表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/25

糞を集めに行っただけなのに、幼体保護戦になった


「そこ踏むな!」


朝っぱらから、ナナの声が響いた。


牧人はぴたりと足を止めた。


「まだ何も踏んでないだろ」


「踏みそうだった」


「圧が強いな」


地下の培養区画へ行く前に、まずは肥料の材料集めだった。


湿った落葉。腐植。苔魚の内臓。

そして、小型草食種の糞。


最後の一項目だけ、どう考えても響きがよくない。


「ほんとに、それ要るのか」


「要る」


「毎回即答だな」


「作物は気分で育たない」


調達隊。牧人、クロ、ザガ、ベロ、ニコ、ぷる、そしてナナ。

まめじいは帳場番。イシコは本家番。


「ナナは行くのか」


「肥料の質は私が判断する」


「行く気満々だな」


「待機より仕事だ」


「ほんと地下の連中は押しが強い……」


---


その日、調達隊は崩れ棚の北へ来ていた。


旧保全路とも本家とも少し離れた、半分湿地、半分草地みたいな場所だ。

石の割れ目から細い草が生えていて、朝の水気で地面がやわらかい。


そこにいた。


小さな草食種の群れが。


丸い。耳が長い。額の上に、ちょこんと二本だけ草色の角が生えている。

尻尾は短い。脚は細い。全体的に、ふわっとしていた。


ザガが言う。


「苔角兎だ」


「フワフワでかわいいな」


「見た目だけだぞ」


「見た目がかわいいなら十分だろ」


牧人はすでにしゃがんでいた。


一匹が、警戒しながらこっちを見る。鼻がぴくぴくしている。


「……かわいいな」


ザガが呆れた顔をする。


「親分、クロにも同じ目してたぞ」


「してたか?」


「初日からだ。ぷるにも、まめじいにも、イシコにも」


「……だって、みんなかわいいだろ」


全員が止まった。


「みんな?」


とベロ。


「みんな。魔物はみんなかわいいだろ。生きてるし、一生懸命だし」


ザガが顔を覆った。


「災厄級をかわいいって言うの、この世界で親分だけだと思うぞ」


「そうか?」


「そうだよ」


クロが少し離れたところで鼻を鳴らした。

聞こえていたかどうかは分からない。右の首だけが、ほんの少し偉そうだった。


牧人は、そっと手を出した。


「ほら。取って食わないって」


苔角兎は、びくっとした。

逃げるかと思ったが、逃げなかった。

かわりに、牧人の指先をくんくん嗅いだ。


そのまま、ぺたりと鼻を押しつける。


「……うわ」


牧人の声が、少しだけやわらかくなる。


軽い。あったかい。生きてるものの温度だ。

怪我人を診るのとは違う。こっちは、ただ小さくて、やわらかくて、逃げなかった。


でもそれは、クロが初めて頭を下げた時にも感じたことだった。

ぷるが足元に張りついた時にも。

まめじいが帳面を抱えて眠った時にも。


生きてるものが近くにいる。それだけのことが、毎回、妙に嬉しい。


「お前、そんな感じなのか」


ナナだけが冷静だった。


「親しむのはいい。驚かせるな。糞の位置がずれる」


「お前の興味はそっちか」


だがナナの言うことは正しかった。苔角兎たちは、落ち着いている方が動き回らない。つまり回収しやすい。


ザガが袋を開いた。


「ほら、やるぞ。さっさと集める」


「雑だな」


「雑でいいんだよ」


牧人が細い草をちぎって一匹に差し出すと、苔角兎はそれをもしゃもしゃ食べた。二匹目も寄ってくる。三匹目も来る。


もう遅かった。牧人の周りに、苔角兎が集まり始めていた。


足元。膝の横。しまいには一匹、靴の上に前脚を乗せてくる。


牧人がその額をそっと撫でた。


「細いな。ちゃんと食ってるか」


「目線が完全に保護者なんだよな」


とベロ。


ナナが、じっとその様子を見た。


「……効率がいい」


「何が」


「落ち着いている。回収しやすい」


「そこだけ見てるな、お前」


実際、ザガとベロの作業が妙に進んだ。


「……ほんとだな。親分、もうそのまま座ってろ」


