親分のシマが配信に映った日
三船ローは、配信前に髪を整えるタイプではない。
その代わり、タイトルだけは整える。
今日の仮サムネはこれだった。
【A級帰りの親父案件】災厄級と魔物が並んでる"変なシマ"に行ってみた
「盛ってねえからな」
配信石を叩きながら、三船は一人で言った。
三船ロー。元C級探索者。今は配信者をやっている。
見た目は二十代半ば。装備は軽く、戦闘向きではない。背中には記録石を括りつけたリュックと、小型の映写盤。肩に貼った布のワッペンには「三船ロー LIVE」と書いてある。手書きだ。
配信者としての人気はたいしてない。登録者もそこそこ。稼ぎは投げ銭が主で、たまに外輪付近の探索映像を流しては「A級の雰囲気だけ伝えます」と言っている。深層には行けない。行く腕もない。だから外輪を歩いて、入口付近の空気を撮るのが三船の持ち芸だった。
「えー、本日もやってまいりました、灰環A級外輪回廊。右手に見えますのが、何もないです。左手も何もないです。暗いです」
映写盤の向こうで、文字が流れている。
『いつも通り何もなくて草』
『逆にここ何回目だよ』
『三船ローのA級は安全すぎる』
『もうちょい奥行けよ』
「奥には行きません。死ぬので。僕の配信は安全と退屈を両立しています」
『それ自慢か?』
「自慢です」
三船は軽い調子で回廊を進んだ。外輪回廊はB級とA級の境界域で、補給所や探索者の中継点がある。
三船はいつもこの辺りをうろついている。深層に行く腕はないし、行く気もない。外輪で撮れるものを撮る。それが三船の芸風だった。
だが今日は、少しだけ足を伸ばしていた。
理由はある。
最近、外輪の探索者の間で妙な噂が出回っている。
A級の浅い層に、変な場所がある。魔物が列を作っている。門番がいる。風呂があるらしい。飯も出る。そして——黒い三つ首がいる。災厄級だ。
三船は最初、酔っ払いの戯言だと思った。A級の浅層に災厄級が棲みついているなんて、普通はありえない。
だが噂は消えなかった。補給所で耳にした探索者の一人は、妙に真剣な顔で言った。
「あそこはやめとけ。三つ首の黒いのが寝てる。近づいたら終わりだ」
「寝てるだけ? 襲ってこないんですか?」
「知らねえよ。確かめる度胸はなかった。ただ、門のとこに石みたいなデカいのもいた。あれも普通じゃねえ」
「災厄級の他にもいるんですか」
「いる。何匹も。しかも——人間がいるって話もある」
「人間?」
「A級の中に住んでるらしい。あいつらのボスだって噂だ」
三船はそこで、このタイトルを決めた。
盛ってはいない。聞いたままだ。
「えー、今日はですね、ちょっと探検回です。噂のアレを確認しに行きます。行けるとこまで」
『マジで?』
『三船が冒険してる……だと?』
『死ぬなよ』
「死にません。ヤバかったら全力で逃げます」
外輪から少し外れた旧い通路を進む。この辺りはまだ配信が飛ぶ。映像も声も、多少乱れるが届いている。
通路は次第に広くなった。壁の石が変わり始める。整った切り出しの石材が増えてくる。ここは昔、何かに使われていた場所だ。
足元も、さっきまでの泥と岩から、踏み固められた地面に変わった。
「……道が、きれいになってますね」
映写盤の文字が急に増えた。
『えっ、A級の中に道あるの?』
『整備されてない? これ』
『人がいるってこと?』
「分かりません。でも、誰かが通ってる感じはしますね」
三船が角を曲がった、その先。
広場があった。
広場の奥に、建物がある。石造り。屋根は少し欠けているが、修繕されている。壁は苔だらけだが、窓には布が掛かっている。入口の前に、平たい石が敷かれていた。
そして。
入口の横に、何かが立っていた。
三船は止まった。
灰色の、岩の塊のような——生き物だった。
