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ネムは、灰環に寝床を作った


「まだ」

「ここに、いるの……」


先ほど閉じたはずの処分路の向こう側から、掠れた声が響いた。


細い。


薄い。


今にも消え入りそうな声だった。


門前にいた全員が、石畳の傷跡を見下ろした。


さっきナナが力ずくで閉じた場所だ。


もう、奈落の穴は開いていない。


処分路は閉じた。


けれど、救いを求める声は、閉ざされた境界の向こう側に残っていた。


ナナは、灰色に染まりかけた指先をぎゅっと握りしめたまま、床を見つめていた。


「まだ、そこにいる」


牧人は低く言った。


「ああ」

「聞こえた」


まめじいは、石板の前で台帳を開いたまま、筆を止めている。


「親父殿」

「これは……閉じた処分路の内側からの声にございますな」


「つまり、さっきの下に、まだ落とされたやつらがいるってことか」


「おそらく」


旧帳場の奥で、灰環核の光が冷たく揺れた。


石板に、感情のない文字が浮かぶ。


処分路、閉鎖。

内部残留個体、存在。

回収不要。

再処分待機。


ヒナが梁の上で顔を歪めた。


「やだ、まだ中にいるのに、回収不要って……!」


ナナが短く言った。


「最低」


ベロが、鍋蓋を盾のように構え直す。


「飯も食わせずに閉じ込めるな」


ザガが槍を低く構えた。


「親分、もう一度こじ開けるか」


ナナがその言葉に反応し、一歩前に出ようとした。


だが、牧人はすぐに止めた。


「ナナ、お前は手を休めろ」

「今の指でまた触ったら、今度こそ向こう側に持っていかれる」


ナナは少しだけ不満そうに牧人を見た。


「でも」


「でもじゃない」

「閉める役は、もう十分やった。少し休め」


ナナは小さく唇を結び、一歩退いた。


豪志は、半分削れた看板を抱えたまま、床の傷を見ていた。


「親分さん……」

「俺の看板では、あそこまで届きません」


珍しく、声が小さかった。


ナナが短く言った。


「分かってる」

「でも、持ってて」


豪志は、ぐっと看板を抱き直した。


「はい、持ちます」


その時、右奥の戸口から、布団を引きずる音がした。


ずる。


ずる。


全員が振り返る。


ネムが、自分の身長より大きな布団を両腕で抱えて立っていた。


いつも通り眠そうな顔だ。


ただ、その目は完全には閉じていない。


「力ずくで開けるの、だめ」


牧人が眉を寄せた。


「ネム?」


ネムは、石畳の傷跡をじっと見つめた。


「中の子たち、すごく弱い」

「声が、すごく薄い」

「たぶん、自力で立てない」

「弱すぎて、喋れない子も、中にいる」

「無理に起こして引っ張り出したら、その瞬間に壊れる」


門前が静まった。


ヒナが息を呑む。


「じゃあ、どうするの……?」


ネムは、抱えていた布団をよいしょと抱え直した。


「寝床、作る」


牧人は一瞬、言葉を失った。


「どこに」


ネムは、石畳の傷を指さした。


「あっち」


「処分路の向こう側に?」


「うん」


旧帳場の奥で、灰環核の光が強く瞬いた。


石板に文字が走る。


処分領域。

休眠所、不要。

処分対象、休眠不可。

目的不明。


ネムは眠そうな目で、その文字を見た。


「うるさい」

「どこにいても、寝る場所、いる」


白帳の顔の板が明滅する。


処分領域に休眠所。

目的不明。

管理外行為。

停止推奨。


ネムは、布団の端をぎゅっと握った。


「停止、しない」


その声は小さい。


けれど、いつもの寝ぼけた声とは違っていた。


牧人は、ネムの横顔を見た。


「ネム」

「できるのか」


ネムは少しだけ首を傾げて考えた。


「たぶん」

「寝る場所なら、作れる」


「危険はあるか」


「ちょっと」

「でも、無理に起こして引っ張るより、まし」


