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黒冠は、帰れなかった側の家だった


牧人は、何も言えなかった。


本家の門前には、いつもの飯の匂いが漂っている。


大鍋から立ち上る湯気。

灰やちりを吸う、ぷるの小さな音。

椀を持って並ぶ小型魔物たちの足音。

列の端で椀を落としかけ、ベロに無言で睨まれて固まっている魔物の気配。


間違いなく、いつも通りの本家だった。


なのに今だけは、その日常が少し遠い。


黒冠は、帰れなかった側の家だよ。


千景の言葉が、門前の空気に残っていた。


帰れなかった側。

帰る道を閉ざされ、置いていかれた側。


牧人は、その言葉の輪郭をうまく掴めなかった。


いや、意味は分かる。


分かるから、困っている。


いっそ、知らないと言えれば楽だった。

だが、もうそんな誤魔化しが通じる相手ではない。


目の前にいるのは、昔の呼び名で呼ぶチカであり、今の千景であり、黒冠の者たちから姫と呼ばれる女であり、セイランが従う相手なのだ。


一人に名前が多い。


やめてほしい。


牧人は心の中でそう思ったが、とても口には出せなかった。


空気が重すぎた。


その重すぎる空気を、最初に壊したのは、やはり本家の人間だった。


「つまり!」


門の横から、妙に張り切った声が響いた。


豪志だった。


いつからそこにいたのか、両手で大きな紙袋を抱えて立っている。


たぶん、ずっといた。


ただ、ザガに物理的に口を塞がれていたため、奇跡的に今まで静かだっただけだ。


豪志としては、かなり頑張った方である。


豪志は、真剣な顔で言った。


「黒冠の皆さんは、要するに『帰り道迷子センター』の一時案内対象者、という理解でよろしいでしょうか!」


場が、別の意味で止まった。


ヒナが梁の上で口を押さえた。

ザガは深くため息をついて目を閉じた。

ナナが一歩前へ出て、短く言った。


「違う」


豪志は固まった。


「違いますか!?」


「違う」


「でも、帰れなかった側ということは、広い意味では迷子に近いのでは――」


ザガの大きな手が、背後から無言で伸びた。


豪志の後頭部をつかみ、ぐっと下へ押さえる。


「黙れ。今、その話をそんな方向へ広げるな」


「広い意味でも駄目ですか!」


「全部駄目だ」


ヒナが、とうとう吹き出した。


「やだ、豪志が重たい話を案内所の話に変えようとしてる!」


千景は、豪志を見た。


ほんの少しだけ、目を丸くする。


「……誰? その、うるさい人」


牧人は、嫌そうな顔で答えた。


「説明が難しいやつだ」


豪志は、押さえられたまま無理やり胸を張った。


「冥門組本家、親分さん直属の子分兼、情報収集補助兼、踊り担当の梶間豪志と申します!」


「踊り担当はない」


ザガが言った。


ナナも重ねる。


「ない。邪魔」


ニコが、素早く板を掲げた。


豪志、踊らない


豪志は胸を押さえた。


「初対面の黒冠の姫様の前で、職務を全否定された……!」


千景が、ぷっと小さく吹き出した。


本当に、一瞬だけの笑いだった。


それでも、門前の張り詰めた空気が、わずかに緩んだ。


ベロが鍋の前から、お玉で蓋を軽く叩いた。


「飯が冷めるぞ」


千景は、怪訝そうにそちらを見た。


「この流れで、飯の話?」


ベロは真顔だった。


「話が重くても、飯は冷める」


「さすが、飯を出す家」


「飯は強い」


クロの右が、低く同意した。


「肉はもっと強い」


牧人は、すぐに右を見た。


「お前は今、黙ってろ」


右は不満そうに鼻を鳴らした。


中央が低く言う。


「親父。話せ」


「分かってる」


分かってはいる。


だが、この生活感の塊のような面々に囲まれて、どうやって過去の重たい話をすればいいのか。


難しすぎる。


千景は、まだ本家の敷居の外側に立っている。


