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21/57

空の新入りは、噂と監察官と揚げ芋をまとめて持ってきた


「親父、今日はもうちょっと遠くまで見てくる」


朝飯のあと、ヒナはそう言った。


昨日の夕方、短い飛行で外輪を見てきた。噂が広がっていること、探索者がざわついていること。その報告を牧人は聞いた。


だから今日は、もう少し踏み込む。


「どのへんまで行く気だ」


とザガ。


「外輪の補給所あたり。茶屋の屋根から声が拾える」


「一人で?」


「空なら一人の方が目立たない」


ザガはナナを見た。ナナは少し考えてから言った。


「低空。短時間。痛んだらすぐ戻る」


「分かってる」


「分かってるなら復唱しろ」


「低空、短時間、痛んだらすぐ戻る」


「よし」


牧人が頷いた。


「気をつけろよ」


「うん」


「あと、無茶するな」


「……うん」


「今の間が気になるな」


とザガ。


「気になる」


とベロ。


ヒナは、えへっと笑った。


「じゃ、行ってくる!」


窓枠に片足をかけて、次の瞬間には、もう空洞の風を掴んでいる。翼が一度鳴る。それだけで、体がふわっと持ち上がる。二度目で加速。三度目で、もう崩れた天井穴の向こうだった。


ベロが口を開けた。


「……速えな」


「かわいいのに速い」


とザガ。


「そこ両立するんだな」


「するだろ」


と牧人。


「ヒナだし」


「もう親父の中では認めてるんだな」


---


飛んでみると、翼は昨日より楽だった。


付け根の引きつりはまだある。でも、風の掴み方を少し変えれば痛みを逃がせる。上位種の翼は頑丈にできている。一日で折れるようなものじゃない。


ヒナは高度を下げた。外輪寄りの茶屋が見えた。補給所脇の石卓。探索者がだらだら喋る場所。噂が一番育つ場所だ。


屋根に音もなく降りる。腹ばいになって、羽を畳む。コッソリと下を覗う。


下で、人間が二人座っていた。


片方は見覚えがあった。昨日の配信映像に映っていた男だ。補給所の端の席。机の上に配信石。手元に揚げ芋。髪も喋りも軽い。三船だった。


「配信者のやつだ」


ヒナは小さく呟いた。


もう一人は、後から来たらしかった。三船の向かいに座っているが、揚げ芋は頼んでいない。姿勢がいい。探索者が履かない街の革靴を履いていて、踵が石床に硬く鳴る。書類の入った鞄を膝に置いて、三船の配信石を睨んでいる。