高さは三メートルを超えている。太い四肢。体表は石のようにざらつき、目は小さく、光っていない。ただ立っているだけだ。
だが、立っているだけで、空気が違う。
「…………さっき言ってた石のデカいやつ、これか」
映写盤が動いた。
『石じゃん。石が立ってる』
『でか……』
『門番だろこれ。噂のやつだ』
三船は声を落とした。
「あの……これ、動いてます? 動いてないですよね? 石像ですよね?」
石の生き物が、ゆっくりと首を回した。
三船を見た。
「動いた」
三船の声が裏返った。
「動きました。はい。動きました。石が首を回しました。帰ります」
『帰るな』
『もうちょい見せろ』
『いま何人見てると思ってんだ』
三船は半歩下がりながら、それでも記録石を止めなかった。配信者の性だ。
石の門番——イシコは、三船を見て、それきりだった。敵意がなければ、止めもしない。ただ、入れもしない。
三船は広場の端で足を止め、建物の周囲を遠巻きに見ていた。
建物の前を、小さい魔物が何匹か横切った。苔角うさぎが二匹、牙ネズミが一匹。苔角うさぎは何かを咥えて走っている。草だ。
『うさぎ!』
『かわいい』
『A級ダンジョンにうさぎいるのか』
『かわいい場合じゃないだろ』
「苔角うさぎですね。一応、魔物です」
その時。
建物の横の通路から、一人の男が歩いてきた。
土のついた手。くたびれた服。髪はぼさぼさで、顔に泥がついている。手には木の桶を持っていた。
男は本家の前の広場に入ってきて、足元の苔角うさぎを見つけた。
「お前ら、また草持っていったな。それ苗床の分だろ」
うさぎが耳を伏せた。
「伏せても返せ」
うさぎが草を置いた。
男は草を拾い、桶を入口の脇に置いた。
三船はその一部始終を、広場の端から記録石越しに見ていた。
映写盤が静かに流れ始めた。
『……あの人、なに?』
『人間? A級のダンジョンの中に人間が住んでるの?』
『あの石の横に平然と立ってるぞ』
『うさぎに怒ってる……?』
三船は息を止めて囁いた。
「……あの人が、噂の……?」
男——牧人は、まだ気づいていない。
その時。
建物の横の日陰から、巨大な影が起き上がった。
黒い塊が、のそりと立つ。
頭が三つある。
三船の脚が止まった。
映写盤が一気に流れた。
『は?』
『三つ首……?』
『災厄級てやつじゃねえの』
『あの人逃げろ!』
クロは立ち上がり、大きなあくびをした。
三つの頭が順番にあくびをする。右、中央、左。
それだけで周囲の空気が揺れた。
牧人が振り返った。
「クロ、起きたか。水飲むか」
クロの中央の頭が、くぅ、と喉を鳴らした。
「はいはい」
牧人は桶の水をクロの前に置いた。
クロが飲み始めた。三つの頭で一つの桶を奪い合う形になり、右と左がぶつかった。
「順番。いつも言ってるだろ」
『……飼ってる?』
『災厄級に水あげてるだけなんだが』
『あの人何者だよ』
『これが親父ってやつか……』
三船の足が震えていた。
声が出ない。
配信者として、ここは何か言うべきだった。でも言葉が出なかった。
ただ、記録石だけは回っていた。
そして。
クロが、こちらを見た。
六つの目が、まっすぐ三船に向いた。
三船の全身が凍りついた。
動けない。足も。手も。声帯も。
クロはじっと三船を見た。三つの頭が、同じ方向を向いている。
数秒。
牧人がつられてこちらを見た。
「……ん? 誰かいるのか?」
その瞬間、クロの圧が半歩だけ引いた。
三つの頭の向きまで、男の方へ揃う。
三船はその瞬間、全力で走った。そして思った。
「……今、あの人が見ただけで空気が変わったぞ」
来た道を、転がるように戻った。記録石を回したまま、何も言わずに走った。
外輪まで戻って、壁にもたれて、息を吐いた。
映写盤には、文字が途切れずに流れていた。
『三船! 無事か!』
『見つかったぞ』
『生きてるか』