その一歩後ろには、茶色いトイプードルの小太郎がいた。

吠えるでもなく、尻尾を振るでもなく、ただ静かに本家を見ている。


クロは、その犬から完全には目を離していない。


その緊張感の横で、豪志がこっそり紙袋から何かを取り出そうとして、ザガに手首をつかまれた。


「何を出そうとした」


「歓迎用の紙吹雪です」


「今じゃねえ」


「黒冠御一行歓迎の札もあります」


「もっと今じゃねえ。しまえ」


ヒナが梁の上でお腹を抱えた。


「やだ、豪志が裏で歓迎の準備してる!」


千景が目を細め、牧人を見る。


「ねえ、マッキー。私、歓迎される流れだった?」


牧人は頭を抱えた。


「違う。たぶん違う。少なくとも、紙吹雪を浴びせる場面じゃない」


豪志が小声で言った。


「では、重い話がきれいに終わった瞬間に紙吹雪を――」


「終わってからも撒くな。散らかる」


「終わってからもですか!?」


ニコが板を裏返した。


紙吹雪、あとでもだめ


豪志は地面に両手をついた。


「ニコさん……!」


ナナが短く言った。


「だめ」


「追撃が短い!」


ザガが呆れたように言った。


「うるせな、お前は」


それでも、この一連のやり取りのおかげで、牧人はようやく息を吸えた。


悔しいが、豪志に少し助けられた。


もちろん、本人には絶対に言わない。


言うと、踊る。


牧人は、改めて千景を見た。


「黒冠が、帰れなかった側の家っていうのは」


声が、少しだけ掠れた。


「チカ。お前が、それを作ったのか?」


千景は、すぐには答えなかった。


足元で、黒い冠の影がゆっくり揺れる。


怒りではない。


たぶん、迷いだった。


「私が作ったなんて、そんな立派なものじゃないよ」


千景は、どこか自嘲気味に笑った。


「ヴァルザークがいた頃の黒冠は、帰れない場所だった」


黒冠竜王ヴァルザーク。


その名が出た瞬間、セイランの影が少し沈んだ。

小太郎の耳も、わずかに動いた。


千景は続ける。


「道を焼く」

「扉を閉じる」

「逃げようとする足元を黒雷で割る」

「助けを求める声も、奥へ奥へ押し込める」

「そこに閉じ込められた人も魔物も、そこで生きるしかなかった」


ヒナの笑いが消えた。


ベロも、鍋をかき混ぜる手を少しだけ遅くした。


千景は、ニコの板を見た。


誰も捨てられない場所


そこに書かれた言葉を、まっすぐに見つめる。


「マッキーの本家は、来たものをすぐには追い返さない」

「飯を出す」

「名前を聞く」

「寝床を作る」

「帰りたいなら、道を探す」


牧人は、何も言わなかった。


千景は、ほんの少しだけ悲しそうに笑った。


「いいと思うよ」

「本当に」

「嫌味じゃなくて」


その言葉は、かえって牧人の胸に刺さった。


「でもね」

「そこまで来られないものは、どうすればいいの?」

「本家の飯の匂いが届かないくらい、深いところに残ったものは?」

「誰かが帰っていく背中を、泥の中から見るしかなかったものは?」


牧人は、自分の手を見た。


特別に強い手ではない。


大剣を振る手でもない。

魔法を使う手でもない。


椀を渡す手だ。

水筒を渡す手だ。

受付で紙を受け取る手だ。


その手が届かなかった者たちの話を、千景はしている。


「俺は……」


牧人は言いかけて、口を閉じた。


知らなかった。

見えなかった。

そんなつもりじゃなかった。


どれも、本当かもしれない。


だが、言った瞬間に、軽くなる。


軽くしていい話ではなかった。


千景は、黙って牧人を見ている。


責め立てるためではない。


逃げるかどうかを見ている。


牧人は、深く息を吐いた。


「分からない」


千景の目が、わずかに細くなる。


ザガも、ヒナも、まめじいも、牧人を見た。


牧人は続けた。


「黒冠がどんな場所だったのかも、そこに残ったやつらが何を思ってきたのかも、俺は分かってない」

