畑は関係なかった。地下から来たのは、もっと面倒なやつだった
その夜。
誰も呼んでいないのに、地下から返事が来た。
カタン。
コトン。
ギギギ。
保全休憩室の奥から、何かを引きずる音がする。
最初に耳を立てたのはクロだった。
次に、床で寝ていたぷるが震えた。
最後に、牧人が目を開けた。
「……何の音だよ」
まめじいが帳面を抱えたまま起きる。
「昨日の受付ですかな」
「あいつ歩けるのか?」
また音がした。
ギギギ。
コトン。
ザガたちも飛び起きた。
地下への階段の奥に、灯りが見えた。
小さい。揺れている。
そして、だんだん近づいてくる。
最初に姿を見せたのは、台車だった。古い鉄の台車だ。
その上に木箱が三つ。壺が二つ。干からびた蔓みたいなものが一本。
その後ろから、何かがよじ登ってきた。
小さい。丸い。泥色。
頭に割れた遮光板みたいな板をかぶっている。
背中に種袋。腰に小さな剪定鋏。
顔は、妙に不機嫌な土まんじゅうみたいだった。
そいつは階段を上がり切ると、牧人を見た。
次にクロを見た。
また牧人を見た。
「……責任者か」
「たぶん」
「"たぶん"で運営するな」
第一声がそれだった。
牧人は座ったまま答える。
「誰だよ、お前」
「培養主任補佐個体、播種補佐七号」
「長いな」
「正式名称だ」
イシコが扉脇から赤い目を向けた。
「同系統。施設管理型」
「お前と同じか」
「近い。私は守護。こちらは培養」
「つまり仲間?」
「管轄が違う」
「仲良くする気はないんだな……」
播種補佐七号は気にせず続けた。
「昨日、端末が動いた。接続通知が来た。だから起きた」
「受付が起こしたのか」
「あいつ余計なことをする」
「また、増えましたな」
と、まめじい。
「勝手に増えるなよ……」
播種補佐七号は台車をどんと止めた。
「食料供給が不安定だ」
「急に核心を突くな」
「寝台区画開放後、供給計算が合っていない」
「計算してたのか」
「当然だ」
「当然なんだ……」
そいつは勝手に鍋の方へ行った。
蓋を開ける。底を見る。鼻を鳴らす。
「薄い」
「知ってるよ」
「量も足りない」
「知ってるよ」
「栽培区画を起こせ」
「命令口調だな!」
クロが低く唸った。
播種補佐七号は、ぴたりと止まる。
でも逃げなかった。
「……災厄級がいるのに、食料計画が薄い方が問題だ」
「強いな、こいつ」
とベロ。
「正論だから余計に腹立つ」
とザガ。
牧人は頭を掻いた。
どうして地下から来るやつは全員こう押しが強いんだ。受付は勝手に登録するし、こいつは勝手に鍋を覗くし。
でも、飯が足りないのは事実だった。列は毎日伸びている。採集場だけではいつか限界が来る。地下に畑があるなら、それは確かめる価値がある。
「畑があるかどうか、まだ分かってないんだけど」
「ある」
「あるのか」
「ある。私が管理していた」
播種補佐七号は胸を張った。
「低稼働で待機していた」
「寝てたってことか」
「違う。待機だ」
まめじいがしゃがんで、播種補佐七号を見た。
「お名前、長いですな」
「正式名称だ」
「親父殿」
「何だ」
「短くされた方がよろしいかと」
「だな」
牧人は少し考えた。
「七号」
「雑だな」
「じゃあナナ」
「もっと雑になった」
播種補佐七号——ナナは、嫌そうな顔をした。
だが否定はしなかった。
むしろ、ほんの一瞬だけ、遮光板の下の目が緩んだように見えた。
まめじいが帳面に書いた。
『ナナ。施設管理型・培養担当。命名済み。』
「で、ナナ」
「不本意だ」
「畑、どこだ」
「地下」
「知ってる」
「深い方」
「それも知ってる」
「水が死んでる」
「使えるのか?」
ナナは台車の箱を開けた。
