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革靴の監察官が、板を読んでから入ってきた


灰環A級外輪掲示板 避難・補給・噂話スレ part 119


《12》 昨日の配信の続報まだ?


《18》 芋ドロボーの鳥いたってマジ?


《24》 配信者が揚げ芋盗られてて草


《29》 そこじゃねえよ 監察っぽい女が動いてるって話


《33》 親父のシマ、案件化した?


《41》 案件化って何だよ


《44》 もう「変な噂」じゃなくて、ちゃんと見に行く人が出たってこと


《49》 で、あそこ結局なんなんだよ


《53》 板が多い


《57》 情報が雑すぎる


---


朝。


ヒナが窓から戻ってきた。


飛んだのは十分もなかった。低空で外輪の入口あたりを一回りしただけだ。着地して、息を整えて、牧人の横にぴたりと座った。


「親父」


「どうだった」


「昨日の女、もう外輪の入口まで来てる」


牧人は匙を止めた。


昨日ヒナが報告した相手だ。革靴を履いた、監察の女。名前は知らないが、ヒナの言い方で通じた。


「あの監察のやつか」


「うん。監察の女一人に、護衛が二人」


「三船は?」


「茶屋で芋食べてた。別行動」


「芋好きだな」


「かなりね」


ザガが腕を組む。


「監察のやつが来るってことは、本気だな」


「でも外輪の入口にいるだけだろ。ここまで来るか?」


とベロ。


ヒナが首を傾げた。


「来ると思う。鞄が昨日と違った。書類だけじゃなくて、測りみたいなのが入ってるやつ。現地に来る準備の鞄だった」


「よく見てるな」


と牧人。


「空の子は上からよく見えるの」


ナナが即答した。


「門前で止める」


「うん」


「勝手に中へ入れない」


「うん」


「ヒナ、屋根」


「了解」


「イシコ、正面」


「了解」


「若頭は」


とベロ。


クロの中央が短く鼻を鳴らす。


「いる」


「いるな」


ニコは、もう板を抱えていた。


見物は静かに→

勝手に入るな→

記録するなら先に言え→


「増やすな!」


とザガ。


「今日は必要だろ」


とニコ。


「なんでも板に書きゃいいってもんじゃないけどな」


とベロ。


ミズハが水桶を運びながら笑う。


「板で外交する家、ほんと変」


「外交って言うな」


と牧人。


「でも伝わるわ」


「それはまあ」


---


ヒナの言った通りだった。


一時間後。ヒナが屋根から顔だけ出して、小声で言った。


「来た」


「早いな」


とベロ。


本家の前の石道を、澄玲が一人で歩いてきた。


ただし、完全に一人ではなかった。外輪の補給所から旧通路の分岐までは、監察局付きの護衛が二人ついていた。だが、旧通路の先——本家の領域に入る手前で、澄玲は護衛を止めた。