牧人は、足元の石畳の細い傷を見た。


たしかに、ネムの言う通りだった。


今、あの中から力ずくで助け出そうとすれば、引き上げる途中で声の主たちは耐えきれずに消えてしまうかもしれない。


名前も、輪郭も、生きる力も、ほとんど削り取られて残っていない者たちだ。


走ることも。


戦うことも。


名前を呼ばれて返事をすることすら、今は難しいのだろう。


そんな者たちに必要なのは、剣ではない。


槍でもない。


受付でも、飯でも、名前でもない。


まずは、誰にも邪魔されずに眠れる場所だ。


牧人は頷いた。


「分かった」

「寝床を作ってやれ、ネム」


ネムが、少しだけ驚いたように牧人を見た。


牧人は、静かに続ける。


「まず、安心して寝ていい場所を作ってやれ」

「たっぷり寝て、起きたら飯を食わせる」

「話せるようになったら、その時に話を聞く」

「それでいい」


ネムは、ほんの少しだけ目を細めた。


いつもより少しだけ、嬉しそうに見えた。


「うん」

「それでいい」


ネムは、抱えていた布団を床に広げた。


それは本家の右奥で、いつも誰かが勝手に潜り込んで寝ている、あの年季の入った布団だ。


少し古い。


少し重い。


けれど、不思議と温かい。


ネムはその布団の端を、石畳の細い傷口へそっと置いた。


すると、布団の繊維から、淡い眠りの気配が染み出し始めた。


灰色の冷たい傷口へ。


処分路の深い暗闇の奥へ。


不条理に落とされた者たちが、息を潜める場所へ。


そのぬくもりが静かに流れ込んでいく。


白帳の板に、混乱した文字が走る。


休眠干渉、確認。

処分領域に寝床形成。

目的不明。

目的不明。

目的不明。


ヒナが梁の上で小さく言った。


「やだ、白帳が寝床の意味を分かってない……」


ベロが低く言った。


「疲れたら、寝る」

「それだけだろう」


ネムは淡々と言った。


「寝る」

「起きたら、話す」


牧人は頷いた。


「それでいい」


ネムの足元から、薄い影がゆっくりと広がった。


黒ではない。


灰でもない。


布団の影だった。


本家の右奥に漂う、昼寝の匂いがする影。


それが石畳の傷口から、処分路の内側へと、滑るように流れ込んでいく。


イトが目を見開いた。


「糸と、違う」

「でも、つながってる」

「柔らかい道」


イシコが床に手を当てる。


「石の下に、柔らかい場所」

「できてる」


ミズハが、腕の中のぷるを落とさないように抱えながら、そっと水を流し込んだ。


「乾いていると、眠れないものね」

「少しだけ、湿らせるわ」


ベロが大鍋から漂う湯気を、そっと傷口へ送る。


「冷たい寝床は、体に悪い」


ネムはこくりと頷いた。


「暖かいの、いい」


ぷるも、へとへとのはずなのに、ぺちゃんこになりながら小さく揺れた。


ぷるん。


布団の影の上に、淡い青い膜が重なる。


灰毒が戻ってきた時、少しでも受け止めるための膜だ。


牧人は眉をひそめた。


「ぷる、お前は本当に休め」


ぷるは、ぺたんと潰れたまま、どこか誇らしげに揺れた。


ヒナが泣き笑いになる。


「やだ、ぷる先生、寝床まで守る気……!」


ナナも、痛む指を押さえながら前に出た。


「扉」

「少しだけ、隙間」


牧人が見守る中、ナナは石畳の傷口に膝をつき、指先でそっと触れた。


もう、力任せには押さない。


せっかく閉じた処分路を壊さないように。


ただ、ネムの寝床の気配だけが通る、細い隙間を作る。


「悪いものは、落とさない」

「でも、布団のあったかい空気だけ、入る」


ネムが嬉しそうに頷いた。


「助かる」


ナナは、少しだけ誇らしげに胸を張った。


「うん」


豪志が、削れた看板をそっと床の横に立てた。


「寝床、こちら」


ヒナが梁の上から目を丸くする。


「やだ、豪志がちゃんと案内板を出した」


豪志は真剣な顔で頷いた。


