空の新入りは、噂と監察官と揚げ芋をまとめて持ってきた
「親父、今日はもうちょっと遠くまで見てくる」
朝飯のあと、ヒナはそう言った。
昨日の夕方、短い飛行で外輪を見てきた。噂が広がっていること、探索者がざわついていること。その報告を牧人は聞いた。
だから今日は、もう少し踏み込む。
「どのへんまで行く気だ」
とザガ。
「外輪の補給所あたり。茶屋の屋根から声が拾える」
「一人で?」
「空なら一人の方が目立たない」
ザガはナナを見た。ナナは少し考えてから言った。
「低空。短時間。痛んだらすぐ戻る」
「分かってる」
「分かってるなら復唱しろ」
「低空、短時間、痛んだらすぐ戻る」
「よし」
牧人が頷いた。
「気をつけろよ」
「うん」
「あと、無茶するな」
「……うん」
「今の間が気になるな」
とザガ。
「気になる」
とベロ。
ヒナは、えへっと笑った。
「じゃ、行ってくる!」
窓枠に片足をかけて、次の瞬間には、もう空洞の風を掴んでいる。翼が一度鳴る。それだけで、体がふわっと持ち上がる。二度目で加速。三度目で、もう崩れた天井穴の向こうだった。
ベロが口を開けた。
「……速えな」
「かわいいのに速い」
とザガ。
「そこ両立するんだな」
「するだろ」
と牧人。
「ヒナだし」
「もう親父の中では認めてるんだな」
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飛んでみると、翼は昨日より楽だった。
付け根の引きつりはまだある。でも、風の掴み方を少し変えれば痛みを逃がせる。上位種の翼は頑丈にできている。一日で折れるようなものじゃない。
ヒナは高度を下げた。外輪寄りの茶屋が見えた。補給所脇の石卓。探索者がだらだら喋る場所。噂が一番育つ場所だ。
屋根に音もなく降りる。腹ばいになって、羽を畳む。コッソリと下を覗う。
下で、人間が二人座っていた。
片方は見覚えがあった。昨日の配信映像に映っていた男だ。補給所の端の席。机の上に配信石。手元に揚げ芋。髪も喋りも軽い。三船だった。
「配信者のやつだ」
ヒナは小さく呟いた。
もう一人は、後から来たらしかった。三船の向かいに座っているが、揚げ芋は頼んでいない。姿勢がいい。探索者が履かない街の革靴を履いていて、踵が石床に硬く鳴る。書類の入った鞄を膝に置いて、三船の配信石を睨んでいる。
迷宮の中を歩く格好じゃない。外から来た人間だ。
ヒナは屋根の端で耳を澄ませた。
下では、革靴の女が、席についてすぐ言った。
「三船さん、あなたの配信映像について確認したいことがあります」
「えっ、取り調べ?」
「確認です」
「ここで?」
「あなたの映像はもう公開されています。今さら場所を選ぶ意味はありません」
「言い方きつくない?」
「事実です。ただし——」
女は声を一段落とした。
「詳しい話は、ここではしません」
「あ、はい」
三船が背筋を伸ばした。軽い男だが、怒られると正座するタイプだ。
三船が配信石を叩く。映像が浮く。そこに映ったのは、本家の門前だった。板。クロ。イシコ。そして、広場の奥で土いじりしている牧人。
ヒナは屋根の上で、ちょっと誇らしくなった。
「親父、映り方は普通だな」
だが次の瞬間、三船が言った。
「普通っぽい男です。なのに一番怖いんですよ」
「どこがですか」
「災厄級に水やって、うさぎに草返せって言って、本人は畑がどうとか言ってるんです。」
女の眉が動いた。
「……映像と、私が見ている資料が一致しません」
「どのへんが」
「全部です」
女は鞄に手を当てた。中身は出さなかった。
「処理が不自然。記録に欠落がある。地下構造が公式の図面と合わない。なのに本人は、ただ魔物を保護してるように見える」
「詳しい話はここではしないんじゃ……」
「今のは映像の感想です」
「感想が具体的すぎるんですけど……」
「面倒な案件です」
「でしょうね」
ヒナは聞きながら、目を丸くした。
「……だいぶ見てるな」
革靴の女は慎重だった。名前は口にしない。書類は出さない。でも、持っている情報は深い。「面倒」って言った。あの人は、もう面倒の中身が見えてる。
ヒナはもう少し聞きたかった。
体を屋根の縁へずらす。もう少しだけ前へ。爪先が瓦の端にかかる。
そこで、翼の先が屋根の縁を擦った。
小さな音。瓦の欠片が一つ、下へ落ちた。
「うお!」
三船が驚いて、手に持っていた揚げ芋を放り投げた。
ヒナの目の前に、揚げ芋が飛んできた。手を伸ばせば届く位置。
反射で掴んだ。
咥えた。
「うまっ」
屋根の上で、思わず声が出た。
下が止まる。
三船がゆっくり顔を上げる。女も上を見る。
ヒナは揚げ芋を咥えたまま、固まった。
「……鳥?」
と三船。
「違いますね」
と女。
「魔物?」
ヒナは一拍おいてから、元気よく言った。
「いただきます!」
「なんだ!?」
「誰!」
ばさっと翼が開く。屋根の上から、ひと跳び。空へ逃げる。
「芋ドロボー!」
という三船の声が、下から追いかけてきた。
女だけが黙っていた。上を見たまま、目を細めていた。
翼の色と大きさを、記憶している目だった。
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ヒナは笑いながら飛んだ。揚げ芋うまい。でも、それより収穫がでかい。
軽い配信者。硬い監察官。しかも親父に繋がる情報を追っている。
