記録で来いと言ったはずだ
本家での怪我人の治療は、だいぶ落ち着いた。
重傷者の傷は洗われ、出血も止まり始めている。
寝床の入口では、リオが使い終えた薬瓶と包布を分け、ガルムが煙と血の臭いが強い場所を避けて負傷者を運んでいた。
千景も水桶を抱え、小太郎と一緒に寝床と水場を往復している。
セラは最後の重傷者へ包帯を巻き終えると、顔を上げた。
「鴉宮」
「何?」
「こっちはもういい」
「私とネムで回せるから、あんたたちは黒冠へ戻りなさい」
千景は、まだ治療を待つ者たちを見る。
「でも、怪我人は残ってるよ」
「重傷者は落ち着いた」
「あとは治療を続けて、休ませるだけ」
「もう、十分だ」
セラはリオを見る。
「リオも疲れただろ」
「もう、黒冠に戻りな」
リオは薬箱の残りを確認した。
「僕は疲れてませんけど……」
「分かりました……姫と、先に戻ります」
「不足している薬は、一覧にしてあります」
「それでいい」
ガルムも寝床の奥を見た。
ネムが白い胞子を染み込ませた包布を、若い衆の額へ置いている。
呼吸は落ち着いていた。
「もうやる事もなさそうだ。姫、戻ろう」
千景は少し不満そうにガルムを見る。
「帰ってもやる事ないんだよね」
「菓子でも食えばいいだろう。さっきみたいに」
「それ、まだ言う?」
小太郎も千景の足元で、短く鳴いた。
「わふ」
千景が見下ろす。
「小太郎も帰りたいの?」
小太郎は黒冠へ続く道の方を見ている。
食べ終わって眠くなっただけにも見えた。
セラが千景へ空になった水桶を渡した。
「帰る前に、それだけ元へ戻して」
「それから、次に怪我人を見せる時は、先に人数を知らせろ」
「今回は急だったんだから仕方ないでしょ」
「『数え切れない』は人数の報告じゃない」
千景は言い返そうとしたが、適切な言葉が見つからなかった。
牧人が包布を運びながら近くを通る。
千景は手を上げた。
「じゃあ、マッキー」
「私たちは戻るね」
「ああ」
「助かった」
「次は、お菓子を食べながら助けるから」
「助けてから、食べるという選択肢はないのか」
リオがすぐに頭を下げる。
「姫は頼りにならないので、次から僕に連絡下さい」
「リオ、誰の味方?」
「困ってる人の味方です」
ガルムが先に、黒冠へ続く影道へ入っていく。
リオも荷物袋と地図板を抱えて、その後へ続いた。
千景は小太郎を呼ぶ。
「小太郎、帰るよ」
小太郎は一度だけ牧人と本家門前を振り返った。
それから千景の後ろを追い、影道へ入っていく。
千景は最後にセラを見る。
「無理しないでね」
セラは次の負傷者へ薬を塗りながら答えた。
「心配ない。あとは任せな」
黒冠から来た者たちが帰り、本家門前にはセラだけが残った。
その直後。
本家外縁の道から、複数の足音が近づいてきた。
真木レンが戻ってきたのは、ちょうどその時だった。
---
本家外縁から、複数の足音が近づいてくる。
ナナが短剣へ手をかける。
傷ついたゴブリン隊も、盾を持ち上げた。
だが、先頭に現れたのはレンだった。
「連れてきました!」
その後ろから、市属ダンジョン監察局の久慈野澄玲が姿を現す。
都市防衛局・警備統括官の水越篤臣が部下たちを連れて、直々にやって来た。
さらに、久慈野から話を聞いた三船ローと、国枝も同行している。
ローは、荒れた門前を見回した。
倒れた吸水布。
砕けた石縛り杭。
治療を受ける若い衆。
外縁へまとめられた襲撃者たち。
「豪志」
「お前、またとんでもない所にいたな」
「凄かったぞ! みんなの活躍を見せたかったぜ!」
「お前の活躍じゃないんだな」
国枝は、豪志の肩に巻かれた包帯を見る。
「豪志さんも怪我を?」
「少し押されただけです」
「板は守りました!」
「素晴らしいです」
ニコが板を出した。
豪志、板を守った
ローが板を見て笑う。
「凄いな。完全に本家の一員じゃないか」
「そうだ! 重要な踊り担当だ!」
「板持ち担当じゃないのかよ」
澄玲は、右奥の寝床へ目を向けた。
見覚えのない女が、白い胞子を操るネムと並び、負傷者の治療に当たっている。
手際はいい。
傷の洗浄、異物の除去、包帯の固定まで、迷いなく進めていた。