「ここから先は一人で入ります」


「危険です」


「知っています」


それだけ言って、一人で歩き始めた。護衛は旧通路の分岐で待機している。


澄玲の足取りは慎重だった。革靴の踵が石道に硬く鳴る。戦闘職の足音ではない。だが、怯えてもいなかった。


イシコが門前に立つ。クロはその少し後ろ。板は三枚。


澄玲は止まった。


そして、一枚ずつ読んだ。


見物は静かに→

勝手に入るな→

記録するなら先に言え→


数秒黙る。


それから、澄玲は本当に先に言った。


「市属ダンジョン監察局、久慈野澄玲です。現地確認に来ました」


「名乗ったな」


とザガ。


「名乗った」


とベロ。


「偉い」


とヒナ。


牧人は食堂から出てきた。


「おはよう」


「おはようございます」


澄玲はそこで、少しだけ眉を動かした。本当にそれで通るのか、と言いたげだった。


「監察官です。中を確認させてください」


「……どのくらい見るんだ」


「広場と、生活区画を」


牧人はザガを見た。ザガは微かに顎を引いた。だめとは言っていない。ただ、判断を預けている。


牧人はナナを見た。ナナは黙っていた。止めもしない。だが、許可を出す顔でもなかった。


牧人は澄玲を見た。


「俺がそばにいる。俺がいる間だけだ」


「分かりました」


「あと、嫌がるやつには近づくな」


「嫌がるかどうかは、誰が判断するんですか」


「俺が判断する」


澄玲は一瞬だけ黙った。


「……分かりました」


ザガが小声で言う。


「通した」


「通したな」


とベロ。


「親分、女に甘いのか?」


「静かな人だろ。物騒な感じはしない」


「そこなんだよな……」


---


澄玲は一歩、中へ入った。


その瞬間、空気が変わる。


広場の温度。土の匂い。水の流れる音。そして、魔物の目線。


怯えていない。でも油断もしていない。"ここにいること"が自然な連中の目だった。


最初に澄玲が目を止めたのは、広場の地面だった。


石畳の隅。通路の脇。壁際。本来は何もないはずの場所に、土が盛られていた。浅い畝。小さな苗。水が流してある。石畳の隙間にまで、土が押し込まれていた。


「……これは?」


「畑」


と牧人。


「ここに?」


「培養区画の方にもあるけど、足りなくなった」


「足りなくなった?」


「育てたいのが増えた。場所がないから広げた」


「広場を?」


「広場も通路も」


澄玲は周囲を見回した。確かに、広場のあちこちに小さな土の塊がある。苗床が点在している。石畳の道を歩くと、両脇に畝がある。


ザガが小声で言う。


「もう歩くとこねえんだよな」


「歩くとこは残してる」


と牧人。


「狭いんだよ!」


「足りてるだろ」


ナナが腕を組んだ。


「広場に畑を作るなと三回言った」


「三回目は聞こえなかった」


「嘘つくな」


「四回目から聞く」


「もう遅い!」


ミズハが水桶を置きながら言う。


「通路の端は水が溜まるからやめなさいって言ったのに」


「でも育ってるだろ」


「育ってるけど、ぷるが滑る」


「ぷるる」


ぷるが同意した。平たい体が、苗床の端でつるりと滑った跡があった。


「スライムが滑るってなんだよ・・・」


ザガが言った。


澄玲はそのやり取りを見ていた。


「……本当に畑なんですね」


「畑だよ」


と牧人。


「A級ダンジョンの広場で」


「土があるから」


「そんな理由ですか」


「わるい?」


「まあ、いいんですけど」


その横を、苔角兎が二匹走っていく。片方は葉っぱ。片方は何か白い布を咥えていた。


「お前ら、また持っていったな」


と牧人。


うさぎが止まる。布を落とす。


澄玲はそのやり取りを見た。


「……本当に平和ですね」


「何が」


「やり取りが」


「そうか?」


「もっと悪い意味で変だと思っていました」


「変ではないですな」


と、まめじい。


「だいぶ変ではあります」


「それは確かに」


とザガ。


---


そこで、寝台区画の奥から小さな呻き声がした。


「……いたい」


澄玲の目が動く。


牧人はすぐそちらへ向かった。澄玲もつられて見る。