『これ今年一番の配信だろ……』
三船は息を切らしたまま、ようやく口を開いた。
「……いた」
一言だけだった。
「……いました。噂は本当でした。A級の中に——人が住んでます。三つ首のケルベロスと、石の門番と、うさぎと一緒に。しかもあの人、苗とか持って、畑やってるようでした」
『畑?』
『A級ダンジョンで畑?』
『意味が分からん』
三船は壁にもたれたまま、天井を見た。
心臓がまだ鳴っている。あの六つの目に見られた瞬間、全身が止まった感覚がまだ残っていた。
「……あれは無理だ。近づいちゃ駄目なやつだ」
だが、記録石はしっかり回っていた。全部撮れている。
三船は小さく笑った。
「……まあ、配信者だからな」
この日の三船ローの配信は、彼の配信史上最高の同時接続数を記録した。
タイトルは後から付け直した。
『A級ダンジョンの中で畑やってる人がいたんだが【三つ首の犬つき】』
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夕方。
本家。
牧人は食堂で粥を作っていた。
朝はいつもの日だった。畑に出て、水をやり、石を除き、土を均す。何も生えていない。ただ、土だけは少しずつ変わってきていた。ナナが水路の苔詰まりを報告し、ミズハが苗床の水を運び、ゴルムのところの若い衆が二匹ほど風呂待ちをしていた。牧人はそれを「混んできたな」くらいにしか思っていない。
昼過ぎに畑から戻ってきたとき、広場の端に誰かが立っていた気がした。でもすぐにいなくなった。見物だろう、と思った。
それだけだった。
「親分」
ベロだった。背の低い蜥蜴頭の魔物で、ザガの相方。情報に鼻が利く。
「何だ」
「今日、外輪のあたりに人間がいたみたいで」
「ああ。なんか広場の端に立ってたな。見物かな」
「見物っちゃ見物なんですけど、ありゃ配信者ですぜ。記録石を回してた」
「配信者?」
「外の人間がやる——あー、映像を遠くに飛ばすやつです。たくさんの人間が見るやつ」
牧人は首を傾げた。
「何を見るんだ?」
「ここを」
「ここ? 畑とか?」
「畑とか、若頭とか、イシコとか」
「……見て楽しいのか、それ」
「楽しいかどうかっていうか——」
ベロは言葉を選んだ。
「ここが、外に知られ始めてるってことです」
牧人は粥を混ぜながら考えた。
「知られるのは、まずいのか?」
「親分がまずくないなら、まずくないです」
「別に悪いことしてないし、見たいなら見ればいいんじゃないか」
ベロは少しだけ口を開けて、それから閉じた。
「……ザガに伝えときます」
「何を」
「いろいろ」
牧人には「いろいろ」の中身が分からなかった。
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夜。
食堂で全員が粥を食べた後、牧人は自分の部屋に戻った。
クロは玄関横に寝ている。
まめじいは帳場で帳面を開いていた。
食堂に残ったのは、ザガ、ベロ、ナナ、ミズハの四人だった。
ぷるは隅で平たくなっている。寝ているのか聞いているのか分からない。
ザガが口を開いた。
「配信に映った」
ベロが補足する。
「外輪で配信してた人間の記録石に、ここが映ってます。門のイシコ、親分、クロ。全部見えてた距離です」
ナナが眉を寄せた。
「拡散は」
「もう出てます。外の人間の掲示板で、A級ダンジョンの中に人が住んでいるって映像が回ってるらしいです」
ミズハが静かに言った。
「外の人間が来る」
ザガが頷いた。
「来る。もっと来る。見物か、狩りか、調べにか——何にせよ、増える」
沈黙が落ちた。
まめじいが帳場から顔を出した。
「親分は何と」
ベロが答えた。
「"悪いことしてないし、見たいなら見ればいい"です」
まめじいは帳面に何か書いた。
ザガが低く言った。