「分かったようなことを言ったら、たぶん嘘になる」


千景は、何も言わない。


「でも」


牧人は、少しだけ顔を上げた。


「帰りたいやつがいるなら、道はあった方がいい」

「帰る場所がなくて困ってるやつがいるなら、飯と寝床はあった方がいい」

「帰りたくないやつを、無理に引っ張り出すのは違う」

「黒冠のやつらが、黒冠で生きたいなら、それを邪魔するつもりもない」


千景の足元の影が、ほんの少し揺れた。


牧人は続ける。


「俺は、黒冠を本家にするつもりはない」

「黒冠は黒冠でいい」

「ただ、道がつながるなら、歩くやつが迷わないようにした方がいい」

「飯場が必要なら作る」

「水場もいる」

「怪我人が出るなら、手当てする場所もいる」

「俺が分かるのは、そこまでだ」


千景は、しばらく牧人を見つめていた。


それから、ぽつりと言った。


「結局、飯場と道案内の話に戻るんだね」


「そこしか分からん」


牧人は正直に答えた。


「俺が分かる範囲は、それくらいだ」


ヒナが、梁の上でようやく笑った。


「やだ、親父が難しい話を全部、現場の段取りに戻した!」


ナナが短く頷く。


「親父、えらい」


豪志が即座に顔を上げた。


「私も、さっきからずっと静かに――」


ナナが見た。


「黙る」


「はい!」


ニコが板を出した。


豪志、黙る


豪志は崩れ落ちた。


千景は、今度は隠さずに笑った。


その笑い声は、先ほどまでより少しだけ軽かった。


それでも、目の奥にある黒冠の冷たさは完全には消えていない。


「本当に、変な家」


「今日だけでそれ、三回目だぞ」


牧人が言うと、千景は肩をすくめた。


「あと百回は言えるよ。覚悟して、マッキー」


「やめてくれ」


ベロが鍋の前から声をかける。


「飯は普通だ」


ヒナがすかさず言った。


「普通なら、黒冠の姫に飯を出そうとしないと思う!」


ベロは首をかしげた。


「並べば出る」


「そこが普通じゃないんだって!」


セイランが、膝をついたまま静かに言った。


「姫。現在、黒冠王座が強く反応しています」


千景は視線だけを向けた。


「知ってる」


「黒冠内の強硬派にも伝わります」


「それも知ってる」


「ガルドレイ殿が動く可能性があります」


その名が出た瞬間、千景の目が少しだけ冷えた。


「動くだろうね」


牧人は聞いた。


「ガルドレイって、昨日の話に出た強硬派か」


セイランが頷く。


「はい。黒冠と本家の接続に、最も強く反対する者の一人です」


「話せば分かる相手か」


セイランは少し沈黙した。


昨日も似たような沈黙があった。


牧人は嫌な予感がした。


セイランは答えた。


「食卓を叩き割る可能性があります」


牧人は深刻な顔になった。


「それは難しいな」


ベロが真顔で言った。


「食卓を割るやつに飯は出せない」


クロの右が顔を上げる。


「噛んでいいか」


「まだだ」


「まだ?」


「まず食卓を守る」


ザガが低く笑った。


「親分。守るものの順番がおかしいだろ」


「食卓が割れたら飯がこぼれるだろ」


「それはそうだが」


ニコが板を出した。


食卓、守る


豪志が勢いよく立ち上がった。


「では私が、食卓防衛隊を結成します!」


ナナが短く言った。


「いらない」


「早い!」


「邪魔」


「二撃目!」


ヒナが梁でお腹を抱えた。


「やだ、豪志が黒冠強硬派より先に排除されてる!」


千景は、そのやり取りを見ていた。


黒冠の姫としてではなく、ほんの少しだけ昔のチカに戻ったような顔で。


けれど、その顔はすぐに消えた。


千景は牧人へ向き直る。


「マッキー」


その呼びかけに、牧人の背筋が少し伸びる。


「黒冠は、本家に入れてほしいわけじゃない」

「黒冠は、黒冠のまま、あの暗い場所で立ってる」