「そちらの方は?」
澄玲が尋ねると、まめじいが答えた。
「夜見セラ殿にございます」
「黒冠の姫様のお知り合いで、黒冠外縁にて治療をなさっておられる方と伺っております」
セラは負傷者の腕へ包帯を巻きながら、澄玲を一度だけ見る。
「夜見セラ」
「先に言っておくけど、登録はないわ」
澄玲の目がわずかに細くなった。
「未登録の治療者ですか」
「気になるなら、治療が全部終わってから聞いて」
「今は怪我人の方が先」
セラは、外縁へ拘束されている堂前たちを顎で示す。
「襲撃した側にも怪我人がいる」
「移送するなら、動かせる者と、まだ安静が必要な者を分けてあるから、勝手に連れていかないで」
澄玲は寝床を見た。
本家側も。
襲撃者側も。
人間も魔物も区別せず、傷の重さだけで並べられている。
「分かりました」
「今は治療を優先します」
「移送の順番は、あなたの判断に従いましょう」
セラは短く頷いた。
「話が早くて助かる」
その横で、水越は押収された装備を調べていた。
石縛り杭。
音響具。
煙筒。
吸水布。
どれも、本家に残る者たちの力を封じるために選ばれている。
水越は、石縛り杭の根元に残る刻印を見た。
「都市防衛局の備蓄品だ」
堂前の後ろにいた元補助員たちの顔が固まった。
水越は堂前を見下ろす。
「堂前烈牙」
堂前が顔を上げた。
「この襲撃について、都市防衛局から正式な命令を受けたか」
堂前は答えない。
「命令書は」
沈黙。
「承認記録は」
答えない。
「ないな」
水越は、まめじいへ視線を向けた。
「供述記録を確認したい」
「原本はこちらで保管いたします」
「写しをお渡しいたしましょう」
まめじいが、すでに清書していた帳面を差し出す。
堂前が口にした者の名前。
役職。
資金を出した者。
装備を渡した者。
本家内部の情報を流した者。
受け渡しに使われた場所。
水越が読み終える前に、副官の通信具が鳴った。
短い報告を聞いた副官が、水越へ告げる。
「供述にあった者のうち、三名を確保しました」
「隠し倉庫から、廃棄されたはずの装備と資金記録も見つかっています」
堂前が目を見開く。
「もう……捕まったのか」
水越は堂前を見る。
「君を送り出した者たちは、君がここで戦っている間に証拠を消そうとしていた」
「そんなはずはない」
「成功すれば、白閃牙を再建させると――」
「失敗した場合の話はされたか」
堂前の言葉が止まった。
名誉を取り戻せ。
白閃牙を再建しろ。
守谷牧人も勝手に本家を作った。
お前も同じようにやればいい。
そう言った者たちは、誰一人として堂前と一緒に来なかった。
正式な命令も出さず。
自分たちの名も表へ出さず。
武器と人員だけを与えて、堂前を先頭に立たせた。
水越が言う。
「君は、最初から使い捨てにするための駒だ」
堂前の顔から力が抜けた。
後ろにいた元補助員が声を上げる。
「我々は、都市を守るために動いた!」
水越がそちらを見る。
「留守を狙って寝床を襲うことを、都市防衛とは呼ばない」
男は黙った。
水越は、まめじいから受け取った記録を持ち上げる。
「記録で来いと言ったはずだ」
誰も答えない。
「君たちが持ってきたのは、命令書でも危険評価でもない」
「横流しした武器と金と、責任を押しつける相手だけだ」
水越は副官へ言う。
「関係者を全員押さえろ」
「隠し倉庫と資金経路も調べる」
「記録は監察局へ渡せ」
「はい」
それだけだった。
堂前を使って最後の襲撃を仕掛けた者たちは。
堂前の供述と、自分たちが残した証拠によって、まとめて捕まった。
本家が追いかける必要すらなかった。
ローが記録石を回しながら言う。
「自分たちで武器を出して」
「自分たちで記録を残して」
「最後は仲間に全部喋られたのか」
国枝が頷く。
「見事な自滅ですね」
堂前は、もう何も言い返せなかった。
---
澄玲が堂前の前へ立った。
「堂前烈牙さん」
「あなたと襲撃に参加した者たちの身柄を、監察局で引き取ります」
堂前は答えなかった。
一度だけ牧人を見る。
牧人も何も言わない。
話すべきことは、もうない。
セラが堂前の傷ついた腕を取る。