寝台の上に、小型の魔物が寝ていた。腕に矢傷。包帯は巻かれているが、まだ血がにじんでいる。その横で、もっと小さいのが丸まって寝ていた。


「外縁で?」


と澄玲。


「うん」


と牧人。


「昼稼ぎの雑なのに当てられた」


澄玲は少し黙った。


牧人は傷口を見た。包帯をほどく。水で流す。ぷるが泥だけ吸う。


澄玲は、その手元を見ていた。


手慣れている。雑ではない。慣れているだけでもない。痛がる位置を先に読んで、そこを避けている。


「……上手いですね」


「そうか?」


「そうです」


「テイマーだったからな」


「補助テイマー」


「うん」


澄玲は一拍おいてから、試すように言った。


「報告書では"独断行動で事故を起こした隊員"になっています」


牧人の手は止まらなかった。包帯を巻く動きは、変わらなかった。


「向こうはそう書く」


怒ってはいない。でも、諦めきった言い方でもない。ただ、"向こうはそうする"と知っている声だった。


澄玲は少し黙った。


「……それ、否定しないんですね」


「否定して変わるか?」


「変わるかもしれません」


「変わらない方を先に見た」


その返しは、軽くなかった。


ヒナが屋根の上で少しだけ表情を消した。ザガもベロも、何も言わない。まめじいだけが、静かに帳面を閉じた。


---


澄玲は話を変えた。


「地下も見せてください」


牧人は包帯を結び終えてから、顔を上げた。


「だめだ」


「理由を聞いても?」


「ここにいる連中の寝床がある。知らない人間を入れたくない」


「監察局の権限で——」


「権限は知らない。でも、嫌がるやつがいる場所には入れない」


澄玲はそこで、足元へ一度だけ視線を落とした。


石床の継ぎ目。通路の幅。

それから、広場の端から流れてくる、わずかな風。


地上の広場にしては、空気の抜け方が不自然だった。

石の下に、ただの物置では済まない空間がある。

見せなくても分かる。分かるからこそ、今は押せなかった。


ナナが横から言った。


「地下はまだ外へ見せない」


「まだ、ということは将来的には?」


「未定」


「線引きが明確ですね」


「当然」


澄玲は少し粘った。


「報告書との整合を取るために、地下の構造だけでも——」


「今日はだめだ」


牧人の声は穏やかだった。だが、動かなかった。


澄玲は、それ以上は言わなかった。


押しても開かない扉だと分かったからだ。


---


そこで、クロが一歩だけ前へ出た。


全員が少し止まる。


クロは澄玲を見た。次に、澄玲の鞄を見た。最後に、記録板を見た。


「書くか」


低い声だった。


澄玲は驚かなかった。驚かなかったが、目は大きくなった。


「……喋るんですね」


「必要な時だけ」


とザガ。


「今日は必要らしい」


とベロ。


ザガが牧人の横に寄った。小声で、ただし澄玲に聞こえる距離で言った。


「親分。書かせるのか」


「隠すことないだろ」


「ないけど、書いたものは外に出る。面倒なことになるかもしれねえぞ」


牧人は少し考えた。


「……面倒ってのは、ここの連中に?」


「そうだ」


まめじいが静かに言った。


「親父殿。記録を残すのは、こちらにとっても意味がありますぞ」


「どういう意味だ」


「ここが"何もない荒れ地"ではなく、秩序のある場所だと外に伝わる。それは、今後の面倒を減らすことにもなる」


ザガが渋い顔をした。だが、否定はしなかった。


牧人は澄玲を見た。


「書いていい。ただし、ここにいる連中が嫌がることは書くな」


「……分かりました」


澄玲は記録板を出した。


「書きます」


「配慮して書け」


「分かっています」


---


それで、本当に数分、静かになった。


澄玲は広場を見て、書いた。


石の門番。災厄級三首。畑。洗浄設備。保護寝台。小型種混在。秩序あり。板、多数。


最後の一行だけ、自分でも少し迷った。


板、多数。


だが、必要だと思った。実際、多いからだ。


ニコがそれを横から見て言う。


「そこ大事」


「自覚あるんですね」


「ある」


「誇るな」


とザガ。


---


澄玲は記録板を閉じた。