「起きた時、どちらへ行けばいいか分からないと困りますから」


ネムは、眠そうにその板を見た。


「それ、いる」


豪志の顔が、ぱっと明るくなった。


「役に立った!」


まめじいは、その連携を極めて真面目な顔で見つめながら、台帳に書き加えた。


ネム殿。

処分路内に寝床を設置。

対象、内部に残留する弱った者たち。

目的、休眠。

起床後、任意の聞き取りを予定。


白帳の顔の板が明滅する。


処分領域内に休眠所。

記録不能。

処分対象、休眠。

目的不明。


まめじいは、さらに一文を追記した。


目的、寝るため。


ヒナが梁の上で吹き出した。


「やだ、まめじいが一番分かりやすい説明を追加した!」


ナナが短く言った。


「分かりやすい」


しかし、白帳はそれでも理解しない。


処分対象、休眠不要。

処分対象、発話不要。

処分対象、回復不要。


その冷たい文字を見て、ネムは初めて少しだけ眉を寄せた。


「違う」

「ちゃんと寝たら、戻る」

「起きたら、話す」

「話したら、なくした名前、一緒に探せる」


門前が静まり返った。


ネムは、普段はとても眠たげで、やる気があるのかないのか分からない子だ。


いつもどこかで勝手に寝ている。


自分の布団を引きずって歩いている。


真剣な話をしている時でも、大抵は半分寝ている。


けれど、そのネムだからこそ、誰よりもよく分かっていることがあった。


傷つきすぎて、今すぐには自分の名前すら喋れない時。


絶望して、起き上がることすらできない時。


自分が何者だったのかすら思い出せない時。


そこで無理に問い詰めるよりも、まずは温かい布団の中で眠らせてあげること。


それは、何もしないことではない。


もう一度、自分の足で戻ってくるための準備だった。


牧人は、小さく笑った。


「まったく、お前らしいな」


ネムは少し不安そうに首を傾げた。


「だめ?」


「いや」

「最高の方法だ」


ネムは、ほっとしたように息を吐いた。


そして、石畳の傷口の奥へ向かって、優しい声で呼びかけた。


「もう、寝ていいよ」

「起きたら、私たちがいる」

「怖かったことは、今は置いていい」

「おやすみ」


すると、暗い処分路の奥から、小さな震える声が響いた。


「……ねる……?」


ネムは優しく頷いた。


「うん」

「寝るの」


「起きたら……消える?」


「消えない」

「起きたら、温かいご飯がある」


ベロが即座に言った。


「粥がある」


ネムが続ける。


「それから、名前」

「嫌なら、あとでいい」


まめじいが静かに頷いた。


「もちろんでございます」

「起きてから、お腹がいっぱいになってからで、何も遅くはございませぬ」


処分路の奥から聞こえる声が、少しずつ増えていった。


「寝て……いいの……?」

「ここ、もう下に落ちない……?」

「起きても、ここにいていい……?」


ネムは布団の端を、さらに奥へ押し込んだ。


「いる」

「落ちない」

「寝ていい」


その瞬間、石畳の暗い傷の奥で、淡い光がいくつも灯り始めた。


ネムの布団の影が、処分路の冷たい内壁を優しく包み込んでいく。


一つ。


二つ。


三つ。


誰にも邪魔されずに、ただ横になれる場所。


寒さに震えず、丸まれる場所。


名前を聞かれず、番号で呼ばれず、ただ眠っていい場所。


それが、本来なら冷たい捨て場所であるはずの灰環核の領域の中に、本家の手によって作られていく。


白帳の顔の板が、これまでにない速さで明滅した。


処分領域内に休眠所。

処分対象、休眠開始。

処分進行、停止。

対象輪郭、微回復。

処分不可。

処分不可。

処分不可。


ヒナが、両手で口を押さえた。


「やだ……」

「寝てるだけなのに、処分が止まってる……!」


ベロが当然のように言った。


「寝ている者を捨てるな」

「当たり前だ」


クロの中央が低く唸る。


「灰環には、その当たり前がなかったのだろうな」