「移送前に固定するわ」
「動かないで」
堂前は抵抗しかけたが、すぐに力を抜いた。
セラが添え木を当て、包帯を巻いていく。
その間に、澄玲は堂前の胸元へ目を向けた。
古い白閃牙の印が、まだ外套に残っている。
「その印もお預かりします」
堂前の手が、ゆっくりと印へ触れた。
かつて八代を白閃牙から追放した時、堂前はその印を自ら取り上げた。
今度は、自分が外す番だった。
金具を外す。
古い印が、堂前の手の中へ落ちた。
後ろを振り返っても、そこに白閃牙の隊員はいない。
堂前はしばらく印を見つめたあと、澄玲へ差し出した。
澄玲は無言で受け取る。
堂前は監察局の職員に促され、立ち上がった。
移送される直前。
堂前は、添え木を当てられた自分の腕を見た。
それから、牧人へ目を向ける。
「なぜ、俺まで治した」
牧人は堂前を見た。
「俺が、白閃牙の補助テイマーだったあの日、お前は俺を深層に置いていった」
堂前の顔が固まる。
「補助役は、最後に切る」
「そう言ったよな」
堂前は答えなかった。
忘れているはずがない。
石扉を閉め。
牧人一人を、災厄級のいる深層へ残した。
「俺は、あれを忘れてない」
「許したつもりもない」
牧人は続けた。
「でも、お前らに捨てられたあの日、俺はクロと出会った」
「そこから、ここが始まった」
堂前の視線が、本家門前へ向く。
傷ついた者を治すネムとセラ。
帰ってきた影たちを迎える受付。
壊れた床を直すイシコ。
鍋を守るベロ。
そして、牧人の後ろに立つ黒い三つ首。
「ここは、お前らが切ったものを拾うところだ」
牧人は堂前をまっすぐ見た。
「だから、怪我したお前を捨てる真似はしない」
堂前の唇が、わずかに動いた。
「……俺は、お前の家を奪おうとした」
「だから許したわけじゃない」
牧人は短く答える。
「治すのと、許すのは別だ」
「やったことの責任は、向こうで取れ」
堂前は、何も言えなかった。
やがて俯き、監察局の職員に連れられて本家門前を出ていった。
水越も、牧人へ頭を下げる。
「都市側の後始末はこちらで行う」
「破損した物と治療費は、記録を回してくれ」
ベロが鍋の前から言う。
「芋も潰れた」
水越は真面目に頷いた。
「それも含めてくれ」
ベロの目が少しだけ変わる。
「話が分かるな」
「被害は被害だ」
水越たちは、襲撃者を連れて外縁へ戻っていった。
強硬派との長い揉め事は。
彼ら自身が残した記録によって、ようやく終わった。
---
本家門前には、受付と治療の音が戻ってきた。
セラとネムは寝床で治療を続ける。
ベロは鍋を混ぜ。
ミズハは水を運ぶ。
ヒナとイトは、帰還してきた影たちを受付へ案内していた。
イシコとドワンは、壊れた石床を調べている。
ローは記録石を止め、国枝と一緒にまめじいの近くへ来た。
片目の老ゴブリンたちは、まだまめじいの指示で門前を警戒している。
国枝が、その整った陣形を見る。
「まめじいさん」
「先ほどから、皆さんが軍師殿と呼んでいますが」
豪志が口を開く。
「実は、まめじいさんは昔、伝説の軍師だったんです!」
「豪志殿」
「私から申し上げます」
「すみません!」
まめじいは小さく咳払いした。
「かつて、ゴブリンの巣軍にて、少々作戦を預かっておりました」
片目の老ゴブリンが即座に言う。
「七つの巣軍をまとめた、緑牙軍の大軍師にございます」
国枝がまめじいを見る。
「少々ではありませんね」
「昔の話にございます」
「今は、本家の台帳係にございます」
ローが感心したように言った。
「本家に伝説の軍師がいたのか」
梁の上にいたヒナが、少し迷ってから手を上げる。
「それなら、私も一応、姫みたいよ」
全員がヒナを見る。
「姫?」
とロー。
「ハーピークイーンのお姫様らしいの」
豪志が目を見開く。
「ヒナさんが、本物のお姫様!?」
ヒナは肩をすくめた。
「でも、一族はもうほとんどいないから」
「今さら姫を名乗っても仕方ないよ」
一度、空気が静かになった。
ヒナはすぐに笑う。
「今は、親父のところで迷子を案内する方が大事!」
ヒナがイトを指して言った。
「あと、イトもね」