「役目が"かわいがる係"になったな」


「十分だろ」


---


一時間もすると、かなり集まった。


湿った落葉。腐植。苔魚の内臓。そして袋に入った将来の畑のためのあれこれ。


ナナが袋を見て頷く。


「最低限はある」


「最低限なんだな……」


「畑は食う」


「お前、言い方・・・」


その時だった。


上から影が落ちた。


速い。風を切る音がする。


クロが立ち上がるより先に、ナナが叫んだ。


「上!」


黒いものが三つ、湿地の上へ滑り込んできた。


翼膜。鳥というより、痩せた猿に皮膜をくっつけたみたいな形をしている。手足が長い。爪がいやに鋭い。


先頭の一匹が、ぎゃっと鳴いた。


「草食群れだ! 袋もある! 根こそぎ持ってけ!」


ザガが即座に舌打ちした。


「剥ぎ翼か!」


「何だそれ」


「外縁の攫い屋だ! 縄張り持たねえで、見つけたもんをそのまま掻っ攫う!」


交渉もしない。話も通じない。見つけたら取るだけの連中だ。


一匹が急降下してきた。


狙いは袋ではなかった。牧人の足元の苔角兎だ。


考えるより先に、牧人が動いた。


苔角兎を抱える。そのまま肩を丸めてかばう。


爪が背中の上を掠めた。


「っ——」


痛い。でもそれより、腕の中の苔角兎が震えている方が気になった。

心臓が速い。軽い。熱い。


こういうのが一番嫌だ。小さいのが怯えているのが嫌だった。


「大丈夫だ。こっちいろ」


苔角兎がぺろっと牧人の顎を舐めた。


「……お前、今それやるか」


「懐かれてるな」


とベロ。


「今はそれどころじゃないんだよ」


もう一匹、もう一匹と、苔角兎が牧人の足元へ寄ってくる。


ザガが叫んだ。


「親分、後ろ!」


剥ぎ翼が後ろから襲い掛かろうとしている。


そこへ、ぷるが動いた。


牧人の足元から一気に膨らむ。

ぶわっ、と青い半透明の壁が立ち上がり、牧人と苔角兎をまるごと包んだ。


急降下してきた剥ぎ翼が、そのまま突っ込んだ。


べちん。


弾かれた。


「跳ね返った!」


とニコ。


「ぷるすげえな!」


とザガ。


中から牧人の声がする。


「……ぷる、お前こんなことできたのか」


「ぷるるん」


「すごいけど、外が見えない」


「こっちからは見えてるぞ。半透明だ」


とザガ。


「こっちからは青い壁しか見えないんだけど」


「出してくれ」


「ぷるん」


ぷるが少し縮んだ。牧人が顔を出す。苔角兎が三匹、頭の上に乗っていた。


「……乗るな」


ベロが鍋の蓋で、弾かれて転がっている剥ぎ翼を殴った。きれいに入る。


「今回は武器になったな」


「鍋の蓋もやればできる」


「誇るなよ」


クロは、その時にはもう終わらせていた。


一匹目を叩き落とす。二匹目の着地を崩す。三匹目が上へ逃げようとした瞬間、右の頭が跳んだ。


それで終わりだった。


「撤収!」


「災厄級いるって聞いてなかった!」


いること分からなかったのかよ、と全員が思った。


残った一匹も即座に逃げた。


---


静かになりかけた。


だが、終わらなかった。


崩れた見張り石の上から、別の影が飛び降りてきた。


灰色の狼みたいな魔物が二匹。剥ぎ翼とは別だ。


ザガが呻いた。


「今度は野良の単独だ。血の匂いにつられて来やがった」


片方が、苔角兎を狙って踏み込む。


牧人は即座に前へ出た。


「だめだ」


低い声だった。自分でも少し驚くくらい、はっきり出た。


狼型は止まらない。


だが、その前にクロがいた。


静かだった。唸りもしない。ただ前に立つ。


それだけで、狼型の脚が止まった。


一歩。半歩。そのまま後ずさる。


「帰れ」


と、牧人。


クロが一歩だけ前に出た。


二匹とも尾を巻いて逃げた。


ようやく、本当に静かになった。


湿地に、朝の風だけが残る。


ザガが深く息を吐いた。


「……糞拾いの予定だったよな」


「そうだよ」


「なんでウサギ保護戦になってるんだ」