右の頭が牙を剥いた。


「寝ている間に捨てるなど、獣でもせん」


左の頭が静かに言った。


「なら、ここで覚えさせればいい」


牧人は、旧帳場の奥にある灰環核の光を睨みつけた。


「聞いたか、灰環核」

「うちのルールを教えてやる」

「寝てるやつを勝手に捨てるな」

「全員が起きるまで待て」

「起きてから飯を食わせる」

「話を聞くのは、それからだ」


白帳の板に、冷たい文字が浮かぶ。


処分遅延。

管理不能。

休眠所、撤去推奨。


ネムは、その文字の前で、布団の上にぺたんと座り込んだ。


「撤去、だめ」

「ここはもう、寝床」


牧人が少し心配して声をかける。


「そこは危ないぞ」


ネムは小さく首を横に振った。


「私が、見張る」

「みんなの寝床、守る」


「……見張るって、お前が真っ先に寝るだろ」


「半分だけ、起きる」


ヒナが梁の上で苦笑した。


「やだ、信じていいのか不安な見張り方……!」


だが、ネムの次の言葉は真剣だった。


「半分だけ寝てると、寝てる子の声が聞こえる」


門前の空気が変わった。


ヒナが口を閉じる。


牧人も、少しだけ目を細めた。


「……そういうことか」


ネムは小さく頷いた。


「起きている人には、聞こえない声」

「寝る前の、小さい声」

「夢の中で、迷子になってる声」

「そういうの、拾える」


だからこそ、ネムが必要だった。


処分路の奥底に取り残された者たちは、まだ起きてこちらの世界へ這い上がってくる力がない。


声を出して助けを呼ぶこともできない。


だが、眠りと、存在が消えてしまう狭間で、かすかに魂の声を出している。


その声を拾い上げることができるのは、ネムだった。


牧人は、静かに言った。


「なら、頼んだぞ、ネム」

「あいつらの寝床、お前に任せる」


ネムはこくりと、力強く頷いた。


「うん」

「見てる」

「ちょっとだけ、寝ながら」


「そこは起きてろと言いたいところだが、お前の場合はその方がいいんだな」


ネムは、布団をさらに引き寄せると、石畳の傷口の真上にごろんと横になった。


体の半分は、本家側。


布団の端と、その温かい気配は、灰環核の処分路側へ。


本家と灰環の境目に、ネムが寝転がる。


奇妙な光景だった。


戦場の真ん中で寝ているようにも見える。


けれど、その布団の下から、処分路の奥にいる者たちの怯えていた声が、少しずつ安らかなものへと変わっていった。


「……あったかい」

「落ちない」

「おやすみ……」


ネムは、今にも閉じそうな目を細めながら、小さく答えた。


「うん」

「おやすみ」

「起きたら、呼ぶね」


まめじいは、その言葉を台帳へ記していく。


ネム殿、灰環処分路内に寝床を維持。

内部残留個体、休眠開始。

起床後、呼び出し予定。

本家一同、これを許可。


白帳の板に、力なく文字が浮かぶ。


本家による休眠許可、管理外。

処分領域、用途変更。

灰環核、認識不能。


ニコが板を出した。


寝床、できた


牧人は、その板を見て頷いた。


「そうだ」

「寝床ができた」

「なら、もうそこは捨て場所じゃない」


その瞬間、白帳の明滅がぴたりと止まった。


処分路。


不要なものを捨てるだけの場所。


二度と戻らないための奈落。


灰環核にとって、そこはそういう場所だった。


だが本家は、その暗闇の中に寝床を作った。


寝床があるなら、そこは休む場所だ。


休む場所であるなら、眠った後に起きることが前提になる。


起きることが前提なら、それはもう処分ではない。


白帳の顔の板に、不揃いな文字が浮かぶ。


処分領域、用途変更。

休眠所、発生。

復帰可能性、発生。

処分、未完了。


ヒナが、梁の上で小さく笑った。


「やだ……」

「布団を敷いただけで、処分が未完了になった……」


ナナが、痛む指先を庇いながら言った。


「それでいい」