「怒られる前に戻ろ」
そう決めて、本家へ真っすぐ帰った。
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本家では、ザガとベロが板を立て替えていた。
見物は静かに→
勝手に入るな→
うさぎ追うな→
「やっぱり最後いるのか?」
とベロ。
「いる」
とザガ。
「昨日も二匹追いかけられた」
「それはいるな」
そこへ、ヒナが突っ込んできた。
「親父ー!」
「早いな」
と牧人。
「揚げ芋うまかった!」
「何だそれ」
「情報も持ってきた!」
「順番おかしいだろ」
とザガ。
ヒナは着地して、そのまま牧人の横へぴたりと座った。距離が近い。翼の先が牧人の膝にかかる。本人は気にしていない。
「まず軽い配信者がいた。三船とかいうやつ」
「三船だな」
とザガ。
「うん。あと、革靴の女がいた。外から来た感じ。探索者じゃない」
「監察」
とナナ。
「たぶんそう。あと揚げ芋おいしかった」
「そこ挟むな!」
ヒナが少し真剣な顔になって言った。
「二人とも、親父のこと追ってる」
「そうか」
「配信の映像がきっかけで、かなり深い話になってた」
「うん」
「事故の報告がどうとか、危ない個体の記録が抜けてるとか」
牧人の手が止まった。粥の鍋を持ったまま、少しだけ黙った。
「……まだ、ああいうの追うんだな」
「あと、あの場所は普通の隠れ家じゃないって。地下のことも気にしてた」
「……そうか」
さすがにそこは、少し黙った。
まめじいが帳面を開く。
「親父殿」
「何だ」
「外が、親父殿を"変な保護屋"ではなく、案件として見始めております」
「案件?」
「面倒の大きい言い方ですぞ」
「嫌だな……」
ヒナは続けた。
「革靴の女、かなりちゃんと見てた。名前も書類も出さなかった。でもいろいろ探ってる感じだった」
「敵か?」
とベロ。
「まだ分かんない。でも、油断できない」
「軽いのは?」
「軽い。でも逃げ足は速い」
ヒナは得意げだった。
「かわいくて使えるからね」
「自分で言うな」
「事実だもん」
その時、クロが短く鼻を鳴らした。
ヒナはすぐ気づいた。
「どうしたの?」
クロの右が少し寄る。中央は知らん顔。左は眠そう。
「芋の匂い」
「あっ、もうない。食べたかった?」
牧人がクロに言った。
「人のを奪ったのか?」
「拾ったの」
「うそだろ」
「半分本当」
「半分ってなんだよ」
ヒナは笑った。
「ぷるる」
ぷるがヒナのそばに来た。
「ぷるも食べたかった?」
「ぷるる」
「今度は、みんなに買ってくるから」
とヒナ。
「いや、やめろ!魔物が買いに来たら、ビックリするだろ!」
とベロ。
ヒナは笑いながら、話を戻した。
「で、どうするの?」
「何を」
と牧人。
「外の噂になってること」
「そうだな」
「板増やす?」
とニコ。
「なんでだよ」
すかさずザガが言う。
牧人は少し考えてから言った。
「板も増やす」
「増やすのかよ」
「でもそれだけじゃ足りないな」
「お」
ザガとベロが顔を上げる。ヒナも期待した顔になる。
「うさぎ、今日は中に入れとくか」
「そこ!?」
と全員。
牧人は真顔だった。
「追われるかもしれないだろ」
「それはそうだけどよ!」
「そこが先かよ!」
「だって小さいし」
「親父らしいですな」
と、まめじい。
ヒナは、そこでころころ笑った。
「やっぱ親父、好き」
「そうか」
「そうだよ」
少しだけ、空気が明るくなる。
でも、その明るさの外で、話はちゃんと進んでいた。
三船ローはまた来る。あの革靴の女も止まらない。事故報告と本家の地下が、少しずつ一本の線になり始めている。
本家の中では、まだ芋と板とうさぎの話しかしていない。
でも、外はどんどん騒がしくなっていた。
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「親父」
とヒナ。
「ん?」
「次はもっと遠くまで見てくる」
「無茶するなよ」
「ちょっとだけ」
「する気だな」
「する気だね」
とザガ。
「する気だな」
とベロ。
ヒナはにこっと笑った。
「だって、私、外回りだもん」
それは、かわいい声だった。
でも、少しだけ頼もしかった。
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同じ頃。
外輪の補給所。
澄玲は、まだ石卓に座っていた。
三船はもういない。芋を食い逃げされたと騒ぎながら帰った。
澄玲は、鞄の中の紙を一枚だけ出した。
事故報告書の写し。
処理はやはり早すぎた。
深層事故にしては報告が整いすぎている。
そのうえ、危険個体遭遇記録と処置記録が、肝心なところだけ抜けていた。
その横に、今日、自分で書き加えたメモがある。
「外輪にて上位ハーピー種確認。灰青色翼。小柄。人語を解す。所属不明」
澄玲は小さく息を吐いた。
配信映像に映ったのは、石の門番と、黒い三つ首と、畑をやる男だった。
今日、屋根の上にいたのは、翼の生えた少女だった。
たぶん、男の仲間だろう。
あの場所は、報告書が示す「単独行動による事故」の結果とは、まるで違う形をしていた。
澄玲は紙を鞄に戻した。
立ち上がる。革靴の踵が、石床に硬く鳴った。
「……現地に、行くしかありませんね」
誰にも聞こえない声で、そう言った。




