はそこだった。


若い衆が深く頭を下げた。


「親分は立てました。区域内です」


一拍置いて、もう一度、深く。


「……本家の皆さんのおかげです。ありがとうございました」


牧人は軽く頷いた。


「うちの家族みたいなもんなんだから、当たり前だ」


若い衆が顔を上げる。

その目が少しだけ潤んでいたが、牧人は気づかなかった。


まめじいが帳面を開く。


『南根道救援。区域ボス、境界外追い出し回避。攻略班四名、増援により撤退。』


ミズハが水桶を置く。


今日はだいぶ濡れていた。

髪も袖も、いつもより重い。


牧人が見た。


「怪我は」


「ないわよ」


「ほんとか」


「少し」


「どっちだ」


「少しだけ」


「見せろ」


ミズハは少しだけ目を細めた。

でも、ちゃんと腕を出した。

薄い切り傷が一本。


「浅い」


「浅いわよ」


「でも洗う」


「……はいはい」


ベロが笑う。


「姐さん、素直」


「うるさい」


ザガも笑う。


「今日の一番の収穫そこかもな」


「死にたいの?」


イシコはいつも通りだった。


「保持、完了」


「何を」


と牧人。


「区域境の出口、半壊」


「まあ、よくやった」


ヒナが翼をぱたぱたさせる。


「で、相手は?」


「凄腕」


とザガ。


「本物の攻略班。四人組」


とベロ。


「区域ボスを境界の外まで追い込んで殺す手口だ」


「嫌だな」


と牧人。


「嫌ね」


とミズハ。


牧人は、ミズハの傷を洗いながら言った。


「とにかく、みんな無事でよかった」


ザガが目を逸らす。


ベロも逸らす。


ヒナだけが笑う。


牧人が言った。


「俺たちは家族だ。ずっとな」


それだけで、話は決まった。


外では、また別の敵が育っている。


でも本家では、今日も怪我を洗って、粥を温めて、うさぎを中へ入れる。


その合間に、中層の親分一人を、区域の内側に押し戻していた。


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