イトが顔を上げた。
「うん」
「イトも?」
とロー。
「王の血」
「え?」
「オオグモの王族」
「子ども」
豪志の口が開いた。
「イトさんまで王族!?」
イトは頷く。
「でも、みんないない」
「今は、本家」
「糸、張る」
ヒナ。
ハーピークイーンの王女。
まめじい。
ゴブリン軍の伝説的な軍師。
イト。
オオグモ王族の血を引く子ども。
本家には、失われた国や群れの肩書きを持つ者たちが、当たり前のように集まっていた。
ローが腕を組む。
「王女に、王族に、伝説の軍師か」
豪志も深く頷いた。
「本家には、すごい方ばかりだったんですね」
ローが豪志を見る。
「それ言ったら、お前だって社長じゃないか」
門前が止まった。
ヒナが瞬きをする。
「……誰が?」
「豪志」
ナナも豪志を見る。
「社長?」
豪志は困ったように笑った。
「いや、そんな大したものでは……」
ローは続けた。
「年商百億単位の会社の、現役社長だろ」
全員が固まった。
「百億!?」
ヒナの翼が大きく開く。
ザガも壁際から顔を上げた。
「お前が?」
ベロまで鍋から目を離す。
「芋を拾ってたやつが?」
「芋を拾うことと会社経営は別です!」
豪志が慌てて答えた。
国枝が静かに補足する。
「私の商会とも取引のある、大きな会社です」
ザガは豪志を見る。
「よく社長になれたな」
豪志は胸を張って言った。
「会社を企業するのに大事なのは、行動力と勢いだけです!」
「なるほど、お前は行動力と勢いだけはあるからな」
ヒナが首を傾げる。
「でも、豪志はずっと本家にいるよね」
「会社はどうしてるの?」
「放り出しているわけではありません!」
豪志は、そこだけは強く否定した。
「日々の業務は、副社長と役員たちに任せています」
「私がいないだけで止まるような会社では困りますから」
ローが補足する。
「こいつ、本家に来る前に権限を全部整理したんだよ」
「現場で決められることは現場に任せて、豪志の判断が必要な案件だけ上げる仕組みに変えた」
国枝も頷いた。
「緊急の連絡や重要書類は、地上側の連絡役を通じて届けられています」
「少なくとも、会社を無断で放置しているわけではありません」
ローは笑った。
「実際、お前がいなくても会社は普通に回ってる」
「そう!」
と豪志。
「社長が迷宮で板を抱えてても回る会社だからな」
豪志は一瞬、言葉に詰まった。
「……本当は引退したくて、でも止められて、仕方なく……」
まめじいが感心したように髭を撫でる。
「己がおらずとも組織が動くよう整える」
「まこと、優れた長にございますな」
ローが豪志の肩を叩く。
「姫も軍師も昔の話だけど」
「こいつは今も社長だからな」
ヒナが豪志を見る目を変える。
「豪志が一番すごくない?」
まめじいも髭を撫でる。
「現存する組織の長という意味では、確かに」
イトが豪志を見る。
「豪志、王?」
「王ではありません!」
ザガが呆れたように言う。
「お前が一番意味分からねえな」
ニコが新しい板を出した。
豪志、社長
豪志は板の前へ飛び出した。
「ニコさん、それは受付に掲示しなくていいです!」
ローが笑う。
「今さら隠すなよ、社長」
そこへ話を耳にした牧人がやって来て、豪志に言った。
「お前、社長だったのか」
「親分さんまで、その反応ですか!」
「だって、お前」
「板を持つか、芋を拾うか、静かに祈るしかしてなかっただろ」
「本家では、それが俺の仕事だと思ってました!」
牧人は少し考えた。
それから、寝床の横に積まれた包布を指す。
「社長」
「手が空いたなら、あれを運んでくれ」
豪志は反射的に背筋を伸ばした。
「はい!」
ローが笑う。
「社長、完全に使われてんじゃん」
「本家では、親分さんが一番上なんだよ!」
豪志は包布を抱え、右奥の寝床へ走っていった。
王女も。
王族も。
伝説の軍師も。
現役の社長も。
本家では、受付を手伝い、糸を張り、台帳を書き、包布を運ぶ。
昔の肩書きより。
今ここで何をするかの方が大事だった。
結局。
この日、本家で一番驚かれた肩書きは。
姫でも。
王族でも。
伝説の軍師でもなかった。




