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18/90

親分が畑を起こしてる間に、中層のシマを取った


朝から畑に出ていた。


牧人は、潰された三列を前にしゃがんで、ナナと話していた。


「ここ、もう少し土がいるな」


「いる」


「水も」


「いる」


「肥料は」


「決まっている」


ナナはいつも通りだった。畑が潰された翌日でも、声量も機嫌もほぼ変わらない。変わったのは、目の据わり方だけだ。


苔角兎が畝の外でぴょこぴょこしている。一匹が入ろうとしたので、牧人は片手で止めた。


「だめだ。今日はここ踏むな」


「もふ」


「分かってない顔だな」


まめじいとイシコも畑の手伝いに来ていた。


そして、まめじいが牧人の後ろから言った。


「親父殿。石材を取りに行くそうですぞ」


「誰が」


「若頭と、ゴルム殿と、そのあたりが」


「そのあたりって雑だな」


振り向くと、クロがいた。ゴルムもいた。ザガとベロまでいる。


全員、妙に装備が整っていた。石材取りにしては、少し多い気がした。


「石材?」


「畑の縁石にいるだろ」


とザガ。


「崩れ根の向こうに、ちょうどいい石がある」


「へえ」


ゴルムが顎を鳴らした。


「ついでに、ちょっと筋通しもしてくる」


「筋?」


「石材の筋だ」


とザガが即答した。


「そうか」


牧人は納得した。畑の方が大事だったからだ。


「あ、イシコも連れてけ。石なら得意だろ」


「……ああ、そうだな。おい、イシコ」


ザガが振り返ると、イシコはすでに立っていた。何も言われていないのに、準備は出来ていた。


「保持」


「うん、石を保持してきてくれ」


と牧人。


イシコは静かに頷いた。たぶん、石の話ではなかった。


「じゃあ頼む。あんまり危ないとこ行くなよ」


「おう」


とザガ。


「行ってくる」


とベロ。


クロは短く鼻を鳴らした。

ゴルムだけが、少しだけ目を逸らした。


まめじいがにこやかに言う。


「親父殿は、畑だけ見ていてくださいまし」


「そうする」


そうして、牧人は畑に残った。


ミズハが水路の縁に腰を下ろしていた。濡れた髪が肩にかかる。今日は、いつもより静かだった。


「遅くなるかな」


と牧人。


「石は重いから」


とミズハ。


目を合わせなかった。


ナナは図面を広げたまま、何も言わなかった。いつもなら「作業に集中しろ」と言うのに、今日は言わなかった。


牧人はそれを、昨日の疲れだと思った。


十分後。


残りの連中は、崩れ根の向こうへ消えた。


石材取りではなかった。


カチコミだった。


---


崩れ根のさらに奥。中層南根道。


そこは、ゴルムの旧保全路より一段深い。土の匂いが強く、天井が低い。掘り抜いた跡だらけで、ところどころ壁そのものが牙で削られていた。


ゴルムが低く言う。


「ここから先が、轟顎のドルグのシマだ」


「広いな」


とベロ。


「そりゃあ、中層のボスだからな」


とゴルム。


ザガが槍を握り直した。


「若頭、正面でいいか」


クロは一言だけだった。


「正面」


全員の目が変わった。ここに来るまでの顔と、ここからの顔は違っていた。石材取りの顔ではない。覚悟を決めた顔だった。


入口には見張りが四匹いた。どいつも鈍い目をしている。ガダルが転がり込んでから、夜通し騒いでいたのだろう。


その見張りの一匹が、ゴルムを見て笑った。


「なんだ。顎欠け」


「挨拶に来た」


「手土産は?」


「若頭だ」


クロが前に出た。


笑いは、そこで終わった。


見張りの一匹は何が起きたか分からないまま壁に叩きつけられた。二匹目は逃げようとして、イシコが半歩ずれて退路を塞いだ。壁と区別がつかない体が、通路そのものを消した。三匹目が叫ぶ前に、ベロの鍋蓋が口へ入った。四匹目だけがかろうじて奥へ走った。


