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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ  作者: 織田雪村
第六章

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日本復活⑥ 家電産業の凋落 

1999年(平成11年)8月28日(土)


西吉野村 自宅


鳥の声で目が覚めた。

カーテンの隙間から差し込む光は、まだ斜めで柔らかい。時計を見ると6時を少し回ったところだった。

隣に寧音の姿はない。キッチンで朝食を作ってくれているのだろう、微かな音が聞こえる。


障子を開けて縁側に出る。ガラス戸を開けると、山の空気が一気に流れ込んできた。湿気が少ない。肌に触れる感触が、東京のそれとは根本的に違う。標高のせいか8月の終わりとは思えない涼しさだった。


近くで鳥が鳴き、重なるように蝉の声が響く。しかし都市の騒音に慣れた耳には、それらはむしろ静寂の一部として聞こえた。この家を手に入れて迎える最初の夏。内部の改装工事はまだ完了したとは言い難いが、それでも何とか寧音と二人で住むだけの最低限の手入れはできつつある。


この家で一番気に入っているのが古い壁掛け時計だった。木製の骨董品で、全体は黒く煤けている。製造業者名も記されているが、私が初めて目にする社名で、ゼンマイと振り子式の時計だ。この時計が奏でる「チクタク」という音が意識の中に刷り込まれていく。

この時計はどうも、あの映画の中で実際に小道具として貸し出されたものだと最近知った。そういう目で見ると、また一層、愛着が沸いた。


縁側から足を下し、そこに置かれているサンダルを履いて直接庭に出た。軽く体操をしながら左側に視線を移す。


敷地を出たすぐの場所に警備会社の詰め所を建てている途中で、昼夜を問わず警備してくれるようになるのもすぐだろう。


その横の斜面は全体的に畑として利用するつもりで、実際に以前は畑として活用していたらしい。斜面の一部は掘削して、五條に向けてトンネルを掘る計画も進行中だ。

既に大手建設会社との契約は終わっているから、工事が始まったら意外に早く完成するのではないかと予想している。


それまでは危険な道を使うしかないが、慣れてしまえばそれも苦にならないし、重機が通行できるように狭い道の改良工事が始まっている。


「おはよう藤一郎」


そうやって庭から周囲を見渡していると、寧音が後ろから声を掛けてきた。


この家に住むようになってからは、生活のリズムが安定してきたと彼女は笑っていた。ここには娯楽と言えるような施設などあるはずがないし、買い物もままならない。それどころか、まさに秘境ともいえる環境だが、東京しか知らない寧音はそれでも順応してくれようとしているし、近所に住むお年寄りとの付き合いも、何とかやれているみたいだ。


「さっきジェンスンさんから連絡があったわ。午前中にこの家に来るんですって」


NVIDIAのジェンスンも家族と共に近所に住むことになり、昨日、日本に到着した。

この環境を見たら何と言うだろうか。とんでもない山の中だというのは伝えてあるから、受け入れてくれるとは思うのだが。


「そうか。彼が来てくれたら心強いし、スティーブたちも喜ぶんじゃないかな」


「藤一郎はネクサスの社長にジェンスンさんを送り込みたいのよね?」


「そう。だけど、彼には最初に日本の家電業界の人材活用について、相談を持ち掛けようと思うんだ」


「人材活用?どんな?」


「そうだねぇ。どこから説明しようかな」


私は家に入り、寧音の淹れてくれたコーヒーを飲みながら思考を巡らせた。

美味いコーヒーだが、水が違うのだろう。

東京に住んでいた頃は頭が止まらなかった。次の手、次の目標。眠っていても脳の一部が動き続けているような感覚があった。しかしここに住むようになると、その回転が自然に落ちる。落ちた分だけ、見えてくるものがある。


その思考の対象は家電産業についてで、ここ数日はずっとそのことを考えていた。

数字は頭に入っている。どの会社がいつ傾き、何を失い、誰が去っていくか。それは分かっている。問題は順番ではなく、どこを押さえれば連鎖を止められるかだ。

家の奥にあるダイニングではなく、そのまま縁側に座って、谷を隔てた正面のお寺と山を見ながら考えを確認する。答えは、一応は出ていたので言葉に出してみた。


「家電産業を何とか助けたいんだよね。あの業界は1970年代以降、世界を席巻し日本の成長を支え続けた基幹産業だったからね」


令和から見たら信じられないかもしれないが……

現時点を境として、この産業はこれから徐々に衰退していく。それは突然死とか急死といった表現ではなく、老衰といった表現が正確かもしれない。かつて「経済大国日本」の象徴だったこの分野は、いくつかの決定的な変化に対応できず、主役の座を明け渡すことになっていった。