「帰れなかったものが、帰れなかったまま、それでも生きていくための場所だから」


牧人は、深く頷いた。


「ああ。分かった」


「本当に?」


「たぶん、少しだけな」


「正直だね」


「嘘をつくと、まめじいが帳面に書く」


まめじいが、筆を持ったまま頷いた。


「書きますな」


千景は、くすっと笑った。


「怖いね、その記録係」


「本当に怖い」


牧人は言った。


「だから、黒冠を本家にするとは言わない」

「でも、道をつなぐなら、通るやつが困らないようにはしたい」

「黒冠に帰るやつがいるなら、黒冠に帰ればいい」

「本家に来るやつがいるなら、受付を通せばいい」

「帰りたくないやつを、無理に帰すのは違う」

「帰れなかったやつを、いなかったことにするのも違う」


千景は黙った。


その沈黙は、さっきより少しだけ重くなかった。


セイランが静かに言った。


「それは、黒冠と本家を上下関係に置かない、という理解でよろしいですか」


牧人はすぐに嫌な顔をした。


「また言葉が重くなった」


国枝がいれば、頷いたかもしれない。

澄玲がいれば、頭を抱えたかもしれない。

水越の副官がいれば、正式な名前をつけかけたかもしれない。


今はいない。


助かった。


いや、後で絶対に増える。


牧人は諦めた。


「上下じゃない」

「隣……いや、黒冠は隣の隣町だったか」

「まあ、隣の隣でもいい」

「遠いけど、道があるなら看板はいる」


千景は言った。


「遠足?」


牧人は嫌な顔をした。


「最近行った気がする」


豪志が手を上げた。


「おやつは――」


ザガが豪志の頭を押さえた。


「黙れ」


千景が小さく笑う。


「いいね! お菓子持って遠足。でも、やっぱり変な家」


「四回目だぞ」


「もっと言えるよ」


「やめてくれ」


その時、小太郎が一歩だけ前に出た。


茶色い小さな足が、敷居の手前で止まる。


クロの三つの首が、同時に動いた。


右が唸りかける。

中央が止める。

左が、小太郎を見ている。


小太郎は、本家の敷居を越えない。


ただ、門前の匂いを嗅いだ。


飯の匂い。

灰の匂い。

石の匂い。

水の匂い。

魔物と人間と、よく分からないものが一緒にいる匂い。


小太郎は、千景を見上げた。


「わふ」


千景は小太郎を見た。


「うん。悪くないって?」


小太郎は、それ以上答えなかった。


牧人には、ただの犬が一声鳴いたようにしか見えなかった。


だが、クロは違った。


右が低く言った。


「……今、何を見た」


牧人は困った顔で小太郎を見る。


「分かるのか?」


「分からん」


「分からないのか」


「分からんが、軽く見るな」


中央が低く言った。


「敵意はない。だが、こちらを測った」


左が、さらに低く続けた。


「門を見た」

「本家を見た」

「親父も見た」


牧人は、ますます困った。


「犬が?」


クロの右が、牙を少しだけ見せた。


「犬の形をしているだけだと言っただろう」


ヒナが梁の上で小さく笑った。


「やだ、見た目ふわふわなのに、若頭がずっと警戒してる」


小太郎は、何も言わなかった。


ただ、尻尾を一度だけ動かした。


千景が少し笑う。


「小太郎、あんまり怖がらせないの」


小太郎は千景の足元へ戻った。


その動きは、やっぱりただの茶色いトイプードルに見えた。


見えるだけだった。


千景は敷居の外に立ったまま、門前の板を見た。


黒冠、返事まち。


ニコの板だった。


千景はその板を見て言う。


「返事、いる?」


牧人はすぐに答えた。


「いるだろ」


「じゃあ返事」


千景は少しだけ考えた。


「黒冠は、本家に入らない」

「本家も、黒冠を飲み込まない」

「でも、道は見てもいい」

「迷子が出るなら、案内はいる」

「怪我人が出るなら、水場もいる」

「飯場は……まあ、いるんでしょ」