中には乾いた種球みたいなものが並んでいる。白い菌糸の束。紙の札。古い図面まで入っていた。
「培養区画は生きている」
「水は死んでるんだろ」
「だから起こす」
「簡単に言うな」
ナナは図面を床に広げた。
地下の横道と区画の線が描かれている。保全休憩室。帰還点。備蓄庫。臨時寝台区画。そのさらに奥。
培養区画。
「ほんとに畑なんだな」
「畑ではない。培養区画だ」
「こだわるな」
ナナは図面の一点を爪で叩いた。
「ここ。水路。詰まってる」
「うん」
「ここ。照明導線。半死」
「半死って何だよ」
「半分死んでる」
「分かりやすいけど嫌だな」
ザガが図面を覗き込む。
「つまり?」
「水通して、灯りつけて、土を起こせば食えるものが増える」
「そこだけ聞くと夢があるな」
とベロ。
「実際は面倒しか聞こえねえ」
とザガ。
ナナは最後の一点を叩いた。
「そして一番大事なのが、これだ」
「何」
「肥料」
沈黙。
牧人は止まった。ザガたちも止まった。
クロだけが興味なさそうに座っている。
「……肥料」
「そうだ」
「なくても何とかならない?」
「何ともならない」
ナナは真顔だった。
「水がいる。灯りがいる。土がいる。肥料もいる。何をどうしたら"なくても何とかなる"と思った」
「勢いで……」
「勢いで作物は育たない」
まめじいが頷く。
「筋の通った叱責ですな」
ナナは当然のように言った。
「菌床用の腐植」
「うん」
「湿った落葉」
「うん」
「苔魚の内臓」
「うん」
「小型草食種の糞」
「うわぁ!」
ザガが即座に叫んだ。
「そこだよ! 面倒なのそこだよ!」
「必要だ」
とナナ。
「必要でも嫌なもんは嫌だ!」
「だが育つ」
「理屈で殴るな!」
牧人はため息をついた。
「……俺が集めるのか、それ」
「責任者だろう」
「仮登録だって言ったろ」
「登録は登録だ」
「受付とお前、グルだな」
ぷるが、牧人に近づいて震えた。
ぷるる。
「お前はやる気あるな」
「ぷるる」
「ご飯だ大事だよな」
牧人は図面を見た。種球を見る。台車を見る。最後にナナを見る。
採集場だけじゃ、そのうち足りなくなる。
畑が動くなら、その方がいい。
それだけだった。
たぶん、そういうことなんだろう。
「……やるか」
「やるのか」
とザガ。
「やるしかないだろ。飯が足りないのは本当だし」
「そこの判断だけは毎回早いんだよな」
「飯のことだからな」
「それはそう」
ナナが初めて、ほんの少しだけ頷いた。
「日の出から動く」
「朝から圧をかけるな」
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その時、階段の上から声がした。
「親分ー!」
見張り番の小型種が立っていた。
「入口前にまた集まってる!」
「何が?」
「寝床希望と見物と噂好きがごちゃっと!」
ザガが顔を覆った。
「畑をまだ見てもいないのに、噂だけ先に育ってる」
「この場所はそういうところだよ」
とベロ。
「何なんだよ、それ」
明日は水路を見る。灯りを確かめる。土を起こす。たぶん糞も集める。
その前に朝飯を作る。列を見る。怪我人を診る。
飯を出す。怪我を診る。追い出さない。
それに「畑」が加わっただけだ。
「……寝るぞ」
「はい」
「承知」
「了解」
「ぷるん」
「働く」
とナナ。
「お前も休め」
ナナは止まらなかった。
台車の横で腕を組んだまま、もう明日の段取りを考えている顔だった。
誰も呼んでいなかった。
でも地下から来たのは、畑より先に担当者だった。
畑より面倒なのが来たな、と牧人は思った。
でもまあ、飯が増えるなら文句は言えない。
地下では、受付端末の灯りとナナの遮光板の光が、並んで点いていた。