「あるメーカーが出した内容を、他社がすぐに真似て追いかけるだろう?最近じゃファジー家電とか」


「あいまい家電よね?センサーで賢く制御するんだっけ?ニューロなんて言葉も流行ったわ。確かにどこかヒット作を出したら、すぐにどこかが似たようなものを出してるわね」


それはこれから先もそうなる。映画「アバター」の大ヒットで注目された3Dテレビとか、8Kテレビとか言い出したらきりがない。


「近頃じゃマイナスイオンとかね。だけど、新製品が出るたびにボタンが増えたり、使わない機能が増えていくだろう?それをメーカーは『付加価値を高めた』って胸を張っているけど、新興国の人には受け入れられないだろうね」


「……確かに。冷蔵庫は冷えたらそれでいいし、扇風機は回ればいいものね。操作が簡単なほうがいいっていう国が多そうよね?」


「そこだよ。これから東南アジアなどは発展していくだろうし、家電も普及するとは思うけど、日本の製品がそのまま受け入れられるとは思えない。何より値段が高すぎる」


その象徴はやはりテレビだろう。

2000年代、ソニー、シャープ、パナソニック、パイオニアなどが液晶やプラズマで巨額投資を行なったが、サムスンやLGとの価格競争に敗れ、壊滅的な赤字を計上していく。

背景としてあるのが前回触れた半導体産業の衰退で、実際のところ半導体は既に「日米半導体協定」で致命傷を負っていたのだった。

では現時点で家電産業に対する私の手立てとして何ができるだろうか?


「家電産業って、そんなに問題点を抱えているようには私には見えないけど。藤一郎としてはネクサスみたいな、単純な話じゃないと考えているのよね?」


まさにそこが問題で、半導体のように複数の会社の部門を切り離し、まとめて再生するという手段は現実的ではないと私は考えている。


「そう。会社によって事情が違うことだね」


「そうよね。今だと一番元気に見える会社は三洋電機かな? 電池のシェアもすごいし、松下電器より勢いがあるって雑誌に書いてあったわ」


三洋電機か。確かに、今の三洋は輝いているように外部からは見える。だが私は知っている。数年後の中越地震、そして隠しきれなくなる歪みが、この『最強の二番手』を飲み込んでいくことを。


「……そうだね。だけど、その元気さの裏で、『真似し合いのコスト』がじわじわと体力を削っているんだ。今はまだ、誰もその足音に気づいていないけれど、人減らしは始まっているだろうね」


日本の家電メーカーは同時に倒れたのではない。最初は一社、次にまた一社、やがて業界全体が静かに、しかし確実に崩れていった。その過程で何が失われたか。

私は結論を言った。


「俺が救いたいのは会社じゃなくて、人なんだよね。会社を救おうとすれば守るべきものを間違ってしまうだろうから、目線を変えるんだ」


売上と利益が落ちれば、企業は人を切る。『泣いて馬謖を切る』なんて綺麗な話じゃない。経営陣は自分が助かるために、心の中では笑いながら、泣いたフリをして社員を切る。


それでも最初から最後まで保護されるのは研究者だ。最先端技術を持つ人材は価値が見えやすい。だがそれに比して真っ先に切られるのは製造・品質管理の中堅層だった。工程を安定させ、歩留まりを改善し、ラインの異常を目で察知する。そうした技能は数値化しにくく、地味で、しかし一朝一夕では育たない。


「いらないと評価された人たちが、日本の中で別の仕事に就いてくれるならそれでいいけど、外国企業が目を付けるだろうね」


彼らの一部は中国や韓国・台湾企業に引き抜かれた。別の一部は現地工場への技術指導という名目で自ら海を渡った。日本人技術者は真面目だった。指導先が理解するまで惜しみなく教えた。その誠実さが、日本の競争力を削ぐ結果になった。


日本が失ったのは技術ではない。現場を支えてきた人間そのものだった。


「人間を守れば、それが最終的に日本の国益に繋がると信じているんだ」


そう言って寧音との会話は終わった。やはり、人を守るというのが結論だった。

前世において、日本企業は設計図さえ守っていれば十分だと思っていた。

だが競争相手が欲しかったのは図面ではなかった。

現場で何千回も繰り返されて、ようやく身につく『失敗の仕方』だった。


最先端の研究者は囲い込んだが、現場でネジ一本の締め具合、ハンダの乗り、ラインの澱みを見抜く「神の目」を持つ中堅社員たちを、単なるコストとして切り捨てた。彼らが海を渡り、ライバル企業に「日本の10年分の試行錯誤」をたった数ヶ月で移植してしまったのだ。