「今日はここまでにします」


「もう終わりか」


と牧人。


「地下を見ないなら、今日はこれ以上は」


「そうか」


「次に来る時、もう一度お願いするかもしれません」


「その時考える」


「……そうですか」


澄玲は一度だけ、本家の広場を見回した。


門前にクロ。横にイシコ。屋根にヒナ。水路にミズハ。帳場にまめじい。床にぷる。畑の土に、牧人。畑は広場にまではみ出していて、石畳の隙間にまで苗が植わっている。


全部が変だ。でも、変なのに回っている。


そこが一番厄介だった。


---


帰り際、澄玲は板をもう一度見た。


見物は静かに→

勝手に入るな→

記録するなら先に言え→


少し考えてから、言った。


「次は、先に連絡してから来ます」


「どうやって」


と牧人。


「……考えます」


「考えるのか」


「連絡手段がないので」


「じゃあまた来ればいい。来たら分かる」


「基準が独特ですね」


「そうか?」


「かなり」


澄玲は去った。


本家の門を出て、旧通路へ戻る。革靴の音が遠ざかる。分岐で待っていた護衛二人が合流し、三人の足音が外輪の方へ消えていった。


---


ヒナが屋根から降りてきた。


「どうだった?」


「何が」


「あの人」


「だいぶ、お硬いな」


「でも悪くなさそうだった」


「そうか?」


「静かだったし、板も読んだし」


「そこ大事か」


「大事」


ザガが肩をすくめる。


「親分の家の基準、だいぶ変だよな」


「変だな」


とベロ。


「でも、ここまで来たやつで一番まともだったかも」


「そうかもね」


とミズハ。


牧人は包帯を結び終えた。小型種は少し落ち着いた顔で寝台へ戻る。


「次は誰だ」


「親分、また怪我人のことかよ」


「怪我人だろ」


「そうだけどよ」


ヒナはそこで、くるっと一回転して笑った。


「やっぱ親父のシマ、外に出したら変だね」


「変だな」


とザガ。


「でも嫌いじゃない」


とヒナ。


「そこなんだよなあ」


とベロ。


---


同じ頃。


外輪の旧通路。


澄玲は護衛の二人と歩きながら、記録板を開いた。


今日書いたものを、もう一度読む。


石の門番。災厄級三首。畑。洗浄設備。保護寝台。小型種混在。秩序あり。板、多数。


それだけだった。


監察局は、迷宮を潰すための役所ではない。


潰せるなら、その方が話は早い。だが街は、迷宮から出る資源も、通れる道も、回収できる素材も、もう切り離せないところまで使っている。


だから監察局の仕事は、危険を消すことではなく、危険を街の都合のいい枠へ押し込んで管理することだ。


事故報告を読み、危険個体を記録し、勝手に広がる通路や無許可拠点を見つけて、被害が地上へ溢れない線で押さえる。


その基準で見れば、本家はかなり多くの項目に引っかかる。


不法占拠。無許可の魔物収容。危険個体の野放し。A級迷宮内での無届け居住。


だが、あの場所はそういう言葉だけで切り取れる形をしていなかった。


危険個体はいる。けれど暴れていない。


無許可拠点だ。けれど秩序がある。


違反のはずなのに、崩れていく気配より、むしろ回っている気配の方が強かった。


あの男は、報告書を否定しなかった。


「変わらない方を先に見た」と言った。


あれは、制度に裏切られた人間の言い方だった。怒りではない。期待がない。だから否定もしない。


澄玲は立ち止まった。


鞄の中の報告書を思い出す。


処理速度、不自然。危険個体遭遇記録と処置記録の抜け方も、不自然。除名後の所在、不明。


そして、今日見たもの。


怪我をした小型種の包帯を、黙って巻いている男。災厄級の三つ首が、その後ろで静かに座っている。門前には板が三枚。広場には石畳を割って植えた苗がある。


報告書が描く人物像と、今日見た人物が、まるで一致しない。


どちらかが嘘だ。


報告書か。


目の前か。


澄玲は記録板を閉じた。


革靴の踵が、石床に硬く鳴った。


「……もう一度、報告書を読み直します」


誰にも聞こえない声で、そう言った。


次は、地下だ。


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