「知らないよ!」


---


牧人の腕の中の苔角兎は、まだ離れなかった。


「……もう大丈夫だぞ」


額を牧人の胸に押しつけたまま、動かない。


「だめだな、これ」


とベロ。


「だめだな」


とザガ。


ナナが苔角兎たちを数えた。


「十二」


「十二匹もいるのか」


「全部ついてきている」


「全部!?」


見れば、そうだった。牧人の周りに固まっている。足元。背中側。袋の陰。完全に「こっちが安全」の配置だった。


ナナが冷静に言った。


「自走式肥料源」


ザガが目を閉じた。


「最悪の分類だ」


「聞いたことない肩書きだな」


とベロ。


「正しい分類だ」


とナナ。


「もっと愛情のある言い方しろ」


と牧人。


「愛情で作物は育たない」


「農家さんは愛情たっぷりに育ててるぞ!」


---


本家へ戻る道で、結局、苔角兎の群れはついてきた。


先頭が牧人。その後ろに、ぴょこぴょこ跳ねる小さい草食種が十二匹。さらに後ろに、袋を担いだザガたち。いちばん後ろで、クロがゆっくり歩く。


変な隊列だった。


本家の門前が見えた時、見張りの小型種が固まった。


「……増えてる」


「何が」


「かわいいのが」


列がざわつく。


「何あれ」


「親分が連れてきた」


「攫ったのか?」


「どう見ても懐いてるだろ」


ザガがすぐに言った。


「拾ってもない!ついてきただけだ!」


「余計だめだろ、それ」


とベロ。


まめじいが帳面を持って出てきた。


「おや。大所帯ですな」


「大所帯にするつもりはなかったんだけど」


「親父殿、背中」


牧人は止まった。


「ん?」


「血が出ておりますぞ」


見れば、背中の布が裂けて、薄く赤い線が見えていた。剥ぎ翼に掠められた跡だ。


「ああ、これ。掠っただけだ」


「先に手当てを」


「いいよ、こいつらの水が先だ」


「親父殿」


「いいって。大したことない」


苔角兎に水を出し、草を用意し、寝る場所を確認しているうちに、牧人はすっかり自分の傷を忘れていた。


ザガがベロに小声で言う。


「また他人優先だよ」


「毎回だな」


「自分の怪我は後回し。他人の飯が先。他人の寝床が先」


「まったく、うちの親分は何なんだよ」


「……分からん。でも面倒な人だな」


「面倒だ」


結局、まめじいが強引に軟膏を塗った。


「親父殿は怪我の優先順位がおかしい」


「おかしくないだろ。こいつらの方が小さいんだから」


「そこですぞ」


「何が」


「……何でもありません」


まめじいは帳面に書いた。


『苔角兎。十二。保護。牧人負傷、軽微、本人自覚なし。』


---


苔角兎たちは、水を飲み、草を食べ、ようやく少し落ち着いた。


その中の一番最初に懐いた一匹が、また牧人の脚に額を押しつける。


「……お前、ほんとに甘えん坊なんだな」


少しだけ撫でる。柔らかい。


ザガがぼそっと言った。


「親分、顔」


「何だよ」


「ちょっと緩んでる」


「緩んでない」


「緩んでる」


とベロ。


「緩んでるな」


とニコ。


「緩んでないって」


ナナが札に書きつけた。


『肥料確保。草食群れ十二、増加。飼育対応必要。』


「飼育って言うなよ」


「現状だ」


「保護だろ」


「保護を続けるなら飼育が要る」


「理屈が正しいの腹立つな……」


---


門前の小型種たちが、ひそひそしていた。


「本家、怪我人だけじゃない」


「小型草食まで保護してる」


「しかも親分が抱えて帰ってきた」


「抱えて、だぞ」


牧人はもう鍋のことを考えていた。


地下の畑はまだ見ていない。肥料もまだ途中だ。でも本家には、また新しい面倒が増えた。


しかも、ちょっとかわいい。


飯を出す。怪我を診る。追い出さない。

それに「糞」と「草食」が加わっただけだ。


たぶん、それだけだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