そこで私は、彼らを「リストラ予備軍」から、豊臣グループの「核心的資産」へと再定義する。

豊臣グループの資本を利用した人材創設だ。




「キノシタ、いやトイチロウ。あんた……この不景気に、他社のクビ切り候補をまとめて引き受けるつもりか?」


ジェンスンが到着し、荷解きも終わらない段階で行われた初会合の席で、彼が呆れたように、しかしどこか感心したような声を上げた。


「引き受けるんじゃない。奪うんだよ、ジェンスン。彼らがこの価値に気づく前にな」


ジェンスンには明言しなかったが、「彼ら」とは中国・韓国・台湾を指す。

特に現段階では国家総力戦を仕掛けてくる韓国と、貪欲なまでに日本の技を取り込もうとする中国が厄介だ。


「君の考えは理解できない。余計なコストを抱え込むなんて邪道だ」


ジェンスンはそう言ったが、なんとか私の指示に従ってくれた。




1999年12月


周囲の反対を蹴って私が立ち上げたのは、製造受託・品質管理に特化した新会社、『株式会社豊臣クオリティ・アライアンス(TQA)』だった。


この会社の目的は、家電メーカー各社がお荷物だと感じ始めている、40代から50代のベテラン製造管理者たちの受け皿となることだ。彼らには高待遇を約束し、同時に「出向」という形で元の会社や、あるいは私の傘下に入ったネクサス社やNVIDIAの製造ラインへと送り戻す。


「それではただの派遣会社じゃないか」と思う者も世間ではいるだろう。だが、実態は違う。これは「製造ノウハウのブラックボックス化」なのだ。

各社の工場長クラスをTQAの「マイスター」として認定。彼らの持つ歩留まり改善の知恵を、豊臣グループの独自データベースに蓄積する。


そして中国や韓国の企業が巨額の年俸で引き抜きに来る前に、彼らに「生涯現役」と「若手への伝承」という名誉、そして十分な報酬を与える。


そして家電メーカー各社には「自前で工場を持つな、製造はTQAに任せろ」と説得する。これにより、メーカーは販路開拓に集中でき、私は日本の製造能力を丸ごとグリップできる。メーカーとしても「コストカットできてラッキー」とばかりに人材を差し出すリアルな構図になるだろう。


「藤一郎、さっきの人材移籍のリスト……。かつてのライバル会社の人たちが、みんな『豊臣』の名の下に集まることになるのよね?」


寧音が、私の記憶よりも数年早く開発させた試作品のタブレットの画面を指でなぞる。


「うん。彼らはまだ気づいていない。自分たちが捨てようとしている『現場の力』こそが、これから始まる21世紀のデジタル競争において、最後に勝敗を分ける『歩留まり』という名の防波堤になることにね」


それは私の前世とはまったく違う歴史を刻むだろう。



数ヶ月後、ジェンスンが驚くべきシーンを目撃したらしい。

不良が止まらなかった日のことだ。

誰も原因が分からない中、ある社員がラインを眺めて、ただ一言だけ言った。


「……ここの音、いつもと違うな」


そして工具でラインの一箇所に触れただけで、不良は止まった。

理由は誰にも説明できなかったし、本人も語らなかった。


それを見ていたジェンスンは戦慄を覚えたという。


「まるで最終兵器みたいな技術者だが、本人は意識していないし、周囲も気にしていない。あり得ない状況だ。トイチロウが言った意味がようやく理解できた」


そう言ってジェンスンは怯えたような顔をしたのが印象に残った。


「そういうことなんだ。そしてその技術者みたいな人材が珍しくもないというのが、一番問題という訳だ」


「日本人とは、なんて恐ろしい民族なんだ」


「そんなに恐ろしいか?」


「ああ、あんな神技を持つ人間を日本人は簡単に切るんだろう?恐ろし過ぎる。彼が外国に行ったと想定したら……」


恐ろしいのはそっちか!まあ確かにな。

それがジェンスンが漏らした言葉で、それ以降、この件には触れなくなった。


豊臣グループ 新たな傘下企業一覧


①株式会社ヤタガラス。


②ネクサス・セミコンダクタ・マニュファクチュアリング・カンパニー


③株式会社豊臣クオリティ・アライアンス(TQA)。

家電メーカー各社が手放したがっている技術者を結集し、製造受託・品質管理に特化した企業。







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本来其れを止めるべき人事部門が、辞めさせ易いと云う自分達が楽をしたいだけの理由で、只黙々と働き現場を回し続けていた人々、会社を支え続けていた社員達を辞めさせてゆくのをどれだけ見た事か。 結果、声だけデ…
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