日本復活⑮ 通信会社設立 後編
2003年(平成15年)6月
イギリスのVodafoneとの交渉はまとまった。
前世ではこちらもソフトバンクの孫勝利が買収した企業を、私が先んじて手に入れた。この意味は大きい。
ロンドンからの帰路、私は成田から赤坂へと向かった。そこで待っていた男は、まだ海のものとも、山のものともつかないADSLのモデムを手に、目を血走らせていた。
「孫さん、J-PHONEをやる気はありますか?」
私の問いに、彼は一瞬だけ絶句した。しかし次の瞬間には、その目が太陽のように輝き始めた。
私は彼の目をまっすぐに見て続けた。
「現在の日本はNTTドコモが『iモード』の成功を武器に市場を押さえています。KDDIも『EZweb』で対抗している。端末はどうかといえばNECやシャープなどが主流です」
つまりはキャリアも端末も全部バラバラなのだ。これをまとめようというのが私の狙いだ。
「私は国際回線に繋がる海底ケーブルの権利を持っていますし、国内では日本テレコムという通信幹線も手に入れた。そしてGoogleも手中にあるのです」
「つまり、木下さんはNTTに挑もうとされているのですか?」
「簡単に言えばそうなりますが、私には敵が多いのも事実です。敵といっても多くは妬みや羨望といった類なのでしょうが」
「それでもこれ以上敵は作りたくない。それが本音なのでしょうね?」
「はい。端的に言えばそうなります。そして以前にもお話した通り、私はあなたと組みたいのです。情報の流れの上流は私が握り、下流はあなたにお任せしたいと考えています」
私がそう言うと、彼は少し下を向き、考えるような態度を見せた後で言った。
「つまり、木下さんと私が組むことで、NTTに対抗できる通信体制が完成するというわけですか」
私はここで、かつてMicrosoftのビルに見せたことがある、一台の小さなアルミの塊をテーブルに置いた。
「これはなんですか?」
「これはPCじゃありませんし、OSでもありません。設計思想なんです」
以前、ビルに説明したものとほぼ同じ構想を語った。
私は紙に三つの円を書いた。
ハードウェア。
ソフトウェア。
ネットワーク。
三つが重なり合う図。
「コードネームは八咫烏です」
これこそが数年後にiPhoneとして世に出ることになるだろう。開発は予定通りだから前世の記憶よりも早く発売されるだろう。
「このコンセプトが具体化したら、その優先販売を含め、孫さんにお願いしようと思います。一緒に戦ってもらえませんか?」
孫社長は、しばらくアルミの塊を手の中で転がしていた。ただその重さと形を確かめるように。
「……これ、売れますよ」
と、彼は言った。
分析ではなかった。断言だった。
「ドコモが強いのはiモードがあるからじゃないんです」
彼はアルミの板を慎重にテーブルの上に置いた。
まるで宝石か、絶対に失ってはいけない何かを扱うような手つきで。
「あれはキャリアがコンテンツを握っているから強い。でもこれは逆だ。端末がすべてを握る。キャリアは土管になる。そうなんでしょう?」
「おっしゃる通りです」
私は頷いた。この人が本質を掴むのは速い。これは前世でも変わらなかった。
「だとすれば」
孫社長は私を見た。
「木下さん、あなたはドコモを潰したいわけじゃない。NTTという構造ごと、無意味にしたいんだ」
私は何も言わなかった。それが答えだったから。
窓の外、赤坂の夜景が低く光っている。この街の地下にも光ファイバーが走っている。その一部は、今や私のものだ。
彼が核心をつく質問をしてきた。
「出資比率はどのようにお考えなのですか?」
「51対49。豊臣が51をいただきます。対等ではありませんが、これは必要なことだと考えているのです」
一瞬の沈黙。敢えて私が51を取る。この意味を彼は考えているはずだ。
孫勝利という男が、他人の下だと認めることは稀だ。それを私は知っている。前世でも、この人は誰かの傘下に入ることを本能的に嫌った。
しかし今は違う。ADSL事業で体力を削られている。J-PHONEも日本テレコムも既に私の手の中にある。彼が持っていない武器を、私はすべて持っている。
「……わかりました」
孫社長は言った。
それだけだった。饒舌で有名な男が、たった6文字で頷いた。
次の瞬間、彼は右手を差し出してきた。私はその手を握った。乾いた、しかし力強い手だった。
ようやく彼を仲間にすることができた喜びを、私はかみしめていた。
「下流はお任せします」
と私は言った。
「上流は私が守りますから。孫さんは顧客を開拓してください」
「はい。八咫烏、いつ出しますか」
「それはAppleが決めることですが、数年以内に実現するでしょう」
孫社長は目を細め、しばらく黙って私の顔を見ていた。
それから、初めて笑った。
赤坂の夜景を背に、ADSL事業の消耗戦を続けてきた男が、初めて勝ち筋を確信した。そんな笑みだと感じた。
2003年7月
奈良県五條市 豊臣グループ仮本社
買収発表の日。
今日は日本テレコムとJ-PHONEにとって、新たな旅立ちの日となる記念日だ。
両社を合わせた新会社の社長には孫さんが就任し、先行するNTTとKDDIを追いかけることになるだろう。
新会社のキャッチコピーは「世界を、正しくつなぐ。」だ。何だか不穏で挑戦的なコピーだと感じたが、孫さんの意思だし、変な口は出すまい。
記者会見場は異様な熱気だった。カメラのシャッター音が重なり、会場後方では各社のカメラマンが位置を争っている。やがて、スクリーンに新会社のロゴが映し出された。
それを見て私は複雑な気持ちになった。
なぜだ。なぜこんなロゴマークになったんだ?