「親分! 曲者です! 変なのが——」


最後まで言えなかった。ザガの槍の柄が首の後ろに入り、そのまま床へ押さえ込んだ。


「騒ぐな」


「……今の、だいぶ手慣れてるな」


とベロ。


「慣れたくはなかった」


とザガ。


奥は広間だった。


中層の大シマ。それらしく、広かった。


壁際に若い衆。掘った土の山。食い散らかした骨。奥には、まだ血の乾いていない穿土の跡。ガダルが転がり込んだ証拠だった。


そして、その真ん中にいた。


轟顎のドルグ。


でかい。ゴルムより二回りでかい。頭は低いが、肩が高い。下顎が異様に張り出していて、そこに石の輪みたいな瘤が幾つもついている。噛むというより、砕くための顎だった。


目だけが、妙に冷たかった。


ドルグは、広間へ入ってきた顔ぶれを見て、少しだけ笑った。


「……旧保全路の欠け顎が、仲間を連れてきたか」


「来た」


「ガダルをやったのは、お前か」


ゴルムは答えず、顎を鳴らした。欠けた顎が嫌な音を立てた。でも、逸らさなかった。


ドルグはその音を聞いて、笑みを消した。


「ケジメか」


「ケジメだ」


ザガが一歩前に出る。


「親分は畑だ。だから俺らが来た」


「畑?」


ドルグが眉を動かした。


「……何を言ってる」


「親分の畑を荒らした。その落とし前だ」


とゴルム。


広間が静まる。


一瞬だけ、意味が通らなかったからだ。


中層の大シマで、顔役同士がにらみ合っている。なのに理由が"畑"。


だが、笑わなかったのはドルグが馬鹿ではないからだ。


笑ったら死ぬ、と分かる相手が前にいた。黒い体が、ただ立っていた。


ドルグは低く言った。


「ガダルは、うちに転がり込んだ」


「だろうな」


とゴルム。


「半分死んでた」


「だろうな」


「お前らがやった」


「やった」


「なら、返す」


「返してみろ」


そこで、空気が切れた。


ドルグの目が変わった。自分のシマに踏み込まれている。舐められたら、中層のボスは終わりだ。引くわけにはいかなかった。


ドルグ側が先に動いた。若い衆が左右から回り込む。数は多い。五十は下らなかった。


だが、イシコが入口を塞ぎ、ベロが左を止め、ザガが右へ潜る。数を出せる広間なのに、広間として使わせなかった。


ドルグが突っ込んだ。


速かった。巨体のくせに、速い。


ゴルムが正面から迎えた。顎と顎がぶつかる。鈍い音。前の抗争なら、ここでゴルムが下がっていた。


だが今日は下がらない。


「うおおおお!」


顎で噛むのではなく、肩で押す。旧保全路で流れを守ってきた体当たりだった。


ゴルムは分かっていた。自分ではドルグに勝てない。でも、一歩だけ持たせればいい。一呼吸だけ止めればいい。その一呼吸の後ろに、化け物がいるからだ。


ドルグが押し返す。


その横から、クロが入った。


静かに、当然のように。


右が喉元。中央が首の付け根。左が前脚の関節。


三つが、別々に入る。


ドルグが初めて姿勢を崩した。


広間の若い衆が止まる。この格は見たことがない。見たことがないから、足も止まる。


「止まるな!」


とドルグが怒鳴る。


「止まるわ!」


とザガ。


「見れば分かるだろ!」


一匹がベロに飛びかかる。鍋蓋が入る。鼻が曲がる。二匹目はイシコの壁に当たる。壁だと思ったら腕だった。そのまま持ち上げられて、静かに隅へ置かれた。


「雑に強えな……」


とゴルム。


「保持」


とイシコ。


ドルグは、そこでようやく理解した。


これは喧嘩ではない。


制圧だ。


自分のシマに、自分より格上を先頭に、落とし前を取りに来ている。


そしてその理由が、畑。何なんだ。


クロがもう一度入る。今度は顎だった。


轟顎のドルグの自慢の下顎へ、黒い前足が落ちる。


重い音。


ドルグの顎が横へずれた。


「——がっ」


悲鳴だった。その一音で、広間の若い衆の心が折れた。


ドルグが膝をつく。 自分の広間で、自分の若い衆の前で、膝をついた。中層のボスが、膝をついた。


ザガが広間の若い衆に向かって叫んだ。


「聞け! ここから先、このシマはうちの親分の預かりだ! 文句があるやつは前に出ろ!」


誰も出なかった。


ゴルムが前へ出る。欠けた顎を鳴らす。今日はもう恥の音ではなかった。


「聞け、ドルグ」


「……」


「親分は、こういうのを好かねえ」


「……親分?」


「畑やってる」


「は?」


「だから、死体は増やせねえ」


ドルグは、自分の負け方に納得がいかなかった。


敗因が、油断でもなく、数でもなく、畑。


しかも相手の親分は来ていない。畑をやっている。


その間に、シマを取られた。


ドルグが低く言う。


「……ふざけてる」


「ふざけてねえよ」


とゴルム。


「親分は本気で畑だ」


「そこが一番ふざけてるんだよ!」


でも、膝はついたままだった。


クロが一歩だけ近づいた。それで終わった。


ドルグは顎を下ろした。


「……降りる」


「声が小せえ」


とザガ。


「降りる!」


「よし」


「中層南根道、崩れ根裏、下水抜けまで、今日からそっちだ!」


「親分の、な」


とゴルム。


「お前のじゃねえ」


「分かってる!」