迷宮の中を歩く格好じゃない。外から来た人間だ。


ヒナは屋根の端で耳を澄ませた。


下では、革靴の女が、席についてすぐ言った。


「三船さん、あなたの配信映像について確認したいことがあります」


「えっ、取り調べ?」


「確認です」


「ここで?」


「あなたの映像はもう公開されています。今さら場所を選ぶ意味はありません」


「言い方きつくない?」


「事実です。ただし——」


女は声を一段落とした。


「詳しい話は、ここではしません」


「あ、はい」


三船が背筋を伸ばした。軽い男だが、怒られると正座するタイプだ。


三船が配信石を叩く。映像が浮く。そこに映ったのは、本家の門前だった。板。クロ。イシコ。そして、広場の奥で土いじりしている牧人。


ヒナは屋根の上で、ちょっと誇らしくなった。


「親父、映り方は普通だな」


だが次の瞬間、三船が言った。


「普通っぽい男です。なのに一番怖いんですよ」


「どこがですか」


「災厄級に水やって、うさぎに草返せって言って、本人は畑がどうとか言ってるんです。」


女の眉が動いた。


「……映像と、私が見ている資料が一致しません」


「どのへんが」


「全部です」


女は鞄に手を当てた。中身は出さなかった。


「処理が不自然。記録に欠落がある。地下構造が公式の図面と合わない。なのに本人は、ただ魔物を保護してるように見える」


「詳しい話はここではしないんじゃ……」


「今のは映像の感想です」


「感想が具体的すぎるんですけど……」


「面倒な案件です」


「でしょうね」


ヒナは聞きながら、目を丸くした。


「……だいぶ見てるな」


革靴の女は慎重だった。名前は口にしない。書類は出さない。でも、持っている情報は深い。「面倒」って言った。あの人は、もう面倒の中身が見えてる。


ヒナはもう少し聞きたかった。


体を屋根の縁へずらす。もう少しだけ前へ。爪先が瓦の端にかかる。


そこで、翼の先が屋根の縁を擦った。


小さな音。瓦の欠片が一つ、下へ落ちた。


「うお!」


三船が驚いて、手に持っていた揚げ芋を放り投げた。


ヒナの目の前に、揚げ芋が飛んできた。手を伸ばせば届く位置。


反射で掴んだ。


咥えた。


「うまっ」


屋根の上で、思わず声が出た。


下が止まる。


三船がゆっくり顔を上げる。女も上を見る。


ヒナは揚げ芋を咥えたまま、固まった。


「……鳥?」


と三船。


「違いますね」


と女。


「魔物?」


ヒナは一拍おいてから、元気よく言った。


「いただきます!」


「なんだ!?」


「誰!」


ばさっと翼が開く。屋根の上から、ひと跳び。空へ逃げる。


「芋ドロボー!」


という三船の声が、下から追いかけてきた。


女だけが黙っていた。上を見たまま、目を細めていた。


翼の色と大きさを、記憶している目だった。


---


ヒナは笑いながら飛んだ。揚げ芋うまい。でも、それより収穫がでかい。


軽い配信者。硬い監察官。しかも親父に繋がる情報を追っている。


「怒られる前に戻ろ」


そう決めて、本家へ真っすぐ帰った。


---


本家では、ザガとベロが板を立て替えていた。


見物は静かに→

勝手に入るな→

うさぎ追うな→


「やっぱり最後いるのか?」


とベロ。


「いる」


とザガ。


「昨日も二匹追いかけられた」


「それはいるな」


そこへ、ヒナが突っ込んできた。


「親父ー!」


「早いな」


と牧人。


「揚げ芋うまかった!」


「何だそれ」


「情報も持ってきた!」


「順番おかしいだろ」


とザガ。


ヒナは着地して、そのまま牧人の横へぴたりと座った。距離が近い。翼の先が牧人の膝にかかる。本人は気にしていない。


「まず軽い配信者がいた。三船とかいうやつ」


「三船だな」


とザガ。


「うん。あと、革靴の女がいた。外から来た感じ。探索者じゃない」


「監察」


とナナ。


「たぶんそう。あと揚げ芋おいしかった」


「そこ挟むな!」


ヒナが少し真剣な顔になって言った。


「二人とも、親父のこと追ってる」


「そうか」


「配信の映像がきっかけで、かなり深い話になってた」


「うん」


「事故の報告がどうとか、危ない個体の記録が抜けてるとか」


牧人の手が止まった。粥の鍋を持ったまま、少しだけ黙った。


「……まだ、ああいうの追うんだな」


「あと、あの場所は普通の隠れ家じゃないって。地下のことも気にしてた」


「……そうか」


さすがにそこは、少し黙った。


まめじいが帳面を開く。


「親父殿」


「何だ」


「外が、親父殿を"変な保護屋"ではなく、案件として見始めております」


「案件?」


「面倒の大きい言い方ですぞ」


「嫌だな……」


ヒナは続けた。


「革靴の女、かなりちゃんと見てた。名前も書類も出さなかった。でもいろいろ探ってる感じだった」


「敵か?」


とベロ。


「まだ分かんない。でも、油断できない」


「軽いのは?」


「軽い。でも逃げ足は速い」


ヒナは得意げだった。


「かわいくて使えるからね」


「自分で言うな」


「事実だもん」


その時、クロが短く鼻を鳴らした。


ヒナはすぐ気づいた。


「どうしたの?」


クロの右が少し寄る。中央は知らん顔。左は眠そう。


「芋の匂い」


「あっ、もうない。食べたかった?」


牧人がクロに言った。


「人のを奪ったのか?」


「拾ったの」


「うそだろ」


「半分本当」


「半分ってなんだよ」


ヒナは笑った。


「ぷるる」


ぷるがヒナのそばに来た。


「ぷるも食べたかった?」


「ぷるる」


「今度は、みんなに買ってくるから」


とヒナ。


「いや、やめろ!魔物が買いに来たら、ビックリするだろ!」


とベロ。


ヒナは笑いながら、話を戻した。


「で、どうするの?」


「何を」


と牧人。


「外の噂になってること」


「そうだな」


「板増やす?」


とニコ。


「なんでだよ」


すかさずザガが言う。


牧人は少し考えてから言った。


「板も増やす」


「増やすのかよ」


「でもそれだけじゃ足りないな」


「お」


ザガとベロが顔を上げる。ヒナも期待した顔になる。


「うさぎ、今日は中に入れとくか」


「そこ!?」


と全員。


牧人は真顔だった。


「追われるかもしれないだろ」


「それはそうだけどよ!」


「そこが先かよ!」


「だって小さいし」


「親父らしいですな」


と、まめじい。


ヒナは、そこでころころ笑った。


「やっぱ親父、好き」


「そうか」


「そうだよ」


少しだけ、空気が明るくなる。


でも、その明るさの外で、話はちゃんと進んでいた。


三船ローはまた来る。あの革靴の女も止まらない。事故報告と本家の地下が、少しずつ一本の線になり始めている。


本家の中では、まだ芋と板とうさぎの話しかしていない。


でも、外はどんどん騒がしくなっていた。


---


「親父」


とヒナ。


「ん?」


「次はもっと遠くまで見てくる」


「無茶するなよ」


「ちょっとだけ」


「する気だな」


「する気だね」


とザガ。


「する気だな」


とベロ。


ヒナはにこっと笑った。


「だって、私、外回りだもん」


それは、かわいい声だった。


でも、少しだけ頼もしかった。


---


同じ頃。


外輪の補給所。


澄玲は、まだ石卓に座っていた。


三船はもういない。芋を食い逃げされたと騒ぎながら帰った。


澄玲は、鞄の中の紙を一枚だけ出した。


事故報告書の写し。


処理はやはり早すぎた。

深層事故にしては報告が整いすぎている。


そのうえ、危険個体遭遇記録と処置記録が、肝心なところだけ抜けていた。


その横に、今日、自分で書き加えたメモがある。


「外輪にて上位ハーピー種確認。灰青色翼。小柄。人語を解す。所属不明」


澄玲は小さく息を吐いた。


配信映像に映ったのは、石の門番と、黒い三つ首と、畑をやる男だった。


今日、屋根の上にいたのは、翼の生えた少女だった。


たぶん、男の仲間だろう。


あの場所は、報告書が示す「単独行動による事故」の結果とは、まるで違う形をしていた。


澄玲は紙を鞄に戻した。


立ち上がる。革靴の踵が、石床に硬く鳴った。


「……現地に、行くしかありませんね」


誰にも聞こえない声で、そう言った。


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