「親分はそれでいい。だが、こっちでやることはある」
ナナが頷いた。
「門の警戒を一段上げます。イシコには明日伝えます」
ミズハが言った。
「水路から入れるところ、何箇所かある。塞ぐか、見張りを置くか」
ザガがベロを見た。
「外の動きを追え。配信者がまた来るなら、先に分かるようにしろ」
「了解です」
まめじいが帳面を閉じた。
「記録はいつも通り。結果だけ残す」
ザガが立ち上がった。
「親分が寝てる間に、段取りだけは済ませる。いつものことだ」
全員が頷いた。
ぷるが、ぷるん、と一回だけ震えた。起きていた。
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同じ頃。
街。
市属ダンジョン監察局の室内に、一人の女が残っていた。
久慈野澄玲は、机の上の書類を見ていた。
片付く書類は片付く。片付かないものだけが机に残る。
この案件は、ずっと残っていた。
「A級第七迷宮群・灰環区。白閃牙所属探索者、深層調査中の事故報告」
澄玲は報告書を開いた。何度も読んだ書類だ。
概要は簡潔だった。深層攻略中に隊員一名が独断で別行動を取り、危険個体を誘引。結果、隊は撤退を余儀なくされた。当該隊員は除名処分。
隊員名、守谷牧人。職種、補助テイマー。
澄玲は眉をひそめた。
この報告書には、おかしな点がいくつかある。
まず、処理が早い。事故発生日と受理日が近すぎる。A級深層の事故報告は、通常、現場確認と検証に時間がかかる。だがこの件は、まるで事前に用意していたかのように処理が済んでいる。
次に、危険個体遭遇記録と処置記録の抜け方が不自然だった。
深層事故の報告なのに、どの個体と接触し、どう対処したのか、その肝心な部分だけが曖昧に処理されている。
抜けているというより、意図して薄められている。そんな書き方だった。
そして、もう一つ。
除名処分の後、守谷牧人の所在が記録から消えている。宿舎退去の届は出ている。だがその後の居所は不明。A級迷宮の内部に留まっているという非公式の報告が一件あるだけで、それも裏づけはない。
澄玲は書類を閉じた。
窓の外は暗い。
今日、一つだけ新しい情報が入った。
配信映像だ。A級外輪付近で撮影された短い映像。石の門番、小さな魔物の群れ、畑のようなもの、それを手入れする男の姿。そして、巨大な黒い三つ首。
映像は途中で途切れている。配信者が走って逃げたらしい。
澄玲はもう一度、配信映像を止めた。
石の門番。黒い三つ首。そして、壁の奥で一瞬だけ走った光。
市販地図では、あの位置はただの行き止まりだ。
だが映像では、明らかに人と魔物が行き来し、しかも地下のどこかが動いている。
報告書は早すぎる。危険個体記録は薄い。市販地図は合わない。
誰かが、意図的に落としている。そう考える方が自然だった。
澄玲は新しいファイルを開き、付箋を一枚貼った。
「灰環A級。守谷牧人。事故報告再確認。危険個体記録照合。地下構造要現地確認」
立ち上がり、監察局を出る。
外はまだ暗い。
だが、もう座っているだけの案件ではなくなっていた。
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翌朝。
牧人は畑にいた。
昨日と同じ朝だった。水をやり、石を除き、土を均す。
苔角うさぎが足元にまとわりつく。
「邪魔。そこ踏むぞ」
うさぎが避けた。また戻ってきた。
「……お前ら、畑手伝うか邪魔するかどっちかにしてくれ」
ザガが近づいてきた。
「親分」
「何だ」
「門のとこ、少し見張りを増やしました」
「何かあったのか」
「いえ、念のためです」
「そうか」
牧人はそれ以上聞かなかった。
ザガはそれ以上言わなかった。
牧人は土に向き直った。
まだ何も生えていない畑を、今日も起こす。
それだけだった。