その瞬間、広間の若い衆がざわついた。


ゴルムの若い衆から聞いていたのだろう。噂は、中層まで降りていた。


「じゃあ風呂……」


「おい」


「飯……」


「おい!」


ドルグが怒鳴るより先に、ベロが呟いた。


「終わったな」


「終わったな」


とザガ。


「風呂入りてぇ」


---


その頃、培養区画。


牧人は、潰れた三列を起こし直していた。


「この土、ちょっと重いな」


「重い」


とナナ。


「石混ざってるし」


「石抜く」


「うさぎ、そこ入るなって」


「もふ」


ミズハは水を細く流しながら、ときどき崩れ根の方を見ていた。牧人は気づかなかった。


ナナは図面に目を落としたまま、一度だけ小さく息を吐いた。牧人はそれも気づかなかった。


「遅いな」


「石は重いから」


とミズハ。


「石ならそんなもんか」


「そんなもんよ」


そこへ、地面の向こうから、ずるずると何か重いものを引く音がした。


牧人が顔を上げる。


帰ってきた。


クロ。ゴルム。ザガ。ベロ。イシコ。


全員、泥だらけだった。傷もある。石材取りにしては、だいぶ汚い。


そしてその後ろに、でかいのがいた。


牧人は鍬を止めた。


「……誰だ、あれ」


「後で説明する」


とザガ。


でかいのが、ゆっくり前に出た。


ドルグだった。


顎のずれた大ボスが、若い衆を後ろに従えたまま、牧人の前で止まった。


そして、頭を下げた。


「……轟顎のドルグだ。中層南根道を預かっていた」


「いた」。過去形だった。


「今日より、親分の下につく。挨拶に参った」


牧人は固まった。


「……え?」


「挨拶だ」


とゴルム。


「親分、向こうのボスだった方だ。ちゃんと挨拶してる」


とザガ。


「いや、ちょっと待て。どちら様?」


「だから、ドルグ——」


「いやそれは聞いた。何で頭下げてんの?」


「そういう話になった」


とベロ。


「石材は?」


「……それも取ってきた」


とザガ。


「嘘だな」


「嘘じゃねえ。ついでだ」


「ついで……」


牧人はドルグを見た。大きい。傷だらけ。顎がずれている。


「怪我してるじゃん」


「そこかよ!」


と全員。


「いや、顎ずれてるだろ。痛くないのか」


「……痛くねえ」


「嘘つくな」


「……痛い」


「だろ。見せろ」


「は?」


「顎。見せろ」


「……はい」


ドルグが、自分でも驚くくらい素直に顎を下げた。


中層の大ボスが、畑をやっている人間に顎を診られている。世界は壊れていた。


まめじいが、奥から出てきた。帳面を開いている。カチコミには行っていない。だが、結果はもう分かっている顔だった。


『灰環大迷宮A級、中層南根道、崩れ根裏、下水抜けまで、本家側流れへ編入。轟顎ドルグ、口頭確認済み。本家勢力圏、中層まで拡大。』


「早いな!」


とゴルム。


「記録は残さぬと言ったのでは」


ゴルムが顔をしかめた。


「計画は残しません。結果は残します。帳面とはそういうものですぞ」


にこやかだ。怖い。


牧人はドルグを見た。それからザガを見た。


「シマって何だ。境目のことか?」


「……まあ、そういうもんだ」


とザガ。


「よく分かんねえけど、とにかく畑手伝え」


「は?」


「そこ三列、潰れたんだ」


「……」


「でかいし、土運べるだろ」


「…………」


「返事は」


「……はい」


ドルグは二度目の「はい」を言った。今日だけで二回だった。中層のボスが「はい」を二回言う日が来るとは思わなかった。


これが、轟顎のドルグの初仕事になった。


中層の大ボスが、黙って土袋を運ぶ。若い衆が、それを見て黙って続く。


ゴルムは横で、少しだけ満足そうに顎を鳴らしていた。


「どうだ」


とザガ。


「どうって何が」


「やっと話が通じたろ」


「最初から畑なら通じるんだよ」


とゴルム。


「そこなんだよな……」


とベロ。


そこへ、苔角兎が一匹、ぴょこんと来た。洗いたてで、ふわふわだ。ドルグの前脚の泥を嗅いでいる。


ドルグが、じっとそれを見た。


「……なんでこんなのがいる」


「うちのだ」


「うさぎを抱えて、ボスやってるのか」


「ボスじゃないんだけどな」


「何なんだよ」


ニコが板を差し替えた。


中層編入→

土袋運搬中→


「おい!」


とドルグ。


「こいつ何だ!」


「ニコ」


とザガ。


「そうじゃなくて、何で俺の仕事が板になってるんだ!」


「なるんだよ、ここは」


培養区画に、笑いが戻った。


昨日、畑は踏み荒らされた。今日、畑を踏み荒らした原因の、さらに上の連中が土を運んでいる。


本家の流れは、また一段広くなった。


でも牧人にとって大事なのは、そこではなかった。


潰れた三列を、今日中に起こし直す。それだけだった。


「よし。もう一列いくぞ」


「おう」


とザガ。


「はい」


とドルグ。


「保持」


とイシコ。


「もふ」


牧人はそれを聞いて、少し笑った。


何でこうなったのかは、よく分からなかった。


でも、悪くなかった。


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