あの親しみやすい犬のマークはどこにいったんだ?
だいたい、どうしてこれほど直線と鋭角を使っているんだ?
せめて……もっと丸みをつけて可愛くするべきじゃなかったのか?
明らかに鳥をモチーフにしたとわかる鋭角的なマークと、その下には『YGN』の文字。
これじゃまるで……
鳥の目が赤く光ったように見えたのは……気のせいだろう。いや絶対に気のせいだ。そうであってほしい。
私は孫社長と共にひな壇に座り、会場を見渡しながら、彼と二人で新たな社名を決めた時のことを思い出していた。
「新たな会社名はどうしましょうね?豊臣でもソフトバンクでもない名前がいいと思うのですが」
私がそう言うと、孫社長は言ったのだった。
「コードネームの八咫烏をそのまま社名にしましょう。三つの要素を一つにするという意味でも相応しいと思うのですが」
「ヤタガラスですか。それは既に紀伊半島の開発を目的とした企業名に採用してしまっているんですよね」
私がそう言うと、孫社長は破顔して言った。
「知っています。ですから八咫烏の後ろに、グローバルネットワークという言葉を足すのはいかがですか?略してYGNです」
そう言って意味ありげに、ニヤリとした。
「……グローバル、ネットワーク、ですか。多くの人たちに世界規模のネットワークを持っているような企業を連想させるのでしょうね……ヤタガラス・グローバル・ネットワーク。聞いた最初のイメージが何というか……秘密結社っぽくないですか?」
「秘密結社と言われると、木下さんはフリーメイソンとか、イルミナティみたいなものを連想されたのですか?」
いや、そうではなく、もっとこう……
「というより、空想のヒーローものに出てくる悪役のイメージですかね。ゲルショッ〇ーとか、〇ね〇ね団っぽくないですか?あるいはデスト〇ンとか。いや、どれもこれも古いですが」
そう言うと彼は爆笑し始めた。
「ははは!世界征服を企てる悪の組織というわけですか?
実は私は昔からそういうのが大好きでしてね。木下会長がそう思われるのなら、私の狙いは当たったことになる」
なんだか急に子供みたいなことを言い出したが、本質はこういうキャラだったのか?こんな中二病みたいな社名でいいんだろうか?
いや、今の時代に中二病って言葉はまだ存在しないのかな?
私がそんなことを考えつつ、つられて笑っていると、彼は真面目な顔になって言った。
「どっちにしても、木下会長は世界征服をしようとしているんじゃありませんか?
私の目にはそう映っているのですが」
不意を突かれたような気がした。笑いを誘っておいてフェイントをかけるとは。かなりな高等戦術に思える。
「えっ?それは、どういう意味ですか?」
危うく『そうなんですよ』と肯定しかけ、私は慌てて問い返した。
「たった1社で世界征服できそうな企業を、たくさん持っていらっしゃる。しかも……各分野に広く分散している。それらが連携し始めたらとんでもないことになりそうですが、とても偶然とは思えないのです。今でさえ、持っておられる株の含み益だけで大変なもののはずです」
なるほど。そこに気付いたのか。
いや、彼のように世界を広く見渡せるようなタイプの人なら、そう感じるかもしれない。
彼は続けてこう言った。
「さらには、AMATERAの件です。あれは結果としてAMATERAに結びついたんじゃない。最初から木下会長はAMATERAを目指して順次買収していったはずです。そうなのでしょう?つまりは遠大な野望を抱いておられるように思えるのです」
さすがに鋭い。本能的な嗅覚とでもいうのだろうか。ぼんやりしていると、私の秘密まで洗いざらい白状させられてしまうかもしれないから話題を変えよう。
「まあ偶然でしょうけど。……それで、世界征服の話が出てくるわけですか?」
「そうです。まあ、征服云々は脇に置くとしても、そんな妄想を持ったという話です。ですから、新しい会社のシンボルマークも、それっぽくしたら面白いでしょうね」
いや、まあ、そうかもしれないが。あまり不気味なものは困るぞ?