ベロが力強く頷いた。


「いる」


クロの右も頷く。


「肉も」


牧人は言った。


「それは後で詰める」


ヒナが笑った。


「やだ、肉の協議が始まる!」


セイランは静かに頭を下げた。


「姫。その内容を黒冠正式返答として扱いますか」


千景は少し考えた。


「まだ仮」


牧人は嫌な予感がした。


「仮か」


まめじいが、止まっていた筆を動かした。


黒冠返答、仮。

黒冠、本家帰属を拒否。

本家、黒冠吸収を否定。

古路、観測継続。

迷子対策、飯場、水場、怪我人対応、要検討。

肉、後で詰める。


牧人は帳面を覗いた。


「最後を書くな」


まめじいは真顔で言った。


「若頭殿に関わる重要事項でございます」


クロの右が満足そうに頷いた。


「重要だ」


牧人は目を閉じた。


話は重い。

ものすごく重い。


だが、本家にいると、どこかで必ず肉と飯が混じる。


それでいいのかは分からない。


でも、それがないと、たぶん誰も立っていられない。


千景は、牧人を見た。


「マッキー」


「何だ」


「まだ許してないから」


牧人は息を止めた。


千景の声は静かだった。


「でも、話はする」

「黒冠も、本家も」

「帰れなかった側も、帰そうとする側も」

「そこを見ないと、また誰かが残る」


牧人は、ゆっくり頷いた。


「分かった」


千景は言った。


「分かってない顔してる」


「分かってないからな」


「正直すぎる」


「嘘をつくと、まめじいが書く」


まめじいがまた頷いた。


「書きますな」


千景は、少しだけ肩の力を抜いた。


その瞬間だった。


ミズハが足元に置いていた水桶の水面が、灰色に濁った。


黒冠の影の黒ではない。


もっと乾いて、重く、底に沈むような灰色だった。


本家の奥、旧帳場の方から、低い音がした。


ごん。


クロの三つの首が、同時に旧帳場を見る。


イトが天井で糸を張った。


「灰」

「奥、起きた」


イシコが地面に手を置く。


「石、いやがってる」


ナナが右奥の戸の前で、短く言った。


「だめなの、来る」


牧人は顔を上げた。


「今度は何だ」


まめじいが帳面を見た。


旧帳場の奥で、石板に文字が浮かんでいる。


仮記録、拒絶。


黒冠返答、仮検出。

黒冠、本家非帰属。

本家、黒冠非吸収。

古路接続、継続。


不整合、発生。


家主方針、旧帰還選別に干渉。

誰も捨てられない場所、管理外帰属点と判定。


帰還路再接続、禁止。

家主方針、削除対象。

灰環棄還核、起動。


まめじいの顔から、笑みが消えた。


「親父殿」


牧人は、その文字を読めなかった。


だが、空気で分かった。


また、話が増えた。


豪志が、紙袋を抱えたまま小さく手を上げた。


「……これは、紙吹雪でどうにかなる話ではないですね?」


ザガが低く言った。


「当たり前だ」


「ですよね」


ヒナが梁の上で、乾いた笑いを漏らした。


「やだ、黒冠の次は、灰環の奥まで起きちゃった」


ベロが鍋の蓋を押さえた。


「飯、増やすか」


牧人は深く息を吐いた。


「増やすしかないだろ」


千景が、牧人を見た。


「変な家」


牧人は言った。


「今は否定しない」


旧帳場の奥で、灰色の光がもう一度鳴った。


ごん。


黒冠の影が、千景の足元で静かに広がる。


灰環の奥が、初めて本家を敵として見た。


そして本家の門前では、豪志が紙袋を抱えたまま、ぼそっと呟いた。


「……食卓防衛隊、必要では?」


ナナが短く言った。


「いらない」


「まだ何もしてないのに!」


ニコが板を出した。


豪志、待機


豪志は、今度こそ黙った。


三秒だけ。


それでも本家では、かなり頑張った方だった。


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