「ずっと、未完了でいい」


ぷるも、ぺたんこに潰れたまま、ぷるんと小さく揺れた。


ベロは、すぐに大鍋を覗き込んだ。


「起きた時の粥を増やす」

「寝起きは、柔らかいものがいい」


ミズハが頷いた。


「水も用意しておくわ」

「いきなり濃いものは無理よ」


まめじいは、さらに台帳へ追記した。


起床後、粥と水を用意。


牧人は少しだけ笑った。


「段取りが増えていくな」


まめじいは当然のように答えた。


「本家でございますので」


その時、石畳の傷の上で半分寝ていたネムの耳が、ぴくりと動いた。


閉じかけていた瞼が、ほんの少しだけ開く。


「……一人だけ、起きた」


牧人が振り向いた。


「もう起きたのか」


ネムは首を横に振った。


「違う」

「深く寝てない」

「ずっと……怖くて、眠れなかった子」


石畳の細い傷口の奥で、敷き詰められた布団の影が、もこもこと静かに盛り上がった。


そこから、灰色の小さな手が伸びてくる。


細く。


折れそうで。


凍えるように震えている。


先ほど門前に並んでいた名なしの影たちよりも、さらに輪郭が薄い。


けれど、その小さな手は、確かにこちらへ向かって伸びていた。


ナナが反射的に、その手を掴もうと前へ出ようとする。


だが、牧人がその肩をそっと止めた。


「待て、ナナ」

「向こうから、自分の意思で出てくるのを待つんだ」


ネムが、目を半分閉じたまま言った。


「大丈夫」

「この子、自分で起きた」


石畳の細い隙間から、一人の小さな子供の影が、ゆっくりと上がってきた。


自分の力では、まだしっかりと立つこともできない。


言葉を発することすらできない。


ただ、小さな両手で、ネムが敷いてくれた布団の端を、命綱のように握り締めている。


まめじいが、その姿を見て息を呑んだ。


ヒナが梁の上で、そっと両手で口を押さえる。


その小さな影の胸元には、無残に割れた古い小さな木札がぶら下がっていた。


受付の番号ではない。


本家の台帳の登録名でもない。


古い時代の灰環で使われていた、処分の印。


二度とこちらへ戻らせないために括り付けられた、使い捨ての札だった。


ネムは、そのボロボロの札を下げた子供の影をじっと見つめた。


小さく、しかし悲しみと怒りを込めて言った。


「……この子が、本当の、灰環の被害者」


白帳の顔の板が、激しく明滅した。


旧処分対象。

初期被害個体。

記録外。

発見不可。

発見不可。

発見不可。


牧人の目が、底知れない冷たさを帯びた。


「発見不可、ね」


彼は白帳を睨んだ。


「都合の悪いものは、記録の外か」

「ずいぶん便利な帳面だな」


ナナが短く、しかし強い声で言った。


「でも、見つけた」

「ここにいる」


まめじいが、力強く筆を執った。


「はい」

「今、この目で確かに発見いたしました」


ネムは、布団の端を握りしめて震える小さな影の頭を、そっと撫でた。


「起きたね」

「もう大丈夫」

「ここ、あったかい本家」


小さな子供の影は、声にならない息を吐き出した。


それでも、その乾いた唇が、かすかに動いた。


「……たすけて……」


豪志は、半分削れた看板を胸に抱えたまま、泣きそうな顔で一歩前に出た。


けれど、近づきすぎない。


驚かせないように、少し離れた場所で看板を立てる。


そこには、ニコの文字があった。


ここは本家


豪志は震える声で言った。


「ここは、本家です」

「もう、捨て場所ではありません」


ネムが、小さく頷いた。


「うん」

「ここ、本家」


その一言が放たれた瞬間、門前の空気が変わった。


灰環核の奥が、冷たく震える。


本家の全員の目が、その小さな影へと向けられていた。


ネムの作った寝床から、灰環の本当の被害者が、目を覚ました。


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