私はその場ではあいまいな態度で保留し、その後、社内でも相談したのだが、やっぱり「中学生が考えたブランドに見える」とか、「なんだか悪役っぽい」などの意見が出たのが気になった。
とは言いつつも他に代案が思いつかなかったから、結局は孫社長の提案通りにヤタガラスグローバルネットワークに決定したのだった。
そんなことを思い出していたら、最前列に座っていた記者が叫ぶように質問した。
「これは豊臣とソフトバンクの合弁会社なのですか!?日本テレコムに続き、携帯会社まで取得した狙いは何ですか!?」
私は孫社長と顔を見合わせたが、彼は私に任せたいらしい。私は社長じゃないんだが。
仕方なくマイクを握って答えた。
「日本の通信を統合するためです」
この場で「ショッ〇ー首領の意思を継承するためです」と言ったら、彼らはどんな顔をするだろうか?
「統合とはなんですか?」
真剣な記者の質問に対しては、こちらも大真面目に答えるしかない。
「固定回線、携帯電話、インターネットという三つの要素です」
私はゆっくり言った。
「さらには通信、情報、生活という三つの要素。すべてを一つの神経系として動かすつもりです」
会場がざわめく。ひそひそ話のはずが、私の耳にまで届いてきた。
「なんか内調か公安に監視されそうな社名だな?木下と孫のやつ、いよいよ本性を現したかな?」
「ああ、増長してやがるな。であれば徹底的に叩いてやる」
……丸聞こえなんだが。どこのメディアだ?
後で調べて、広告出稿で兵糧攻めにしてやる。
今月からはこちらも大々的にメディア展開を始める。YGNの名前を、日本中に叩き込んでやる。
別の記者が何かを書き留め、隣の記者と囁き合っている。こっちはNTT関係の記者だろう。彼らはすでに、この発表の意味を理解している。
そんな彼らを眺めながら、私の脳裏には極悪な秘密結社のイメージだけが浮かんでいた。それにしても、この会場ってなんでこんなに暗くしているんだ?悪い雰囲気があり過ぎるんだが。
次の記者の質問には孫社長が答えているが、私には彼がエジプトのファラオみたいな大幹部として暗躍する画像が、頭にこびりついて離れなかった。え~名前は確か、〇獄大使だったか?
いかん。秘密結社から離れよう。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、後ろに座っていた寧音が小声で言った。
「日本で初めての構造ね」
だから……そんな言い方をされたら、ますますそれっぽく聞こえるだろう。
私の表情を見て、寧音の隣に座っていた小二郎が苦笑した。
こっちは○神博士に見えてしまうが、発言内容は真面目なものだった。
「兄さん、NTTが本気で怒りますが、それでいいんですか?」
右手を挙げて『イーッ!!』と叫びそうになったが慌てて取り繕った。私は団員ではないのだ。
「そうかもしれないな」
そう言いつつ、挙げた手を引っ込めながら、辛うじて肩をすくめて誤魔化した。
だが、記者たちはそんな私の不自然な挙動を見てどう思っているのだろうか。
NTTを怒らせることが目的ではない。しかし怒られなければ、それは本当の意味で急所を突いていない証拠でもある。日本の通信インフラは長い間、NTTが独占的に管理してきた。その構造を変えることは、単なる企業買収ではない。情報の流れ方そのものを変えることだ。
窓の外には、五條の景色が広がっていた。最近では急速に人口が増えつつある街だ。
だが私が見ているのは、街ではない。その地下。
地中に走る光ファイバー。そして空中を飛ぶ電波。それらすべてが、やがて一つの網になる。太平洋を越え、アメリカの回線と接続される。ラリーが運営するサーバー群と、この国の先端にある携帯電話が、同じ一本の線で繋がる日が来る。
今はまだ無理だが、やがてドローン物流や自動農業、自動運転への道が開かれるだろう。
あれっ?なんだか本当に世界征服っぽくなってきてしまったな。
何気なく後ろを振り返り、YGNのマークを見たのだが、やっぱり目が赤く光ったような気がした……
豊臣グループ 新たな傘下企業一覧
①株式会社ヤタガラス
②ネクサス・セミコンダクタ・マニュファクチュアリング・カンパニー(NSMC)
③株式会社豊臣クオリティ・アライアンス(TQA)
④株式会社ギガフォトン
⑤株式会社AMATERA
⑥株式会社PARASOL
⑦三洋電機
⑧テスラモーターズ
⑨日本テレコム
⑩ヤタガラス グローバル ネットワーク
略称はYGN。豊臣とソフトバンクの合弁会社。




